第56話 お喋りクラウスの魔術師論。祭日の街並み。俺が市場で買い物を楽しむこと。

 新たに俺の連れ合いとなった男は、市場までの道中、意気揚々と名乗った。


「私は「白い雨」精鋭部隊所属、クラウス・カイル・フラウリールスです。お気軽にクラウスとお呼びください。ところで、勇者様の名前は何と言うのでしょうか? よければ、教えてください!」


 まるで銀幕から抜け出してきたかのような輝かしいクラウスの笑顔に、俺は少したじろいだ。


「俺は、ミナセ・コウ。こっちでは、コウって呼ばれていることが多いかな」

「では、コウ様!」


 クラウスは有無を言わせぬ勢いでそう俺を呼びつけると、長い足を前へ運びながら、息つく間もなく滔々と続けた。


「いやぁ、一応隊長達から話は聞いていたんですけどね。実際にお顔を拝見するまでは、なかなか実感が湧かないものでしたよ! 俺は…………失礼。私は、ぶっちゃけた話、「勇者」なんて、リリシスのクソ分かり難いクソ物語にありがちな、やたら思わせぶりに出てくるいい加減極まりない比喩だとばかり思っていたんです! それがまぁ、なんとまぁ。こうして生きて話して目の前にいらっしゃるというのは、本当に不思議なことで」


 クラウスはそこで急に口を噤み、まじまじと俺の顔を見つめると、またすぐに堰を切ったように話し出した。


「でも、いらっしゃるんですから、さすがに信じないわけにはいきません! これも何かのご縁として、いわゆる主の雨の恵みに感謝しまして、私の隠れ家にして、神聖な癒しの酒泉へとご招待する他ないと、今から使命感に身が引き締まる思いなわけです。

 あっ、決して警護をサボる口実が欲しいわけではありませんよ? 教会騎士団というのは、あくまでもサンラインと、主とを第一に、つまりこの場合は、勇者様のためを一途に思って、行動するものなのですから」


 俺は一切途切れない怒涛のような言葉に圧倒されつつ、「はぁ」と苦笑を浮かべた。

 だってこの人、どう考えたって、俺をダシに飲みに行きたいだけじゃないか? 精鋭というからには、フレイアやグラーゼイのようなお堅い人物を想像していたのだが、これはどうも全くのお門違いのようだった。

 クラウスはその空色の瞳で興味深げに俺を覗き込みながら(黙っていれば、本当にハンサムなのに)、さらに話し続けた。


「まぁ、という次第ですので、早く用事を済ませてしまいましょう。今日は慰霊祭ですから、市場も大賑わいですよ! 可愛い娘もたくさん集まって…………ではなくて、でもあるのですが、それはさておくとしても、今日の出店の数からすれば、目的の品が見つからないということはまず有り得ません。名のある魔術師やら魔導師やらは大抵式典に出席していますし、私が剣を振るうべき機会も、まず訪れないでしょう。誠に惜しいことですがね!」

「そっかぁ…………」


 俺は大人しく頷きつつ、ずんずんと突き進む彼に従って、忙しなく人々が行き交う大通りを真っ直ぐに歩んで行った。


 街の人は初めて俺がサンラインへ来た時よりも、遥かに俺に無関心だった。同じような服を着てさえいれば、この国ではどんな人間でも、すぐに景色に溶け込んでしまえるらしかった。

 パッと見の印象では西洋風の顔立ちの人が多かったけれども、獣人もいたし、忍者の如き黒装束を纏って、ろくに顔を見せない人も多くいた。見周り中なのか、まさに「騎士」といった出で立ちの鎧姿の男たちもチラホラ練り歩いている。他にも、俺にはあまり馴染みのない風貌の人が数えきれない程いて、それらの多様性がかえって、この場の雰囲気を均一に保っていた。


 俺は人混みの中を、擦れ違いざまにぶつかった人に謝ったり、謝られたりしながら、クラウスの止め処ないお喋りと共に、何事もなく進んで行った。

 立ち並ぶ家並みは清潔で美しく、その上に広がる空もまた、俺の故郷の初夏の空と同じようにしっとりと眩しかった。誰かの家のベランダでは、白いシャツやシーツが微かな風に気持ち良さそうにはためいていた。


