すごい事をする人達

 過去に紹介した「すごい人」「困った人」。


 共通しているのは「一を聞いて十を語る者」であるという事。



「これは〇△〇という事で間違いないですか?」


 いえ、全然違います。


「どこが違うのですか?」


 それを正しいと思ったのはなぜですか?


「ネットに書いてありました」


 そのネット記事読んでませんよね?


「読みました」


 正しいのは〇□△×です。


「理論的に説明できないといけないので、〇△〇と解釈しています」


 そのネット記事読んでませんよね?


「読みました」


 ではこの〇と〇は同じもののようですが、どう違うのですか?


「そんな事分かりません」


 ネット記事読んで理論的に説明できるんですよね? 説明してください。


「よく読んでなかったのだと思います」


 読んでないものをなぜ読んだと答えたのですか?


「・・・・・」



 とまるでこちらが追い詰めているかのような構図になる。


 当たり前ですが、それを理解したいと望んでいるのは彼らで、


 理解しない理由を突き止めないと、解決して理解できるようにしてあげられませんので。



 なぜ読んでいないものを読んだとして、


 していない勉強をしたとするのか。



 今の所、その答えとして有力なのが「一を聞いて十を語りたいから」という事です。


 年齢的なこともあり、じっくり勉強している時間が惜しい。


 手っ取り早く習得したという証が欲しい。



 当たり前ですが、それで仕事をしようとしてもすぐボロが出ます。


 こちらも質問されている手前、間違った知識をそのままにする事もできない。



 こっちが間違った事を教えた事にされてしまうからです。


 そういう事を伝えると、


「そんな事しませんよ」


 今さっき、ネット記事のせいにしましたよね?


「・・・・・」



 しかしなぜ彼らはプログラムをやりたがるんでしょうかね。


 まあ人の趣味をどうこう言うものではないのですが、趣味なら人に迷惑をかけない範囲でやってもらいたいもんです。


 仕事ならなおさらに、自分にできる事をやってほしいものです。



 痛みや命が分からない者に医師免許は与えられないです。





 しかし上記で紹介した人達を笑っているだけではいけないと思うのですね。


 そこから学ぶべきは「自分も同じような事をしてはいないか」。



 たとえば量子力学について。


 それを基本とした小説を書いていますが、専攻したわけでもなければ、専門家のお墨付きをもらったわけでもない。


 すべて独学によるものです(プログラムも独学ですけど)。


 そして間違っていた所で何が困るわけでもない。独自解釈かもしれない。


 実際取り入れるに当たって簡略化する事は多々あります。


 専門家から見れば「何適当な事書いてんだ」となるかもしれない。


 常にそれを考えて、突っ込まれないよう気を付けていなくてはなりません。

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