フレイアの使命 俺の使命

第33話 琥珀色の圧力と戦いの残火。俺がツーちゃんと口論したこと。

 ツーちゃんは目を真ん丸にしてこちらを見ていた。ビー玉みたいなその瞳の無邪気な輝きが妙に懐かしくて、俺はつい安堵の溜息を吐いた。何だかまだ身体がふわふわしている気がして気分が悪かったが、吐き気を覚えるほどではなかった。


「ツーちゃん」


 俺が呼ぶと、彼女はどっと語り出した。赤いワンピースの裾が少し砂埃で汚れていた。


「コウ! 貴様、何ともないか!?」

「まぁ、丘酔い以外は」

「霊体の身とはいえ、まさか火蛇を使いこなすとは、私は驚きを通り越して卒倒しかけたぞ!! 貴様はどこまで予想外なのだ? 複雑に編み込まれた因果の一方で、どうしてそんなことができる?」

「んん、何言ってるのかわからないよ」

「ともあれ貴様、本当に何ともないのだな!?」


 俺は詰め寄ってくる彼女の勢いに圧倒され、どうにか頷いた。


「だから、何ともないよ」

「見せろ。確認する」

「えっ?」


 ツーちゃんは問答無用で座った姿勢の俺にのしかかると、その小さな額を俺の額にコツンと当てた。俺は間近に迫った琥珀色の眼差しを直に覗きこんでしまい、また謎の金縛りにあって、身動きが一切できなくなった。

 ツーちゃんは細く白い腕をゆっくりと俺の頬から身体の下方へ伝わせていくと、やがて手のひらを俺の下腹部に優しく置いて、こう命じた。


「深く呼吸しろ。身体の隅々にまで気が満ちるように、何度か行え」

「う…………ん」


 俺は言われた通りにゆっくりと深呼吸を始めた。

 ツーちゃんの重さが、ていうか彼女の無駄に整った面立ちが変に意識されて、初めはあまりうまくできなかったけれど、次第にいつも通りリラックスしてできるようになっていった。


 ツーちゃんはずっと、俺を見ているかのか、いないのかわからない、奇妙な目つきで俺を見つめていた。あたかも、ステンドガラスの奥の景色をあえて覗こうとしているような、そんな眼差しだった。


「…………」


 黙ってじっとしていると、ツーちゃんのささやかな吐息が絶えず俺に降りかかってくるのが妙に気になった。そんな趣味は無いつもりなのに、それでも背筋がゾクゾクとしてくる。


「あの…………もう、いい?」


 耐え兼ねて俺が尋ねてみると、ツーちゃんはふと身体を起こして数回、音が聞こえてきそうな瞬きをした。


「えっと、大丈夫だったよね?」


 俺が問いかけると、ツーちゃんは例によって眉間をぎゅっと険しくした。


「率直に言って、怪しいな」

「マジで?」

「喰魂魚に溶けた記憶はそれとして、何か不穏な気配がする。今、すぐに影響があるものとも思えぬが…………サンラインに着いたら、まともな施設で一度、精査してみる必要がある」

「そ、そっか」


 俺は思い当たる節がないこともなく、やや怯えて彼女から目を逸らした。

 不穏な気配の正体は十中八九、魔人を倒した際の火蛇の力に関係しているだろう。あれ以来、自分の内に燃えさしのようなものがくすぶっているのが、薄々と感じ取れていた。


 別にそれで何ができるというわけでもないし、今のところ再び燃え上がりそうな気配も無い。いずれ普通の炎と同じように、自然に消えて行くものだと思っていたのだが、こんな風に言われると俄かに不安になってくる。

