第157話
地上に戻るころにはすでにノヴァは全て討滅されていた。というよりはデルタサイトが復旧して原形を留められなくなっていただけだろうが。
すでに台場の住民を解放しスファナルージュ兄妹を筆頭に復興作業に移っているようだ。
来た時に用いた装甲車両に乗り込んで水処理施設から立ち去る。
台場の被害は予想していたほどではなかった。ところどころノヴァによる破壊工作だと思われる半壊した施設はある。とは言ってもノヴァが襲撃したと考えれば、その規模は最小限に抑えられたと評価すべきだろう。
「任務遂行、ご苦労だった」
無線機から棗の労いが聞こえてくる。ハンドルを切りながら遂行できていないと端的に応じる。
「例のノヴァを逃したことか。確かに危険な存在を世に放ってしまったことに変わりはないが、君たちに与えた任務は、水底基地の動力源を遮断させることだった。君たちは見事それを成し遂げただろう」
「結果的に最悪の事態に陥ってしまったのよ。成し遂げたなんて言えないわ」
真那はライフルマガジンに弾丸を装填しながら単調にそ述べる。
声音に抑揚はなかったが、彼女の表情を見れば苦悩に苛まされていることは明白だ。
「それでもだ。君たちは俺の下した任務を完遂した。それによって生じた不始末は命令を下した俺の不始末でもある。ならばその不始末の処理は、上官である俺が受け持つのが道理という物だろう」
「ふむ……棗よ、お前は良識と責任感のある人間に育ったようだな。昔はことあるごとに他人に責任転嫁しては己の罪を否認していたが……」
「黙れ」
しみじみと昔の記憶に触れるように伊集院の追想が無線越しに聞こえてきた。
もともと敵対関係にあった(それもどちらもその総督的存在として)二人であるはずだが。彼らのその立場など長い年月を持って築かれてきた親子の絆を凌駕するに至らないようで。
感慨にふける伊集院と疎む棗。その互いの声にはどこか慈しみにも見た親しみが感じられる。
「とにかくだ、例のノヴァに関しては、今総力をもって捜索を始めている」
「見つけられるのですか?」
「例えデルタサイトの抑制をものともしないとしても、その性質は従来の物と同じはずだ。これまで用いてきた捜索用データを照合し、可能な限り広範囲をレーダーで索敵する」
「さりとて、もしあのナノマシンの接近を察知できたとしても、それに対処出来なければ何の意味もない。何かが起きてしまう前に対処法を考えなければならんな」
あのナノマシンに対して何か対処法などあるのだろうか。
触れただけで如何なる物質をも変質させてしまう強靭な性質。デルタサイトまで意味を成さないとあれば、本格的に八方塞と言えるだろう。
「不幸中の幸いと言ったところか、あのナノマシンも従来の個体と同様、防衛省が生み出したものだ。小賢しい連中のことだ。何も対策を講じずナノマシンを作ったということはないはずだ」
「つまり……防衛省を全面的に頼るしかないということか」
「情けない話だがな」
装甲車両のハンドルを握ったままフロントガラス越しに前方に聳えている奇怪な施設を伺う。
織寧重工に設立された台場海浜フロート。そのアトラクションの中でも一際目立っている物は、きらびやかで色彩豊かな光をともし回転している巨大な観覧車。
それを見れば電力が絶えず復旧していることは明白である。台場海浜フロートにはすでに戦車や大量のレジスタンスの姿がない。
「レジスタンスの皆はどこに向かったんだ」
「現場監督をしていたスファナルージュの二人には、住民の避難を優先して行ってもらっている。尤も、すでに大多数は避難所への収容が済んでいるようだが」
「避難所?」
「第三統合学園に臨時で住民を集めている。デルタサイトの動力源を独立化させたため、もうノヴァが現れる危険性はないだろうが。例の新型ナノマシンの件もある。一時的にでも住民の安全は俺達で確保する」
それはいい考えだろう。もう二度と再発などしてほしくはなかったノヴァの襲来。それに直面し、住民たちの心は疑心や恐怖と言った負の感情で支配されているはずだ。
少しでも防衛網で彼らを守備しその不安を取り除いてやる必要がある。その防衛網が余計彼らの疑心感をあおる結果にならないとは言い難いが。
「峨朗には洋上警戒を命じている。あのナノマシンは一時的に日本列島から離脱したが、いつ再来するかは予期しようがないからな。ソリッドグラフィにて情報局の者たちに監視はさせているが、肉眼による警戒態勢を取るに越したことはない」
「どれだけ人員を投与したとて度が過ぎた警戒にはならんからな」
棗の発言を捕捉する幸正の言葉。彼に対する疑念は絶えないが今回の一件に直接的な関与はしていないだろう。
「親父、それから東、酒匂、君たちには継続して、ソリッドグラフィによる監視を命ずる」
「はい、二十四時間体制で監視の目を置きます。索敵範囲はいかがしますか?」
自身に指示が下る事を事前に把握していたのか昴は迅速に応答した。
「洋上からの襲来には直前に感づいても意味はない。出来るだけ早急な察知を可能にできればいいが……」
「とは言え、あまり広範囲の索敵にばかり気を取られていてはリミテッド内部における注意がおろそかになりかねませんぞ」
酒匂の懸念はもっともだ。ソリッドグラフィはその索敵範囲を拡張・縮小することが出来る。だが複数存在するわけでは無いため同時に二つ以上の範囲監視は出来ない。
