第160話 触れ合いの時間。俺が天使と交わした甘い感傷のこと。

「では、失礼いたします」


 午後の日差しがたっぷりと降り注ぐ中、フレイアはおずおずと俺に背を向けた。

 寝台の上に足を崩して座った彼女は、ワンピースの前紐に手を掛け、そこでちょっとばかり肩を震わせた。


「あっ…………」


 漏れる動揺の声に、俺は聞こえないふりを貫いた。

 実のところ、彼女が下着をつけていないのには最初から気付いていたのだが、忘れているのか、そういうものなのか判断しかねていた。


 フレイアが、バツが悪そうに首をこちらに振り向ける。

 俺はどもりつつ、目を泳がせて惚けた。


「ど、どうしたの? な、何か困ったことでも?」

「…………はしたないフレイアを、どうかお許しください…………」

「…………。…………気にして、ないよ」

「…………見えていましたか?」

「…………。…………大丈夫」


 何が大丈夫なのか。そんな視線が深々と刺さりくる。俺は視線を宙へ漂わせたまま、先を促すべく軟膏の入った箱をさりげなく手で弄んだ。

 フレイアは聞こえるか聞こえないかの溜息を吐き、改めて胸の紐を解いた。


 スルリと柔らかい衣擦れの音がして、白い肩が露わになる。暖かい日を一杯に浴びているせいか、昨日よりずっと血色が良く見えた。

 丸みを帯びた滑らかな身体のラインに沿って、日光がじんわりと漏れ出ている。若木のように健康的に伸びた背筋が、今日も目を見張るほど美しい。


 細いうなじから肩へと流れる華奢な曲線と、引き締まった腕の向こうに瑞々しく盛り上がっている胸のシルエット。丁度手のひらで包み込めるぐらいの可愛らしい膨らみ。先端が細い指先で覆われて、ふにゃっとマシュマロみたいに押し潰されている。沈み込んだ指と柔い肌の作る陰影がとろけるような感触を俺の脳裏によぎらせた。


 左肩の包帯に滲んだ血が痛ましかったけれど、右肩から腰にかけて幾筋にも刻まれた切り傷も、同じぐらい見ていて辛かった。俺の身体にも同じ傷跡があるからわかるが、あれは流転の王が繰り出す水晶の砲撃による傷だ。恐らく、俺が流転の王の夢へ潜っている間に至近距離で相当な攻撃を受けたのだろう。鎧を貫通しているとしか思えない位置にも、いくつか怪我があった。


 俺はこんなことにさえ今まで気付けなかった自分に、心底嫌気が差した。君を守るとか散々格好付けておいて、また何にも見えちゃいなかった。


 フレイアは頬を紅潮させ、こぼした。


「あの…………お願い、します。コウ様」


 俺は目の前の肌の眩さに目を眩ませつつ、努めて厳粛に答えた。


「…………じゃあ、始めるね」


 俺は指先に軟膏を取り、彼女の肌の内にこもった熱を感じながら、右肩の端の傷にそっと触れた。


「――――…………あっ!」


 フレイアが身を竦ませ、小さく叫ぶ。

 俺はすぐに手を離し、尋ねた。


「大丈夫!? しみた!?」


 フレイアは肩を縮めたままフルフルと首を横に振り、少し呼吸を乱した様子でこちらを振り返った。今にも泣き出しそうな目で、ただでさえ真っ赤な頬をさらに赤々と燃え上がらせていた。

 彼女はぎこちなく微笑み、答えた。


「いえ…………、平気です。どうか…………お構いなく、続けてください」

「でも、すごく苦しそうだ。本当にいいの?」

「…………お願い、します」


 そう言ってまたフレイアが背筋を伸ばす。ふっくらと張った胸が微かに揺れ動いた。

 俺は意識が変な方向へ吹っ飛びそうになるのを全力で引き留め(落ち着け、俺は紳士だ、ジェントルマンなんだ!)、もう一度指に軟膏を掬った。


「…………無理はしないでね。もう少しゆっくり塗ろうか?」

「いいえ、ゆっくりというより…………一つの傷ごとに、休み休み塗って頂けると助かります。…………あっ……………お手数をお掛けして、申し訳ございません」

「気にしないで。今のは、平気だった?」

「…………っ、は、はい。…………ごめんなさい。ありがとうございます」

「うん」


 俺は黙って、彼女が落ち着くのを待った。


 それにしても、なんてひどい薬なのだろう。いくら効き目があるにしたって、傷を縫う時にだって一切声を上げなかった彼女をこんなにも苦しめるなんて。これなら獣医がポンとくれたのも頷ける。エルフってのは、余程痛みに鈍感な種族なのだろうか。


