3-2-6-5

 少女はまだ、「先輩」の足元にいた時と同様、涙を流しているが、その身体は弾丸のような速度で磐音に迫る。

 磐音が少女の足を払う。

 彼女は宙で一回転して、その足払いをやり過ごし、磐音の懐に入り込もうとするが、その前に磐音が静かな、そして簡潔な動作で彼女の胸ぐらを掴んでいる。そのまま隣の部屋のドアに投げる。投げ、つける。

 少女は鼠や猫がそうするような、空中立ち直り反射の如き素早い動きでドアを蹴って再び磐音を目指す。

 たたんたんっ――。

 強い光と大きな音の繰り返しの後で、少女が床に落ちる音が響く。先輩! 痛い! と彼女が泣く、鳴く。

 磐音は膝射で彼女を撃っていた。四恩はスリットから覗く足に見惚れそうになる。

「カナ、君の能力、存分に使いなさい。この男は私がちゃんと守るから」

 見惚れてはならない。四恩もまた、敵に対応しなければならない。あとでゆっくり楽しもう、と四恩は思う。自分を慰める。

 慰めつつ、人間の盾を構えて迫ってくる少女と目を合わせる。目の端で、磐音が「はい、先輩!」と健気にも声に出した少女の顔面を殴打したのを確認する。

「四宮四恩さん、貴女が抜群の優等生であったこと、私はちゃんと知っています」

「ん――?」

「四宮四恩さん、貴女が今や組織のバックアップのない、群れから逸れた狼であること、私はちゃんと知っています」

「ん――」

「四宮四恩さん、貴女の身体がどういう状態なのか、私はちゃんと知っています。でも――!」

 眼鏡の少女、さらに男の手を強く捻り上げる。同時に、眼鏡を外す。床に投げる。床を滑る。四恩のサンダルの爪先に当たって止まる。

 宣戦布告――?

「でも、貴女は私の能力を知らない。眼鏡を外した意味も知らない。そして、この男を殺さずに戦わなくてはいけない。だから、貴女は私に勝てません。今すぐ貴女のお友達が私の可愛い後輩を殴るのを止めたら、なるべく楽に無力化してあげますよ?」

「あなたも、おなじ、だよね――? 彼を殺せない、という――条件――は」

 四恩たちが誘拐の対象として彼を選んだのは、今や彼の他に〈地下物流〉の運用・保守担当者がこの世に存在しなかったという、極単純な消去法のためだった。

 東子に武野無方が提供した数葉の写真は、結局、そのサラリーに見合わない蓄財をした3人の所有物を映していたのだが、そのうち2人は既に死んでしまっていたのだった。1人は渋谷のテロに巻き込まれて、1人は渋谷のテロが解決してからしばらくして――。

 最後の1人に辿り着くのは、それほど難しいことではなかった。そもそも東子は〈反粛軍派〉である彼のスキャンダルを探すように〈粛軍派〉の上官に命令されて、墓を掘り返していたのだから。彼の自宅さえも知っていたのだから。勿論、そこに彼の姿はなく、その足取りについては三縁が街頭の監視カメラの映像を繋いでいくことで追うことができたのだが。後は簡単だった。後は彼が数名の部下とともに入ったホテルにどう突入するか、それだけだった。

〈三縁、あなた、《137》がいるなんて言わなかったじゃないの。愛しの隊長に何かあったどうするつもり?〉

〈ええっと……〉

 三縁が珍しく言葉を詰まらせたので、四恩はすかさずフォローした。

〈だいじょうぶ――問題ない、何も――〉

 とにかく素早くお仕事を終わらせるだけですわあああああああああああああ、と磐音の大きな声が左手の部屋から聞こえてくる。次いで、何か柔らかない物を殴打する音も。

 ぼっこんばっかんぼっこんばっかん――。

〈能力を使われる前に気絶させたいのですが、意外と難しいですね。でも脳震盪は起きているみたい〉

 ぼっこんばっかんぼっこんばっかん――。

「早くあれを止めろ!」

 そうだ、その通りだ。こうなっては素早く仕事を終わらせなくてはならない。〈137〉の増援が来てしまえば、「だいじょうぶ」などとは言えなくなり、ますます三縁の肩身が狭くなるだろう。

 それはあまりにも可哀相なので、四恩はブファイツァーツェリスカの巨体を床に置いた。少女の顔が弛緩するのを確認したと同時、その銃をボールのように蹴った。ブーメランのように回転したそれは、人間の盾の膝に命中し、膝蓋骨を砕いた。彼が苦痛のために倒れかかるのを、戸惑いながらも抱きかかえようとした彼女の目に、今度は床から拾い上げた眼鏡の弦を突き刺した。

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