日本列島を中心として半径数百、数千キロという索敵体制を築こうものならリミテッドの状況など確認しようがなくなるわけだ。
しかし衛星を持たないレジスタンスにとって、広範囲索敵手段はソリッドグラフィのそれ以外にはない。
「仕方ない。ソリッドグラフィではリミテッドの警戒を強化しろ。洋上の索敵はソナーによる索敵を試みる」
「他力本願にはなりますが、防衛省も最大限の索敵体制を築いているでしょうからな。連中とて、制御の効かぬナノマシンの侵入を何もせずに許すことはありますまい」
「不安要素は幾ばくか残りますが……こればかりは致し方ないですね」
昴を筆頭とした皆が神妙な面持ちをしているのが無線越しに分かるようだ。
敵である防衛省の警戒態勢に期待をするのはお門違いかもしれないが、もはや選択の余地はないのである。
レジスタンスは防衛省の殲滅対象であることには変わらないのだ。外にばかり気を捕られ、その隙をついて壊滅でもさせられれば元も子もない。
「僕たちはどこに向かえばよろしいでしょうか」
「風間、君たちは台場公園に戻ってくれ。他の隊員も集結しているはずだ」
「この状況ですから……纏まって行動をしていた方がよいでしょうしね」
目的地を定められハンドルを大きく傾ける。進行方向を切りかえ台場公園への道のりを辿る。
数分で車両は台場公園へと繋がる桟橋へと到着した。前日は電力供給遮断の問題で止まっていたモノレールが今は静かに稼動している。
それを経由して台場公園に渡る必要性は無い。車両のアクセルを踏み込みキャンパスのあるフロートにまで進行する。
「スファナルージュ・コーポレーションの関係者は、指定した区画の整備に着手してください」
校門とキャンパスの境、広大なアスファルトには数百という人間が屯している。
そんな中、ひときわ目立つブロンド髪を忙しなく振り乱して指示を出している少女の姿があった。棗に避難監督を命ずられたシエナである。
「貴様等、私語は慎め。シエナ様の監督場を乱すな」
そんな彼女の脇では武装したルーナスが不遜な態度で駄弁っていた学生に叱責を飛ばす。
学生の数だけでも二、三百名以上あり、それらが台場海浜フロートに出向いてここまでシエナたちの指示に従い避難してきた者たちであることが解る。
非を諌められた男子学生たちは不服そうな顔で苦言を吐くものの、ルーナスはそれに関しては特別咎めるようなことはしない。現場の監督を担う者として、そう言った些末な礼儀の欠如には介入しない姿勢なのだろう。
普段の時雨に対する執拗なまでの嫌がらせを鑑みれば、そこはかとなく違和感が残ってしまうが。
「社長、C-2ブロックですが、どうにも駆動機関が損壊してしまっています。数日以内の復旧は難しいかと」
「食品加工プラントですね。担当食糧は何だったでしょうか」
レーションになりますと義務的口調で返答をするのはおそらくスファナルージュ社の社員だろう。
失念していたが、シエナはレジスタンスの構成員でありながら大企業の社長であるのだ。こうして社長と呼ばれ、電子ホログラム端末を操作し状況管理する姿を見れば、疑う余地のない事実であったが。
「台場へ最低限供給が行われなくなるのは些か難題ではありますが……仕方ありません。工場が復旧するまでは、果実の類は全てC.C.Rion向上に回してください」
「了解しました」
避難民の監督だけでなく台場のスファナルージュ・コーポレーションの今後の対応に関しても、迅速な行動に転じているらしい。
台場の機能の一部停止はすなわちリミテッドの中枢機関が停止していることと同義だ。
それもスファナルージュ・コーポレーションの工場はいくつも配置されている台場であるわけで、それらの機能が不全に陥れば住民の食生活すら危ぶまれる。
「それでは葦名様、現場の管理は一任します」
「はっ」
「それでは、住民の皆様、私たちが指定する居住区画に移動してください」
コーポレーション関係者と思しき人物に監督を任せたようだ。シエナは待機していた一般市民たちに勧告を示す。
それに同調するようにルーナスは電子名簿らしきものに目を通しながら指示を出す。
「学園の学生の中で学生寮での居住権を有している者は、自分の部屋に戻って構わない。台場外からの通学をしている者は、これより担当者が台場の外への誘導を始める。その指示に従い遅延なく行動に移せ」
「台場の住民のほとんどは学園の学生、もしくはスファナルージュ・コーポレーションの社員であるはずですが。中にはそれ以外の一般市民もいるかと思います。その方々には安全面確保のため、一時的に私たちが配給する仮設住宅での居住をお願いすることになります」
シエナのその指示に苦言を漏らす住民は殆どいなかった。というのも台場はリミテッド有数の工業地帯であり住民は殆どいないからである。
ここに集まっている大多数が学生であり、本島から来ていた一般市民はそのほとんどが別の場所に退避している。シエナはレジスタンススタッフに学生たちの誘導を指示する。
この場に集まっている学生の数は想像以上に多かった。今回の騒動で幾ばくかの被害が出てしまったのかと思っていたが、目に余るほどの人的被害があったようにも思えない。
「ふぅ……」