「もう着きますよー!」


 クラウスの威勢の良い声が一際高く耳に響いた。俺は少し日差しが暑くなってきたので、シャツの袖を肘まで捲った。



 クラウスは市場に着くと、懐から1枚のメモを取り出した。俺は紙面に綴られた箇条書きの異国の文字を読めないなりに見つめながら、彼に尋ねた。


「うわぁ。そんなに買うの? ツーちゃんのヤツ、もうほとんど済ませたって言っていたのに」


 クラウスはこちらを見やると、「ええ」と眉を顰めて返事した。


「私も今朝、このリストをいきなり琥珀様に渡されて驚愕しました。一体、魔術ってやつはどうしてこう、いちいちやることが煩瑣なんでしょうね? 理論だの、概念だの、ネチネチごにょごにょと色々と回りくどくて、鬱陶しくて堪らんです」

「確かにねー」


 俺はツーちゃんの長大な講義を思い出して、肩をすくめた。クラウスは一度話し始めるともう止まらないようで、会話を糸口に、次々と愚痴を紡いでいった。


「そもそも、ここに並んでいるものって全部、霊体純度検査用のものなんですよね? それなら、いくら何でも指定が細かすぎると俺は思うんです。…………なるべくコウ様の体質に合致するものをという琥珀様の心遣いは理解できますし、一部の品に関しては、コウ様自身が選ばなければ使い物にならないことは重々承知しているんですが、この異常なまでのこだわりは、完全に趣味の領域でしょう! 魔術師って、偉い人程、そういう傾向があるんですよ」

「へぇ。どうしてだろうね?」


 俺の問いに、大股で歩くクラウスは片手でメモをひらひらとさせて答えた。道行く若い女の子がたまに彼に声を掛けていったが、彼は朗らかな笑顔だけでそれに応じた。それだけでも黄色い歓声が上がる。羨ましい限りだ。


「大概、魔術師って連中はね、とんでもない凝り性なんですよ。あの人達は、思い描く世界を創り出すためなら、何だって厭わない。それこそ夢中になってくると、自分のことはもちろん、他人の命だってさっぱり気にかけなくなってしまうんです。それだけの執念があるからこそ、魔海なんてものとガチで渡り合えるんだとは思いますがね。

 まぁ、確かに「趣味」っていう言い方には多少の嫌味と語弊がありました。琥珀様だって、半ばは必要だからやっているわけです。魔術理論ってのは、すごく厳密なものです。厳密性の追求によってこそ、「真実」ってものが見えてくるんですから、理論の再現のために限界までモノにこだわるのは当然のことです。…………ただね、やっぱり、もう半分には嫌味の余地がありますよ。あの人らはね、なんだかんだ理由を付けつつも、結局のところ、自分がやりたいからやっているわけです。寝ても覚めても、生きていても死んでいても、ずぅーっと、「真実」の夢を見ている。本人は良いですよ、それで満足でしょう。だけどね、付き合いきれませんよ、私は!」


 俺は同意を求めるクラウスの振り向いた顔に、何か今回のこととは別件の、個人的な恨みを感じたが、とりあえずは同調しておいた。


「うん…………。まぁ、大変そうだ。科学者気質っていうか、芸術家気質っていうか…………。巻き込まれる方としては、とんだものじゃないよね」


 クラウスは急にきょとんとした顔で俺を見つめると、


「カガクシャ、ってなんです?」


 と言って、ようやくお喋りを止めた。

 俺はちょっと首を捻り、


「まぁ、オースタンの魔術師のようなものかなぁ」


 と、えらく適当なことを答えておいた。

 魔法の定義も、科学の定義もわからない俺が言うのもなんだが、きっと彼が科学に対して受けるであろう印象は、俺が魔法に対して感じるものと大差無いだろう。

 クラウスは何か想像するように視線を中空へ送ったが、やがてまた俺の方へ目を戻すと、パッと花の開くような、吹っ切れた口調で言った。


「そうですね! 考えてみれば、コウ様は魔術を使わない国からいらしたんですもんね! たかが霊体検査にしたって、念には念を入れた方がいいのかもしれません。おかしいな、コウ様があんまりにこの街に馴染んでいらっしゃるから、つい失念してしまっていました。さっきまであんなにあなたが物珍しかったのに、なぜでしょう?

