伝承の夜

第301話 決戦。俺の運命の日の始まりのこと。(前編)

「コウさん!」


 港を視察して回っていたら、爽やかな呼び声がかかった。

 護衛にフレイアだけを連れていた俺は、振り返り笑顔で応じた。


「シスイさん!」


 シスイはいつも通りの様子だった。

 濃紺のスレーンの伝統装束に身を包み、腰に山刀と伝家の宝具・ジコン…………いかなる物質をも通り抜け、霊体だけを斬り裂くという不思議なブーメラン…………を下げている。

 今日も美しい飛竜を連れていた。決闘の時に乗っていたフウガだ。

 彼女の黒く艶めく瞳は、前に会った時よりも一層神秘的に輝いて見えた。


「竜を連れてきたんですか? 確か、スレーンの竜は向こうの入り江で待機のはずでは」

「わざわざ飛んで来たんだ。君に会いに」


 言うなりシスイの背後の天幕から騒々しい物音がして、中からアオイが転がり出てきた。


「――――兄上!! やはりなのか!!」

「アオイちゃん! 久しぶり…………でもないか。君も来てくれたんだね! ありがとう!」


 俺の声に、着崩れた出で立ちのアオイは咳払いし、着姿を直しながら言った。


「と、当然じゃ! スレーン筆頭の魔術師かつ歴代指折りの結界師長のこのわらわがおらずして、一体誰がスレーンの魔術の真髄を体現させうる? …………心優しく気高く美しく素晴らしく気遣いの冴える、このわらわがおらねば到底成し得まい! 何と言っても此度は鼻っ柱が天をも貫く高慢ちきなサンラインの魔術師連中とも足並みを揃えねばならぬのじゃからな! 寛容にして確かな実力を兼ね備えるこのわらわが来ずして、何が始まろうというものじゃ!」

「アオイちゃん…………どうしたの? 何か動揺してない? スレーンから外にはほとんど出たことがないって前に言ってたし…………あんまり無理しないでね」

「し、しておらぬ!!! …………見て見ぬふりなど…………わらわは…………。…………そっ、それより頭が高いぞ、ミナセ! そちは名誉あるこのわらわの婿なのじゃから、自覚を持てい!」


 それまで俺の後ろで黙って控えていたフレイアがそこで、抑えた、だが重々しい調子で口を挟んだ。


「アオイ様。そのお話はまた戦の後で改めて伺いましょう。…………コウ様はまだどこへも嫁がれてはおりません。あまり大袈裟に虚言を吹聴なさいませぬよう、くれぐれもお願い申し上げます」

「嫁ぐって、フレイア…………」


 アオイはその美貌を冷ややかに歪ませてフレイアを睨み、袂から取り出した香木の扇で悠然と口元を覆った。


「相も変わらず…………はしたない娘じゃのう。かように目を血走らせおって…………。別に構わんのじゃぞ? ミナセは異邦人じゃから、いずれ第一婿とは成り得ぬ。それがたまにそなたと火遊びするぐらい、わらわは快く許そうぞ」


 フレイアの紅玉色の瞳が、遊びどころではない危うい炎をチカチカと瞬かせる。

 何か始まりそうな寸でで、フードを目深にかぶったヤガミが俺の肩を叩いた。

 グレンの所へ話を聞きに行っていたのが、タイミング良く戻ってきてくれたようだ。


「コウ、グレンさんが呼んでる。障壁の最終確認だって」

「ヤガミ。一人で戻って来たのか?」

「この服、ある程度なら気配を消せるそうだ。…………まぁ、そもそもジューダム王の顔を知っている人間なんてほとんどいないんだが」


 次いでヤガミはシスイに目を向けると、軽く会釈して言った。


「ご無沙汰してます。…………スレーンの皆さんの様子はいかがですか?」


 シスイは応じて頷き、答えた。


「問題無い。…………とはいえ、外地での大規模な戦闘行動は皆、初めてだ。いきなりスレーンでのようにはいかないだろう。まずは慎重に行くつもりだ」

「それでいいと思います。飛竜の戦力は非常に重要です。手堅く戦ってくれた方が、サンラインとしてもきっと助かるはず」

「ああ。…………」

「…………何か?」

「…………ヤガミ君。今更ではあるが、この戦、俺達は一切容赦はしない。知らない仲ではないとはいえ、君の身に配慮することは難しい。…………俺達だけでなく、この戦場に集っている誰もがそうだが…………」


 シスイは一拍悩み、それから言葉を続けた。


「…………いや、無礼を承知で端的に言おう。…………ヤガミ君、もういけないと思ったら、いつでも逃げるんだ。遅過ぎるなんていうことは滅多にない。いつでも、躊躇わず、自分の身を守ってほしい。

 君にも帰る場所があるだろう。無いと言いたいかもしれないが…………誰かが必ず、君を待っている。…………少なくとも、俺は里の皆にそう言っている。君もどうか心に留め置いてほしい」


 ヤガミは表情を変えず、ただ少しだけ目を細めた。


「…………ご心配どうも。…………しかし、なぜ俺にそんなことを?」

「なぜかな。言いたくなった」


 シスイは腕を組み、小さく息を吐く。

 アオイは眉間に皺を寄せ、そんな二人を見交わして言った。


「何じゃ、何じゃ? 情けの無い男共よのう! 辛気臭い話は止めるのじゃ! そんな面では不細工がさらに不細工に見えるではないか!