学生たちが誘導に従って分散していく中、シエナは張りつめていたものを吐き出すようにゆっくりと息をついていた。
「お疲れなのだ」
凍えるほどの気温のせいか彼女の吐息は白く氷結し、そんな疲労感を感じさせる面貌をみて気遣ったのだろう。
時雨の脇からてこてこと歩みだした凛音はそんなシエナの頬を小さな手のひらで包み込む。
「あら……ふふっ、温かいですね。凛音様の御手は」
「ショーヨーがいうことには、リオンはセルフホッカイロらしいのだ」
「ふふっ、和馬様らしいですね。確かに凛音様はとても温かいです」
「ぬくぬくなのか?」
「ぬくぬくです」
シエナは優しげに微笑み返し凛音の手のひらをその手で包み返す。彼女はそのまま前傾姿勢になっていた上体を起こし、そうして時雨たちに目の焦点を合わせる。
「時雨様方もお疲れ様です」
「シエナたちもな」
「いえ、私たちはあくまでも誘導を任されていただけですから」
シエナは気品のある佇まいで軽くその頭を垂れさせると、目線でルーナスに何かしらの指示を出す。彼女が何を指示したのか判別しかねたがルーナスには伝わったようだ。彼は小さく首肯して応じ踵を返す。
彼は学生たちの誘導のために使ったと思われる輸送車両のコンボイに接近し、その先頭車両に乗り込んだ。そうしてエンジンを稼働させ車両を近くの場所まで移動させてくる。
「今回の出来事に関して、色々と積もる話もありますが……まずは温かい場所へと向かいましょう」
確かにこんな体の芯まで冷え込むような寒空の下、立ち話するのは得策ではない。すぐ脇の泉澄は赤く悴んだ手のひらに息を吹きかけていた。
ルーナスが運転する車両に乗り込む。どこに向かうのかと勘繰ったが何かしらの候補が浮上するよりも前に車両は停止する。
車窓の外には学生寮が佇んでいた。誘導された学生たちが列になって内部に入っていく途中であるようで。
「温かい場所って」
「時雨様の御部屋ですのよ」
「俺の部屋は談話室じゃないんだがな」
とはいえ別に見られて困るものがあるわけでもない。以前学園に潜入していた際も何故かこの部屋が会合の場になっていた。いまさら咎めるのもお門違いという物だろう。
学生たちの合間を縫って自室にまで到着すると扉を開く。客人を数人招き入れるくらいならば大した手間にすらならないだろう。と思ったのもつかの間、すでに玄関の敷石に数人分もの靴が並べられていることに気が付く。
「あ……おかえりなさいなのです」
ドアが開く音が聞こえたのかクレアがいそいそと奥から姿を見せる。暖房の効いている室内には彼女以外の人間の気配があった。
もしやと思いつつ内部に足を踏み入れると、案の定と言ったところか見知った数名の顔触れが待機していた。
「うっす、お疲れさん」
いち早くこちらの存在に気が付いた和馬が労いの声を掛けてくる。その彼の奥には、こちらに目をくれることもなく狙撃銃の整備をしている唯奈の姿がある。部屋の主の帰還であるというのに随分と唯我独尊なお出迎えだ。
「センパ~イ、遅かったじゃないですかぁ。遅すぎてあたしクレアセンパイに沢山給仕させちゃったんですからね。ジャパニーズティー全種を制覇しちゃったんですよ」
そんな唯奈とは対照的にマグカップを手に持った月瑠はやけに親近的に絡んでくる。
ジャパニーズティーと言いつつも、彼女の脇にはドリップコーヒーの残骸が山積みになっていた。どうやら味覚ですら日本という物をはき違えているようだ。
「流石にこの人数じゃ狭すぎる気がするが」
相次ぐように入室してきた泉澄も息の詰まるような表情を見せていた。
真那に関しては特に気にしている様子もなく、時雨の脇を通過し窓際にまで歩み寄る。そうしてその場に腰を下ろした。
最後に入室してきたシエナとルーナス。そのうち高慢な兄の方は惜しげも無く不快顔を浮かべている。
「このような庶民感漂う窮屈な部屋にシエナ様を招き入れるなど……烏川時雨、無礼だぞ」
「私たちが勝手に上がり込んだのですよ」
「それならばそれで、シエナ様を迎えるべく部屋の清掃作業は欠かさないことが常識です。このようなホコリくさい部屋など……シエナ様の御召し物に菌が移りかねません」
「もぅ……やめてください」
相変わらず妹に関することではことごとく潔癖症になる兄に、シエナは呆れたように叱責を浴びせた。
「しかし……」
「しかしも何もありません。そこまで嫌というのならば、お兄様だけ外に待機していてもらってもいいのですよ」
ルーナスはシエナに窘められ、悪戯の現場を発見された犬のような顔をする。追い出されるわけにはいかなかったようで彼はその口を堅く噤んだ。
「さて時雨様、突然お部屋にお邪魔して申し訳ありません」
「一緒に入ってきたわけだし、咎める理由もない」
すでに問答無用で入室していたならず者が三名ほどいるようであるし。
「急遽皆様が集まれる場所を取り繕おうかと考えたのですが、クレア様は極力外出してはいけないと指示をされていたようでしたので……不躾とは思いつつも、この部屋における会合を独断で決めさせていただきました」
「ああ……そう言うことか」
確かにクレアは幸正によって外出を禁じられている。この間は彼に対する反抗意識から場の流れで外出させたが今回はそうもいかない。
今回の騒動で、確実に防衛省の監視の目が台場に張り巡らされることだろう。これまで以上に迂闊な行動を慎まなければならなくなった。
