竈に火を点けてみよう!

第108話 悲劇の翌朝。俺がオオカミ男と対峙すること。

 翌朝、俺は独りで朝食を取った。人形の話すところによると、まだリーザロットは帰ってきておらず、フレイアはすでに外へ見周りに出たとのことだった。

 

「フレイア様から言伝を預かってきております」


 食事を持ってきた人形は、カタカタと口を動かして俺に伝えてくれた。


「「お休みのようでしたから、朝のご挨拶は控えさせて頂きました。今日もよろしくお願いいたします。身だしなみには、くれぐれもお気を付けください!」…………以上です」


 俺はクスリと笑いつつ、今日もフレイアと一緒にいられるのを嬉しく思った。昨日あったことを思えば、意外なぐらい爽やかで平和な朝だ。

 俺はお茶を注いで去って行こうとする人形を捕まえ、尋ねた。


「あ、ちょっと待って。聞きたいことがあるんだけど」

「はい」

「君って、喋れるんだよね? だったら名前とかあったら、教えてほしくて。いつも「ねぇ」とか「あの」じゃ、呼びにくいしさ」

「はい…………〇×△△×です」

「へっ?」


 人形はしばらく黙っていたが、やがてチョコンと頭を下げると、踵を返して出ていった。彼の言葉はまるでロシア語かアラビア語かのようで、俺が咄嗟に再生できる音では到底無かった。

 ああいう名前なのか、それとも何らかの魔術上のバグだったのか。いずれにせよ、俺は久々に言語関係の衝撃を受けた。


 食べ終わった俺は、控えの間へと出かけた。部屋で待っていても良いのだが、それも退屈だ。俺は廊下を抜け、間違い探しのホールへ行き、隠し扉の戸を叩いた。


「おはよう、フレイア! いる?」


 しかし、扉を開けて出てきたのは全くの別人であった。


「おはようございます。…………「昼食」はもうお済みですか? ミナセ殿」


 俺は朝から暑苦しい白銀の毛並みを見上げ、真顔で返した。


「おはようございます、グラーゼイさん。おかげさまで、今朝も美味しく頂きました。どうしてこちらへ? 大変お忙しい身でしょうに…………」


 俺の問いに、オオカミ男は無駄に重々しく答えた。


「紡ノ宮からの帰りがけに寄らせて頂きました。昨晩は私の部下が勝手をいたしましたそうで。色々と予定の調整が必要でしてな…………」

「フレイアはどこです?」

「奥で支度中です。…………何かご用で?」

「この後のことを話そうかと」

「打ち合わせは不要です、ミナセ殿。我々は護衛に過ぎませぬ。…………ご自身で、ご自由に振る舞われるがよろしいでしょう」


 オオカミ男は不必要に肩を張って扉を塞ぎ、俺を見下した。彼はウチの近所のシベリアンハスキーが悪ガキを睨み付けるのとそっくりな目つきで、抑え込むように言った。


「もう、よろしいですかな?」

「…………」


 うう、このままでは体良く追い払われてしまう。俺は何とか会話を繋ぐ扉は無いか、頭を回転させた。

 …………よし、見つけたぞ。


「…………そうだ。フレイアと昨晩、約束をしていたんでした。そのことについて話さないと」

「約束…………。それはどのような?」

「本人に言えばわかると思いますが」


 相手の三角形の耳がピンと鋭く立ち上がる。わずかに毛が逆立ち、ざわめいてきた。俺は可笑しさを必死で堪えながら、さらに続けた。


「まぁ、でも、まだ準備出来ていないのなら急かしてもあれなので。支度が出来たら俺の部屋に来てもらえるよう伝えてもらえますか? …………昨晩の続きをしようって」

「…………!!」


 相手の眉が痙攣したように吊り上がる。俺は勝ち誇った気分で笑みを浮かべ「では」と短く挨拶をして背を向けた。


「お待ちください! ミナセ殿」

「はい?」

 

 グラーゼイはわなわなと震える拳…………というわけではないが、いかにもその寸前といった腕をおもむろに腰に当て、俺に言った。


「琥珀殿と私の部下から伺いました。ミナセ殿は、魔術の指南役を探しておられるそうですな?」

「…………はぁ。魔術というか、この世界の言葉とか、全般的にですが」

「それでしたら、私に良い当てがございます。ぜひ、紹介させて頂きたい」


 俺は思わぬ提案に眉を顰めた。一体どういう風の吹き回しなのか。

 怪しさのあまり「結構です」と即答しかけたところで、ちょうどフレイアが奥から顔を覗かせた。


「あっ、コウ様! おはようございます! お元気そうで何よりです。…………グラーゼイ様、何をお話しておられたのですか?」


 グラーゼイは振り返ってフレイアに目を向けると、口調を和らげることなく話した。


「ミナセ殿に指南役の紹介をしていた。今朝、お前にはもう話した案だが」

「ああ、そのお話でしたか。しかし、私は少々可哀想だと思うのですが…………」

「だが、合理的ではある」

「そうですが…………」


 フレイアは俺を見やると、またグラーゼイを見上げた。


「コウ様のご都合も、伺わないといけません」


 俺が割って入ろうとした矢先、グラーゼイが先んじて口を開いた。


「時にフレイア。昨日、ミナセ殿と何か約束をしたそうだな? この後、ミナセ殿の自室にて続きを行うと聞いているが…………それは、指南役の下では済ませることができぬようなものなのか?」

