第31話 嵐に裁かれるもの。俺が魔人・クォグと対決すること。

 上昇気流が渦を巻き、天を突く。中に存在するものは命の在る無しに関わらず、全て粉々に粉砕されんばかりに掻き乱された。


 もし肉体のままでこんな場所に飛び込んでいたなら、俺はひとたまりもなかったろう。昔テレビのニュースでアメリカの大竜巻を見た時も思ったが、これはおよそ人に抗いうる災害ではない。


 だが今の俺は霊体である。(ついさっきまで俺も忘れていたが、俺の肉体は今は引き剥がされて別の場所に隔離されている)そしてこの風も、本当の自然災害ではなく、魔法の力によって引き起こされたものだった。

 風は一見この世の終わりのごとく荒れ狂っていたけれど、そこには不思議な秩序が保たれていた。


 逆巻く風は巻き込んだ全てを無慈悲に掻き回したが、決して渦の外へ放り投げるということはなかった。例えるなら、俺は洗濯機に放り込まれた人形みたいに、ぐるぐると渦の中を回り続けていた。


 風を押し分ける大岩が、剥がされた家屋の屋根を豪快に砕き割り、大破した屋根の尖った破片が、舞い飛ぶ毛布や藁束をズタズタに引き裂いていく。俺はあちこちで繰り返される破壊にぞくぞくと肝を潰した。時には俺のすぐ目の前で、大岩同士が惑星のごとく衝突し、おびただしい量の石礫が霰となって降った。


 俺は風の中で、必死で手足をばたつかせて足掻き続けていた。

 火蛇たちは襲い来る破片たちを弾くために、休む間もなく俺の周囲を高速回転していた。俺は橙色に輝く蛇の輪の内で、どうにか体勢を整えて風に乗った。蛇の回転がある程度風を遮ってくれるおかげで、俺は強風の中でも案外楽に息ができた。まるで透明な風船の中にいるような感覚だ。蛇の発する熱はほのかに温かい。俺がどうにか酔わないでいられるのも、あるいは彼らのおかげなのだろうか。


(さぁ、どうしたものか)


 俺は辺りを眺め回しつつ、状況を打開する術について考えた。

 渦中で暴れるものの中で、俺が最も警戒すべきなのは大きな木や岩であった。あまりに巨大なものの場合、恐らく蛇にも捌きようがない。俺にはフレイアのように蛇を自在に扱うことは出来ない。それに、何とか破壊したとしても、無数の礫となった岩の欠片は依然脅威である。

 とすれば、俺は岩を避けきるしかないが…………。


(よし。まずは、身体の動かし方に慣れよう!!)


 ドウズルとのチェイスや、水中での経験が活きた瞬間だった。我ながら恐ろしい程の土壇場のポジティブを発揮し、早速訓練を始めた。

 冷静で的確な判断はまず、集中できる環境作りから始まる。(と、俺の優秀な妹が随分前からしつこく主張していたなと、ふと思い出した。そう言えばアイツは元気にしているだろうか?)

 ひとまず俺は高速回転する蛇の動かし方を知るために、とりあえずは魔弾の要領で、飛んでくる枯れ木に狙いを定めてみた。


 ――――バチッッッ!!!


「――――!!!」


 決意した途端だった。俺の眼前で小石が思いきり弾けた。俺は発生した火花に目を眩ませて、体勢を大きく崩した。一瞬にして突風が俺を天へと打ち上げる。俺は風に煽られつつも、なるべく身体を平たくし、またどうにか大きな、比較的安定した風の流れに乗った。


 そう――――…………。そうだった。

 考えれば当然のことながら、火蛇は常に俺が反応するよりも速く動くのだった。もしそうでなかったなら、俺はとっくの昔に木端微塵の肉片と化していただろう。余計な手出しは無用だと、俺は思い直した。

 それから俺は即座に、努力の方向を切り替えることにした。


(じゃあ、自分から動いてみよう!)