「ここに腰を落ち着かせてもよろしいですか?」
「床なんかに座らなくても楽な場所に座ってくれていい」
「ではこちらに失礼いたします」
床に直接腰を下ろそうとしたシエナを慌てて止めると、彼女は唯奈が座っているベッドに掛ける。
何故かルーナスが満足そうにその光景を眺めているのを見て、それが時雨のベッドであることは黙秘しておく。もしそんなことを指摘すれば、ルーナスに陰湿な悪戯をされることは間違いがない。
「じゃあ、そろそろ本題に入るべきじゃない?」
凛音とクレアが奥のベッドに座り、泉澄がクレアの代わりに給仕を始めるのを確認してか、唯奈はライフルを整備していた手を止めた。
「そうだな。片づけるべき課題は山積みだ。さっさと会合始めた方がいいだろうよ」
「それもそうですね。では僭越ながら私の方から今回の災害に伴う被害に関して伝達させていただきます」
「人的被害は最小限にまで抑えられたんだよな」
「はい。それがレジスタンスの行動において、最も称賛されるべき結果と言えるでしょう。現状確認できている限り、住民の死傷者は一桁台でした」
あれだけのノヴァ騒動が起きたというのに、それだけの被害に抑えられたという事実。それはレジスタンスの対応が迅速な物だったからだと言えるだろう。
「ただ、それはあくまでも一般市民の話であり……レジスタンススタッフの中からは、十数人規模の犠牲が生まれてしまいました」
「こればっかりはどうしようもねえわな。完全にノヴァに包囲されてた。むしろその被害で済んでよかったと思えるくらいにな」
「ごめんなさい。私たちがもっと早く電力の供給を復旧させられていたら……」
真那に非はない。しかし結果的にウロボロスを野に放つことになったわけで。したらば早急にNNインダクタの機能を停止させるべきだった。そうすればそこまで人的被害を出さずに済んだかもしれないからだ。
「んにゃ、お前らは十分活躍したと思うぜ。なんつっても敵の基地に突入したわけだしな。今はお前ら全員が生還したことを喜ぶべきじゃねえか?」
どうやらその言葉は気休めや気遣いから出てきたものではないらしい。何にせよ、過ぎたことはもはや悔やんでも白紙にすることなどできない。
「そうね、アンタたちは最善を尽くした。アンタたちが謝ることじゃない。労われることがあっても咎められることはないでしょ」
「それよりも問題なのは例のノヴァだ」
「……ごめんなさいなのだ」
話題の転換と同時に凛音がその耳を萎れさせながら謝罪をする。
「どうしてアンタが謝ってるのよ」
「リオンが悪いのだ。シグレが止めたのに、ショードーに身を任せてボタンを押してしまったのだ」
「バカね。さっきも言ったでしょ。結果的にアンタが電力を復旧させてくれたおかげで、これだけの被害に抑えることが出来たのよ。新たな脅威が顕れたとしても、そんなのは関係ない。アンタは状況を改善すべく動いた。それでいいじゃない」
「だが他に方法があったかもしれぬのだ」
「はぁ……普段はあんなに能天気なのに、どうしてこういう時に限ってそんなに責任感じてんのよ」
唯奈はため息を一つベッドに乗りあがる。そうして凛音の腰かけるもう一つの寝台に身を任せると、凛音の額をこつんと小突いた。
「……?」
「皇棗の言葉を使えば、あれよ。面倒事は全部管理者に押し付ければいいのよ」
「ナツメのことなのか?」
「そう。私たちは所詮兵士に過ぎないんだから。任務によって生じた副次的な都合の悪い結果なんて、見て見ぬ振りすりゃいいのよ。全部皇棗に押し付けてしまえばいい。どうせ上が解決してくれるんだし」
それはどうかと思うが、今の凛音にはそれくらい利己的なアドバイスの方が効果的かもしれない。
どうにも今の凛音には普段の快活さが微塵にも感じられない。
「つっても、そう楽観視してもいられない状況ではある」
「はい。件のノヴァに関する情報がほとんど取得できていないため、憶測でしか物を語れませんが……どうやらデルタサイトの効果が意味を成さないとか」
口元に手の甲を押し当て思案するシエナに頷いて応じる。ネイの観測ではそう言うことになっている。
「他に、何かしらの情報を得られてはいないのか?」
ルーナスのその問いは水底基地への潜入時における情報の調達ということだろう。
「ネイ、サイバーダクトした時に何か解らなかったのか?」
「忘れているようですが、サイバーダクトは失敗に終わったではありませんか」
そう言えばそうであった。LOTUSの非常対処プログラムによって、アクセスを遮断せざるを得ない状況に陥れられたのだ。
あの状況下では、あのナノマシンに関する情報を取得する以前にアクセスそのものすらできなくても仕方はあるまい。
「そう言えば……局員の誰かが、ウロボロスと呼んでいなかったかしら」
「そう言えばそんな言葉聞いたような気がするな」
ナノマシンが管制室内部に雪崩れ込んできたとき、騒音を聞きつけ駆けつけてきた自衛隊員がそんな言葉を発していた。
「ウロボロス――――己の尾を噛んで環となったヘビ、竜の意」
「一般的には『死と再生』『不老不死』の象徴とされる空想の産物ですね」
ネイの見識にシエナが補足を加える。
「いかにもあの生え際チャイニーズ男が付けそうな痛々しいネーミングね」