 ややした後、フレイアはスゥと深呼吸して、白い肩を大きく上下させてから言った。


「…………お待たせいたしました。改めて、お願いいたします」


 紅玉色の瞳が潤み、どこかうっとりと輝いている。俺はその眼差しに、誘われているような、期待されているような、妙な胸のざわつきを覚えた。


 …………ヤバイ。これ以上この眼差しを浴びていたら、俺の何かが壊れる。

 確かな予感が背をゾクリと冷やし、俺は一旦手を引いた。


 ああ、畜生。俺は馬鹿じゃないのか? 今はそれどころじゃないっていうのに、一体何を考えているんだ? 

 タカシのせいか?

 それとも、手の込んだ邪ノ芽の悪戯か?

 いずれにせよ、俺は手早く仕事を終えるべく、心掛けて事務的に話した。


「…………よし。それじゃあ、続けようか」

「はい」


 絹のような肌に手を近付けると、フレイアの身体がぴくりと強張った。怯える彼女を陽光が何も言わず照らしている。

 俺はもう一度、覚悟して彼女の傷に触れた。


「――――んっ、んんっ…………」


 押し殺された呻き声が静かな室内に響く。

 次いで甘やかとすら言える、短く荒い吐息が注意深く繰り返されるのを耳にして、本格的に俺の肌が粟立った。


 身体の深部が熱を帯び、潜んでいた衝動が蠢き始める。全身がビリビリと疼いて、感覚が鋭敏になっていく。

 フレイアが愛しくて堪らず、自分と彼女の境が、溶けた蝋みたいにドロリと垂れていった。


(…………ダメだ、これは…………)


 俺は内心で大きく首を振った。

 これ以上時間をかければ、俺は間違いなく道を踏み外してしまう。

 俺は気を引き締め、一転して彼女に強く呼びかけた。


「フレイア、ごめん!」

「え…………?」

「悪いけれど、もう少しペースを上げさせてもらうね。すぐに終わらせるから、どうにか我慢してほしい」

「えっ!? そっ、それはいけません…………っ」


 俺は慌てるフレイアを無視し、矢継ぎ早に傷を撫でていった。俺が何か感じるよりも早く、彼女があの眼差しを向ける暇も無いように。


「――――っ!!

 やっ!! いやぁっ!!!」


 触れる度、彼女の甲高い叫び声が続く。

 フレイアは両腕で胸を強く抱きかかえ、炎の如く瞳を焚き上がらせて俺を振り返った。桃のような胸の谷間と、鍛えられたお腹のラインが同時に目に飛び込んでくる。

 俺はちょっとたじろいだが、心を鬼にしてさらに薬を塗ろうとした。

 しかし彼女は俺を睨み据え、その手を避けて口調を強くした。


「コウ様っ!! どうか…………どうか、お止めください!! お手伝い頂いている身で、こんなことを申し上げるのは大変、大変、大変心苦しいのですが…………っ、いくら何でも、乱暴が過ぎます!!

 これでは、とても…………とても、フレイアは…………っ!!」


 そこで言葉を切り、フレイアが目を落とす。尋常でない顔の火照り具合から、彼女が完全にショートしてしまっているのがわかった。見間違いでなければ、涙が目の端に溜まっている。

 俺はその顔を見て、すぐに無茶を反省した。


「あ…………ご、ごめん」


 フレイアが胸を抱く手を少し緩める。俺は目を逸らし、窓の外へと視線を送った。

 小鳥が2羽、じゃれ合いながら飛んでいく。

 フレイアは俺に背を向け直すと、今度はションボリと項垂れて言った。


「いえ…………取り乱してしまい、私こそ申し訳ございませんでした。重ね重ね、はしたない姿をお見せしてすみません。

 …………コウ様にお謝り頂くことは一切ございません。…………むしろ、お手伝いしてくださった貴方に私は…………なんて態度だったのでしょう。本当に、ごめんなさい…………」


