第211話 明かされる「勇者」の力の真実。俺とフレイアが微睡の魔物と取っ組み合うこと。

 ついでなので、俺もトイレに行ってきた。

 ちなみにこの世界のトイレは意外にも水洗式だ。便器の下の溝の中を、常に水がそれなりの勢いで流れている。

 白き雨の都というだけあって、水にはあまり困っていないらしい。どちらかと言えば、度々起こる水害への対策の方が余程重要視されている。


 そしてそんな街の治水工事の一切を取り仕切っているのが、五大貴族筆頭、中央区領主のツイード家だ。言わずと知れた、俺の大好きなフレイアの、偉大なる実家。

 その財力と権力は建国の英雄の子孫だからというだけでなく、そうした実際的な事情からも来ているという。


 こんなこと、誰から聞いたかって?

 連れションすることになった、クラウスからだ。彼は護衛という名目で、やはり一緒にやってきていたヤガミの監視についていた。


 部屋への帰り際、クラウスはこっそりと、サンライン語で俺に耳打ちした。


「コウ様」

「何?」

「俺、納得がいきません」

「…………わかるよ」


 クラウスはヤガミに、ただならぬ警戒心を抱いていた。

 ただ、それは純粋にリーザロットを守りたい一心からであり、俺としてもあまり強くは言えなかった。

 公平に考えれば、彼の判断も気持ちも妥当だ。リーザロットのあまりに寛容な性格を加味すれば、彼の心配は至極真っ当なのだった。

 クラウスの話は続いた。


「…………それはともかくとして、コウ様は「依代」ってご存知ですか?」

「まぁ、聞いたことはあるよ」


 「依代」。それは三寵姫が「裁きの主」と共力場を編む際に、自分の力場に主の力場を映して、彼女達の媒介となる人間のことだ。

 独力で主との謁見が叶わない場合に、三寵姫が適性のある人間にそれを頼むという。

 クラウスは俺の方へさらに身を寄せ、眉間を険しくして尋ねた。


「では、西方区領主のコンスタンティン様が蒼姫様の依代として立候補なさっているというお話は?」

「それも、前に本人から聞いたよ」


 クラウスが俺から離れ、荒々しく溜息を吐く。

 俺はいよいよ取り繕わなくなってきた彼に、やや呆れ気味に尋ね返した。


「どうしたんだよ、一体? 何か問題でもあるのか? あの時は、リズはまだ考えているって言っていたけど」

「…………「リズ」?」


 途端に、青白く凍てついた表情がこちらを振り返る。

 やべ、と俺は咄嗟に口を噤み、急いで部屋の扉へと歩みを進めた。


「あ、あの…………早く戻ろう! 話の続き、気になるしさ! なぁ、ヤガミ!」


 呼ばれたヤガミが不思議そうに俺の方へと近寄って来る。

 クラウスは何か言いたげであったが、俺はそれより先にそそくさと部屋の中へと逃げ込んだ。


 まぁ、弁明は後でゆっくりすることにしよう。

 やましいことは何も無い。

 断じて、無い…………。



 程無くして女性陣が戻ってきたところで、話が再開された。

 あーちゃんはようやく一つ緊張が解けたと見え、庭を散策する野良猫程度の顔の険しさに戻っていた。


 先と同じく、ウィラックはまるで永遠に終わらないポッドキャストのように朗々と話し出した。


「さて続けようか。

 10年前までは見事に一致しているミナセ君とヤガミ君の既往についてだが、その最後の傷については、奇妙な相違が見出せる。

 そもそもミナセ君の霊体の既往には、一つだけおかしな点があった。それは、腹部に残る刺創だ。かなり深いものであったにも関わらず、対応する肉体の傷がどこにも見受けられない。何らかのトラウマによる純霊体性の傷か? あるいは、魔術による霊的外傷か?

 この疑問は診察時は保留としていたが、今回、ヤガミ君の力場である発見をした」

「…………っていうか、俺の霊体とか肉体の傷に詳し過ぎてキモいんですけど」


 俺の発言を無視して、ヤガミが口を挟んだ。


「その傷が、俺の腹の傷と一致している」

「イエス」


 ヤガミは首を捻り、ウィラックに言った。


「コウに刺された時の傷でしょう。この傷は、俺の肉体にはくっきりと残っていますよ」

「興味深い。あとで診察させて頂いても?」

「もちろん、構いま」

「ダメ絶対」


 快諾しかけたヤガミに、俺はすかさず横槍を入れた。

 ヤガミはこちらを向き、怪訝な顔で話した。


「そんなことを言っている場合じゃないだろう。今は、出来ることなら何でも協力しなくちゃ」

「お前はその人がどれだけアブナイか知らないから、そんな常識的なことを言うんだ! お前も一度虹色の薬でブッ飛んでみるか? 最っっっ高にハイになれるぜ!