「同感っす。アダムセンパイ、これはあたしもちょっと引きますよ」
誰も一成が命名したなどとは言っていないはずだが。
まあLOTUSをイヴと呼んだりマシンにメシアなどという名称をつけたりする男である。一概にも風評被害だとは言い切れない。
「それではウロボロスという物が例のナノマシンであると仮定して話を進めましょう」
シエナは咳払いをして場の空気を一変させる。
「まず時雨様方が潜入した水底基地に関してですが、その基地の役割は一体なんだったのでしょうか」
「あのウロボロスというナノマシンをこちら側の世界に顕現させるための研究をしていたと考えるのが筋かしら」
「聞いた話じゃ、巨大なNNインダクタでナノマシンを生成する空間を生み出してたんだろ?」
デバックフィールドのことだろう。
「和馬様の仰る通りです。ただ研究員の口ぶりから察するに、あの制御室のNNインダクタは、おそらくデバックフィールドを生み出していたのではありません。デバックフィールドに繋がるゲートを開いていただけのように思えます」
「つまりデバックフィールドと言う空間は、NNインダクタによる顕現などがなくとも存在し続けているということでしょうか」
皆の分のコーヒーを淹れ終えたのかトレイを手に泉澄がやってくる。話は聞いていたのか彼女は訝しげに会話に介入してきた。
「それに関しましては何とも申し上げにくいですね。憶測で語らせていただけるのならば……おそらくは是でしょう」
「なんつうか実感が湧かねえな。ナノマシンを生成する世界ねえ」
肩をすくめる和馬の思考は手に取るようにわかる。自分たちの生活する世界とは別の世界が存在するなどと。それも人工物であるはずのナノマシンが生成される世界だ。
「私たちの認識する世界という概念とは、全く異質な空間である可能性もあります。物理的な容積の存在する空間ではなく、ナノマシンの生成という概念のみ存在しているという可能性。もはや次元すら超越している感覚ですね」
「日本語でおk」
「つまり自称アダムの変人トリニティは、この三次元の現実に見切りをつけたのです。ジャパニメーションなどでしかお目に掛かれない二次元の世界に、その妄想の世界に身を投じたということですね」
どう考えても違う。
「なんすかそれ超ジノヴァシーなんですけどっ。あたしもジャパニメーションの世界に浸りたいですっ」
「その手段は至って簡単です。まずはこの腐れ切った現実を見限ることから始めましょう。この統制化された社会に、個人にとことん厳しい現実に踏ん切りをつけるのです。そして創作者の願望と妄想のみが詰まった二次元という世界に没頭する。普段からその二次元のことばかり考えていれば、そのうち実在しないものが視界に映り始めるはずです。現実の醜悪な要素を一切持たない、純朴かつ従順な美少女の姿が。あとは独り言をぶつぶつ呟いたり、とりあえず自分は不幸であるだとか自分は普通すぎる性格だとか、そういう設定を盛り込んでいればそのうち二次元の住民になれますよ」
「なるほど……それは興味深いっす。今度実践してみます」
「真面目に受け止めるな」
もしそんな人間になってしまえば確実に不審者扱いされる。
「話が脱線してる」
「……悪い」
「話を戻させていただきますね」
唯奈に白い目で睨まれカエルのように萎縮した。苦笑するシエナは再度咳払いをして場の空気を一変させる。
「水底基地の運営理由はデバックフィールドの展開に関する研究のため。台場の停電現象の原因は、そのNNインダクタの放電現象を抑えるために、大量の電力が用いられていたからと考えるのが筋でしょう」
「そうですね。デバックフィールドの展開にはおそらく膨大な電力を有したはずです。あのNNインダクタがどうやってそれだけの電力を発電していたのかは解りかねますが。確かなことは、防衛省もそのデバックフィールドとの境に境界線を敷いていたということ」
要約するに防衛省もウロボロスの顕現は望んでいなかったというわけだ。
「先日の度重なる停電現象もデバックフィールドによる副次的被害であると考えるべきでしょうか。以前は僅か数十秒程度で電力の供給は復旧していたので、電力制御に伴う誤作動のようなものでも生じていたのでしょうね」
「水底基地の稼働に関して不可解な点がいくつかある。一つ、防衛省は何故デルタサイトの機能が不全に陥ると解っていながら、あのような暴挙に及んだのか。一つ、何故防衛省は自分たちですら制御の効かないナノマシンの開発に着手したのか」
ルーナスのその疑問は現在進行形で直面している最大の疑問点である。
防衛省はこれまでノヴァという絶対的強者を従え、この世界の支配者として君臨してきた。事実、海外諸国は日本の防衛省の力を借りなければ国家存続すら危うい立場に立たされてきたわけだ。
デルタサイトの技術の解析が成功していない以上、彼らにはナノマシンに対抗する手段がない。そう言った情勢もあって防衛省は海外諸国による強襲などを受けることなどなく、近視眼的ではあるが仮初の安寧を築いていたのだ。
「自分たちの築いてきた安寧を壊してまで、一体何をしようと考えてるんだろうな……」
「それは違うわね」
ひとりごつ時雨に唯奈は間を空けずに否定の意を示す。
「あくまでもその安寧は伊集院純一郎率いる保守派閥の指針に過ぎない。その状況を変えるべく、佐伯・J・ロバートソンや生え際チャイニーズ男は謀反を起こした」
「唯奈の言うとおりね。山本一成たちは、従来の安寧に本当の意味での平穏は存在しえないと考えた……だから、これまででは考えられないような行為に及んだのではないかしら」
リバティ日報という広報で一成は全世界にラグノス計画の何たるかを表明した。
世界にはびこり蝕むノヴァという存在が自分たちの研究の産物であると。自分たちが世界を恐慌に陥れ、事実上の恐怖政権を築き上げたのだと公言した。
「これまで海外諸国は一切日本に軍事的な干渉はしてこなかった。勿論、ノヴァと防衛省の関連性に疑心は抱きつつも。でも、それはきっとそう長くはもたない均衡状態だったんじゃないかしら」
「海外諸国が今後もこれまでのように大人しく辞を低くし続けてくれることはないと考えたということでしょうか」
「そう言うこと。まあ、その根拠はないけどね」
「……そう言えば以前それに関する会合があったような気がします」
予想外の所から解答の兆しが見える。泉澄が入れたコーヒーに砂糖をどばどば投入していた月瑠は、何かを思い出すように口元に手を据えていた。
「何かを知っているの?」
「エンプロイヤーがアダムセンパイたちに裏切られる前なんですけど、一度、防衛省の在り方に関して意見が割れたことがあるんですよ」
それは今議題に上がっていた、防衛省が自分たちの世界情勢への影響力を自ら改変していったことに関してだろうか。
「エンプロイヤーはまあ、これまでの立場を貫こうとしていたんですけど、薫センパイとかアダムセンパイとかあと他の数人が、このままではいずれ海外諸国に牙を剝かれる、みたいな対抗意見を出していてですね」
「均衡を海外諸国の方から崩してくる危惧は、やはりあったということですか」
「多分そんな感じだったような無かったような……」
「要領を得ませんねぇ」
つかみどころのない月瑠の返答に呆れたようにネイが呟く。
「しかしまあ、おおよその会合内容は掴めました」
「すごいなおい」
「佐伯・J・ロバートソンなどが危惧していることなど、一つしか思い当りませんからね。おそらく彼らが懸案していたのは、海外諸国がデルタサイトに変わるノヴァ対策兵器を開発してしまうことでしょう」
日本は今や海外諸国にも匹敵しうる軍事力を養えている。がそれはあくまでも日本が憲法九条を放棄したが故。
戦力の不保持という束縛に身を拘束されていた間は、まともな軍事開発など出来ようもなかった。
「つまり、デルタサイトやナノマシンを開発していた当初のころの日本の技術自体は、海外諸国に引けを取る程度の物であったということですか」
「ええ。それ故に、デルタサイトの研究を海外諸国が行えば、おのずとその構造も解析されていくことでしょう。実際に解析されてしまう前に、防衛省は動き出す必要があった」
自分たちがノヴァの創造主であると公開していない時であっても、日本に対して諸国は疑心の目はむけていた。
各国が対処しきれなかったノヴァという存在にいち早く対応した日本。それだけでなく核兵器対策として公言しつつも、明らかにノヴァの侵入を防ぐための物であるイモーバブルゲート。
ノヴァが世界を恐慌に陥れる以前から、この状況を予期していたようにしか思えないだろう。だからこそ海外諸国の中から時雨たち革命軍に助力を申しだてる者たちが続出したのだ。
「他諸国と対等の軍事力を有したとはいえ、諸国の大多数はリミテッドなど一撃で屠れるほどの核兵器を有しています。それを一斉に日本に落とされれば、なすすべもなくリミテッドは壊滅するでしょう」
そのために新たな政策を考案した。その結果生み出されたものがウロボロスと考えるのが妥当か。
「しかしかと言っても、自分たちですら制御の効かないナノマシンを生み出す理由は何ですか?」
「これはあくまでも憶測の域を逸脱しえませんが……佐伯・J・ロバートソンたちの目的は、事実上のナノマシンによる世界統一なのではないでしょうか」
「つってもよ、それはこれまでと何も変わらねえだろ?」
「いえ、変わっています。ここにおいて重要であるのは、ナノマシンの世界統一に一切防衛省の手が加わらないということです」
ネイの発言の真意はなかなか読み取れない。
ウロボロスの開発には当然防衛省が関わっているはずだ。それだのに彼らの手が加わらないというのはいかなる了見か。
「開発に関する話ではありませんよ、時雨様、あくまでも世界統制の話です」
考えていることを表情から読み取ったのだろう。
「おそらく彼らはこう考えたのです。海外諸国に反旗の機会を与えず、完全なる恐怖政権を築くためには、情緒という概念は存在してはならない、と」
「情緒……人間の感情の介入する余地はない、ということか」
「ええ。彼らとて人間ですからね。非人道的な残虐行為に及ぶとき、少なからず罪悪感と躊躇心が生まれます。まあ佐伯・J・ロバートソンや山本一成に限って、大量虐殺に対して二の足を踏むとも思えませんが。何であれ、その罪悪はおのずと恐怖心に変わってしまうものです」
世界恐慌による恐怖政権には無数の罪なき命を奪うという手段が必須だ。
まともな情緒を有している人間ならば、その決断を下せば確実に狂うことだろう。自分の決断によって無数の民の命を奪うのだから。
「それ故に、情緒は不要の産物ということですか」
「はい。人間の躊躇心が残されているうちは本当の意味で殺戮劇などなしえない。それ故に佐伯・J・ロバートソンは、人間の最も弱く人間らしい要素である情緒が一歳介入しない……そんなナノマシンを開発した」
それがウロボロス。ネイはそう付け加えると腕を組み何かを考える仕草を取る。
「でも人間の手が加わららず世界統一を成せるナノマシンというのはいったい……」
「それに関しては分かりかねますね」
どうやら結論には達していない状態で憶測を語っていたらしい。結論が出ていないからこそ彼女は憶測であると前置きをしたのだろうが。
「……憶測に憶測を重ねるようですが」
皆が熟考にふけるなか沈黙を破ったのはシエナであった。彼女は何かを思い返すように、その顔に漠然とした疑念を張り付けている。
「現状イモーバブルゲートは機能していません。それはこれまでの度重なる事件によって判明したことです」
「デルタサイトの存在理由がその事実を物語っている」
「はいお兄様の言う通りです。まずこの状況を改めて振り返ってみるとですが……そもそも何故イモーバブルゲートは機能していないのでしょうか」
「どういうことだ?」
「高周波レーザーウォール自体は確かに物質的な干渉を妨げます。それは本来ナノマシンの侵入を防ぐための物であったはずであるのに、実際、
レーザーウォールはナノマシンを通過させています。防衛省はナノマシンを世に放つにあたって万全の管理体制を築いていたはずです。それなのにこうして不祥事に発展しているのは何故でしょうか」
「高周波レーザーウォールの機能をはき違えていたんじゃねえのか?」
「ばかね。相手は天下の防衛省よ。ナノマシンを開発するだけの技術があるのに、そんな初歩的なミスをするわけがないでしょ」
唯奈の言うとおりだろう。ナノマシンを世にはなった時点でリミテッドが陥落されてはラグノス計画も水の泡である。
それどころか人類種の滅亡まで見えてくる。そんな最低限の注意を防衛省が怠るはずがない。
「つまり予測できぬ何かしらの要因があって、高周波レーザーウォールが機能しなくなったものと考えられます」
「要因ですか?」
「具体的な憶測ではないので要因の正体には辿り着けていませんが……ただ気になることは先日のロケット打ち上げに関してです。SLモジュラー打ち上げの目的は、ナノマシンに信号を発信するべく人工衛星ノアズ・アークに接触させることでした。ここにおいて気になることは、そもそもとしてナノマシンへの命令は常に取れる体制にあるのではなかったのか、という疑問ですね」
それは気になっていたことである。防衛省が自在にナノマシンを操れるのならば、そもそもわざわざロケットの打ち上げなどする理由がないのだ。
それだのに人工衛星に信号を送るべくあのような手間をかけた理由。それは常時ナノマシンの制御を行えているわけでは無いということ。何かしらの命令を下す場合はああして信号の送信をしなければならないということ。
「なおこのことに関しては伊集院様も不可解であるようです。ナノマシン開発に携わったわけでは無いため詳しいことは分からない、と仰っていました」
「元省長のくせに使えないな……」
「エンプロイヤーのことを悪く言う人はあたしが許しませんよ」
「話が脱線するからその辺でな」
月瑠が介入してくれば確実に話の脱線が見えてくる。そのため彼女の反発精神に火が付く前に和馬と月瑠の会話に割って入った。
「何であれです。この状況から推論できることは、防衛省は現状ナノマシンの制御を本来あるべき状態に保てていないということ」
「番犬の手綱が機能していないようなものですね。本来自身の牙城を防衛すべきである番犬が、その鎖を食い千切り飼い主の手を噛み潰す……そう言う状況でしょうか」
「この外囲に関して言えば、その手綱は番犬によって噛み切られたのだとは言い切れません。第三者の介入によって鎖が解かれたと考えるべきではないでしょうか」
この議題における番犬というのはウロボロスのことではなくナノマシン全体のことを示すのであろう。
防衛省はナノマシンがリミテッドに雪崩れ込むような事態は防いでいる。それは彼らがナノマシンの統制を取れている故ではない。補助策としてリミテッド全域にデルタサイトを設置しているからだ。
つまり防衛省は事実上ナノマシンを制御できていないということになる。
「そしてイモーバブルゲートの機能不全。この二つの不祥事が全くの無関係であるとは考えにくいです」
「共通点があるとすれば……ナノマシンの機能に関わること?」
「いかにも」
彼女は酷く神妙な面持ちのまま泥濘を歩くような重さで言う。
「ふむ……イモーバブルゲートの管理に関してですが全く心当たりがないわけでは無いですね」
「何か解るのですか?」
「確信はありませんが、イモーバブルゲートの防衛機能その他を管轄している正体には、おおよその推測が出来ます」
「正体って……誰のことだ?」
「誰ではありません。正確には何が正しいですね」
意味深なネイの言葉は相も変わらず遠回しだ。その言葉の意味に目算をつけられた人物もいるようで。
「LOTUS……」
真那は酷く凝り固まった思慮顔で口籠る。
「そう言えば、レッドシェルターの防衛システムを管轄しているのはあのAIだったな」
