3-2-11-2

〈四恩ちゃんから、通信。〈活躍の園〉の施設上階で集光を観測。君の側頭部を見てる人がいるって。彼女、君の側頭部を見てる人を見てるけど、どうする?〉

 四宮四恩は見ることの天才であり、何よりもカムパネルラの身を案じる女神である。盗み見ることはしようがない。1人で寝ると宣言して子ども部屋に入った子どもを、深夜に見に行く母親の過保護さが、しようがないように。だから、この怒りは三島三縁への怒りだ。唇が震える。

〈や、休むように言っておくよ〉

 彼女の下腹部には明らかに〈バーストゾーン〉への移行の徴候が顕れていた。光を操作する彼女の、あの下腹部の変化を想起する。想起して罪悪感を覚える。美しい、と思ったことに。

 しかし……。

 それが……。

 良心の疚しさならば――くだらない。

 カムパネルラは信太正三訳で1993年に筑摩書房が出版された『ニーチェ全集11 善悪の彼岸・道徳の系譜』 の463ページの良心の疚しさについてのセンテンスを呟きながら、歩き続けた。

「『敵意、迫害や襲撃や変改や破壊の悦び、――これらすべてが、こうした本能の所有者自身へと方向を転ずること、これこそが〈良心の疚しさ〉の起源なのだ』」

 彼女の胸部に12.7x99mmのNATO弾が命中したのは、ちょうど「起源」と言った時だった。

 恐らくバレットM82をアップグレードした、米軍採用の大口径セミオート狙撃銃から発射されたのだろう。その先祖は湾岸戦争やイラク戦争で数km先のイラク兵を上半身と下半身とに分割したという逸話もある。

 と、概ね以上のことを、、カムパネルラは思い出した。思い出して、嘆息した。こんな玩具で彼女を殺せると思い込んでいる連中のために、四宮四恩との、一生に一度しかあり得ない時間を奪われているのだ。

〈2回目だけど、やっぱり凄いね〉

 三島三縁もくだらない無線通信を頭に流し込んでくる。

 何も凄いということはない。

 

 とはいえ衣服の損壊を避けながらこの能力を使用したのは初めてのことだった。衣服の燃焼が始まって彼女の皮膚を焼き始める、その刹那に、燃焼熱の仕事を吸収するようにしていた。その点は、そう、凄いのかも知れない。

 進歩は、凄い。

〈137〉で作戦に従事した時は衣服の損壊など気にしなかった。最後には裸で戦場に飛び出して――もしかすると、あれも地下の地下の地下に送られた原因だろうか? 出版市場で流通したことのある「正しい言葉」しか使用しないのと同様、全く合理的な判断だったが、理解できる者がいなかった可能性はある。

 可能性は、常にある……。

 四宮四恩が選んでくれた濃紺のセーラーワンピースを着ているのではなかったら、燃えるままにしても良かった。それとも、彼女は嫌がるだろうか?

〈これなら安心して四恩ちゃんを休憩させられるよ〉

 ようやく三島三縁がまともなことを言った。

「『外部の敵や抵抗力がなくなったことから、いやでも習俗の圧しつけられるような狭苦しさと杓子定規の状態に押しこめられた人間は、心いらだっておのれ自身を引き裂き、責めたて、咬みかじり、かきむしり、いじめつけた』」

 2発目の着弾。今度は首に。

 しかしそれはカムパネルラの皮膚に触れた瞬間、静止し、胸の前を転がって、地面に落ちた。

 ばかやろぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおうおうおううううううううううううううう――!

 公園のずっと奥、出口付近から怒声が聞こえた。

 なぁにが死亡確認だ! ピンピンしてるぞ! なんだあれは! スナイパー! スポッター! 仕事しろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうぅぉぅぅぉおおおおお――!

「『救ひのない春がきたら』」

 3発目、4発目、5発目――。

「『死もまたちかくへくる』」

 6発目――、7、8、9――どうやらセミオート式を採用している狙撃銃らしい。だいたい分速で40発。高度身体拡張者を殺すには、あまりにも頼りない火器。というよりは、もう殆ど玩具。〈バーストゾーン〉に移行した身体拡張者を殺すためには飽和攻撃しかありえず、それは高度身体拡張者を殺す時も同様だった。

「『ふりきらうとしても無駄の無駄』」

 銃弾の雨と嵐はしかしカムパネルラという目に入ると同時に、立ち所に凪と化した。

 彼女はそのままゆっくりと歩いていただけだったが、彼女の死体を回収するために来た者たちに追いついてしまった。今や彼らこそが、死体のような顔で公園出口に立ち尽くしていた。

「『ぼくたちのえんさには狂気がぶらさがつてゐる』」

 口を開いたのは、その中でどうにか銃口を彼女に向けている男だった。背後にいる6人の男達の、彼が指揮官なのだろう。

「何だ、お前は?」

「『ぼくたちの揺動のはてにかがやく世紀はこない』」

「何なんだ、お前は? これじゃあ、まるで、〈バーストゾーン〉に移行した身体拡張者――」

 大口径セミオート式狙撃銃が52グラムの鋼鉄の塊を秒速882メートルで2000メートル飛行させるために生じさせた、ほぼ全エネルギーをその体内に吸収した彼女は――まるで『〈バーストゾーン〉に移行した身体拡張者』だった。四宮四恩にコーディネートしてもらったセーラーワンピースを破かないように細心の注意を払いながらも、

 膨れ上がった眼球は長い円柱となって頬の前にまで飛び出している。髪の毛もその1本1本が意志ある者のように蠢き、四宮四恩に選んでもらったセーラー帽を頭上で回転させている。盛り上がった両の太腿の肉が四宮四恩に選んでもらったソックスと靴を包み隠すほどに垂れ下がっている。

 反論は思いつかなかった。けれども劣等コンプレックスを刺激されてなお、相手に言葉を続かせるほど、カムパネルラはお人好しではなかった。

 カムパネルラの髪の毛と眼球と太腿が爆裂し、肉が飛び散る。肉を構成しているのは細胞の一つ一つは、既に〈還相〉の生成変化が完了している。その一つ一つが金属片並の硬度になっている。そしてそれが、彼と彼の部下たちに秒速882メートルで殺到したのだった。

 元が人間であったことを示すのが、肉にこびり付く布切れでしかなくなるまでに彼らは八つ裂きにされ、地面に撒き散らされた。

「『生活からしたたりおちるこの疲労ですでになくなつた根拠を眠らせよう』」

 彼女の能力はまだ作動を終えていなかった。彼女の足元に拡がる真紅の影の中から、無数の桃色の塊が震えながら這い出てくる。這い出て、彼女の身体へと戻っていく――。

 灰色の瞳の少女は自分を肯定できる姿にまで自分を再構築すると、セーラー帽の位置を直した。四宮四恩が僅かに頭頂から後頭部側へ被せてくれた、その位置を、彼女は完璧に記憶していた。

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