 俺は一旦軟膏を脇に置き、言った。


「いや、俺が急ぎ過ぎた。悪かったよ。その…………言い訳にもならないかもだけど、君を守りたかったんだ」


 フレイアがちょっぴりと目を上げ、首を傾けた。


「…………何から、守ろうとしてくださったのです?」

「…………。俺…………とか」

「コウ様? どうして、コウ様から?」


 俺は口ごもりつつ、どうにか答えた。


「まず、その…………俺のことだけど。

 君は…………あの…………はっきり言って、とても魅力的で…………。だから、あんまり長く一緒にいるのは…………危険だった。…………そういうこと」

「…………」


 フレイアが瞳を大きく瞬かせ、耳まで赤くなって俯く。

 次いで俺は邪ノ芽の予言のことをぼかして伝えるべく、冷静に続けた。


「…………実は、君の容態について、気になる話を聞いていたんだ。もしかしたら、君の熱病がもっとひどくなるかもしれないってことなんだけど。

 それも頭にあって、何としてでも傷を治さなきゃって、ついパニクって焦ってしまった。本当に、ごめん」

「…………一体、どなたからそんなことをお聞きになったのです?」

「…………。虫の知らせ、みたいなもの」

「…………」


 フレイアが悲しそうに睫毛を伏せる。きっと邪ノ芽のことを察してしまったのだろう。もっとあからさまに嘘を吐くべきだったかもしれないけれど、それはそれで彼女の疑いを強めただけだった気もする。

 俺は、今日はもう限界だと観念した。


「フレイア。今日はもう止めよう。こんな風に君を苦しめてしまうんじゃ、本末転倒だ。薬はまた後で、俺じゃない誰かに塗ってもらって。今度は、痛み止めの薬と一緒にさ」


 聞くなりフレイアは、小鳥のさえずりにも紛れるような、小さな小さな声で呟いた。


「…………痛みは、ありません」

「え?」

「それに、コウ様以外にはこんなこと…………とてもお任せできません」

「? それは、どういう…………?」

「…………逆なのです」


 言ってからフレイアは、胸を片手で抑えて思いきりこちらへ乗り出してきた。

 彼女は紅玉色の瞳を溢れんばかりに滾らせ、半ば自棄になった調子で言い継いだ。


「そのお薬には…………痛みを…………か、快感に変えてしまう作用があるのです!! それも痛みが鋭い程、極端に!! 頭がおかしくなってしまいそうなぐらいに!!」

「…………へっ?」


 開いた口が塞がらない俺に、彼女はさらに捲し立てていった。


「もちろん、傷への効き目は素晴らしいものです! ただ…………この副作用のために、このお薬の流通は現在では固く禁じられているのです! ついこの間も、たまたま古い遺跡から見つかったこのお薬をうっかり使ってしまった騎士団の一部隊が、ある意味より壊滅的な事態に陥ったという報告がありました!

 …………部隊長であられたクラウス様は今もそのお話をしたがりません!」


 フレイアの胸が荒れた息で大きく弾んでいる。俺は本能がそちらへ視線を寄せようとするのを理性の壁(障子のように頼りない)で堰き止め、彼女の燃える瞳に集中した。濡れた髪から漂いくる石鹸の香りが、頭をクラクラとさせる。

 フレイアは俺の困惑などお構いなしに、谷間を寄せてどんどん話を続けていった。


「コウ様はご存知ないようでしたから…………一刻も早く傷を治すためにも、頑張ってみようと思いました! 昔、幼い頃にお師匠様からお借りしたものをちょっと使った時には、ほんの少しくすぐったいぐらいでしたし…………クラウス様は、いつも大袈裟なことばかり仰いますので…………。

 それが、まさか、こんな…………、こんなに…………っ」


 俺が口を挟もうとするのを、フレイアが表情だけで制した。

 泣いているんだか怒っているんだか、恥ずかしいんだか怯えているんだか、よくわからない滅茶苦茶な顔つきで、彼女は情熱的に俺を睨んでいた。

 彼女は胸を覆う手にギュッと力を込め、頬を上気させてこぼした。


「…………ごめんなさい、コウ様。騙していたつもりはないのです。どうかフレイアをお許しください…………。今度は、必ず我慢いたしますから…………どうか、お止めにならないでください…………。

 私、もう寝ているのは嫌なのです。早く貴方のお力になりたいのです!」

「…………」


 何はともあれ、俺はようやく喋れるタイミングが来たことに安堵し、一息吐いた。

 いや、正直この状況をどう受け取っていいのかは未だに困惑中なのだが、わだかまっていたものが一つ解消されたのは確かだった。


 …………つまり、悪いのは邪ノ芽でもタカシでもなく、薬だったというわけだ。

 無論、それでも俺が誘惑されたことに変わりはないのだが、薬のせいだったとわかると途端にガクッと力が抜けた。


 フレイアが今、どんな気分なんだかは想像もできないが、少なくとも痛い思いはさせていなかったというだけ、罪悪感は軽くなった。(…………なっていいのか?)


