第25話 寛永元年のニューディール

 宰相、愛新覚羅ヘカンと副宰相、大河内信綱は、キリシタンの反乱に対する鎮圧は対処療法にすぎないことに気づいていた。鎮圧しても鎮圧しても反乱は起こる。根本的な原因を解決しなければ、反乱は繰り返されるだろう。

 キリスト教を禁教とする案もあったが、逆に火に油を注ぐことになりかねない。

 木村重成が献策したのは、オランダやイギリスから宣教師を呼び、プロテスタントを広めることにより、カトリック勢力をけん制するというものだった。木村重成はイギリスでプロテスタントに改宗していたのだ。

 そんなことをすれば、海帝国に宗教戦争を持ち込むことになる。この頃ドイツでは新教と旧教が合い対し、三十年戦争が勃発している。

 「宗教戦争だけは避けたいなり。帝国が無茶苦茶になるなり。」

 では、戸部典子君、対策は思いついたか?

 「まず、貧しい人々を救済するなり。」

 それはもう大河内信綱が着手している。各都市には貧民救済所が作られ、無料の病院も作っている。だが反乱の原因は貧困というよりも、社会的に疎外された者たちのルサンチマンなのだ。

 「ルサンチマン、社会的な弱者が強者に対してもつ怒りや憎悪のようなものなりね。」

 弱者に施しをしたぐらいでは、ルサンチマンは治まらない。海王朝の行き過ぎた自由放任主義が是正されない限り、この反乱は終わらない。

 アメリカで学んだことを思い出せ。

 アメリカでは共和党が自由放任主義であり、民主党が自由を規制し調整する政策を主張する。共和党は小さな政府である。つまり市場の自由に任せて、できるだけ何もしない。アダム・スミスのいう「神の見えざる手」が市場を健全に保つという考え方だ。民主党は大きな政府。市場に積極的に介入し、富の集中や貧困を是正しようとする。逆に政府が大きくなりすぎると社会主義のようになってしまう。

 「海帝国は共和党型の政策を取ってきたなり。これまでは経済成長が著しくバブルみたいなものだったから、それで良かったのだ。時代が安定成長になると社会に歪みが出てきたなりね。だから、この場合は民主党の政策を参考にすればいいなり。」

 そうだ、民主党の古典的な政策を思い出せばいい。

 「ニューディール政策なり!」

 ご名答。ニューディール政策は一九三〇年代に、フランクリン・ルーズベルト大統領がとった経済政策である。世界で初めてケインズの経済理論を取り入れたと言われるニューディール政策は、当時としては画期的なものだった。簡単に言えば、公共事業により大量の雇用を生み出したのだ。ニューディール政策、別名「新規まき直し」政策である。

 「公共事業? 今の日本の政治家が言い出すと胡散臭く聞こえる政策なりね。」

 だが、恐慌に陥った当時のアメリカ経済を救うには有効な方法だった。海帝国は恐慌ではないが、経済はバブル状態を過ぎ鈍化している。

 「なるほど、ニューディールですか。」

 北京出張から帰って来た陳博士が、私たちの話に入ってきた。経済学の馬博士も興味深そうにしている。馬博士は、私たちの案を海王朝の現状に合わせて政策立案してくれるというのだ。

 心強いぞ、馬博士!

 一夜にして政策を作り上げた馬博士は、私たちにひとつひとつ説明してくれた。

 海王朝は海や河を主な交通路にしているが、陸の道が未整備である。海上及び河川交通の無い地域は発展から取り残されている。まず、ローマ街道のような道をつくるのだ。道作りのために失業者を雇い入れ、大量の雇用を発生させる。雇用は生むし道路はできるし、一石二鳥だ。

 それから学校を作る。健全な競争のためには、誰もが知識を身に着けるべきである。それに教育を受けた国民は、優秀な労働力になるのだ。

 海王朝の国庫には西欧から持ってきた大量の銀が備蓄されている。これを放出して社会的事業に使う。

 古典的ではあるが効きそうではないか。

 私たちは人民解放軍に支持を与えた。宮廷に入り込んでいる人民解放軍子飼いの官僚たちに献策させるのだ。しかし、意見書が途中で握りつぶされてしまう。道路を作るニューディールの政策は、水運業者たちの利益を奪うことになる。宮廷には彼らのロビイストが入り込んでいるようなのだ。

