02-02-02:女神の神殿と深淵の黒

 雄々歩くべし歩くべし我壮健なりや!

 歩行かちこそ大義、いざいざ行かん!



 歌声軽やかに意気揚々と進めればよかったのだが、歩みは早々に止まった。


 原因は目の前に広がる黒の大河であり、ステラが転んだ件のぬめりである。


「し、シオン君? なんか床がネトネトで支配されているんだが見間違いか?」


 〈ライト〉の魔法が照らす廊下には、黒いぬめりが隙間なくびっしりと、足のふみ場もなく覆い尽くされているのだ。


 先ほどと異なり光源がある故か、更にテッカテカの属性も付与されて気持ち悪さは3倍増しである。


「小生知らない、あんなのしらないよ? いや知らない言えば語弊があってかちょっとかなりすごく致命的に見覚えあるんだけど、小生の記憶の限りではもっとこうこぢんまりとした優しい感じだったんだよねハハッ。


 これ明らかにちがうよねぇどう見ても海ィイイ!!!


 深淵がこちらを見ている的な腐海に揺蕩う泡沫の化物が広がっているんだがぁ?!」


 ぷるぷると震えながらシオンの裾をくいくいぴっぴと引っ張る。彼は腐海をじぃっと目を凝らして見ると、はてなと首を傾げた。


「何らかの魔法生物? スライムやウーズでもないし……」

「つ、つまりどういうこと……?」


「……なんでしょうね、これ?」


「正体不明なのかい?! それアンノーン的な退廃的腐臭のする神じゃなかろうね?!」

「いや解りませんって……しかし何故こんなことに?」


 シオンが思案し、ふと思いついたようにステラに問う。


「ステラさんは魔法を使えますよね?」

「えっ? 腕前はまだサッパリだが使えはするよ。水を出すくらいは余裕で行ける」

生活魔法マギノ・ヴェイス? なら黒い池に向かってやってもらえますか?」


「え。え。え。いっ、い良いけど大丈夫なのかい? 突如活性化した黒い粘液が自由意志を持って『ゲブゴボブブブ!!』とか奇鳴をあげながら襲ってきたら泣くよ? 小生泣くよ?!」


「少なくとも生物を捕食する生態でもありませんからね」


 もし黒い海が人食いなら、今頃2人の足食われて死んでいただろう。ステラはぬめりとシオンを二度、三度と振り返ってうなる。


「ああもう……わかった、わかったよ! 君を信じるよ……」

「はい、ならお願いします」


「じゃあ……えいっ!」

「えっ?!」


 そう言ってすぐ【流水】うぉーたが発動する。中空に水玉が浮かび上がり、底面に穴があいたように一筋と音を立てて落ちていった。

 水がぬめりを伝い広がっていくと、突如変化が訪れる。


――ごぽり。


 何かが泡立つような音。慌てて魔法を止めるも不気味な泡立ちは止まらない。水を求めて黒い粘液が波打って集まり、蠢いて盛り上がってうねり、深淵の底から何かがじゅぷじゅぷと頭を擡げて現れた。


 丸くぷるりとしたは一抱えほどもある丸い頭である。



「ンアァァァあああああああ! シオンくんンンンンンやっぱこいつは深淵がああああ!! 具体的にはダゴンの使者的なァァあああああァ!!! ぉおおおおおおああ!! やばいいいんおああああああ!!」



 最早ステラの正気度サニティは風前の灯である。ガクガクと震えて少年に縋り揺するも、彼はじっと動かない。持ち上がる何かを見て目を見開き口元は少しひきつるように持ち上がっている。



「……待ってください、これキノコですよ!!」

「ファッ?! キノコ?! ナンデ?!?!」


 ステラが驚き、汗をたらりと流したシオンを見る。


「……えっ、なんだって?」

「キノコです」


 信じられないものを見るように目を細めるも、彼の目はマジでガチだった。何故そこで嘘とかじゃないんだ、ステラは大いに怯えた。


「今って聞こえたんだけど? この長耳が正常であれば、バケモノを君はだって言わなかったかい?」

「わぁ……立派なアムル・ノワーレだなあ」

「ご存知あるのですかァ?!」


 ステラは黒ぬめる腐海に目をやる。……言われてみれば、確かにねとねとの隙間から覗くのは傘と柄のように見えなくもない。たとえるならだ。


「こんななりの茸に何の価値があるっていうんだ……」

「いえいえ、とても美味しい高級食品ですよ?」


 ステラが愕然とシオンを見た。


「……ありえない、何かの間違いではないのか? 具体的には亡者的な亡者だろ? SAWそうだって言って!」


「間違いないですって。……しかし残念だなぁ。採集は特別な瓶が必要ですから、持って帰れそうにありません」


 ひどく残念そうなシオンを引きつった笑みで見る。


「君……もしかして、なのかい?」

「ええ、滅多に食べられないんです。似てよし焼いてよし。噛むほど旨味が溢れているのに、気づけば飲み込んでしまうのです。因みに僕は焼きノワーレが好みですね。香りがすっと立つのが良いのです」


「松茸のお友達かぁ……」

「マツタッケ? それは一体どの様な」

「く、空想上の茸です」


 ギンッ、と閃く眼光に慌てて返答する。


 シオンの言が正しいなら味シメジでない真なる松茸トゥルー・マツタケがアムル・ノワーレというキノコだ。


 最初に食べようと思った者はえらい。地獄の底から這い上がってきたような物体を食すなど……頭のネジが一本抜けてしまっているのではないだろうか。


「というか何が起きたのか説明してくれ、頭が沸騰フットーしそうだよ……」


「あ、すみません。ちょっと興奮してしまって。

 アムル・ノワーレは魔力を持つ大変珍しくも美味しいキノコなんです。生息地も魔素マナの濃い場所に限定され、養殖が実質不可能とされています。

 だから自生しているものを採集するしかないのですが、採集可能な程魔素マナの濃い場所となると、軒並み危険地になるんですよ。

 故に市場に流れる数も少なく、まさに幻のキノコと言っても過言ではありませんね」


 ステラはゆーっくりと視線を外し、亡者へと振り向く。


「……幻の割にモリモリ生えているんだが?」

「おそらく……ステラさんの生活魔法? で作った水から、魔力を得て育ったんじゃないでしょうか」

「え……」


 ステラの笑顔が引きつる。


「つまり……小生の魔法を、このキノコが食べて育ったと?」

「そうなります。しかしこんな育成法僕も知りませんし、養殖可能となったら世界が動きますねぇ」


「世界が動くって大げさな……」

「ステラさん、キノコ学会のアムル・ノワーレ熱を甞めてはいけない」

「ひぇっ」


 無表情で威圧するシオンにステラは怯える。というかキノコ学会とは一体、ステラは光のない目で遠くを見やった。


「……ってことは、このヌメヌメがぜんぶ菌床はたけってことになるのか」

「そうですね。此処まで巨大なノワーレ畑はないでしょうが……ああっ残念だなぁ、此処に入れるのはごく限られた人だけなんですよね……」


 未だに所々で『こぽぉ』と泡立つ様子を見る限りそうは見えない。足裏に得たあの『ぬ゛』という感触は、最早そんな事を追いやって『もぅおうちかえゅ』という感情しか産まないのだ。


「しかしステラさんは魔力も去る事ながら、無詠唱で魔法が使えるんですね。

 記憶を失う前はどれだけの魔法使いマギノディールだったのでしょうか……」


 ステラはきょとんと首を傾げる。


「あれ、魔法って詠唱がいるものなの?」


「え?」

「ん?」


 なにか、魔法について致命的なすれ違いがあると二人は気付いた。

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