3-2-12-3

「官は?」

「内務省特別査察局」

 サクラと呼ばれた女が少女を脇に抱えて部屋を出ていった。彼女はスラックスに、上はショート丈のベアトップを着ている。顔面と同様に、何か人工物を思わせるほど滑らかな褐色の背中が見えた。

「あのお嬢さんも?」

「サクラさんは私のボディガードで、私に時間を作ってくれている人です。彼女の言うことは聞かなければならない。詳細な説明は後で行いますから、釜石先生、今は何も言わず一緒に来ていただけますか」

「もう居られる所も行ける所もないようだからね」

 上着と、写真立てだけを持って、釜石は武野の後をついていく。1階に降りた時はどのような惨劇の痕を見ることになるのか覚悟したが、何も、普段と変わった光景を見ることはなかった。ただ、食卓で談笑する〈137〉の子どもたちの姿がなかった。彼は自分を「護衛」する彼女たちに1階の全てを控室、休憩室として利用することを許可していた。代わりにあったのは、飲みかけのコーヒーカップの3つだけだった。

 玄関を出ると、花壇でノースポールが枯れている。まだ和光市にいる時、妻が冬に花壇へ植えていた花だった。彼女はどんな魔法で、あの彩りを一年中、実現していたのだろう。

「私は池袋から始まった一連のテロ事件を追っていまして」

 彼の方を見ることもなく武野は話し出した。ナナフシのような見た目なのに尺取虫のように歩く男だな、と釜石は思った。

「ああ……。君が御厨さんや四宮さんを口説いていて亡霊を追わせた人だ」

「はい」

「『心せよ亡霊を装いて戯れなば、亡霊となるべし』」

「先生は漫画をお読みになる?」

「寺山修司だったような気がするが」

「先生、漫画を読むようにするべきですよ。漫画を読んでいたら、こんなことにならなかったかも知れない」

 家から出て少し歩いたところにある駐車場はコンクリートの舗装もされていない。晴れの続いた冬の日など、土埃が舞うくらいだ。駐めることを想定しているのが彼の軽自動車と、森林組合の作業者が乗るための小型のトラックだけなのだから、そんな必要もない。しかし今日は3台目としてロールスロイス・ファントムが駐車していた。

「仰るとおり、私も亡霊になりました。四宮さんと同様に」

「何処にいたんだね?」

「シーア派コミュニティにコネがありまして。ギャズを食べていたら、情勢が変わっていた」

 運転席には誰もいない。サクラが運転するのだろう。この男の運転なら、乗りたくないと釜石は思った。武野も運転したくないようで、駐車場の端にまでさらに歩いた。2人で下を見下ろす。吾野渓谷の河原が見える。

 そこで丸裸の少女たちが手で穴を掘っている。〈137〉の、少女たちだ。人形のように均整の取れた身体つきから、制服を着ていなくても、後ろ姿でもわかる。それに何より、サクラが煙草を吸いながら監督している。

 少女たちが石を除けるたびに水が滲み出る。吾野の川は源流に近く、非常に冷たいということを釜石は思い出す。

「四宮さんが〈活躍の園〉に入りました。亡霊を捕らえるために。〈137〉は〈地下物流〉組織の新しい支配人との契約を破棄、彼ら自身が支配人となることを決めました」

 ちょうど人一人が横たわれるくらいの窪みが8つ、出来上がった。それは少女たちの数と同じだった。彼女たちは静かに、そこへうつ伏せになった。サクラもまた、静かに煙草を吸っていた。

「彼らは奥崎謙一が捕まる前に彼を殺すことに決めました。それから、そう、貴方のことも。おかげで亡霊が蘇り、私も復権した」

「君には理想的な展開だろう?」

「鳥栖二郎はどうなりますか。奴の持っている力は。初めから何もなかったことになり、あれは野放しのままだ」

「君は何がしたいんだ。警察官僚としての正義に目覚めたとか言わないでくれよ」

「警察官僚としての正義に目覚めたんですよ、先生。私は、目覚めたんだ。この国を支配するべきなのは警察だ。軍隊では、ない。行政国家を支配するべきなのは、逮捕権を持つ我々警察です。最強の官庁として、この国を支配し、導く義務がある。そのためには鳥栖二郎の有していた全ての力を奪わなくてはならない」

「君は病気だよ」

「研究者の如きが日本の警察をなめるなよ。日本の警察は最強なんだ。軟弱な香港警察はいつも数日で民主活動家を釈放しているが、我々は違う。何百日でも、好きなだけ、勾留できるんだ。あんたも、あのロールスロイスの中で全部吐かなかったら、証拠隠滅の恐れがあるって理由で何百日でも何千日でも飯能警察署の留置場にぶち込んでやる」

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