 言った方が良いのか? でも、何だかすごく言い辛い。というか、口にしようとしても、何故かすごく気分が塞いで、とても言い出せる気がしない。


 俺はどうにか不安を紛らわそうと、強引に話題を逸らした。


「ああ、そう、それは良いとしてさ」

「良くないぞ」

「良いことにしてくれ! それより、フレイアのことなんだけどさ!」


 俺はようやく切りこんだ。


「さっき、飛んでいる時にフレイアと話したんだけど、あの「裁きの嵐」? とやらで、イリスとかいう頭のネジが吹っ飛んだ女と一緒に、フレイアがどこかに飛ばされちゃったみたいでさ。それでフレイア、かなり疲れていて。心配なんだけど。助けに行きたいんだけど!」

「相変わらず無駄の多い喋りだ」


 ツーちゃんは不愉快を顔に露わにすると、続けて話した。


「貴様に言われずとも、事情はあらかた承知しておる。貴様らのために、私がどれだけ骨を折っていると思っておるのだ…………。

 そして、結論から言って、あの娘のことは貴様が手出しすべきことではない」

「は!? でも」

「聞け」


 ツーちゃんは喰ってかかろうとする俺を人差し指一本で制すると、淡々と告げた。


「あれの一番の目的は、貴様を無事にサンラインの蒼の主の元へと送り届けることだ。私もまた、そのために協力に来ておる。故に、まずはその目的を達成してから、後のことを考えるべきなのだ。

 ただでさえ時間を浪費しておる。すでに追手もついている状況を考えれば、貴様が一刻も早くこの土地を離れることこそ最善。何より、余計な手出しをして、貴様の方が命を落としたらどうなる? すべてが水の泡になるのだぞ」

「今更だ、そんなの」

「コウ、私はフレイアを見捨てるつもりはない。だが、今優先すべきことは別なのだ。…………わかるか? 貴様に選択肢は無いのだ。私はこれから気脈を通してフレイアの魔力を使い、お前をサンラインに連れて行く。フレイアのことはその後で、急ぎサンラインの安全な場所に戻ってから処理する。繰り返すが、これが最善手だ」

「だけど」

「聞き分けろ! 事態は貴様が思うより悪い。今、この時以外に時空の扉を開くチャンスが巡ってくるなどと楽観するな。追手はそれほどの相手だ。私の結界は、あと20分も持たない」


 俺は言葉を詰まらせて俯いた。

 確かに、ツーちゃんの言う通りだと思った。今の俺にできることと言えば、せいぜい、今はどこかに消えてしまった火蛇をフレイアの元に帰してやることぐらいだった。それにしたって、どうやればいいのか皆目見当もつかない。

 だが。


「…………嫌な予感がするんだ」


 俺はともすると呼びかけに応じなくなる、というより、交信が途切れがちになるフレイアの意識に、耳を澄ませながら呟いた。

 ツーちゃんはそんな俺に真剣な眼差しを向け、難しい顔で言った。


「フレイアを信じるしかなかろう。あれは若いが、それなりの訓練を積んできておる。サンラインでは、最も戦闘を得意とする「白い雨」の精鋭なのだ。そう簡単には不覚を取るまいよ」

「…………すごく疲れているみたいだった」

「そうだろう。度重なる時空移動に、銀騎士への大魔法。貴様の探索に、おそらくはイリスとの戦闘。疲れぬ者などおらぬよ」

「それ、全部俺のせいじゃないか」

「当然だ。貴様のために来たのだからな。だからと言って貴様が気に病むことではない。フレイアは自分の仕事をしたまでだ」

「それを放って置けるほど、俺は屑じゃない!」


 ツーちゃんは冷たさの込もった瞳――――湧き立つような濁りのある、暗い琥珀色だった――――で俺を改めて見つめると、先と同じことをこぼした。


「コウ…………聞き分けろ」


 俺は自分の内にある炎がゆらりと芽吹くのを感じ取った。怒りにも似た乱暴な反抗心が琥珀色の圧力と拮抗し、俺は彼女の束縛を初めて拒んだ。


「嫌だ」

「貴様…………何だ、その目は?」

「俺がどんな目をしてようが、どうでもいいだろう。急ぐなら早く助けに行けばいい。俺の命なんざ、適当にコピーでもして取っとけよ。できそうじゃないか。こっちは呼ばれてこの方、わけのわからないことの連続で、とっくに常識なんてぶっ壊れているんだ。今更、物分かり良くなんてできるかよ!」


