第9話 戦国オールスターズ

 作戦開始の直前、日本の外務省から私の秘書官を送ってよこすとの連絡が入った。つまりは私のお目付け役というところだ。おそらくは、私のメディアでの発言に注意を払うべきだとの意見が、ナショナリストの政治家あたりから出てきたに違いない。

「めんどうな奴が来なければいいのだが・・・」


 碧海作戦、第一号が開始された。


 織田信長による天下統一を早めることが第一号作戦の目標である。

 一五六八年九月七日、午前零時をもって作戦開始。

 同日、未明、織田信長は将軍足利義昭を奉じて上洛を開始した。


 タイムマシンで現地に潜入した中国人民解放軍特殊部隊の面々は、その実、暗殺部隊だった。信長の天下統一を阻む者たちを暗殺してしまおうというのだ。


 作戦開始とともに私は暗殺対象者のリストを渡された。それまで私には秘密にされていたリストだ。中国人というのはくえない奴らだ、私をいいように利用しておきながら肝心なことは事後伝達というわけだ。

 リストは用紙が真っ黒になるほど戦国武将たちの名前がびっしりと書かれていた。

 その時だった。

 「失礼します!」

 という女の声が聞こえた。私が振り返ると、黒のスーツを着た若い女が直立不動で立っている。スーツが馴染んでいないというか、まるで就職活動中の女子大生みたいだ。

 「わたくし、日本の外務省から派遣されてまいりました、戸部典子と申します!よろしくお願いします!」

 こいつが、私の秘書官か・・・

 久しぶりに日本人を見た。だが、この顔には見覚えがある。そうだ、私の東京の大学時代の元教え子だ。私の研究室に入り浸り、私の予算を使って勝手に高価な書籍を買ったりしていた歴史ヲタク、いや歴女だ。戦国武将マニアで、文献を読み漁っては、楽しく戦国武将のイラストをお絵描きしていたような奴だ。確かに成績は優秀だったが、こいつ、外務省に入っていたのか!

 戸部典子は流暢な中国語で周囲に挨拶しながら、私に近づいて来る。そして私の前にくると急に「にまにまっ」として

 「先生、お久ですぅ」

 とふざけた挨拶をしたのである。

 私があっけにとられていると、戸部典子は私の手元から暗殺対象者リストをひょいと取り上げてしまった。私がリストを取り返そうとして、つんのめってしまったのをいいことに、彼女はリストをしげしげと眺めている。

 「えー、こんなに暗殺しちゃったら日本の戦国史がつまんなくなっちゃうなりー。」

 日本語のわかる李博士がぎょっとした。

 こいつの発言は中国政府の意向に逆らっているに等しい。

 たいしたお目付け役だ。

 要するに外務省はお目付け役の派遣を命じられたものの、省内のエリートたちの誰もが、私のような問題児の秘書官はまっぴらごめんこうむったのだろう。そこで仕方なく、新卒ピカピカの一年生を私のところに送り込んだというのが、当たらずとも遠からずといったところだ。

 だが、彼女の発言は正しい。中国人たちのやり口は荒っぽいのだ。邪魔者は片っ端から暗殺していく予定だったのだ。

 ちょうどいい、ここは彼女にしゃべらせておこう。私が言いたいことを彼女に言わせておいて、さんざん反感を買ったあげく、中国政府から外務省に返品してもらおう。

 「いやーん、伊達政宗君なんか暗殺しちゃダメ、ダメ!

 大陸侵攻やるんだったら、ぜっーたい役に立つなり。

 それに、美形・・・、へへへ」

 彼女は不敵な笑みを浮かべながら、リストにバッテンを書き込んだ。

 「武田信玄君と上杉謙信君もダメ!この二人をできるだけ激しく戦わせておけば関東はそう簡単に動けない。その隙に天下統一するなり。それに、もったいないなり。えへへ。」

 彼女はぶつぶつとつぶやきながら次々にバッテンを書き込んでいく。ぶつぶつとはいうものの元々地声が大きいたちらしく、研究室中に響き渡っている。

 李博士が彼女のつぶやきを陳博士に翻訳している。

 いつの間にか、陳博士や李博士、それに研究室にいた研究者たちが集まってきて、彼女がバッテンをつけているリストを覗き込んでいる。

 「浅井長政君なんか、信長君の優秀なパートナーになれる武将なんだから、もったいないなり。朝倉義景君だけやっちゃえばいいのだー。」

 陳博士や李博士だけでなく、多くの研究者が腕組みしてうなずいている。これはまずい。私の出番がないではないか。ここは言ってやらねばならない。年長者として、師として、大人の貫禄を見せねばなるまい。