「お約束…………? 単語の発音のことでしょうか」

「文字の手解きをしていたのか」

「はい」


 グラーゼイがくるりとこちらを振り向く。凪いだ毛並みと耳、目元に、露骨に機嫌の良さが滲み出ていた。散歩後にご主人からジャーキーを貰った後のシベリアンハスキーに、本当にそっくりだ。


「フ…………。そういうことでしたら、何も問題ございません、ミナセ殿。指南役のおります我が精鋭隊の宿舎まで、ぜひお越しください。

 実のところ、昨日の襲撃で人員が不足し、護衛の工面には大変苦労しております。ミナセ殿の方から我々の方へ足を運んでくださるのであれば、非常に助かります」


 こう頼まれると断りづらい。俺が目をやると、フレイアは何の気も無しに首を傾げ、紅い瞳を瞬かせた。特に彼女に意見は無いらしい。

 俺は観念し、頷いた。


「…………わかりました。では、お言葉に甘えます」

「ご協力に感謝いたします。…………ではフレイア。お連れしなさい。私は蒼姫様と団長に呼ばれているから、このまま向かう」


 グラーゼイは実に満足そうに、フレイアの肩を叩いて奥へ戻って行った。



 そんなわけで、俺は重たい図鑑を担いで精鋭隊の宿舎へと行くこととなった。

 今回は歩きで、のんびりとした行程だった。

 道すがら、その辺の物や動物の名前を教えてもらったりもした。ついにマヌーとも擦れ違ったが、やはり牛みたいな生き物で、それだけに妙に感動した。(フレイアは首を傾げていたが)


 そうしてゆるゆる辿り着いた精鋭隊の宿舎の中は、学生寮みたいな間取りだった。奥に向かって部屋がいくつか並んでおり、入り口の辺りにシンプルな談話室が作ってある。

 窓から草のまばらに生えた広い庭が見え、ボロイながらも、のどかな良い雰囲気だった。今日はココさんはいないらしい。

 俺は談話室で座っているよう言われた。


「今、呼んできますので」


 フレイアは俺に告げると、一番向こうの部屋から、哀れな一人の男をズルズルと引っ張り出してきた。手足に隙間無く包帯を巻きつけられた彼は、フレイアに先導されて、浮かない表情でこちらへやって来た。

 俺は蒼白な彼の顔を見て、安心したのと、申し訳ない気持ちとで胸が一杯になった。


「クラウス…………! 本当に生きてたんだ!」


 クラウスは眉を顰めると、低い声で答えた。


「「本当に」って何なんですか…………。っていうか、今日はこの有様なもんで、お休みを頂いていたはずなのですが、これは一体どういうわけです? 指南役とかって、俺、今、初めて聞いたんですけど…………」


 俺とフレイアはかくかくしかじか事情を説明した。クラウスは話の間中、何かに耐えるようにじっと目を瞑っていたが、やがて一通り聞くと長い溜息を吐いた。


「つまり…………とばっちりってヤツですか、俺は」

「とばっちり…………とは?」


 フレイアの問い返しをスルーし、クラウスは俺を見た。


「全く…………人使いが荒いにも程がある。怪我人まで使います? 普通。コウ様も、ハッキリ言ってやればいいんですよ! それが一番効くんですから!」

「まぁ…………その、それは、ね?」


 俺はフレイアから投げられる疑問の眼差しにたじろぎつつ、話を繋げた。


「それより、そういうことだったのなら、無理はしないでいいよ。俺だって、死にかけの人間を捕まえてまで勉強しようとは思わない。フレイアと出来ることをやっているから、寝ていてくれよ」

「コウ様…………。引っ張り出しといて厄介払いとは…………。気持ちはわかりますが、どこまで俺をコケにする気です。

 …………大体、わざわざコウ様がここに連れて来られたってことは、フレイアには別の任務があるんじゃないんですか?」


 クラウスに顔を向けられて、フレイアが頷いた。


「あ、はい。まだしばらく時間はありますが、午後から第一隊と合流してエズワースに向かう予定です。「太母の護手」の集会を押さえるそうです」

「え!? そうなの!?」

「グラーゼイ様から聞いておられませんでしたか?」


 俺はショックに打ちのめされ、言葉を失った。横から突き刺さるクラウスの眼差しは、それこそ彼の氷柱の魔術のようで、俺は余裕を取り繕う気力すら削がれた。


「やられた…………! あの野郎、嵌めやがった…………!」

「何がです? コウ様。さっきから、フレイアには通じていないお話があるように思えます。どうしてお話してくださらないのです?」

「本当ですよ。全部包み隠さず、本能のままに生きていたら良かったんです。竜の男の癖に! そしたら俺も、怪我にかこつけて誰か連れ込めたかもしれないのに!」

「クラウス様! それはいけませんと何度申し上げたら!」


 俺はしんなりと心を萎えさせた。持ってきた図鑑が何十倍にも重くなって、地面にめり込んでいくように感じられた。

 クラウスがフレイアに怒られているが、俺はこんな景色が見たくてここまで歩いてきたわけじゃない。こんなんだったら、日当たりの良い窓際で、あのままずっと寝ていたかった。

 クラウスはフレイアを宥めながら、肩をすくめた。


「コウ様…………。どうしてくれるんです? これ…………」


 俺のせいかよ?


 それすらも呟けぬまま、俺は人形のように固まっていた。

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