04-04-04:嫉妬在りし者、あるいは御遣いの降臨
シチェーカが
見れば見るほど完璧としか言いようがない。
(いいな……)
赤ら顔と揶揄されるシチェーカは彼女を羨ましく思い、また何処までも完璧な様が揺り起こす嫉妬が心を刺した。
だからちょっとだけ意地悪してやろうと思ったのだ。
「お待ち下さい。お一人は離れへ来ていただけると……」
シチェーカ達が担う仕事でも、特にきついのが赤子の世話だ。
柔らかな赤子は少しの事で体調を崩すし、痛みや不安にとても敏感である。手伝ってもらうに越したことはない。
特に慣れないうちは酷く苦労することは、実体験として知っている。
「なら小生が行こう!」
しかし彼女は何の躊躇いもなく自ら行くことを決めた。事実を知らない無垢な笑顔につきりと心が痛む。だがそれ以上にちりりと熱かったのだ。
シチェーカが離れへと案内する間にも、彼女は熱心に仕事の内容を聞き取っていた。
「――なるほどなあ。
「ええ、そのとおりですわ」
「面倒見ている職員は?」
「シスターが持ち回りで。常に1人は付いていて、私が補助に立っています」
「ふむう、ちょっと少な……いや、全く足りてないのか」
「そうですね……」
「輪番制にするでも、バックアップする人を増やしたほうが良いんだろうけど……特に夜泣きが大変だろ?」
「ええまぁ……でも慣れましたから」
嘘だ。
慣れたと言えど、子どもたちは次から次へとやってくる。赤子の世話で1番難しいのがそれで、止むことのない泣き声が徐々に心を蝕んでいく。いま詰めているシスターも、だいぶ参っている1人だ。
「夜泣きの原因は……うん、諸説あるようだ。
たとえば睡眠のサイクルが確定していなかったり、些細な物音を聞いてしまったり。
また暑くて起きちゃう事があるようだね」
「暑くてですか?」
前者はともかく、最後はあまり聞いたことのない説である。シチェーカは思わず聞き返してしまった。
「寝返りがうてないと背中に熱が貯まるだろ? それで汗をかいて気持ち悪かったりするんだろうね」
隣を歩く彼女はうんうんと唸る。本気で悩んでいるようで、いい知恵がないかと首を傾げている。
「体温を一定に保つ魔道具があれば良さそうだが……ちょっとお値段張るもんな」
「そうですね……少し手が出ませんわ」
資金繰りに苦労している訳ではない、しかし魔道具が買える程裕福な訳ではない。それが出来るなら人を雇ったほうが早いだろう。
「あと原因としては……いや、無理か」
「無理、と申しますと……一体なんでしょうか?」
「……お母さんの匂いだよ。側に居ないから心細いんだ」
彼女は申し訳なさそうに俯きながら言葉にする。
「いやすまん、詮無いことを言った。忘れてくれ」
「いえ……」
彼女は『はふはふ』と息を整え、ぴしゃりと頬を叩いた。思ったより大きな音にシチェーカがびくっと震える。
「よーし、気を取り直していこう! 子供……特に赤ちゃんってのは妙な気配をすぐ察すものだしね」
「はっ、はい……」
とてもマイペースな彼女は、繕うようにえへへと笑った。はにかむ笑顔も魅力的でまたしても悔しくなる。
自分はこんなに嫉妬する者だったのか、そんな困惑すらチリチリと焦げている。
◇◇◇
離れの入り口を開けるとすぐに劈くような鳴き声が響いてきて、彼女は吃驚して飛び上がった。
思った以上の衝撃に慄いたが、彼女はすぐに真剣な面持ちになって部屋の奥を見通した。遠くに面倒を見るシスターの姿が見えるが、その動きはやはり精彩を欠いている。
シチェーカは彼女が小さく「不味いな」と呟いたのを聞いた。
理由を聞く前に彼女ずいずいと部屋に乗り込み、泣き止まぬ声にぐるりと目を向けるとシチェーカに振り返る。
「獣人の子達はお腹すいてるようだ。
魔人の子は気持ち悪く……おむつではないかな。
翼人の子と森人の子はちょっと眠たそうだが、周りに釣られて泣いているようだよ」
「お、お分かりになるのですか」
「そういう特技なのだよ。ではシチェーカさんはミルクの用意をしてくれるだろうか? 小生キッチンの扱いがわからない。
おむつは奥の彼女にやり方を聞くから」
