03-02-03:ギルドで手続き、針を刺す
ギルドへの登録自体は問題なく進んだ。
予め名前を書く練習もしたし、基本的な注意事項もシオンに説明されている。
そもそも銅級時点で要求されるのは、
『ちゃんと話を聞く』
『他人に迷惑をかけない』
『仕事は自己責任』
といった必要最低限のものである。
他にも守るべきギルドの規約はあるが、銅級としてまず理解すべきはその3つだ。寧ろそれすら理解できないものが他の規約を守れるべくもない。よって本格的に約款を説明されるのは鉄級以上となる。
とはいえステラも知っていること、知らない事の再確認も含めて、ツァルトに説明を求めていた。
「鉄級へのランクアップについては、その仕事ぶり次第。問題ない様でしたら昇格となります」
「大分基準が曖昧……いや違うな。これは試用期間ですか?」
「はい、その通りすね」
「その場合……仕事を受けたとして、依頼主に迷惑が掛からないでしょうか。当方は素人なわけで、ギルドはその様な人材を派遣することになりますよね?」
「依頼主もその点は理解していますし、現地で実作業の説明もされますが……まぁ、銅級を扱うという点で依頼料は安く、つまり報酬もそれなりとなります」
「だからといって、ここで手を抜けば――」
「当然信用を失うことになり、程度によりますが除名処分もあり得ます」
「当然ですね」
素人を雇うと言うのはそれだけでリスクだ。故に料金も安くなるのだろうが、その上で人物評価もされる。
つまりは人柄、仕事ぶりの確認を外注しているのに等しい。
「なるほど、それは気を引き締めないとなりませんね」
ふんす、と気合を入れるステラ。
このやり取りで、経験の浅いギルド職員……ハイエルフの被害を直接受けていない世代は、ステラに対する認識をある程度改める事になった。
しかし実害を見てきたベテラン職員以下は未だ警戒を続けている。ハイエルフらしからぬ、とはいえ指先一つで何をやらかすか分からないのだ。
と、そこへ男性職員が盆に何かを載せてやってきた。それはB5サイズの銀色の装飾された版、その左側に丸い円が彫られ、そこから幾つかの線が右側の銅のドッグタグのようなカードへと伸びている。
因みにタグにはステラの名前が刻印されていた。これがギルド証だろうか?
「ではステラさん、こちらの丸い部分に血を1滴垂らしていただけますか?」
「え? 血?」
「はい、こちらの針をご利用ください」
「……」
盆には確かに針が用意されている。つまりは……刺すのだ。これで。指とか指とか指を。自分で。ぷつっと。
なおステラは注射は嫌いではない。大ッ嫌いである。
ぷるぷるしているステラを見かねて、シオンが助け舟を出した。
「……ステラさん、なんなら僕がやりましょうか?」
「だだだれがびびびってるってしょうこだよ! ほらかんぜんろんばびびってるとかどのくちがいうんですかねぇ!」
「いや語るに落ちてますよね」
「こっここれは試練だ、通過儀礼だ! やらねばならないし、こっこんなもんちくーだよ! ちくちくー……だか、ら………………」
針を携え危なっかしく震えながら刺そうとするさまは、見ている方が怖くて痛い。涙目で刺そうとしているあたりもう見ていられない。
意を決して刺そうとしたステラが、しかしピタリとその動きを止めた。
ついにやるのか! 固唾を呑んで見守る周囲に、ステラは顔を上げてツァルトを見る。
「この針って使い回していますよね」
「えっ? そうですが……」
「これって煮沸はされています?」
「しゃふ……なんですって?」
「おおう」
ステラは眉根を寄せた。少なくとも最近や感染症についての理解がこの世界にはないらしい。
ギルドは何か機嫌を損ねたのかと緊張が走った。
「その、少し時間をもらって良いでしょうか。貴重なお時間を取らせるようで心苦しいのですが」
「え、ええ。構いませんが」
「感謝します。シオン君、ちょっと手伝ってくれ」
「一体何を始めるんです?」
「ああ、大惨事世界大戦だ……いや冗談だからそんな冷たい目で見ないでくれる? 心折れそうになるから」
「はいはい」
そうしてロビーで開いているテーブル……が無かったので、件の大熊氏の空いている席を借りることにした。
申し出るとそれはもうすごい勢いで譲られた上に、ササッと拭き掃除もして唖然としたが……
(紳士だしな!)
というまほうのわーどでかいけつだ!