 俺はひとまずはと、彼女に姿勢を正させて(目に毒なので、服も着てもらった)、自分もきちんと椅子に座り直した。

 そして胸元を結び忘れているフレイアの紅玉色の目を真っ直ぐに見、コホンと咳払いしてから話を始めた。


「あの…………フレイアさん?」

「はい…………」

「話は、よくわかった。何と言うか…………ビックリはしたけど、とにかく君が苦しんでいなかったのなら、良かった、本当に。

 けど…………一つだけ聞かせてほしい。何で、そんなものだって知っていたのに、俺に頼んだんだ? 他に適任者はいなかったのか? 宿の奥さんとか」


 フレイアは上目遣いにゆっくりと目を瞬かせ、悪さをしたワンダみたいに身を縮込めて返した。


「…………同性の方が塗ってくださっても、効果は変わりません。ならばせめて、信頼する方にお任せしたいと思いました。

 それと…………何より、コウ様ともう少し一緒にいたかったのです」


 フレイアはのぼせ上がる俺の顔をじっと眺め、桃色の唇を続けて開いた。


「…………村に着いてからずっと、ひどい悪夢を見続けているんです。…………目が覚めたらコウ様がいらっしゃらなくて、誰に尋ねても行方がわからない。私は堪らず村の外へ貴方を探しに出掛けるのですが…………どこまで走っていっても、眼前に広がっているのは星空と畑ばかりで…………セイシュウも火蛇もどこにもいなくて…………私はそのうちに熱が出て、どこかの寂れた建物の中で倒れてしまうんです。

 それだけの夢なのですが、起きた後は不安で不安でどうようしようもなく…………いつも真っ先に貴方のことを尋ねておりました。それでも、実際にコウ様のお顔を拝見するまでは恐怖が拭えず…………動けない我が身が悔しくて、呪わしくて、堪りませんでした。

 ですから、もう出来る限り…………眠りたくはないのです。早く貴方のお傍にいられるように、決して貴方を見失わぬように、お傍にいたいのです」


 俺は真摯な眼差しに射られて、何も言えなくなった。こんなに正直に思いの丈をぶつけられては、何も責めようがない。


 …………というか、聞いていてつくづく思うのだが、何でこの子はこの期に及んで、自分より俺の心配をしているんだ? 今に始まったことじゃないが、今回はさすがに俺が心配される謂れは無いだろう!


 俺はフレイアの真剣な顔に、同じだけマジな視線を注ぎ返した。最早、この子を見極めたいのではなく、この子に俺がどう見えているのかが知りたかった。

 前から疑問ではあったのだが、フレイアは何故こんなに俺を買ってくれるのだろう? 自分で言うのも悲しいが、たかがニートの、しかも自分よりも遥かに軟弱な「勇者」様に、どうしてここまで信頼が置けるのか。


 フレイアは一度は落ち着いた頬の赤みを段々とまた濃くながら、緊張でさらに肩を狭めた。寄せられた胸が丸くせり上がり、解けた胸元からふっくらと覗く。薄い布地越しにわかる量感が大いに俺の集中を乱した。

 心許なげに投げられた白い滑らかな太腿も、こうして強い日の下に晒されると妙に生々しい。


 紅い瞳に深く差し込む、純粋で一途な光。

 俺は彼女の、どんな時でも凛とした雰囲気が大好きだ。


 だが、好きだからこそ、今は困る。


 俺は耐え切れず、直接に尋ねた。


「なぁ、フレイアは…………どうしてそんなに、俺なんかを信じてくれるんだ? もし俺が裏切ったり、期待外れだったりしたらって、考えないのか?」


 フレイアは眼差しを一切動じさせることなく、露を置くように答えた。


「コウ様は私の運命です。…………裏切りも期待外れも、ありえません」

「何でそんな風に言い切れるんだよ? 俺がどうしようもない大馬鹿クソ野郎だったら? 君を取り返しがつかないぐらい傷付けたら? 君は、それでも運命だからって従うのか?」


 フレイアは胸に手を当て、なおも揺るがずに言った。


「従います。貴方はたとえ何かをお間違えになったとしても、決して邪悪ではございません。期待外れなど、どうしてありえましょう? ましてや、裏切りや暴力なんて。

 …………コウ様は」


 フレイアは一拍置き、語気を強めて言い継いだ。


「とてもお強い方です。私などには到底計り知れない、広い心をお持ちです。穢れたこの身にも躊躇いなく触れてくださいますし、どんなお話をしても、いつも親身になって聞いてくださいます。「俺なんか」とコウ様は仰いますが、貴方でなければ、私は己が身の全てを懸けることなどできません。