 俺はおもむろに身体を翻し、安定した風からあえて離れた。傍流が俺をさらに上空へ持ち上げ、それからまた気まぐれに元の流れの中へと放り込んだ。意外な滑らかさに拍子抜けしつつも、俺は確かに掴んだ感覚にガッツポーズを作った。

 正直、もうどっちが上か下かなんてわかっていなかったが、別にどこかにぶつかるということもなければ、気にすることもない。むしろ変に意識すると酔ってしまいそうだ。


 俺はそのまま、ちょうど流れ込んできた別の風に乗って、再び流れから逸れた。こちらの流れは幾分ダイナミックで、一度俺を大きく回転させると、今度はもう一周、逆方向に大きくループさせた。俺は逆さま(?)になって別の大きな流れに吸い込まれながら、


(イケそうだ)


と、今一度調子付いた。


 だが、その時ふと視界の端に大きな黒い影がよぎった。いきなり辺りが、雲に覆われたみたいに暗く翳りだす。


「!!!!」


 俺は咄嗟に身をかがめ、突如天から降ってきた巨大な何かから逃れた。


「何だ!?」


 途方もない大きさのそれは、さらに壮絶な圧力の風を纏った一撃を俺に放ってきた。振りかぶった巨大な拳――――!?


「――――ぐっ!?」


 俺は何も考えずに、慌てて近くの流れに背面から飛び込んだ。あらぬ方向へ猛スピードで吹っ飛ばされ、俺は錐もみ状態で嵐の中を転げ回った。一瞬、鼻先を掠めた大岩があっという間に遠ざかって、先の黒い巨体に衝突し、砕け散った。


 ぐわんぐわんと容赦無く、回り巡る世界に脳が激しく揺すぶられた。胃が狂ったように跳ねている。気持ち悪いが嘔吐する暇も無い。周囲でめまぐるしく弾ける火花の瞬きが、俺の鼓膜と網膜を焼いた。熱い。風は鋭く、ぐんと捩じ曲がるように垂直に渦を巻いて、頂点近くで俺をうんと遠くへ叩き飛ばした。


「――――…………ッッッ」


 流れと流れがぶつかる瞬間、刹那の間だけ風が失せた。合わせて俺の意識に、一瞬の空白が生じる。見えてくる。聞こえてくる。世界が戻ってくる。

 やがて、俺は比較的穏やかなスピードで旋回する風の中へと落とされた。俺は未だにチカチカする視界に堪え、徐々に落ち着きを取り戻し、やっとのことで体勢を整え、周囲を見渡した。脳は限界間際で、まだ健気に踏ん張っていた。


(…………ああ、あれか)


 俺は遥か下方に見える、巨大な物体を見やり、ようやく自分が何に襲われたのかを理解した。

 それは、魔人クォグだった。

 魔人は血走った目を切り裂けんばかりに見開き、風に抗って咆えていた。竜巻全体がビリビリと震える程の轟音が、脳髄にまで染み渡る。魔人の恐るべき巨躯は、それだけでもう底知れぬ恐怖を呼び起こす。


 魔人は吹き荒ぶ風が力任せに叩きつける、いくつもの岩や家畜(牛や馬に似ていた)を、まるで段ボールかボロ布のごとく次々と八つ裂きにしていった。返り血も石礫も、彼は一切無視して暴れ続ける。その形相は凄まじい憤怒に満ちており、身体についた無数の切り傷や打撲の痕はまさに、「鬼」の一語にふさわしい。


 そして不思議なことに、俺には何ともないのに、風自体も魔人の身体を切り刻んでいた。傷口から噴き出す血液が風をドス黒く染め上げる。

俺は魔人の無惨な姿を、息を飲んで見つめていた。彼が苦痛で歯を食いしばるその端から、また盛大に血が溢れる。


「――――――――オオオオォォォァアァッッッ!!!」


 俺は口いっぱいに広がる苦い金属の味を噛みしめつつ、空を割る魔人の咆哮に身を強張らせた。


 魔人は身をなます切りにする竜巻の中で、なおも己以外の存在を千切り、壊し、潰し、噛砕いた。彼にとって風は、一陣一陣、全てが錆びついた刃であるようだった。

 俺は飛んでくる破砕物を蛇が機械的に燃すのを眺めつつ、呆然と息を飲んでいた。


 俺はこんな状況の中にあって、恐怖と共に、ある種の畏怖を感じていた。

 魔人が何者なのかは知らないし、ましてや魔法が実際どんなものかなんて、知る由もない。しかし、魔人がおよそ抗い難い、圧倒的な災い、それこそ「裁き」という言葉がしっくりくるような、途方もない力に切り刻まれていることだけは、俺にも痛いほど伝わってきた。


「「裁きの嵐」って…………何だ?」


 俺は戸惑い、独り呟いた。

 同時にフレイアがこの竜巻を呼び出す直前に、敵の女魔術師が叫んだ言葉が脳裏をよぎる。


 ――――正気ですか!? そんなことをしてっ、まさかあなた、


『自分が無事でいられるとでも思っているんですか!?』


 俺は輝く橙色の輪に守られながら、全身の血を凍りつかせた。


 …………フレイアは、どうしているんだろう?


