宗教論争

 小説を書いていれば、「…」や「―」の使い方など、行頭一字開けだの「?!」の後は一字開けるだの様式が言われますね。


 別段決まりがあるわけでもないし、時代と共に変化していくものでもあります。


 必要、必要ないなどの論争が繰り広げられる事もありますが、


 プログラムにおいても同じ事はよくあります。



 この書き方の方が読みやすい。


 この書き方はおかしい。


 なぜこう書いているのですか?



 などなど。



 比較的プログラムは書き方が自由なんですね。


 出来上がった物が正しく動いてさえいれば、プログラムの書き方など問題にされる事はありません。


 しかし今は一つのプロジェクトを複数人で行う事も普通なので、同じプログラムを何人かで触る事もあるのです。



 それこそ括弧の付け方や改行の仕方、スペースの開け方など、


 読み難ければ他者が手を入れる事が出来ません。



 書き方が分かり難かった為にミスをしてはリアルに損害が発生します。



 そこで複数人で作業する現場では例外なく「こういう書き方で統一する」という規約が決められています。


 多すぎてもよくないので大抵は必要最低限のものです。


 それに逸脱したものは修正対象になります。


 動作に問題が無くても直さなくてはなりません。



 それは仕事人なら承知している事なので問題になる事はありませんが、


 規約は最低限のものなので、大半はグレーゾーンなんですね。



 そのグレーゾーンの領域では、「推奨」レベルです。


 推奨なので直した方がよいのだけれど強制ではない。



 どこまで対応するかは班長の裁量によるので、しばしば論争が起こります。



 プログラムの世界ではそれを宗教論争と呼んでいます。



 しかし僕の経験では、腕の悪いプログラマーほど自分の書式に合わせたがる。


 もちろん傾向として、ですが。



 通常はプロジェクトの責任者が規約の決定権を持っているわけですが、それは最終的に責任を負うからです。


 しかし全部自分のやりやすいように合わせればよいのではない。


 作業を分担させる以上、各々にミスが出ないよう、中間のルールを決めなくてはなりません。



 リーダーに経験が無ければ、偏った自分のルールを敷いて、作業のミスを誘発して最悪の結果になるかもしれません。



 反対に作業者の経験が無ければ、自分のコードの精度だけを保つために自分のルールで通そうとする。


 そして問題が起きても責任を取らない。





 結局は責任を負うのが自分なら何も問題はない。



 小説でもそれは同じ。


 一人で書いて公開するのならルールは自分で決めてよいものです。



「小説の様式に添っていないから読み難い」と言われても自分の責任。


 ただそれだけの事です。




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