ぽんぽんと肩を叩いた彼女はずんと勢い良く一歩踏み出して行った。シチェーカも早足でキッチンへと向かう。
(自信がないなんて、うそじゃないですか……)
戸惑いは何だったのか、あっという間の事に少し歯噛みする。
キッチンには朝搾ったウェルウェルの乳があるので、蒸した豆をぎゅうと絞った汁を6対4で混ぜ合わせる。それを人肌に温めたものが母乳の代わりになるのだ。
本当は子供を産んだ奥さんに頼めればよいのだが、なかなか頷いてくれる人はいない。
確かに街は
それが無関係の子だとて同じことだ。
(子供に罪はないのですが……)
しかし簡単に切り分けられる者は余り居ないのだ。
シチェーカは手慣れた作業であっという間に作り上げると、飲ませるための綺麗な布を持って部屋へと戻った。
「――そっかそっか満足かぁ、よかったぬぇ~♪」
ドアを開けると彼女の声が聞こえてくる。覗き込めば、あうあうと抱っこされるのはふにゃりと笑う魔人の子だ。
あの子は5人のうちでも特に気難しいのだが、事も無げにあやしている。長く接するシチェーカでも長くは抱っこしてあげられないのに。やはり悔しく、そして羨ましい。
ふとシチェーカを目にした彼女はにっこり笑って頷き、
「ほーらお待ちかねーの、ごっはんっだぞ〜♪」
そう言うと双子の泣き声があうあうと小さくなっていく。まるで言っていることが分かるように、あうーあうーと声を上げていた。
「ほらほら、急いであげるのだ」
あわててシスターと一緒に双子の子を抱き上げ、布にミルクを含ませて口元に持っていく。
するといつもより強く吸い付いてきた。とてもお腹が空いていたのか、ちゅうちゅうと吸っている。布ごと食べてしまわないよう引っ張らねばならない程だ。
「そんなにお腹空いてたのかしらね?」
声に視線を上げると、シスターが微笑んでミルクをあげていた。少し陰はあるけれど、さっき見た時より随分調子が良さそうに見える。目にはっきりと輝きが戻り、先程疲れ切っていたシスターとはまるで別人だ。
驚いて見ていると、クスリと笑って教えてくれた。
「ステラ様は素晴らしい
「えっ? それは……」
癒やしの力はシチェーカも持っているが、それは傷を癒やすものだ。
疲れそのものを癒やすなど聞いたことがない。後に
ならばそれは正しく秘術といえるだろう。まずこのような場所で使われるものではない。シチェーカの驚く顔に、しかしシスターは首を振る。
「ステラ様は何もお求めになりませんでした。それより子供の面倒を見るようにと……」
シスターが眩しいものを見るように彼女を見る。
視線の先では翼人の子を揺すって、小さく高い高いをしていた。浮かぶたびに「きゃうー!」と声を上げており、シチェーカも嘗て父スエルテがそうしてくれたことを思い出した。
ふわふわ浮かぶ間に眠くなってきたのか、揺すられる頭がくたりくたりと揺れ始める。
「よぉしよしよし楽しかったねぇ~、良い夢見なよ~♪」
優しく頭をなでて耳元で囁くと、そっとベッドに横たえさせる。
こちらも双子がお腹いっぱいになったので、とんとんと背中を叩いてゲップを促した。布を使うからかどうしても泡ごと飲んでしまってお腹が膨れやすく成ってしまう。
「「けぷっ」」
それにシスターと目が合ってクスリと微笑んだ。この双子はどこからどこまでもそっくりなのだが、ゲップまで同時にするだなんて。きっとこの子達はずっと仲良しでいられるだろう。
シチェーカ妬けた心が少し和らいだ。
「ふむ? 君はどうしちゃったのかな~?」
ふと目を向ければ彼女はエルフの子を抱っこして困っていた。抱きとめた子は泣き出しそうで泣き出さない、微妙な線の上で悲しげな声をあげている。
ただ抱きとめる彼女の胸に顔を埋め、ぐじゅぐじゅと不安そうに身を捩っていた。
「シスター、これは……」
「そのようです……」
お互いに困り顔になる。
ここに居る赤ちゃんは皆一度はこのような状態になり、やがてそれをしなくなる。どうにかしたくても、そうありたいと願っても決して叶わぬ事を求めているのだ。
それは彼女が正に指摘したことでもある。