 貴方のお選びになることなら、私は何だって受け入れます」


 俺はフレイアの熱に中てられ、カッとなって返した。


「…………そんなの、君に気に入られたくて聞こえの良いことを手あたり次第に言ったりやったりしているだけかもしれないだろう? 君を怖がらないのだって、外国人なんだから当たり前だ。

 そもそも、アホだから何もわかってないだけって、マジで思わないのか!?」


 フレイアは思いのほかの俺の剣幕に一瞬たじろいだが、すぐに凛々しい面持ちを取り戻して言い返してきた。


「今コウ様が仰っていることこそ、口から出まかせです! 貴方は今、ここにいらっしゃいます。たくさんの辛い戦いを経てなお、ここに立ってくださっています。それが何よりの尊さの証です」

「明日、逃げるかもよ? 「もう嫌だ、怖い、面倒くさい」とか言ってさ」

「コウ様のお人柄は、フレイアにはよくわかっております。

 貴方は一度決めたお心をお曲げになる方ではありません。失礼を承知で申し上げれば、少々強情であられるぐらいに。

 コウ様が何と仰いましょうと、それだけはフレイアはお譲りいたしません」

「…………でも」

「私の勇者様は、愚かなどではありません!!」


 俺は彼女に気迫に圧され、口を噤んだ。

 まだ何か言おうとする俺を、フレイアは有無を言わせぬ目つきで見つめている。

 俺は葛藤の末、溜息を吐いて素直になった。


「…………ありがとう、フレイア。

 ごめん…………格好悪いところを見せちゃった」


 フレイアが紅潮した顔を横に振る。

 彼女はふっとはにかんだ微笑を浮かべ、優しい声で話した。


「私はただ、普段から思っていることを申し上げたまでです。…………コウ様はいつだって私の…………憧れなのですから」


 俺は首の後ろに手を組み、窓の外へ顔を向けて火照りを誤魔化した。

 さっき見たのと同じ鳥達かはわからないが、2羽の小鳥が行儀良く木の枝に並んで留まっている。

 フレイアを照らす日差しが、流れる雲に遮られて少しの間だけ陰った。


 日が再び戻ってきた時、俺はエルフの軟膏を再び手に取って提案した。


「…………続き、する?」


 フレイアは紅玉色の瞳をぱちりと大きく瞬かせて、子供みたいに無邪気に笑った。



 それから俺は、早々に紳士ギブアップ宣言をした。

 これ以上フレイアと一緒にいれば、間違いは当然起こり得る。もうしょうがない。


 邪ノ芽のことも、この際なのでハッキリと伝えた。

 彼女に死期が迫っていることや、邪ノ芽の力を強めればそれを退けられること。そしてそのためには俺と濃い共力場を編む必要があることも、余すところなく語った。

 もちろん、俺が邪ノ芽を牽制するためにした残酷な約束のことも。


 フレイアは聞き終わると深く頷き、


「…………その時には、喜んで」


 と、こちらが戸惑うぐらいの大人びた笑みを見せた。


 彼女はむしろ、心のどこかではその結末を望んでいるかにすら見えた。もしもの時には使って欲しいと、枕元に自分のレイピアを添える彼女は、不思議なくらい穏やかな顔をしていた。


 振り返った彼女はいつも通りの眼差しで俺を見た。そこには清く優しく、強靭ながらもしなやかな、気高い獣のような彼女の魂があった。

 俺は寝台の上に移り、彼女を隣へ呼んだ。


 頬をほんのりと赤らめたフレイアは、いつになく小ぢんまりとして、人形のように繊細に見えた。美しい紅玉色に見上げられると、いよいよ気分が昂る。


 すでに前紐の解けているワンピースを下ろすと、真っ白い肌と半球状に張った胸が目に飛び込んできた。

 急いで胸元を隠す彼女の肩を抱き寄せたところで、誰かが部屋の戸を叩いた。


「あー…………取込み中、失礼。来客だ。

 もう少しぐらいなら待たせても良いが、せめて窓は閉めた方がいいと、俺は思う」


 妙に淡々としたシスイの声に、俺とフレイアは顔を見合わせた。

 フレイアは肩をすくめて遠慮がちに微笑み、いつの間にかシーツの上に転がっていた軟膏の箱を俺の鼻先にちょんと突きつけた。


「続きは後でに、しませんか…………?」


 俺は渋々、彼女から腕を離した。


 全く…………なんて空気の読めない来客なんだ…………っ!!!

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