 ええい、止めよ、止めよ!! わらわは見とうない!! 決死の戦に臨んで、何が悲しゅうて不細工面に囲まれねばならぬ!? 嫌じゃ不快じゃ迷惑千万じゃ!! 疾く止めんか!!」


 アオイはキッと鋭くヤガミを睨むと、ずけずけと彼の前へ歩み出て怒鳴った。


「ヤガミ!! おぬし!!」

「………んだよ、うるせぇな。お前に用はねぇよ」

「口の利き方に気を付けい!! …………おぬし、よもやわらわの大切な大切な尊い雪花の泉を穢したこと、忘れてはおらぬでろうな!?」

「…………決闘の傷では世話になったな」

「何をヌケヌケと、この痴れ者めが!! よいか、一つだけ告げておくぞ!!」


 アオイは閉じた扇子をヤガミの咽喉元に突きつけ、言い切った。


「かの泉は、竜王様の祝福せし極めて神聖な泉じゃ! …………そちのことなど、わらわは微塵も心配しておらぬがな! スレーンの民は決して恩を忘れぬものじゃ!

 わらわから見れば、おぬしなぞミナセのオマケの小魚のフンで、もうどうでもどうでもどう~っでもよい存在じゃが…………竜王様は、おぬしの無事も必ずや気にかけておるはずじゃ!

 …………故に!! わらわの泉を穢れ損にさせたらば絶対に許さぬ! もしもおぬしが無様に死に晒そうものなら、わらわがこの手でその不っっっ細工な頭を、二度と元に戻らぬよう念入りに砕きに砕いてから土に還して、一番気に入ってない線香を焚きあげてくれるゆえ、覚悟しておくがよい!!」


 言うや否やアオイは扇子を袂へ引っ込め、来た時と同様の騒がしい足取りでシスイの後ろの天幕へと戻っていった。

 ヤガミはバツが悪そうに俺を振り返り、小さくこぼした。


「…………んだよ、アイツ」

「良い子だよな」

「…………」


 ヤガミが一層気まずそうに顔を顰める。

 シスイが、そんな俺達へ微笑んで言った。


「…………ヤガミ君、コウさんとフレイアさんも、くれぐれも気を付けてくれ。…………今度は交渉抜きに、スレーンに遊びに来てほしいんだ。とびきりの酒と空をご馳走する」


 アオイが天幕の内から「ミナセは婿なのじゃから当然来るに決まっている!」と付け加える。

 食って掛かろうとするフレイアをなだめて、俺は二人に礼を言った。


「ありがとうございます。…………スレーンの皆さんも、どうかご無事で。…………白い光の加護がありますように」


 シスイが片手をあげ、返事に代える。

 彼らと別れて、俺はヤガミ達と一緒にグレンの下へと向かった。



 道すがら、あーちゃんに会った。

 あーちゃんは護衛のグラーゼイと一緒に、この世界ではおなじみのファーストフードであるケバブ風サンドイッチを美味そうに頬張っていた。


「あーちゃん、何してるの? こんなところで」


 尋ねると、彼女はごっくんとケバブを飲み込んで、唇のソースをぺろりと舐めてから答えた。


「お腹が空いたから、連れてきてもらったの」


 円らな焦げ茶色の瞳が見上げる先には、毎度ながら無駄に厳めしい面構えのグラーゼイがいる。

 彼は持っていたケバブの包み紙を几帳面に折り畳んで見えない所に片付け、咳払いをした。


 俺は内心でニヤニヤしつつ、あえて突っ込んだ。


「貴方も食べたんですか? その、おやつを…………」

「…………。…………頂きましたが」

「…………食欲がおありなようで何よりです」

「…………」


 睨み合いの険悪な空気にも、もう慣れたもの。

 あーちゃんはそんな俺達を怪訝そうに見比べて、ちょこちょこと小さな身体を割り込ませてきた。


「何なの、お兄ちゃん? いいでしょ、少しぐらい。私が一緒に食べようって頼んだの。ほっといてよ」

「…………そうなんですか?」


 案外な妹の様子に面食らいつつ、俺はまたオオカミ男を仰ぐ。ニヤニヤ。

 グラーゼイはしばらく黙っていたが、やがて「はい」と短く返事をし、バツが悪そうに付け加えた。


「…………何か問題が?」


 俺は自分よりも若干グラーゼイ寄りの位置に立つ妹を眺め、再度グラーゼイを見て、それから小さく息を吐いた。

 ふん。堅物も所詮は…………か。


 と同時に、ある可能性が頭をよぎったが、あまりにあり得なさ過ぎることなので即座に脳内から抹消された。

 …………いや、まさかね。

 …………いやいやいや、だって、そんな。

 花の女子高生が、まさか…………。


 俺は頭を振って気を取り直し、言葉を返した。


「いいえ、何も。…………あーちゃんが元気そうで、安心しました」

「…………」

「…………妹のこと、よろしくお願いしますね」

「蒼姫様から直々に命を仰せつかっております。…………お任せください」


 「口出し無用」。

 グラーゼイ語ではそういう意味だが、まぁ、今はそれでいい。


 静電気だか潮風だかのせいで一段とモフモフのオオカミ頭は、何か紛らわすようにフレイアに指示を飛ばすと、またむっつりと口を引き結び、特別の別れを告げるでもなく黙り込んだ。