 「ところで戸部典子君、君はほとんど全部の武将にバッテンを付けているみたいだが、いったい誰を暗殺すればいいのかな?」

 彼女は間髪を入れずに答えた。

 「本願寺、顕如」

 「おおー」、というどよめきが起った。

 「なるほど、これだけで十年は天下統一が早まる。」

 陳博士がつぶやいたのを、李博士が訳した。

 陳博士は続けた。

「私たちは戦国武将にばかり気を取られていて、そこに気づかなかった。」

 陳博士は戸部典子の手をとって「シェイシェイ」と言っている。

 オタク同士、気が合うことだ。

 そう、顕如をやってしまえば、武田・上杉が和睦することもなかったし、そもそも信長包囲網が消えてなくなるのだ。

 戸部典子!お前は正しい、正しいんだけどさぁ、

 私の立場がぁぁぁ・・・

 彼女は苛立つ私に顔を向けて、「えへっ」と笑った。

 そうだ、私の予算で高価な書籍を買ったのを問い詰めた時も、こいつはこんな笑い方をした。なんていまいましい奴!

 彼女は陳博士に向かってさらにつづけた。

 「上杉謙信の死んだあと後継者争いをする上杉景虎はやっといたほういいなり。万が一、上杉景勝が後継者争いに負けて景虎が跡目を継いだら面倒になるから念のためなり。」

 「それから吉川元春。こいつがいないだけで毛利はボロボロなりよ。」

 「うーんと、あとはね、大友か竜造寺、どっちか潰しとこう、かなっ!」

 戸部典子は「えへっ」と首をかしげて、上目遣いになった。

 「かわいこぶりっこ」という死語があるが、おまえのために復活させる。

 私は再び彼女に問うた。

 「戸部典子君、島津はどうするんだ」

 「いやん、島津義弘君はあたしのお気に入りなり!」

 やれやれだ、しかし中国人の研究者たちは感服している。

 歴女、恐るべしだ。

 彼女を取り巻く人の輪の後方で手が上がった。

 人民解放軍広報部のひとりだ。歴史に対しては素人だが、疑問があれば臆せず質問する勇気は褒めてやろう。

 「万歳先生ワンセーシェンシェ、明智光秀はいかがしますか?」

 おお、ようやく私への質問がきた。さすがは中国人、年長者への礼を失することはない。戸部典子とは大違いだ。日本人よ、中華の礼を学べ。

 「うむ、難しい問題だが、念のため、やっちゃいましょう。」

 「ダメー!」

 戸部典子が両手で大きくバッテンを作っている。

 「光秀君はダメー、あたしの命に替えても光秀君は守るの。」

 戸部典子がアヒル口になった。

 おいおい、こんなところで媚を売るな。

 「信長君はね、浅井長政君とぉ、明智光秀君を左右に従えて大陸にいくの。」

 戸部典子が宙を見ている。なにかよからぬことを考えているらしく、涎よだれを垂らしている。

 彼女はよだれをぬぐいながら言った。

 「それが、あたしの夢なり・・・」

 どんな夢なんだ、戸部典子!



 信長の天下布武は、異常な勢いで進んだ。

 いまいましい戸部典子の戦略が当たっただけではない。歴史介入にはコツのようなものがあり、勢いのあるものに勢いを与えることはじつに簡単なのだ。

 本能寺の変が起こるはすだった一五八二年、信長は日本列島津々浦々まで支配下に収めていた。信長、よわい四十九、まだまだ働いていただこう。

 これも歴史の復元力だろう、最後の詰めは北条攻めとなった。信長は小田原城を二十万の兵で取り囲み、城内では小田原評定が始まった。

 ここでも改変前の歴史が再現される。信長の命令に遅参した伊達政宗が白装束で現れた。歴史の展開を早めたせいで、伊達政宗が、まー若い。なかなか素敵な若武者ぶりを披露してくれた。伊達政宗は信長に敬服してしまって、舎弟というよりはまるでパシリになってしまった。

 若武者・伊達政宗の姿はメイン・モニターにアップで映し出された。

 戸部典子などは、「キュンとしますね、キュン。」と言って、研究室中を走り回る勢いだ。


 信長子飼いの軍団に加えて、上杉・浅井・徳川、伊達、島津、毛利、長曾我部などなど、豪華絢爛たるメンバーで大陸侵攻に臨むことになった。

 「戦国オールスターズよねっ。」

 虚ろな目で宙を見据える戸部典子はじゅるりと涎をぬぐった。

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