「で、何をするつもりです?」
「煮沸消毒という……なんていうのかな、毒消し? だね」
「毒?!」
と、シオンがツァルトを振り返るが、彼女は顔を青くしてブンブンと首を降った。
「あ。ツァルトさんは悪くないぞ? 偶然小生が知っていたというだけだからね。……
ステラが腰から杖を取り出し、机を叩く。その点を中心に、厚み1センチ程の真円の石板が現れた。テーブルを傷つけないようにする配慮だ。
なお原型は〘ストーンウォール〙である。普通はこんなことに使わないし、できるものも少ないが建前が重要なのだ。
「
中空に浮かべた水球の下に炎を灯す。また風を送り込み赤から青の炎を作り出した。このあたりで
四方属性が使えるというよりは、無詠唱かつ並列同時使用に驚いているようだ。
このあたり『はいえるふなので、せいかつまほーくらいはよゆーっすわ!』ですべて解決するので、中々この種族も捨てたものではない。実際生活魔法を沢山練習すれば同じようなことが可能だ。
ただ訝しまれたら勢いで押し切る。おお、世に平穏のあらんことを。
しばらく後沸騰したのを確認し、シオンに針を手渡した。
「この熱湯球に5分ほど針を浸してくれ。熱いから気をつけてね。……小生魔法の制御に集中するので」
「分かりましたが……」
実際は集中しなくても出来るのだが、必死の凡能力アッピルに余念がない。シオンはハンカチを取り出して針を持ち、ぽこぽこと泡立つ水球にその先端を浸した。
「ステラさん、何故鉄を煮るんですか?」
「うむ。これで消毒ができる」
「その毒ってなんなんです? 聞いたことありませんが」
ふむ、と杖をくるくるともてあそぶステラが頷く。
「シオン君は娼館に行ったりするかい?」
「えっ?!」
「あ、ずっぽし生本番させてくれる店ね」
「ボフォ!!?」
シオンが吹いた。運悪くカップを傾けていた探索者も軒並み吹いて、同席していた大熊氏も咳き込んだ。
「な、何言い出してんです?!」
「おっ。狼狽えるということは知識はあるか。なら『病気をもらう』って話は聞いたことないか?」
「えっ、その……」
「歯切れが悪いな。クマさんは?」
「おお俺か?! いや、まあ……なあ?」
厳つい大熊氏とシオンが互いを見合い言葉に詰まる。
「まぁ、言いよどむってことは知ってるみたいだね。で、お分かりの通りそれって粘膜接触で感染するんだよ」
「ね、粘膜……」
「因みに感染経路は穴から棒でも、棒から穴でも一緒だからね?」
「〜〜ッ!」
シオンが少年らしく顔を赤らめ、ギルドがなんだか気まずい空気になる。下世話な話は同性同士冗談めかして言うのが楽しいのであって、真っ向からなんの気なしに言われても正直困る。
それも、次の一言で空気が凍った。
「それって血に触れたりとか、体に使う道具でも同じことが起こるんだよねー」
「……えっ?」
ざわ、とロビーが静かになった。
「まあ性病とは違う物が……綺麗でないが故に病気が移ったり、また傷が治り辛かったりするんだよ」
「…………でも、この針は綺麗に見えますよ?」
「と、思うだろ? でもそう見えるだけで、目に見えない毒というかイキモノがくっついてる。それって拭いても残っちゃうし、洗っても残る事があるんだよ。石鹸使えばかなり落ちるけど……一番簡単なのはこうして沸騰したお湯で5分くらい煮る煮沸消毒を行う。すると大体死滅するから結構安全になる」
「そう、なんですか?」
生き物と言われて周囲がざわつくが、顕微鏡も無い状態では証明しようもない。
「完全じゃないが、目に見えて変わると思うよ。ああ、ついでに包帯なんかも同じことが言えるなぁ。」
ステラがぐるりと周囲を見回し、目を細めた。やはり切った張ったを生業とする職業らしく、包帯で怪我の治療をしているものもいくらか見受けられた。
「……そっちはこんな針よりよっぽど気をつけたほうが良いだろうね。例えば血濡れたものを再利用するなら、水で洗っただけじゃなくて煮沸……は布地が痛むから、熱湯に5分つけるだけでも違うよ。汚れたままのを使うと、逆に傷が膿んだり、前使ってた人の病気が移ることがある。
水虫とか、陰金田虫あたりはわかりやすいよね」
「……」
気づくと周囲がしんとして、ステラの言葉に耳を傾けている。確かにそういった経験をしたものも居るのだ。
「あ、勿論身奇麗にするのも重要だよ? いくら包帯が綺麗でも、3日もお風呂……水浴びしないとか全くお話にならないからね。清潔に保つっていうのはとても大切なことだ」
ステラの鼻だからかはわからないが、下町は結構饐えた臭いがきついのだ。
「因みにある軍隊では、綺麗な靴下が金品に相当する交換品として名が上がると言うよ?」
「靴下が、ですか?」
「うん、特に男性は注意したほうが良いな。見たところここの
そう言うと探索者達が身震いした。次は何を言い出すんだ、と耳を傾ける。
「靴下も変えないままずーっと履いてると、まず水虫になる」
数人が深刻そうな面持ちで俯いた。
「で、足が腐って歩けなくなる」
更に絶望を目に宿した。
「きれいな靴下はそれらを予防してくれるんだね。もし水虫になっちゃったなら、サンダルみたいな通気性の良い履物を愛用するのと……足をきれいに保てば治るかもね。
ただ洗った水は穴ほって埋めることだ。感染源だからね」
絶望した数人の目に光が宿った。相当キツイらしい。
「あと身奇麗にするといいことがもう一つある。……シオン君はなんだとおもう?」
「なんでしょう……気分が良くなる?」
「クマさんは?」
「あ? えー……匂いが消えて狩りがしやすいな」
なるほど、とステラはうなずき、ニヤリと笑って周囲を見回す。
「ズバリ女の子にモテる。子汚いはワイルドの裏返しだよ」
ガタンと席を立つ音がなった。
「さて……話しすぎたがそんなもんでいいだろう……【解除】」
展開された魔法が解けて、後にはまだ熱い針が残った。若干気が紛れたが顔の青いステラがそれを受け取り、深いため息をついた。
「クマさんもありがとうね」
「いいってことよ。それよか俺はちっと用事ができたから失礼するぜ」
「そうか、がんばってね」
「おう」
大熊が立ち上がるのに合わせて残っていた探索者の殆どがそそくさと立ち去っていった。向かう先は古着屋、または靴屋である。
「さあて、小生のほんばんはこれからだよ……」
露骨に肩を落としてカウンターに向かうステラは、まるで断頭台へと向かう罪人のようである。
なお半泣きしながらもちゃんと自分で刺して血を垂らしたステラに、残った数名とツァルトが拍手した。
本当に些細だが彼女はやり遂げた。きっと箱入りだろうに、前に進もうとしている。
とても些細なことだが、しかし祝福すべきことだと思ったのだ。
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