 触診だけだってさせちゃダメだ!」

「…………やれやれ、強くなれる絶好の機会だというのに」


 平然と口を挟んでくるウィラックに、俺は強く訴えた。


「だから、余計なことはしないでくれ! ヤガミまでトカゲ男にするつもりなんですか?」

「何になるかは、彼の持つ因果によるが」

「とにかく、ダメったらダメ! ダメ、ダメ、ダメ!」

「やれやれ」


 ウィラックがヤガミと肩を竦めあう。

 話はひとまずは流れ、ウィラックの話は続いた。


「とまぁ、以上のことを押さえつつ、今度はアカネ君を見て行こう。…………これが何にも増して重要な事項だ」


 あーちゃんがまた、懲りずにぐびぐびとお茶を飲んでいる。

 落ち着かないせいもあるだろうが、概ねは単純に美味しいからだと思う。さっきまでより、あからさまに機嫌が良さそうだ。

 ウィラックは怖いぐらいに瞬きしない赤い眼を彼女へ向け、言い継いだ。


「アカネ君の力場にも、ミナセ君、ヤガミ君と共通する既往がいくつか発見された。それらは時系列にも適い、要するに、彼女もまた10年前までは、彼らと同じオースタンを生きていたということになる。

 ところが、だ」


 カタン、と音を立ててあーちゃんが空のティーカップをソーサーに置く。取り立てて大きな音では無かったのだが、やけにそれが耳に響いた。

 音も無く滑らかに近づいてきたお茶酌み人形が、彼女の器に新たなお茶を注ぐ。

 ウィラックはカップに青い液体が満ちるのを待ち、言った。


「アカネ君には、2人には無い巨大な、ごく稀な痕跡線があった。奇しくも、これも10年前の傷だ。

 元々、琥珀氏から依頼を受けて以来、グレン氏と共に業務の傍ら、密かにオースタンの力場を調査してはいたのだが、崩壊・再生の確証となる痕跡線は、これまでついぞ見つけられていなかった。

 それが、アカネ君…………真の「勇者」君の内に見出されたのだ」


 あーちゃんが瞬きをする。

 溶けたチョコレートみたいな濃い熱をたっぷりと孕んだその瞳が、世界をとろかさんばかりに見つめている。

 ウィラックは表情を変えず、ただ耳だけをピクンと動かした。何に耳を澄ましているやら。

 博士の無機質な言葉は、再び滔々と溢れ出た。


「この痕跡線の特徴及び特性についての説明は、非常に専門的で煩雑な内容となる。あえて詳しく説いてみるのもやぶさかではないのだが、蒼姫様が主も虜にする美しい瞳で白々と睨んでいらっしゃる故、今はごく簡潔な解説のみに留めよう。大変名残惜しいがね。

 サンラインの随所に見られる「裂け目」のことをご存知だろうか? …………うむ、そうだろう。テッサロスタへの道程には、それが大きく横たわっていたはずだ。もし陸路でテッサロスタへ向かうとなると、途方もない難所となる。都合良くサンラインと彼の地を繋ぐ時空の扉が開いてくれれば殉職する兵士もいなくなるのだが、「因果」の力場は全く、ままならない。

 …………この古い世界の名残は、まさに世界の崩壊と再生の痕跡そのものだ。誰の目にも見える、サンライン最大の痕跡線。…………一見するだけで、様々なことが知れよう。

 そこに巣食う、現在の世界とは全く異なる魔物の生態。大地の断裂が巨大な何者かによる咬傷と疑われること。内側の虚無の縁の形状が、何らかの生物の口腔内にも見えること…………。

 そうした一つ一つの特徴を、魔術的に記述する。別の言い方をすれば、誰の頭の中でも再現可能な形に読み替えてみる。すると、世界の創造と再生における痕跡線の特徴が次第にまとまってくる。

 もうわかるだろうね? これらをアカネ君の痕跡線に当てはめてみたら、ピタリ! とハマったわけだ」


 俺は襲い来る睡魔を大量のミントティーでどうにかその都度撃退しつつ、クソ長い説明を聞き流していた。

 「どうしてわかった?」なんて聞いた自分が悪いんだけど、思いのほか耐え難い。


 何となくフレイアに目をやってみると、彼女はテーブルの真ん中あたりを見つめて、ぼうっとしていた。

 ハッとして俺の視線に気が付くと、思い出したようにウィラックへ真剣な顔を向ける。深紅の瞳の周りが、心なしかショボショボと充血していた。


 ウィラックは相変わらず誰に配慮する素振りも無く、話を継いだ。


「この崩壊と再生の痕跡の余波は、ヤガミ君にも見られた。そして、そのことを踏まえて捉え直した事前調査の結果も、大いにこれを支持した。

 アカネ君本人と、あともう一人…………ただ一人の力場の特徴を除いて、全てはオースタンの再生後の世界の特徴を、如実に示していた。

 しかして、ここから一つの仮説が導かれる。

 10年前、ミナセ君がヤガミ君に外傷を及ぼしたのと同時期に、アカネ君は世界を破壊し、直後に再び作り上げた。恐らくは、ミナセ君とヤガミ君の魔力場が錯綜するような、ショッキングな出来事をきっかけにして。