 俺の元に火蛇がいるのなら、彼女の手元には何が残っているのか。何よりあの女魔術師の言葉からすると、あの子は、もしかして、あの魔人と同じ目に…………?


 魔人はあれだけ傷つきながらも、まだ俺への敵意を失っていないらしい。

 俺は少しずつ、だが確実に風を掻き分けて迫りくる魔人を見つめながら、なおも考えた。

 逃げる方法をではない。

 思考の合間に、別れ際に見たフレイアの儚げな笑顔が浮かぶ。

 俺は自問自答していた。


「…………」


 …………いいや、さすがに。

 そんなことは。


「でも…………」


 逃げ切れるか?

 それは…………。

 

 ふいに俺の頭を掠めるように、雄々しい枝振りの大木が勢いよく飛んできた。俺は勢いに釣られて思わず身をかがめたが、その拍子に火蛇の一匹が首を伸ばし、枝に火を点けた。


「あっ!」


 俺が声を上げた時にはすでに、火はあっという間に大木全体に燃え広がっていた。尋常ではない勢いである。

 消し炭となった葉がバラバラと撒き散らされる中、火炎に包まれた大木はダイナミックに回転しながら、轟と風に流されていった。

 火の粉が辺り中に舞って眩い。

 俺は蛇が守ってくれているにもかかわらず、反射的に腕で顔を覆っていた。燃え上がる大木は突風に揉まれ、一目散に魔人へと向かって行く。

 巨木越しに見える、魔人の姿がぐんと俺の意識に拡がる。


「もっと、燃やすんだ!!!」


 気付けば俺は口走っていた。思いもよらない唐突な発言に、我が耳を疑った。


 だが火蛇は俺に考え直す間を与えず、何の躊躇いもなくその命に従った。


「オオオォォォオオオオアァァァァ――――ッッッ!!!」


 全身で燃え盛る大木とぶつかった魔人が、一気に炎に飲まれた。悲鳴とも怒号ともつかぬ凄絶な叫びが宙に響く。

 大気が、空が、竜巻が、世界の終わりのごとく震えていた。舞い散る火の粉が一片残らず怯えて、神経質に逃げ惑う。俺は魔人を凝視していた。


 魔人はその身を焼かれながらも、なお幹を引き裂き、力の限りを尽くして大木を振り回した。彼に近づく物はことごとく粉砕され、激しく踊る火炎に包まれて炭となっていく。魔人の血が全身から吹き出していたが、その血の一滴に至るまでが猛々しく、熱く、狂暴だった。

 咆え声が風に煽られた業火の呻きに紛れて濁り始める。風がうねるように向きを変えて、俺を彼の元へと連れて行こうとしていた。


 魔人は執念のこもった瞳で、猛烈に俺を求めていた。

 俺は魔人の血が焦げつく匂いに中てられ、むせかえるような熱にむきになって、さらに熱く、激しく燃えるよう、念じた。

 風に抗う気はもう無かった。

 望むところだ。

 身体が激流に流される。


「燃やせ!!!」


 俺は声を割った。


 自分がおかしくなっているのは、わかっていた。だが、白熱する蛇の光を見るなり、そんな疑念は跡形もなく消え失せていった。

 俺は魔人にぶつかる寸前まで瞬き一つしなかった。きっと真っ赤な目をしていただろう。


「燃やせ! もっと!! もっとだ!!!」


 火は命に乗じて、天へ吸い込まれるように激しく伸びた。最早竜巻は炎に飲まれつつあった。火の粉は灼熱の渦中でいよいよ踊り騒ぎ、俺と、魔人と、竜巻の中のありとあらゆるものの影を、ギラギラとなまめかしく炙り出した。


 俺は頭を空っぽにして、蛇の輪が音も無く滑らかに解かれるのを待った。

 ほんの一瞬、我慢が要った。

 恐怖や怯え、色んな小うるさい感情が白熱した光に塗り潰されていく。


 ――――…………何も、見えない。


 魔人とぶつかる、そう感じた瞬間、ただ命じた。


「殺せ――――――――!!!」


 蛇は強く鋭く美しい太刀となり、魔人の額を一直線に断ち割った。

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