第162話 時空の扉、再び。俺が次なる戦場へと出発すること。
「それでは、早速テッサロスタへと向かおう」
そう言ってグレンがパンと両手を合わせると、途端に目の前のテーブルと今まで座っていたイスが煙となって消えた。
「うわぁっ!」
シスイとフレイアはタイミング良く立ち上がったが、俺は派手に尻餅をついた。
「いったぁ…………」
「大丈夫ですか、コウ様?」
「どうしていつも魔術師ってのはこう…………。っていうか、今から行くんですか? マジで?」
フレイアが差し伸べてくれた手を取って俺が尋ねた時には、グレンはすでに部屋の外へと足を進めており、そのままずんずんと階段を下っていっていた。
彼は風のように玄関の扉を開けて外へ出て、話を続けた。
「時は無限だが、我々に許された分は有限だ。可及的速やかに向かう」
「ま、待ってください。でも、まだフレイアの体調が…………」
「それに、まだお荷物の準備も…………」
慌てて追い縋る俺とフレイアに、グレンはいともあっさり返した。
「私の隠れ家に到着してからの方が良く休めるだろう。防音も完璧だ。だが、荷物のことはすっかり失念していた。自分が持たない主義なのでな。
悪いがシスイ君。至急、全員分まとめて取ってきてくれ」
「えぇ? 俺が?」
「ついでに竜達も連れてきてほしい。私達は南の辻で待っている。竜に扉をくぐらせた経験はあるかね?」
「まぁ、あるが…………」
「ならば結構。さぁ、早く宿に戻りたまえ」
シスイが肩をすくめ、渋々宿に向かって踵を返す。何だか可哀想だったが、口を挟む隙が無かった。
グレンは変わらずの歩調で突き進み、村の外れまで来てようやく足を止め、こちらを振り返った。
「ミナセ君。時空の扉の中で力を使ったことは?」
「へ? 中?」
「移動中の空間のことだ」
淡々としているグレンに、俺は目を瞬かせて溜息を吐いた。
「ないですよ。考えたくもないです。…………とんでもないことになりそう」
グレンは整った眉をきゅっと締め、頷いた。
「その通りだ。時空の扉は気脈、因果、魔力、物質。あらゆるものをその内へ流入させる。だがそこには必ず一定の流れが存在し、それ故に我々は扉を通って、ほぼ確実に異なる時空へと辿り着けるわけだ。
だが、もしこの流れに変化が生じれば、我々は時空の迷子となってしまうのみならず、繋がれた二つの世界にも影響を及ぼしてしまう。気脈のねじれた結果、扉の開いた土地が枯れ果てたり抉り取られたりするだけならばまだしも、それをきっかけに、より破壊的な…………誇張ではなく時空ごと消滅するような、途方もない事態も生じうる。
私はあえて、君に力を使うなとは言わない。常に不測の事態は起こりうる。心構えは常に臨機応変であるべきだ。しかし、こうした事情を重々把握しておくよう忠告する。
師からは、君は見かけによらずとんでもない向こう見ずだと聞いている。勇敢は美徳だが、くれぐれも慎重を期すように」
…………ツーちゃんめ、余計な告げ口を。
俺は顔を皺くちゃにして「はい」と返事し、隠れて溜息を吐いた。
そんなヤバイ扉、頼まれたって触りたくない。
フレイアに目を向けてみると、彼女はパッと頬を赤くして妙に思い詰めた口調で言った。
「コウ様、ご安心ください。このフレイア、もう二度とサンラインへお招きした時のような失態は犯しません。
あれから、折を見て細々と練習を繰り返してきたんです。どうか頼りにしていてくださいね」
意気込みっぷりが逆に少し心配だと言ったら、きっと失礼なのだろう。俺は柔らかく微笑み、彼女の体調について尋ねた。
「ありがとう。信じてるよ。…………それより、具合は悪くないかい?」
「平気です。コウ様がお傍にいてくださいますから」
「俺がいたって、体調は変わらないだろうに」
「いいえ、楽になります。貴方がいると、ホッとできるのです」
俺は何も言えなくなって頬を掻き、視線を泳がせた。
ああ、可愛い。すごく可愛い。だけど、どう答えていいやら。
フレイアは自分が何を言ったかもよくわかっていない様子で、ただ小さく首を傾げていた。段々、この子の照れるポイントがよくわからなくなってきた。
それから程なくして、竜に荷物を一杯に積んだシスイが追い付いてきた。
彼は宿への支払いを済ませたついでに、お弁当も貰ってきていた。彼はそれぞれの鞄にお弁当のサンドイッチを詰めつつ、溜息交じりに話した。
