第259話 蒼天を駆ける竜達の決闘。俺が神様狩りに挑むこと。
人々は騒然としていた。
「白竜」様が眼前に、誰しもの目にもハッキリとそれとわかる姿で空に出現したのだから当然だ。
「白竜」…………山をゆうに一巻きする程の白い大蛇。
彼はまさに東洋の龍といった佇まいで、ゆっくりと円を描くようにしてスレーンの空を泳いでいた。
虹色に輝く薄い霧を纏い、透き通る赤く円らな瞳で悠然と下界を見下ろすそれを、人々は畏れていた。
「ミナセ! 一体どうしたのじゃ? なぜわらわの呼びかけに答えぬ? あの妙な魔物…………おぬしを誑かそうとしていたあれは、どうなったのじゃ? よもや乗っ取られてなどはおらぬであろうな? 心配じゃ心配じゃ! 早う答えよ!」
アオイが何やら耳元で騒がしくしている。竜の耳にはかなり響く。
リーザロットの声も一緒に聞こえてきた。
見上げると、鬼気迫る蒼玉色の輝きが俺を刺し貫いた。
「コウ君、何が起きたのですか? 今、邪の芽の気配は貴方からすっかり消失しています。なぜ急に息を潜めたのでしょうか? 何かされていませんか?
それとあの「白竜」。どうして貴方の「外」に顕現しているのです?
お願いします。わずかでもいいのです。答えてください!」
最早なりふり構っていられないということか。
どうも、俺が思うより遥かに事態は深刻なようだ。
里の人々がぞろぞろと俺の周りに集まってくる。シスイも駆け足で寄ってきていた。相変わらず固い顔つきであったが、強い不安が眼差しに窺える。
人々がとやかく言うのを聞く限り、俺はかなりヤバイ状態に陥っていたらしい。
「白竜」の出現と同時に、アオイ達の編んでいた共力場が強制的に解除され、代わりに正体不明の力場が俺を黒く包み込んだ。そして俺は竜の姿のまま、この世のものとは思えない悲鳴を上げてのたうち回り、気絶し、今に至る。
人だかりの中、静かに俺を見守っていたヤガミがポツリと呟いた。
「コウ、なんだよな…………?」
俺はニヤリと笑ってヤガミを見返す。
一瞬、彼の灰青色の瞳に苛立ちに似た狂暴な光が差したが、すぐに散じていった。
次いで俺は、顔面蒼白で立ちつくしているフレイアを見た。
ほとんど血眼状態のその目は、俺ではなく、俺の奥深くに隠れ潜んでいる彼女の宿命の魔へと注がれていた。
彼女は低く、血も凍るような冷たい声で、こう言った。
「…………それで隠れているつもりなのですか?」
俺は彼女の憎悪をこっそりと舌の上で転がしてから、優しく、口当たり甘く返した。
笑顔は比較的すんなりと作れた。
竜の笑顔は少々不気味かもしれないが。
「フレイア? …………何の話だい? 俺、白竜を無事、召喚できたのかな?」
フレイアが驚き、肩を竦ませる。
その隙を突いて、すかさず俺はシスイに話しかけた。
「シスイさん。勝負しましょう」
シスイのみならず、その場にいた全員が息を飲んだ。
俺は誰にも口を開かせず、早々と話を進めた。
「あの白竜が言っています。自分を先に仕留めた方が勝者だと。…………いかがです?」
池に石を投げたように、ざわめきが広まっていく。
人々の怒りや戸惑いが濃厚な紫色の煙となって立ち昇っているのが、竜の目にはよく見えた。
竜の世界は、ただいるだけでソワソワとして楽しい。湧き躍る煙の流れが、やがて黒とも灰ともつかないくすんだ色となって場を覆い尽くしてしまう。
アオイが、ギャンギャンと喧しく吠え立てていた。
「な、何を言うておるか、ミナセ!? 気でも触れたのか!? あの白竜は、敬い仰ぐべき、尊き竜の眷属ぞ!? それを手を掛けるなぞ…………断じて許されぬ!
