そんな嘘を教えないでほしい
近年プログラムを学校で教えるというのも珍しい事ではなくなりましたね。
その教科書の一部がネットで紹介されていました。
その中に
「多くの現場ではソースコード上の見た目の美しさは重要視しないのでそこに注力する必要はない」
というような事が書かれていました。
要するにプログラムは正しく動いてさえいれば、無駄があろうが汚かろうが構わない、というわけですね。
僕の現場でも
「教本でそんなウソをしれっと書かないでほしい」
と話題になりました。
まあ実際ソースコード上何も問題が無いのに「美しくないから直せ」と指示した結果不具合を出す、という事もありますからね。
作った物は基本直さない。
しかしそれは初めからキレイに書かなくてよい事にはなりません。
ソースが汚いからと言って修正するか否かは現場の判断で、多くの場合は直さないが、それでも修正入る事はあります。
プログラムというものはその時作って終い――ではなくて、以降も継続して使われる物なのですね。
もちろんその時だけの場合もあり、そういう時は多少ソースが汚くても大目に見ます。
しかしそれはあくまでその時だけの例外。
普通はその後不具合の修正や仕様の変更で触る事がある。
それもスポンサーなど、こちらの都合に合わせてくれるものではない場合もあります。
そういう時にソースが見難いと、余計な不具合を引き起こす危険性があるのですね。
後でキレイに直すだけでも余計な不具合を出したりする事もあります。
実際ベテランなら何度もそういう場面に遭遇し、だからソースは無駄なく見やすくなければならないと学んでいるのです。
当然そう新人にも指導するわけですが、
「教科書には違う事が書いてありました」
とか反論してくる事になりかねないのですね。
幸いまだそんな世代は無いですが、これからは分かりません。
場合によってはその出版社にクレームを入れなければならないレベルの話です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます