第30話 魔術師イリスと魔人クォグ。俺が魔法使いの弟子として勧誘されること。
巨人の肩には、メイド服風の衣装をまとった不健康なメイクの女が座っていた。女は冷ややかな眼差しで俺を見下ろしながら、高飛車に言った。
「むぅ。伝承の男とやらがどんなものかと思って、楽しみに来てみましたが」
女はおさげにした髪の片方をポンと勢いよく背に向かって掻き上げると、紫色の口紅がべったりと塗られた唇を開き、耳にざらりと残る甘ったるい調子で続けた。
「イリス的には、結構好みの顔をしていますね。ややナードっぽいけれど、黒い猫っ毛がとってもキュートです。――――怯えていると、もっとキュンキュンっ! きちゃいます!」
俺は全身に立った鳥肌を撫ぜた。この女はヤバい。今まで出会った奴の中で、色んな意味で一番ヤバい。女の眼差しを浴びた途端に、そう直感が告げた。
俺はフレイアを見やり、囁いた。
「何、あれ?」
フレイアは緊張で頬を引き攣らせ、小さく答えた。
「アルゼイアのイリス…………魔術師です」
フレイアは表情を強張らせたまま、ひっそりと言葉を継いだ。
「先に話したヴェルグの高名な弟子の一人です。厄介な相手に見つかりました。おそらく私の魔力をずっと追跡していたのでしょう。
…………気付けて幸運でした。あのまま時空移動に突入していたら、どう足掻いても…………」
俺は唾を飲み単刀直入に聞いた。
「強いの?」
フレイアは深紅の瞳を真っ直ぐに俺に向け、微かに唇を開かせた。
――――と、その時だった。
「ちょっとちょっとぉ!! 何、無視かましてイチャついてくれちゃってんですかー!?」
唐突に金切り声で喚き出した女は、両手を大きく宙に掲げたかと思うと、黒板を引っ掻くような不快な声で、短く詠唱した。
瞬く間に、空に無数の白い煌めきが灯る。
それを見たフレイアは声を割って叫んだ。
「伏せてください!!!」
俺は咄嗟にフレイアを覆って地面に突っ伏した。
「――――ッ!?」
驚くフレイアの顔を見る間もなく、煌めきは隕石の如く一挙に空から落ちてきた。
降り注ぐ流星の矢は地面に当たるなり、豪快な白煙をぶちまけて爆発した。
爆風に煽られた煙同士が衝突し、さらなる煌めきが生じる。
爆ぜた熱風が、辺り中に吹き荒ぶ。
俺は花火の真っ只中に巻き込まれた不幸な蟻の気分をとくと味わい、精一杯に身を丸めて攻撃が当たらないことを祈った。
周囲は煙に覆われて何も見えない。
身体中に伝わってくるびりびりとした衝撃(物理的なダメージというよりも、刺激性の薬品を散布されているかのような、化学的なダメージだった)に耐えながら、俺は本能的に、煙が目に入らぬよう強く瞼を閉じた。
そのためフレイアの様子はわからなかったが、俺は身体の小さな彼女がこれを浴びるのはまずいと思い、彼女を強く抱きしめた。
やがて辺りが静まり返り、俺はおそるおそる顔を上げて攻撃の止んだことを知った。フレイアは俺の下で、同様に気を張った面持ちで周囲を警戒していたが、その息遣いは彼女にしては、やや不自然な程に乱れていた。
「いきなりごめん。平気?」
俺は手短に尋ねつつ、彼女を離して身を起こした。フレイアは何かはっきりしない声でごにょごにょと答えていたが、真っ赤な頬を見る限り、ひとまずは元気そうだったので安心した。
それから上方を見ると、得体の知れない影がぼんやりとかかっていることに気付いた。影は次第に濃く、こちらへ近付いてくるように見える。
「!!! ――――やべっ!!!」
俺はすぐにフレイアの腕を引っ張って、後ろへ飛び込んで逃げた。
ドン――――――――!!!
大地震が大地に走る。俺とフレイアは着地と同時に、宙に跳ね上がった。
フレイアごと地面にスライディングした俺は大急ぎで体勢を立て直し、眼前に踏み込んできた巨人を睨んだ。
魔術師の女は細い眉をきつく吊り上げ、氷柱のごとき視線を俺たちにぶつけた。
「もぉー、次は本当に踏んじゃいますからねー!? イリス、昔イジめられていたから、無視とかされると本っっっ当にムカついちゃうんです!
それと、目の前でイチャつかれるのは、もっともっともーっと、腹が立ちます!」
「何を言ってるんだ、アイツ…………」
俺はフレイアを見やり、その時になってようやく自分が彼女の腕を掴んだままだったことに思い至った。
「あっ、悪い」
「いえ」
俺が手を離すと、フレイアはすぐに剣を抜いて火蛇を呼んだ。俺は刃先へ這い上っていく橙色の蛇たちを眺めながら、揺らめく橙色の炎に照らされたフレイアの上気した横顔を黙って見守っていた。彼女は下唇を少し噛んで目を伏せ、何かを振り切って集中しようと努力しているようだった。
「勇者くーん!!!」
女に呼ばれて、俺は彼女を見上げた。
「…………何?」
女は俺の反応を見ると、右目に嵌めたモノクル越しに黒い瞳をキラリと光らせて、話を続けた。
「はじめまして! なんとキミは霊体だったんですねー? さすがは大魔導師・琥珀様。良い抽出の仕方をします。一見、このイリスちゃんにもわかりませんでした!
良かったですね! 肉体があったら、今頃はゾンビも裸足で逃げ出すドロドロ君になっちゃってましたよぉ…………。まぁ何はともあれ、ドウズルの件ではお世話になりましたね!」
「…………。お前があの化け物をよこしたってことか?」
「そうでーす。勇者君にとっては結構、手強かったですよね?」
俺はフレイアの視線がちらとこちらに向くのを感じたが、気にかけず応じた。
「…………大したことなかったよ。それより、何であんなことをしたんだ?」
「一種の挨拶です。魔術師流では、主人が出迎える前に必ず弟子が挨拶に行くものなのです。お客様が礼に適う人物であれば、また次の弟子が相手をして、最後にようやく主人への謁見が許されるのです」
会話の途切れ目にフレイアがぽつりと囁いた。
「あの、コウ様。何があったのです? ドウズルとは?」
俺は気にしなくていいと首を振って伝え、また女魔術師へと目を向けた。フレイアと喋って相手を刺激するのは避けたかった。
女は作り声じみた喋りで、なおも語り続けた。
「それで、勇者君に挨拶するにあたってですねー、イリスはとある提案を用意してきました。聞いてくれますかぁー?」
彼女は毒々しい紫の唇を三日月型に歪め、俺の答えを待つことなく喋り通した。
「もし勇者君がこのお願いを聞いてくれたら、可愛ーいイリスちゃんと、この大きな大きなミスター・クォグはすぐにここから立ち去るつもりです。私が元々ご主人様から受けていた命令とは違う結果になりますけれど、そこは良い子のイリスちゃんがすることですからぁ…………」
「いいからはやく言えよ。どうせ拒否権なんかないんだろう?」
「んー、可愛くない子ですねぇー」
俺は苛立ちを隠さずに相手を睨んだ。フレイアはそんな俺を不安そうに見ていて、一方の女魔術師は、不敵かつ冷酷な笑みを浮かべ、眼下の俺を品定めしていた。
「では――――勇者君」
女は少しトーンを低めた。
「キミ、魔法使いの弟子になりませんか?」
「…………弟子、だって?」
俺は眉を顰め、どうにか一言続けた。
「なぜ?」
女は表情を崩すことなく話を紡いでいった。
「なぜも何もないですよぉ! 私たちの仲間になって、もっと魔術を深く学んでみませんか? という単純なお誘いです。
イリスちゃんの見たところ、勇者君にはちょっとした、だけど稀有な才能が有ります。そこのちっちゃな剣士ちゃんはさっぱり気付いていないみたいですが、これは一流の目利きである私やご主人様からすれば、実に勿体のないことなんです。
私は何も、個人的な趣味のためにキミを仲間に迎えたいと企んでいるわけじゃありません。キミは可愛いけれど、そこまでするほどタイプじゃないですから。ホントですよぅ?
私は、私たちの愛する故郷にして、サンライン唯一の希望の国であるオースタンのために提案をしています。知っていましたか? 勇者君のオースタンは、すでに勇者君の手の中にあるんですよ? …………ああ、やっぱり「ちっとも知らなかった」って顔をしていますね。
まっ、その話は今は置いておくとしても、さしあたってはサンラインでキミが暮らすために、魔術を系統立てて学んでおくのは、どう考えても悪くない選択だと思うのです。それも国一番の大魔導師から、国一番の環境でもって、「きちんとした」魔術を学ぶのは、とーっても素ン晴らしいことです!」
俺は捲し立てられた説明に理解が追い付かず、しばらくは呆然としていた。
オースタンというのは、俺の元いた世界のことらしいが、それが「俺の手の中にある」って?
それに、今あの女は「私たちの」愛する故郷とか言ったか? あいつは、オースタンの人間なのか?
っていうか、どう断る?
そうこう考えるうちに、それまで黙っていたフレイアがぽつりと呟いた。
「…………コウ様」
俺はフレイアの切羽詰まった調子につられて、ややぶっきらぼうに返事した。
「何だ?」
「ドウズルとは、何の武器で戦われたのですか?」
尋ねるフレイアの視線はあくまで女魔術師に向けられたままだった。俺は彼女に倣い、同じように相手を睨みつつ、なるべく小声で答えた。
「魔弾。ツーちゃんにもらった」
「では、扱い方はもうご存じなのですね?」
「一応は」
実際、完璧とは言い難いものの、ある程度であれば何とかできる自信はあった。というか、やるしかない。
俺はフレイアが、ツーちゃんがしたのと同様に、すぅと腕を上に伸ばして、切っ先でひらりと円を描くのを見た。ツーちゃんの時と違ったのは、浮かび上がった輪が二匹の火蛇でできていたことだった。
「あっ。何の真似ですかー、それ? 交渉決裂って感じですかー?」
女魔術師の、明らかに冷え込んだ声が頭上から降ってくる。
フレイアは剣を静かに下ろして、静かに蛇の輪を俺の周りに落とした。
「申し訳ありませんが、弾を放つことは出来ません。代わりに、触れる如何なるものも弾きます」
「あ…………ありがとう。でも」
「火蛇には、コウ様をお守りするよう言い含めました。必ず良く働いてくれると思います」
「でも君は? 君はどうやって」
「ご心配なく。――――奥の手があります」
フレイアは一瞬だけ俺の方を向くと、すぐにまた上を見据え、敵に言い放った。
「アルゼイアのイリス、並びに、冥海の魔人クォグ。フレイア・エレシィ・ツイードはあなた方を異端の者と見做し、これより「裁きの嵐」を招来します!!!」
イリスの顔が真っ青に染まったかと思った刹那、フレイアは祈るように剣を眼前に立てて目を瞑った。
「ちょっ…………正気ですか!? そんなことをしてっ、まさかあなた、自分が無事でいられるとでも思っているんですか!? 狂っているんですか!?」
恐慌状態に陥った女の悲鳴が響く下で、フレイアの剣の柄に付いていた銀の紋章が静かに青く光り始めた。やや白みがかったその蒼は、地鳴りのような低い音を伴って、徐々に鋭く輝きを増していった。全く味の感じられない、だが確実な魔力の圧を、俺は全身で感じ取っていた。
フレイアは燃えるように輝く目を見開き、俺を見つめた。
「コウ様。これから強い…………激しい裁きの風が吹きます。どうにか乗り切って、きっと琥珀様の元で会いましょう。気脈の表出である水路を辿れば、辿り着けるはずです」
俺が何か答えるより前に嵐はやって来た。
正確に言えば、竜巻みたいな様相の、凄まじい規模のつむじ風が畑の中央にいきなり発生した。風は一気に勢いをつけて渦巻いたかと思うと、真っ先にフレイアを上空へ吹き飛ばした。
「フレイア!!!」
俺は反射的に、フレイアに向かって手を伸ばした。だが届かなかった手は虚しく宙を掻き、あえなく突風に煽られた。
フレイアは飛び去る刹那、俺の顔を見て微かに微笑んだ。
風はぐんぐん力をつけ、あっという間に、俺の身体をも浮き上がらせる強さになった。
蛇らは俺の意思に関わらず勝手に高速回転して、竜巻に巻き込まれて飛んでくる木の枝だの農家の残骸だのから俺を守ってくれていた。
「――――クソッ!!!」
俺は悪態づきながら、風に巻かれ、宙へと吹き飛ばされていった。
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