 俺はツーちゃんを見据えて、思いの丈をぶちまけた。


「それに、ただ俺をサンラインに引っ張っていくだけでいいなら、あの子はもっと早くできたんだよ! 俺がいちいち時空に酔って潰れたり、馬鹿みたいな駄々をこねたりしなければ、こんなことにならなかったんだ! あと…………仕事だって? 仕事だからって、あんな風に命張らせて、放って置いていいわけないだろう?! ニートにだって、間違いだってわかる!!」


 俺は息を荒げながら、ツーちゃんの瞳の色が次第に穏やかに澄んでいくのに気付いた。それにつられて自分の炎が元通りに鎮まっていくのも感じたが、ただ、こちらは息切れただけといった感じだった。

 ツーちゃんはすっかり澄みきった琥珀色の目を一度瞬かせると、短く溜息を吐いて腕を組んだ。


「やれやれ」


 ツーちゃんは呆れ顔で立ち上がると、俺を見下ろして続けた。


「自分勝手な男だ。そもそも、フレイアは何と言っておったんだ?」

「あの子じゃ話にならない」

「やれやれ」


 ツーちゃんはかすかに口元を緩ませると、一転して深刻な顔つきになって指を弾き、いきなり俺の周囲2メートルに光る輪、魔法陣を出現させた。

 発光する魔法陣はその輝きを白く鋭く上へ尖らせつつ、俺の姿をみるみる覆い隠していった。超音波じみた高音がキィンと鳴り響き、耳が痛くなった。


「火蛇を呼べ」


 ツーちゃんが低く呟くなり、俺が反応するより早く、どこからか火蛇が円の中へ滑り込んできた。蛇らはそのままするすると俺の足を這い上り、首元にマフラーみたいに纏わりついた。


「お前ら、どこにいたんだ?」


 気になった俺が片方の蛇に顔を向けると、蛇はつぶらな瞳で俺を見返して、小さな舌をちょろりと出した。


「まったく、世話の焼ける…………」


 ツーちゃんは深く息を吐いた後に、声高に俺に言った。


「良いか、コウ。10分だ! 貴様の上着に砂時計がある! 確認せよ!」


 言われた通りジャージのポケットをまさぐってみると、冷たいガラスの感触が手に触れた。取り出してみると、青く輝く細かな砂の入った、シンプルな砂時計が透明なガラス容器の中に浮いていた。きっと傾けても支障が無いように作られているのだろうが、まじまじと観察する暇もなく、ツーちゃんは次々と語りかけてきた。


「これから、フレイアが飛ばされたトレンデの「裏庭領域」まで貴様を送る! 私もなるべく手助けはするが、基本的には貴様だけが頼りとなるゆえ、心せよ!

 裏庭は貯水池の中と似た強度の魔力環境下にある。池の中とは違った種の魔物が住まうが、それでも貴様がやることは唯一つだ! フレイアを見つけよ! 貴様ぐらい懐かれておれば、あるいは火蛇が案内してくれるかも知れぬ!

 …………重ねて言うが、心せよ! 移動中は、己が、今、なぜそこにいるのかを常に意識し続けろ! 決して「己」を離してはならぬぞ! 魂の複製はいかなる存在にも不可能なのだからな!

 いいか、絶対に! 「水無瀬孝」を忘れるな!」


 俺はツーちゃんの言葉に大声で返事したが、その頃にはもう例の超音波が激しくなっていて、伝わったかどうかはわからなかった。

 輝きはあっという間に陣の内部を圧迫し、俺の身体を一瞬で光の中へ溶かした。

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