 「愛新覚羅ヘカン君か大河内信綱君に直接、意見書を手渡すのだ!」

 ヘカンは帝国の宰相だぞ、そう簡単に会えるわけではない。海王朝も安定の時代に入り、安定は組織が硬直化を生む。平和な時代の中では危機管理が疎かになってしまうのは、どこの国でも同じだ。

 「伊達忠宗君はどうなりか?」

 またまた大物ではないか。

 「あたしが行くなり。」

 戸部典子がにまにましている。

 お前だって、忠宗には会ったことがないだろ。

 「秘策があるなりよ。」


 一六二四年、日本の朝廷は元号を改め「寛永」とした。海王朝では織田信長即位の年を帝国暦一年と定めたが、この時代、日本人の多くが日本の元号を併用し続けている。

 寛永元年十月十日、上海の伊達屋敷の門前には戸部典ノ介と木場茜ノ介の姿があった。

 「たのもー、拙者、戸部典ノ介と申す者なり。伊達忠宗殿にお会いしたいなり!」

 門番が不審げな顔で追い返そうとする。

 「そんな事していいなりか。拙者は先代、政宗公と懇意にしていた者なりよ!」

 政宗の名前に門番が怯んだ。

 「通るなりよ。」

 戸部典ノ介と木場茜ノ介は、ずかずかと邸内に踏み込んだ。

 「お待ちあれ!」

 邸内からは侍たちが出てきて二人を取り囲んだ。戸部典ノ介は懐から取り出した物を、頭上に掲げて見せた。

 「これなるは、伊達政宗公の眼帯なり。拙者が政宗公から譲り受けたものなり。頭が高い! 控えおろー。」

 お前、何か勘違いしてないか。

 正宗の眼帯を掲げた戸部典ノ介は玄関から屋敷の中に入っていく。これが秘策か?

 伊達忠宗は近習から、奇妙な客が来ており、戸部典ノ介と名乗っていることを聞いた。そして、父がよく話してくれた奇妙な若侍の話を思い出した。

 「神仏の使いか? 会うてみよう。」

 忠宗は神仏の使いを大広間に招いた。

 上座に忠宗が近習を従えて座っている。大広間の中央には戸部典ノ介と木場茜ノ介がちょこんと座っている。忠宗は父の言う神仏の化身が、ふざけたにまにま笑いの若侍であることに落胆した。

 「何用で来られた?」

 「帝国を救うために来たなりよ。」

 にまにま侍が帝国を救うなどと大言壮語を吐く。「大きく出たな」と忠宗は思っただろう。だが、にまにま侍が自信をみなぎらせているのは何故だ?

 戸部典子の弁舌は軽やかで説得力に満ちていた。忠宗の表情がみるみる変わっていく。

 「道とな、」「学校とな、」「そこじゃ、そこをもう一度説明されよ。」

 忠宗が乗って来たぞ。あと一押しだ。

 聞き終わった忠宗は、しばし目を閉じ、上座を降りて戸部典ノ介の前に座りなおした。

 「そなた、父の言うように神仏の化身であったか!」

 「違うなり。愛と平和の使者なりよ!」


 伊達忠宗は宮廷にニューディール政策を上奏した。

 改変前の歴史では「知恵伊豆」と呼ばれた大河内信綱は、その政策の見事さに驚嘆した。

 「伊達殿、これはそこもとの案でござるか。」

 「違いまする、神仏の使いから賜ったものにございまする。」

 寛永元年のニューディール政策は実行に移された。

 人々は道作りに精を出し、仕事を得た。道はローマ街道のように敷石で舗装され、馬車もスムーズに走ることができる。内陸地域にもたくさんの物産が運び込まれ、また内陸部の生産物が街へ流れ込んだ。

 子どもたちは学校で読み書きを習い、くすぶっていた知識階級は教師の職を得た。ここから巣立っていく子供たちがやがて海帝国の礎となっていくのだ。


 反乱は沈静化していった。少なくともキリシタンの反乱に、貧困層が加わることは無くなっていた。

 「けれどまだキリシタンの反乱は続いているなりよ。」

 キリシタンたちは「悪魔の帝国が倒され、神の国が来る」と口々に言っていた。神の国は、キリスト教の教義では、人類の終末の日にやってくるものなのだ。

 私たちはキリシタンの反乱の理由をひとつ見落としていたのだ。

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