 まっ、何にせよ、気合入れれば夕暮れまでには済むでしょう! ちょっとやる気が出てきました。ちゃっちゃと片付けちゃいましょう!」

「ありがとう。世話になるよ」


 俺は相変わらず女の子の相手に余念がないクラウスと一緒に(彼は時には、立ち止まって彼女らと一言二言交わしたりもした。多分、好みによるのだろう)、リストの品物を探して、本格的に市場を回り始めた。



 ちなみに、俺は出掛けにリーザロットからある指輪をもらっていた。付けるとたちまち異国の言葉が理解できるようになるという、非常に便利で、ちょっと怖い指輪である。


 今まではフレイアやグラーゼイなど、俺と話す必要のある人間の方がこの指輪を付けていたのだが、今朝になって、リーザロットは俺が誰とでも話ができるよう、この指輪を急遽改造して用意してくれたのだった。


「急ごしらえで荒い仕様ではありますが、郊外に出ない限りは、十分に役目を果たすでしょう。いずれコウ君のことをもっと知ることができたなら、さらに良い指輪を作ってあげられるのだけど」


 リーザロットは上目使いにそう言いながら、俺の右手の人差し指に指輪を嵌めてくれた。(すごくドキドキしたのは、言うまでもない)

 そんなわけで、俺には市場の人の会話がすんなりとわかった。


「見てって、見てって! 高原マヌーのチーズだよ!」

「エルダール直輸入、ナルナ織りの絨毯、現品限り! 滅多にお目に掛かれない上物だ!」

「やぁ兄ちゃん、よく焼けたホム肉はどうだ? スパイシーだぞ!」

「ちょっとちょっと、そこのお兄さん! もうお酒は飲めるかい? 祝い酒はいかが?」


 俺は客引きに呼びかけられたり、少々強引に袖を引かれたりしつつも、次第に歩き方を学んでいった。思えば年の瀬のアメ横もこんな具合だったので、慣れるまでは案外早かった。

 クラウスはそうした喧騒の中で、不思議そうに俺を見て、しきりに呟いていた。


「コウ様はもうすっかりサンラインに馴染んでますね。多分、もう誰もあなたが異邦人だなんて思っていないですよ?」


 俺は出店のおばちゃんにもらった正体不明の祝い酒を飲みながら、目をぱちくりと瞬かせた。


「何だか、昔からそういう体質ではあったんだ。どこで働いても、どこに出掛けても、結構すぐ慣れる。特に今は言葉が通じるから、あんまり外国って感じがしないや」

「そんなもんですかねぇ?」

「どうだかねぇ」


 俺達は他愛も無い会話を交わしながら、リストに載った品を探した。指輪の力では文字は読めなかったので、俺は品物の名前をクラウスに読み上げてもらって探索を手伝った。

 ぶっきらぼうな人もいたけれど、同じだけ親切な人もいて、何だか久しぶりにとても楽しかった。


 品物の選定には、俺の手相や人相、目の色合い、背格好、時には脈の浮き沈みなんかが必要となった。クラウスは時に相手をおだてたり、交渉したりして、きびきびと効率良く品を集めて行った。彼の(さっきできたばかりの)ガールフレンド達も、かなり親身になって手伝ってくれた。彼女達はみんな真夏のヒマワリのように溌剌としていて、俺を含めた誰に対してもフレンドリーだった。クラウスは色んな意味で目利きなのだろう。つくづく、羨ましい。


 そうして、午後の日が翳り始める頃には、俺達は全ての品を集め終えていた。今は手元に無いものも、取り寄せの手筈を整えておいた。

 俺はクラウスと共に、最終確認のためリストに目を通した。


「では、コウ様。上から行きますよ」

「OK」

「トメル妖精の鱗粉」

「ある」

「英石(紫)」

「こっちの濃い奴だね」

「黒蛾竜の皮鱗(尾部)」

「確認」

「マヌーの環椎(太古種。さらに雌のものが望ましい)」

「太古種、雌。年齢制限はナシだったから、OK」

「白緑樹の苗木」

「ある。重い」

「九月猫の毛皮(ストール等装飾品でも可)」

「カーペット仕様。特上品」

「赤沼の土」

「くさい。早く袋閉じよう」

「リルバラ鼠の双生児(幼体かつ健康体)」

「うるさいぐらい、元気だ」

「僧蝶花の種(十年物。休眠状態)」

「入荷待ち」


 俺達はそれから二十品ほどの項目を数え終えると、同時に大きく息を吐いた。


「…………よし、完璧だ!」


 俺はクラウスと一緒に歓声を上げ、たまたま自分の隣にいた知らない女の子とハイタッチした。(誘われたからついノリでやってしまったけれど、誰、この子?)


「それではコウ様! 荷物を屋敷に送り次第、本番と参りましょう!!!」


 いよいよテンションの上がって来たクラウスに、俺は思いきり乗っかった。


「よっしゃ!! とことん遊ぼう!!!」


 あちこちで祝い酒をおごられ続けて、俺の気分はもうだいぶ舞い上がっていた。

 

 ――――これがまさか、あんな悲劇に繋がるとは、まだ夢にも思っていなかった。

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