「水底基地でも遭遇したことから解ると思いますが、レッドシェルターではなくリミテッドの防衛システムですね」
言われてみればことあるごとにあのAIに遭遇している気がする。
台場の水底基地は勿論、デルタボルトや帝城のセキュリティ全般、その他防衛省の管轄する要素には大抵LOTUSが絡んでいた。
「唯奈様を救出すべく、時雨様がレッドシェルターに単独潜入した時のことを思い返してください。監獄の巡回兵をおびき出すべく私は帝城の情報統合室にてレッドシェルターの高周波レーザーウォールに手を加えました。その時LOTUSがでしゃばってきたことは覚えていますね?」
「ああ、そうだったな」
「あのことから考えて、高周波レーザーウォールの機能を管理しているのもLOTUSと考えていいでしょう。イモーバブルゲートに関しても同様です。あれは鉄壁という物理障壁の上に高周波レーザーウォールを展開しているだけですから。イモーバブルゲートもLOTUSが管理しているのではないでしょうか」
「つまり……そのLOTUSに不備があるっていうこと?」
「その可能性もあるというだけの話ですが」
つまりはナノマシン自体に問題があるわけでは無いということか。
そう考えると件のSLモジュラーの件に関してもLOTUSが関わってくることになる。つまり、
「LOTUSがナノマシンの統制を行っているということなのか」
「時雨様はLOTUSというAIに関して、どういう認識をしていますか?」
「どうって……リミテッドのセキュリティを機能させるために不可欠な物だろ」
「勿論それも認識として誤ってはいませんが、とはいえセキュリティ自体は何も人工知能に委任する必要はないはずなのです」
「人間の管理より、スペックの高いAIの方が信用できるからじゃねえのか? 人間の監視体制じゃ、限界があるだろうしよ」
「確かにそれも正しい着眼点ではありますね。ですが現にこうして現状、LOTUSには不備が見つかっている」
重箱の隅をつつくような懸案ではあるが、ネイの言いたいことも解らなくはない。
どれだけLOTUSが優れたAIだと言っても所詮それは人工物だ。したらばそれを生み出した人間の感性に勝るはずはない。
確実なのは、プログラムされた人工知能による監視を築くことではなく、臨機応変に不祥事に対処しうる応用性なのだ。
「LOTUSというAIにしかできないことがあるということ?」
「あくまでも可能性の域を出ませんがね。しかし思い出してください時雨様。レッドシェルターに潜入した時見たはずです。帝城の中心部を貫く形で設置されていたあの巨大な支柱を」
「……山本一成はあれをロータスの心臓って呼んでたな」
「はい。そう考えるに、帝城そのものがLOTUSを稼働させるための媒体になっているように考えられます」
「つまりはあれか、帝城自体がどでかい知能を持っているということか」
「帝城というよりはリミテッドがと言った方が的確でしょう。LOTUSは、ただの人工知能には留まらない特別な役割を有している。リミテッドの統率のために必要な要素として」
一成がイヴと呼び親近的な態度を見せていたのもうなずける。
彼の変質的な行動は理解しがたいが、彼がおかしな名称をつける対象は決まって大きく防衛省の活動に関わるものである。メシア然り。ウロボロス然り。
「結局LOTUSがナノマシンの制御をしているとして、でも現状それはまともに機能していないわ」
「真那様の言うとおりです。それ故の不備なのです」
「しかし具体的に不備という物はいかなるものなのでしょうか」
「そればかりは何とも断言しかねますが……今解っていることから考察するに、おそらくはナノマシンに対して信号を送信する機能の欠落ではないでしょうか」
防衛省がナノマシンを操るために介している手段はノアズ・アークだ。地球を観測する配置で、親機一基と子機七基にて常に地球を囲っている人工衛星。
本来その人工衛星に信号を飛ばすための機構がLOTUSにはあった。そうでもなければ、ナノマシンによる世界統一には様々な問題が付きまとうからだ。
万全を期したはずの防衛省だが、事ここに至ってその肝心なナノマシンへ命令を送信するための機関が欠落していた。
「デルタサイトを用いてはいますが、事実上リミテッドへのナノマシンの侵攻は防いでいる。この前提からして制御機構自体は生きているようですが……」
「自在には操れてないと言う状態でしょうね」
「なるほど。しかし何が原因でその機能が失われてしまったのでしょうか」
「さぁそれに関しては何とも」
ネイは肩をすくめ歯切れの悪い言い方をする。何となくネイが嘘をついているような気がした。彼女は何かを押し隠そうとするときどこかおどけたような顔をする。
それについて言及などしない。彼女が何かを隠していることは彼女の口から語られているのだ。その上でネイにそのままでいいと答えた。そんな状態の彼女の在り方を受け入れたのだ。であるならば彼女を問い詰める権利はない。
まあ少なくともネイは防衛省側の人間ではない。こちらの不利になるような黙秘はしないはずと、そう願いたいものである。
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