「これは、どうしましょう……?」
「シチェーカさん? もしかして何か知ってるのか?」
困り顔の彼女が顔をあげてうーむと唸っていた。
「寂しがってるのは解るのだが、どうにも泣きやまないんだよね」
やはり、彼女は赤子の気持ちがわかるのだろう。シチェーカも頑張ってはいるが、彼女のようにひと目で全てを理解することなど出来はしない。だが長らく触れていれば解ることもある。
「……その子は、母親の温もりがほしいのですわ」
「ッ!」
彼女の顔は驚き、嘆き、悲しみに染まる。
「なる程な……確かにそれだ。これはそれ以外の何物でもない」
彼女が寂しげな顔で抱きとめる子を見下ろす。
だがその子は一度諦めたはずだ、何故また求めの手を伸ばすのか。
理由は正に目の前にいる
「なにか出来ることはないか? 求めは分かるが対応がわからない」
「それは……なんと申しましょうか。その、お乳をあげればよいかと」
「シチェーカ様?!」
「あー、おちちかぁー……」
気づけば口に出していた。お腹が空いているわけでもなく、ただの求めならそれが最適だ。そして彼女はそれが出来る。
だからこれは意地の悪いことだ。とても、汚い行いだ。何故それをしたか自分でも解らず、しかし言葉は止まらない。
「だがお腹は空いてないみたいだし、小生そもそも出ないぞ?」
「しかし、その子の感じはそうなのですが……」
シチェーカはいつも一生懸命だ。そうあろうと努力している。だが何時でも少しだけ手がとどかない。だからもっと頑張って、繰り返し、どうしても一歩足りない。
足りる訳がない、なぜならシチェーカは……。
悩む彼女は胸元の子を見下ろし、数度まばたきをした後息をつく。そうしてシチェーカを見る目には迷いがなくなっていた。
「分かった、それでいいならやろう」
「ほ、ほんとうですか……? ご無理をされているのでは」
「何事も経験だよねぇ」
唖然と見るシチェーカに、彼女はと困ったように笑った。どうして其処まで出来るのだろう。
彼女はこの先にある結末を知らない。
それを止めるのも自分たちしか居ない。
結果赤子の求めは得られぬものと知って、またしても小さな体で絶望するというのに。
隣で黙りこくるシスターは、じっと彼女の様子を見ている。
「じゃあ、やったこと無いから教えてくれるかな?」
「は、はい!」
シチェーカが補助しながら、彼女は手早く乳房を露わにする。頬と同じ白くなめらかな丸みの先に、綺麗なピンク色の頂きが乗っていた。
少し緊張気味な彼女はそっとエルフの抱き寄せて、赤子がかぷりとその乳首にすいついた。
「ふぉ?!」
ぴくり、と揺れる彼女はそっと赤子を抱きとめる。一生懸命吸い付く姿はただ必死であり、不安をなくそうと一心不乱にもとめていた。
戸惑いを見せた彼女の様子も徐々に変化していく。それは敬い、慈しみ、そして愛おしい子を眺めるようで、最後には小さな命を見て嬉しそうに微笑んでいた。
「あ……」
その時だ。シチェーカは柔らかく射す陽の光を見たのは。
(ああ……なんて、ことでしょう)
それは神の御遣いが子を祝福する有様である。
その有様は母が子を幸いなれと願う様である。
シチェーカはなぜ嫉妬したのかはっきり自覚した。
彼女は
求めても届かぬ故に、だからこそ見上げる己は嫉妬に焼け付いてしまう。
本当は手を伸ばすことすら畏れ多いというのに。ああ斯様な秘跡を顕現する彼女は一体……。
「イデア、様……?」
はらり、と涙を流すシスターが口にした言葉がストンとシチェーカの真ん中に落ちる。ああ、そうか、そうなのか。
愚かなりしも我が前に……彼女を通して神は降りて下さったのだ。
かくあるべしと道を示すために、そうあれかしと願いを伝えるために。自然と身体が祈りの姿勢を取り、またシスターと同じくつつ、と涙を流す。
今日、この幸いなる日をシチェーカは心の底から感謝する。
祈る彼女の耳に、カタリと音が聞こえたが……それすら気にせず一心不乱に祈りを捧げ続けた。
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