 俺は妹を振り返り、挨拶を交わした。


「じゃ、あーちゃん。…………また後でね」

「…………うん」


 それからあーちゃんはヤガミとフレイアを見て、小さく頭を下げた。


「あの、ヤガミさん達も…………お気を付けて」

「ああ、ありがとう。アカネちゃんも、無事でね」

「グラーゼイ様がご一緒でしたら、きっと何が起こりましょうとも安全とフレイアは存じております。…………コウ様のことはこのフレイアが、命に代えてもお守りいたします。どうかご安心ください」

「…………はい」


 あーちゃんがもじもじと俯き、ちらと俺を見る。

 俺は手を振り、「行ってくる」と言って、先へ足を進めた。



 グレンはたくさんの魔術師達と共に海岸にいた。

 海は日差しを浴びて静かにきらめいて、深い蒼を優しく、大らかにたゆたわせている。

 遠くにポツポツと見えるジューダムの船の影が、不穏な緊張を風に乗せて浜辺まで運んできていた。


 グレンはやってくる俺達の姿を認めると、仕事の手を止め、疲労の色濃いヘイゼルの眼差しを眩しそうに狭めた。


「おお、ミナセ君。来たか」

「障壁の調整ですよね?」

「発動と連携の最終確認だ。すぐに入れるかね?」

「はい」


 ここ数日、ずっと手伝っていたことなのでもうすっかり慣れている。

 俺は顔見知りになったグレンの弟子の魔術師達(正確には、グレンが頑なに弟子を取ろうとしないために「弟子入り志願生」といった立場らしいが)の間に入って、早速共力場を編んだ。


 ――――…………いかにもグレンが作ったらしい、几帳面かつ整然とした原理に従って編まれた力場は、物理や数学の問題を読み解いていくのに似ていた。

 一度わかってしまえば、辿りやすいことこの上ない。

 逆に言うと破られやすいということでもあるというが、そこは数の力で押し切る算段だった。


 …………つまり、同時に何重にも網を張っておくということ。

 俺も小難しい理屈を完全に理解できているわけではないが、要するに、ちょっと位相をずらした力場をたくさん重ね合わせることで、障壁を頑丈にしているということらしい。

 例え一つ一つは破られやすくとも、枚数あればどうしても手間はかかる。だから、それが破られるうちにまた新たな力場をどんどん編んでいく。


 散々解析して考えて工夫し抜いた挙句、結局こんな力技に行き着く辺り、グレンはやはりツーちゃんの弟子なのだなと感じ入る。

 ツーちゃんも大概、シンプルなパワーで殴りたがる傾向にあったもんな…………。


 俺は何度か試行して、力場から抜けた――――…………。


「――――…………うむ、順調だ」


 グレンが静かに頷く。

 俺もそれに倣って、いつもの通り頷き返した。


 時には大袈裟な励ましや労わりの言葉よりも、こういうただの日々の積み重ねが頼りになると感じることがある。

 グレンはごく自然に、いつも通りだった。

 それが何にも増して頼もしく、格好良かった。



 それから俺は、少し離れた所で待っているヤガミとフレイアの方へと戻り、無事に事が済んだ旨を告げた。


「お待たせ」

「お疲れ様です、コウ様」

「それじゃ、そろそろリズの所に戻るか。もう大分日も傾いている」

「だな」


 歩き出すヤガミはなぜか泥まみれである。一方、俺の隣のフレイアは相変わらずすっきりとした姿だったが、靴には今朝はなかった砂汚れが窺えた。

 俺は肩を竦めて、どちらにともなく言った。


「何で今、修行とかするかな?」


 ヤガミが何か答えるより先に、フレイアが口を開いた。


「「鍛錬と戦は常なるもの」と、お師匠様はかねがね仰っておりました。…………失礼ながら、ヤガミ様は少々お身体が強張っていらっしゃるように見受けられましたので、軽くお相手を仕りました」


 ヤガミは振り返らず、視線を宙に浮かせてぼやいた。


「軽く、ね…………」


 俺は今一度肩をすくめ、何も言わずに友の背を叩いた。


「いってぇな。…………んだよ?」

「へへっ」

「何がおかしい?」

「えへへ」

「…………気色悪ぃな」


 嫌そうにする顔を顰めるヤガミを、フレイアが険しさと冷ややかさの中間のような表情で見ている。

 俺は彼女を振り返り、「ありがとね」と口だけ動かして伝えた。

 フレイアはどことなくお姉さんぶった、まだ何か文句の一言でもありそうな眼差しで俺を見返し、小さく顔を背けた。

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