第20話 エヴァンジェリカル
アメリカの自動車旅行は退屈との戦いだ。車窓の風景はおいそれとは変わらない。泊まるのは同じようなモーテルばかりだ。食事はまずい。特に生野菜が不足する。昼はハンバーガーショップ。夜はダイナーと呼ばれるプレハブに毛の生えたような作りのレストランである。ダイナーでサラダを注文するとしなびたレタスとトマトの盛り合わせである。
「幸いなるかなサブウエイ。」
サブウエイの看板を見つけると、戸部典子がお決まりのセリフを言った。サブウェイでは生野菜たっぷりのサンドウイッチを買った。
アイオワを出たあたりから、私が助手席に座るようになった。ダーク・ライダーのヒーロー気分である。
戸部典子は後部座席でぐったりするようになった。
「体の具合でも悪いのか?」
と、気遣った私が馬鹿だった。
「あたしは、おいしい物を食べないと力が出ないのだ。」
単なる贅沢病だ。
アイオワから南進を続けたトランザムは、ケンタッキー州に入った。
ケンタッキー、もはや私にこの州の特徴を見つけることはできなかった。風景に慣れすぎたせいだ。そんな私たちの眼前に、刮目すべき建築物が現れた。箱舟である。
「ノアの箱舟なり!」
さすがの戸部典子も呆然としている。箱舟は十階建てのビルほどの大きさで横たわっている。
「あれが天地創造博物館だ。」
天地創造博物館はダーウィンの進化論を否定するキリスト教、福音派エヴァンジェリカルが、聖書による人類の歴史を学ぶ施設なのだそうだ。
私たちは入場料を払い箱舟の中に入った。内部は旧約聖書に基づいた数々の展示物が並べられている。親子連れが多い。福音派の親が、子供に天地創造を学ばせるために連れてきているのだ。
「恐竜と人間が仲良く暮らしてるなりよ。」
聖書では世界の誕生は五千年前とされる。しかし、恐竜の化石があることを福音派は認めざるを得なかったようだ。そこで、昔は人間と恐竜が共存していたという解釈になる。
「こっちはアダムとイブなのだ。後ろの方にマンモス君がいるなり。」
歴史改変に携わってきた私も、これは無いと思う。
「神様が太陽と月を作っているなり。」
五千年前の話だそうだぞ。
「子どもたちはこれを信じてるなりか。」
そんなことは無いだろ。学校に行けば進化論を学ぶことになる。
「あまいな。」
天野女史は鼻で笑った。福音派の子供たちは学校へは行かないのだそうだ。家庭学習で勉強は親が教える。この博物館では天地創造を教える本を売っていて、これが福音派の教科書なのだ。
福音派はどれくらいいるのか、という私の質問に、天野女史はアメリカの人口の二十五パーセントから三十パーセントだと答えた。
「アメリカの人口が三億強だから、一億人近くいるなりか!」
戸部典子が目をまんまるにしている。
一億人近い人々が学校へ行っていないというのか!
中央にはホールがあり、もうすぐショーが始まるのだという。私たちは中央ホールを取り囲む座席に腰を下ろした。
隣に座っていた老夫人が私たちに話しかけた。戸部典子がにまにまして答えている。
「どこから来たのかね。」
「ニュー・ヨークなりよ。」
「キリスト教徒じゃないようだね。」
「日蓮宗なり。」
「じゃあ、わたしが教えてあげる。」
なんかフレンドリーではないか。
観客たちが歓声を上げた。
十字架を背負ったキリストが現れ、鞭打たれながらゴルゴダの丘へと進んでいく。
ジーザス! ジーザス・クライスト!
客席から悲鳴にも似た声があがる。
「イエス様はね、わたしたちのために十字架に掛けられるのよ。」
老夫人は戸部典子にイエスの受難を語って聞かせている。
後ろの席に座っていた若い男も、老夫人の説明にいちいち解説を入れている。
イエスが十字架に掛けられ、槍で突かれる。イエスの悶絶する姿に、誰もが祈りを捧げている。
「よくわかったかい。」
後ろの若い男の問いかけに戸部典子は引きつりながら頷いている。
こんなところに外国人がいるのが珍しいようで、なんかみんなが寄って来たぞ。
どこから来たんだという質問に、戸部典子が「ニュー・ヨークなり」と答えているが、彼らにはよく分からないようだ。
私は持っていたアメリカの地図を広げた。皆が地図を覗き込む。そして、天野女史が彼らに訊いた。ニュー・ヨークの場所は何処かと。
後ろの若い男が、指さしたのはフロリダだった。老婦人はデンバーあたりを指している。おいおい、そこはカナダだ。メキシコを指してどうするつもりだ。みんなアメリカ国民ではないのか。
頭が痛くなる。学校に行っていないからまともに勉強していないのか。
「内陸部に来ると、アメリカ人の知識はこんなものだ。一生、生まれた町を出ないで暮らす者も少なくない。せいぜい州都くらいが彼らのテリトリーだ。」
天野女史は冷たく言い放った。
人間を月まで送ったアメリカ合衆国の知性はどこへ行ってしまったのだろう。福音派は知性も科学も否定する人々だ。歴史は必ずしも前進するものではないことを、私はあらためて実感した。後退の果てに彼らは幸福を掴み取ることができるのだろうか。
トランザムの中で私は考えた。政治家にとって彼らは票なのだ。一億もの巨大な票田だ。彼らの支持を得れば、選挙を勝ち抜くことも容易くなる。
「先生、お分かりのようですね。この国の正体は宗教国家なのです。」
なるほど、六十年代には怒れる若者たちが古い世代を否定し、ラブ・アンド・ピースでベトナム反戦運動を戦った。古い価値観が壊れ、ゲイやレスビアンなどのマイノリティが声を上げた。公民権運動は黒人の人権を獲得し、白人中心の社会は動揺する。妊娠中絶手術も合法化され、女性の人権も守られるようになった。これは進歩だ。
一方、福音派は進歩に取り残された。いや進歩を拒否したのだ。
八十年台、レーガン政権は福音派の要求を実現する代わりに、選挙での支持を取り付けた。政治的なバック・ボーンを得た福音派は、次第に発言力を増すことになる。やがてアメリカは宗教乗っ取られることになるかもしれない。
そうか、分かったぞ。アメリカ政府が碧海作戦に強硬な態度をとるのは、単に人種的な問題ではない。別の時空とはいえ、異教徒の帝国がキリスト教国を侵略しかねない事態になっているのだ。これを面白からず思っている人間が政治家に圧力をかけているのだ。
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