 この時、ヤガミ君の霊体であるジューダム王がどこで何をしていたのかは不明だが、少なくともヤガミ君はオースタンにおり、破壊から続く再生を経験した。彼とアカネ君には、創造後の世界の痕跡がくっきりと残っている。

 だが…………ミナセ君にはそれが無かった。

 …………それは「嘘だ」という顔かね? それとも、単に眠いだけかね? 

 後者か。ならば舌でも噛んで気合を入れるとよい。それとフレイア。目を開けて寝るのは止めなさい。眼球が乾く」

「…………! そんなことしてません!」

「タリスカ氏はそのように鍛えたと語っていたが」

「ものの例えです! そんな不気味なこと…………しません! するわけがありません!」


 フレイアがやたらに大声で弁明する。

 隣でクラウスが俯いて笑っていた。

 お茶酌み人形が皆に茶を注いで回る。

 「できません!」と言わないフレイアが気になって仕方ない俺を余所に、ウィラックの話は続いた。


「琥珀氏が発見したミナセ君の気と、現在のオースタンの気の差異だが、これは調べれば調べる程に顕著になってきた。微々たるものといえど、それでもアカネ君達の力場との比較によって、それはよりはっきりと見て取れた。

 つまりミナセ君は、10年前のオースタンの消失点から、どういうわけか一人だけ…………オースタンでただ一人だけ、古い世界を保って生き続けていたと言える。本人にどれだけ実感があるものなのかわからないが…………というのも、古い世界と新しい世界の差があまりに無いからだが…………これは、ともあれミナセ君がアカネ君の力を何らかの方法で回避したことの証明に他ならない。逆に言えば、力の外側にいたミナセ君の存在こそが、アカネ君の力の最大の痕跡線となっているのだ」


 あーちゃんとヤガミが同時に俺を見る。

 見られても、俺としてはどんな顔もできない。太古の姿を残す珍魚みたいな由来が知れた所で、結局のところ俺は、何の変哲もないミナセ・コウに過ぎない。シーラカンスでもオウムガイでもないのだ。


 フレイアはといえば、余程興味が無いらしく(それはそれで何とも言えない…………)、また例のスリープモードに突入していた。

 グラーゼイ、クラウス、グレンの3人はさすがに慣れと貫禄があった。どんなに長い話にも、黙ってじっと耐え忍んでいる。

 俺はどうにもいたたまれず、話に割り込んだ。


「…………まぁ、それはその、わかった気がしなくもないよ。俺とヤガミが同時にいることで、あーちゃんの力が、その…………はっきりと辿れたってことだろう?

 でも、それはそうとして、そんなとんでもない力が、一体どうやって発動しちゃうって言うんです? そんな力を気軽にポンポン使われたら、たまったもんじゃないのでは?」


 この問いには、グレンが答えた。


「うむ。まさに、それが問題なのだ」


 大魔導師は待っていました! とばかりに襟を正した。

 リーザロットはもう好きにしなさいということなのか、何も言わず、ゆったりとお茶を楽しんでいた。


「ここで、ミナセ君の1つ目の質問、「具体的に、あーちゃんの力で何がどうなるのか?」に答えよう。

 結論から言おう。「勇者」君が力を使えば、このサンライン、そしてジューダム、もしかするとオースタンさえも、いとも簡単に消滅する。世界の構造上、オースタンにはやがて再生が訪れるであろうが、サンラインやジューダムには決してそれはない。未来永劫、この地は無の地平となる。…………一片の灰すら残らない」


 あーちゃんが何杯目とも知れないお茶を飲み干す。

 カップを持つ手が少しだけ震えていた。焦茶色の熱っぽい瞳に、戸惑いと不安がじわじわと滲みていく。

 グレンは穏やかな木漏れ日のようなヘイゼルの瞳をわずかに伏せ、言い継いだ。


「我々が推測するに、「勇者」君は「因果」の力場を操る。何がきっかけとなってその力が発動するのか、それを知る時は即ち、世界が滅ぶ時だ。

 だがオースタンでの事象を追う限り、そしてミナセ君の扉の力を参考にする限り、思うに、それは「勇者」君本人の意志の向かう先と同じなのではないか。

 誤解を恐れずに言えば、君は、君の思うがままに、世界を創り変えられるのだ」


 フレイアが静かに目を覚ます。

 ぱちりと瞬くと、紅玉色の瞳がこぼれるように慎ましく光った。

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