第16話 ニュー・ヨーク・シティー

 ニュー・ヨーク行の航空券を手渡された戸部典子は、それがビジネス・クラスの座席であることを知ると狂喜乱舞した。

 「ビジネス。クラスなり! 高級なシャンペンも飲み放題なりよ。食事が楽しみなのだー。」

 航空券を胸に抱きしめて、にまにま笑いが止まらない。

 その若さでビジネス・クラスとは! 中国政府も甘やかし過ぎだ。

 「あたしは一度だけビジネス・クラスに乘ったことがあるなり。」

 貧乏旅行ばかりしていた割には豪気なことだな。

 「違うなり。オランダから帰国する時、ダブルブッキングがあったのだ。エコノミーは満席で、あたしがはじき出されてビジネス・クラスにアップ・グレードしたのだ。」

 そういうことがあるとは聞いていたが、金持ち客のなかにバック・パッカーが紛れ込んだわけだな。

 「食事の時は、一番高いシャンペンを頼んだのだ。フォアグラのソテーも食べたなり。」

 まったく、どこに行っても食い意地がはってやがる。それにしても一番高いシャンペンがどれかよく知っていたな。

 「訊いたなりよ。CAのお姉さんに。一番高いのはどれなりかって。」

 恥ずかしい、貧乏人丸出しではないか。

 「でもなり…」

 戸部典子の顔が急に曇った。

 「長旅で疲れていたせいで、そのあと眠ってしまったのだ。気が付いたら日本上空だったなり。ビジネス・クラスは一瞬の夢で終わったなり。」

 戸部典子は今にも泣き出しそうな声で言った。言ってる内容は全可哀想じゃないけどな。

 「だから今度のビジネス・クラスはリベンジなり!」

 いったい、どんなリベンジだというのだ。


 上海航空、ニュー・ヨーク便、ビジネス・クラスの大きなシートに深々と腰を下ろした戸部典子は、シャンペンとオードブルを楽しんでいる。私は彼女の隣の席で、ビールを飲みながら本を読んでいた。

 「先生、機内上映に『SEKIGAHARA』があるのだ。楽しみなのだー。」

 あー、ハリウッド版の関が原か。マック・デイモンが石田三成、レナード・デカプリオが徳川家康を演じるというアレだな。

 「中国からはチャン・ユンファ、日本からは沢田弘之が出てるのだ。」

 戸部典子はヘッドフォンをして画面にかぶりついている。

 なんか嫌な予感がするが、どうせ暇だし見てみるか。

 白人が日本の戦国武将を演じるのは、ホワイト・ウォッシュというやつだ。漂白である。アメリカでヒットするには主役は白人でなければならんというわけだ。

 それにしても、これが関が原の戦いだというのか? 東西両軍が富士山を背景に激突しているぞ。石田三成の恋人を徳川家康が誘拐して、三成は愛のために恋人を守って死んでしまう。

 さすがの戸部典子も顔を凍り付かせている。

 「見なきゃ良かったなり。」

 泣くな!


 ジョン・F・ケネディ空港に到着した私たちは入国審査を通らず、特別室へ通された。VIP扱いか。

 「パスポートにハンコ押してほしいのだ!」

 戸部典子がぐずるものだから、イミグレーションから職員が来てスタンプを押してくれた。

 ホテルまでは中国大使館の公用車である。ホテルはウォルドルフ・アストリア、天皇陛下や各国の王族、政治家も泊まる超高級ホテルである。運営こそヒルトン・ホテル・グループだが、オーナーは中国企業だ。案の定、戸部典子は飛び上がって喜ぶ始末だ。夕食はホテルのレストランで食べてもいいし、ルーム・サービスで好きなものを頼んでいいということだ。代金はもちろん中国政府持ちである。なんと贅沢な待遇だ。戸部典子は「食いまくる所存である」と、所信表明演説をぶちかました。