竜の証はすでに示された! 決闘は兄上とで十分ではないか!?」
「…………聞こえないのか?」
「は?」
「あれは、俺を喰いたがっているんだよ。まだ」
「なっ…………!」
騒ぎかけたアオイの口に鼻先を当て、俺は言葉を継いだ。
有無は言わせない。
「何、殺しはしないよ。ちょっとビビらせて、追っ払うだけさ」
そうさ。何たって俺は今さっき、アイツに喰われかけたばかりなんだ。少しぐらいやり返してもいいはずだ。
それに、実際「白竜」は未だに邪の芽を狙っている。何とかして追い返さねば、本当にもう一度俺が先に喰われてしまう。
アオイは気圧されてか、しばらく顔を赤くして黙っていたが、まもなくまた喚き始めた。それでも竜への敬意がとか、畏怖がとか、掟がとか、どうのこうの。…………ったく、煩わしいことこの上ない。
その間にも、紅と蒼の視線がずっと俺をまさぐり続けていた。
こちらも誠にうざったい。
どうして無駄だということがわからないのだろうか。どんなに探しても、邪の芽は見つかりっこない。白竜があそこをウロウロしている限り、アイツは気配すら漏らしはすまい。
対するシスイの表情は、意外にも穏やかだった。決して優しくはないが、苛烈な感情の滲出は微塵も感じられない。
この人の眼差しは、容易には振り切れない。丁度竜に見入られるように、何か己の与り知らぬことまで見透かされてしまいそうな、じれったさを覚える。
彼はしっかりとした口調で、俺に尋ねてきた。
「コウさん。…………本気なんだな?」
二度は聞かない。
黒真珠そっくりの目が言っている。
俺は大真面目に返した。
「もちろん」
これが竜の示す道なのだ。
道程は多少歪んではいるが、これは間違いなく白竜の導いた運命だ。
今なら俺は、「誓って」この決闘が嘘ではないと言える。
俺は天空を行く白竜を仰いだ。
泰然と地上を見下ろす赤い瞳は、彼がこの世界の理を超越した存在であることを如実に物語っている。
ただ在るだけで、彼は人を、理屈を、圧倒する。
シスイは長いこと白竜を見つめていた。
何か尋ねていたのか、それとも願っていたのか。それはわからない。
ただ、とびきり真剣な顔をした彼は、人よりも余程竜に似ている。
やがて彼は地上へ視線を落とすと、俺と向き合い、言った。
「いいだろう。竜の意志に、従おう」
人々のどよめきを、野太い声が一喝した。
「黙れ! 頭領の決定であるぞ!」
シドウの声によって静まり返った場で、シスイは重ねて告げた。
「異邦より訪れし勇者・ミナセ殿。そして奇縁の結実せし王・ヤガミ殿。君達の竜の証、しかと見届けた。
さすれば里の頭領として、このシスイ・キリンジ、決闘を承ろう。
…………竜王様の名の下に。
いざ、勝負」
シスイの目に鋭い光が差す。
想像以上の黒が重なっていたのだと、その揺らぎを見て初めて心打たれた。
空の青が一瞬たりとも同じ色を見せぬのと同じく、彼の眼差しもまた風を孕んで忙しなく、息づき始めた。
「勝敗は、あの「白竜」の消滅をもって決する。異論はないな?」
言葉に淀みはない。
ヤガミが俺の手綱を取り、答えた。
「ありません。むしろ、あれを倒せばいいだけなら、貴方を相手にするよりやりやすい」
フン、うそぶくものだ。
なぜコイツには罰が当たらないのだろう。
俺もシスイを見つめ、黙って頷いた。
シスイは神妙に頷き返すと、意を決したように声を張った。
「シドウ! 俺の竜を…………フウガをここへ!」
「フウガは病み上がりですが」
「構わない。白竜を相手取るには、アイツしかいない」
「御意」
だが、シドウが出向く必要は無かった。
一目で最上の竜とわかる、目にも鮮やかな緋色の鱗に包まれた緋王竜がすでにこちらへ飛んできていた。
シスイがまるでわかっていたように、微笑んで応じる。
セイシュウも素晴らしい竜であったが、このフウガは佇まいからして一層気位が高く、神々しい。
シスイとそっくりの、幾重にも深く塗り重ねられた漆黒の瞳が、ふ、とこちらを射抜く。
途端に、逆鱗からおびただしい魔力が迸った。
ガチガチと牙が鳴り出す。
身震いが止まらない。
断じて恐怖ではない。
激しい興奮はかえって俺を果てしなく冷たく、耳が痛くなるぐらいに凍てつかせていった。
氷と化す精神と裏腹に、息が上がってくる。
心の臓が熱く心地良く高鳴っている。
飛びたくて堪らなくなった。
翼の隅々にまで血が走っていく。
俺はヤガミに言った。
「おい、行くぜ」
手綱を握る手の遅れなど一切構わずに、俺は駆け出す。
ヤガミの怒声が風に掻き消える。
…………あぁ、浮く。
飛ぶ。
飛べる。
今の俺には、力がある。
翼に風が吸い付いてくる。
全身が風をまとい、踊り出した。
世界が爆発する。
世界がようやく動き出した。
坂を下って滑り、速度を得る。
山麓に沿って吹き上げる風に乗って、俺はたちまち天空へと舞い上がった。
羽ばたき。
昇る、
昇る、
昇る!
シスイとフウガの飛び立つ気配を感じた。
物凄いスピードで俺を追ってくる。
ヤガミが声を枯らして怒鳴っていた。
「コウ! いい加減にしろ!! マジでキレるぞ!!」
「うっせぇな!! 指図すんじゃねぇ!!」
無粋なヤツ。
これ以上喋ったら振り落としてやる。
風が渦巻いている。
ここは良い。
流れる、育まれる全てが、俺の血を充実させる…………!
白竜の頭がぐんぐんと目の前に近付いてくる。
俺は大口を開け、牙を剥き出した。
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