「もう行ってしまうのかと、随分引き留められたよ。どこへ行くんだ、どうして急に行くことにしたんだ、さっき来た人は何者なんだ、ツイードのお嬢ちゃんは大丈夫なのかと、色々説明するのに苦労したよ。荷物より竜より、そっちの方が骨が折れた。
…………あと、これ。忘れ物」
シスイが俺へ何か小さなものを投げてよこす。
受け取ってみると、はたしてエルフの軟膏だった。
正体を知ってしまった今となっては、ちょっともう真顔ではいられない。俺はシスイに、「どうも」と短く答え、大切に鞄の中へしまい込んだ。
グレンはシスイに、竜についていくつか質問した後(会話のテンポが早過ぎてよく聞き取れなかったが、恐らくはセイシュウの傷についてのことだったと思う)、歯切れ良くのたまわった。
「では諸君、出発だ。
予め私が張っておいた魔法陣の相殺効果のため、ここにはごく微弱な痕跡しか残らない。 が、結界を張った私自身の痕跡は残る上、君達の追跡は未だ継続中であることを忘れるなかれ。気取られる可能性はゼロではない。
特に、詠唱中は肩に力が入りやすい。フレイア、もし君の昔の癖…………声の上擦りのことだが…………がまだ直っていないのであれば、とりわけ注意しなさい。ミナセ君にも乱れが波及するぞ。
時空の扉への呼びかけは、高らかに、格調高く、キメ細やかに。…………クリームをホイップするようにと、聞いたことはないかね? 私としてはもっと数学的に把握したいものなのだがね。遺憾ながら今のところ、これが一番伝わりよい」
グレンは語りながらせかせかと俺達の周りを歩き、地面に掌から湧かせたエメラルドグリーンの粉を振り撒いていった。粉は際限無く、パラパラと流れ出てくる。しばらく見とれているうちに、どうやら例の正方形の魔法陣を描いているらしいということに気が付いた。
慣れているのか、それとも俺の与り知らぬ仕組みがあるのか、彼はとても美しい正方形を何の参照も無しに描いていった。
その間も、滔々と話を続けている。
「さて、肝心の移動手順だが、最初に私が時空の扉を開く。諸君らは私との共力場を介して伝達される景色を辿り、遅れずについてきなさい。
ミナセ君のことはフレイアに。竜達のことはシスイ君にお任せする。…………荷物は竜の上にあるからよし、と…………」
複雑そうな顔のシスイの傍らで、丁度良くグレンが魔法陣を描き終える。
彼は颯爽と陣の中央に入ると、俺達に向かって1本の長い金色の糸を差し出した。一見毛糸に似ていたが、触ってみると意外にも金属のようにひんやりとした、とても柔らかいワイヤーのようなものだった。
「これは私特製の命綱だ。詠唱の文言が刻まれており、これに繋がれている限りは私との共力場が途切れることはない。名付けてグレンズ・ロープ。
さぁ、各々手首にでも指にでも好きな位置にグレンズ・ロープを括りなさい。決して解けないように。
…………できたかね? まだかね? …………ああ、竜には結ばなくてよろしい。グレンズ・ロープには人間の言語網を使用しているので、彼らには通じない」
俺達が結び終えるや、グレンは大仰にローブを煽って腕を広げ、宣言した。
「よろしい! ではこれより、クラン・タ海峡を経由してテッサロスタへと向かう!
私の詠唱に続きなさい――――――――…………!」
高らかに、格調高く、キメ細やかに。
真っ白なクリームがふわっと宙へ巻き上がるように。
グレンの詠唱とそれの紡ぐ景色が、脳裏に広がっていった。
『―――――――羽ある魚達。
闇の水面、滑る統べる、水の精達。
暗く、深き夜の
重く、鮮やかな波の歯に。
戯れ、
飛び交う、
月雫の同胞達よ。
我らを導きたまえ!
水面に引く、その迷い無き軌跡にて。
幾筋もの儚き、蒼白き奇跡にて。
古の雨の恵みに寄りて。
…………鉄と宝玉、ぶつかりきらめく、岩の里へ。
今、通い路を、
穿て――――――――…………!!!』
冷たい水飛沫が頬に快くぶちまけられた。
目の前に一挙に広がっていく、月夜の大海。
羽が虹色に輝く美しいトビウオの群れが俺の横を通り過ぎて、たちまち水面に幾千もの真っ直ぐな線を引いて飛び去っていった。
フレイアの詠唱が遅れて聞こえてくる。
彼女らしい、シンプルな詩。
俺は彼女に合わせて、彼女の詩を唱えた。
フレイアがそっと俺に身を寄せる。
俺は彼女が少しでもリラックスできるよう、なるべく落ち着いた調子で詠唱を重ねた。
彼女の声が和らぐ。
やがて俺は懐かしい、あの強烈な光に包まれ、時空の扉の中へと放り込まれた。
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