 時差ボケでもう眠いが、もう少し我慢して現地時間に馴れなければ。

 私は少し散歩に出ることにした。静かだったホテルの玄関を出たとたん、耳には人々のざわめきと、乾いたクラクションの音が飛び込んできた。明かりが灯り始めた摩天楼が、空を覆い隠さんばかりである。マンハッタン島、この小さな島の上に、いったいどれほどの人がひしめき合っているのか。

 かつてオランダ西インド会社はネイティブ・アメリカンからこの島を二十四ドルで買い取った。史上最大のバーゲンと言われる。その後英蘭戦争に勝利したイギリスが、この地の支配者となる。アメリカの発展とともにニュー・ヨークは世界の大都市となったのだ。

 夕暮れの街を、私はタイムズ。スクエアまで歩いた。世界で最も賑やかな交差点だ。様々な人種が街を行き交い、あらゆる言葉が飛び交う。紛れもなくここが世界の中心だ。


 国連の歴史介入委員会は三日後だ。会議の準備と言ってもたいしてすることは無い。

 観光でもするか、そう思ってホテルのロビーに降りると、ジーンズ姿の戸部典子がうろうろしている。すっかり観光モードだ。

 「先生、行くなりよ。」

 そんな約束をした覚えはないぞ。

 「李博士も一緒なりよ。」

 李博士も観光にいくのか。それなら私も行くか。

 李博士がロビーに降りてきた。白いワンピースに大きな帽子をかぶっている。エレガントではないか。

 陳博士も降りてきた。

 「みなさん、いってらっしゃい。」

 「陳博士は行かないなりか?」

 「せっかくですが、仕事で来ている手前もありますから、わたしは遠慮します。」

 戸部典子が悲しそうな顔で言った。

 「思い出作りりなりよ。あたしたちは友達なりよ。」

 陳博士はしばらく困った顔になったが、にこりとして言った。

 「じゃあ、行きますか。」

 「やったなりー、みんなで思い出作りするのだ!」


 私たちは五番街を歩いた。気持ちのいい六月の晴れた日である。華やかなビルの谷間に数々のショーウィンドウが並び、人々は誰もが早足で歩いている。にまにま顔の戸部典子が高層ビルの隙間に開いた小さな空を見上げてツッタカツッタカ歩いていく。私たちは彼女について歩きながら街の大らかな空気を楽しんだ。摩天楼を見上げて歩く私たちは、お上りさんみたいだったろう。

 ワシントン公園まで歩いた後は、タクシーでSOHOへ向かった。七十年代に若い芸術家たちがこの地の倉庫を改造して住み始め、今は世界の流行を生み出すおしゃれな街になっている。

 ガイド・ブックを手にした戸部典子が、パストラミ・サンドがおいしいデリカテッセンがあるというので、みんなで探した。香辛料を効かせた燻製肉が、両の掌に乗るほどの大きなパンに挟まっていて食欲をそそる。しかし、日本人には大きすぎる。私たちは二つ注文して、公園のベンチで、四人で分け分けして食べることにした。

 タクシーでマンハッタン島の南端まで出ると、自由の女神が見ええた。自由の女神はエリー島という小さな島から、海の遠くからやってくる移民たちを出迎えている。

 「自由の女神は、何教の神様なりか?」

 自由の女神は無神論の神様かもしれない。アメリカ独立戦争にはイギリスに敵対していたフランスが援軍を出した。その後、フランス革命が起こった。革命後のフランスでは宗教が否定された。自由の女神はドラクロワが描いた「民衆を率いる自由の女神」を彫像にしたものだ。アメリカ独立百周年を祝ってフランスはこの巨大な女神像を送った。

 私たちはエリー島に渡り、自由の女神を見上げた。それから、遊覧船に乗ってハドソン川をさかのぼった。船からは摩天楼が一望できる。巨大な軍艦のようなマンハッタン島を背景に、みんなで写真を撮った。

 そういえば、陳博士や李博士とこうやって仕事以外で付き合うのは初めてだ。

 それは私たち四人の最初で最後の想い出作りになった。

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