第146話

 午前授業が終了し昼休憩に差し掛かったころ、唯奈が戻ってきた。

 彼女が台場から離れている間、幸正を筆頭とした諜報員に怪しまれぬよう黙々と講義に参加していた。時雨たちを監視している様子は特に無いように思われたが。

 

「皇棗たちには、だいたい全て話した」

「懐疑的にはならなかったか?」

「勿論驚いてはいたみたいだけど妃夢路恋華の一件があった後だから。可能性としては際立っていたしあっちで調査するって」

「そうか……」

「この情報、棗だけに伝達したの?」

「東・昴と酒匂泰造にもね。あの二人は信用できそうだったから」


 実際彼らが諜報員ということは可能性としては限りなく低いだろう。

 彼らは事実上防衛省から亡命した身であり彼らのレッドシェルター居住権も抹消されていた。

 ちなみに今の昴は名義上ですら皇太子ではなくなっているらしい。勿論蜂起軍に加担した人間を国家重要人に据え置いておくのは問題だろうが。

 昴以外の皇族の血筋は全て絶たれてしまっている。後釜がいないだろうに佐伯たちはどうするつもりなのだろうか。

 まあ今のリミテッドに従来の秩序などというものを求めても無駄なのだろうが。おそらく象徴的存在としてすら皇太子の存在は不要なのだろう。防衛省が事実上の実権を有している以上は。


「ちなみに、その他の諸状況も確認してきたわ」

「妃夢路のことか?」

「そ。妃夢路恋華に関しては、やっぱり定期的にレッドシェルターに足を運んで、逐一レジスタンスの情報を流してたっぽい。本拠点にいるときは、情報規制ですべてうちの情報課が網羅してしまうから」


 そうだろうなと得心する。そうでもなければ妃夢路の化けの皮がこれまで剥がれずにいた理由がつけられない。


「それでなくても妃夢路恋華は私たちの理解を得て、防衛省に潜入しているふりをしていたわけだから。いくらでもレジスタンスの情報漏えいをする機会はあったわけね」


 腕を組む唯奈は難しげな表情を浮かべたまま眉根を寄せた。

 色々と思うことがあるだろう。仲間だと思ってきたものによる裏切り、それに対する感情は怒りだけではないはずだ。

 失望や喪失感、また悔恨といった念も相次いで噴出してくる。


「ちなみに筋肉ハゲダルマに関しては、諜報課の人間を数人監視につかせるって話。これであの男も迂闊な行動には出られないし、実際に内通行動に出ていたらその場で捕縛できる」

「仲間内でのいがみ合いなんて……したくなかったわね」


 感傷に浸るは真那の声だ。

 これまでは防衛省やアイドレーターといった近視眼的な脅威にのみ、敵愾心を向けていればよかった。

 今はそうではない。同じ目的を持つ者たちが集まったはずのレジスタンス内で、懐疑を意識しなければならない。

 不特定多数の仲間たちを疑うだけではない。その不特定多数の仲間たちに自分さえもが疑われる環境にあるのだ。精神的に耐え難い状況と言えるだろう。


「一応言っとく。私はアンタたちのことは信用してる。この間はだれも信用できないって言ったけど、でもそこの和馬翔陽、一号二号とか、それに風間泉澄も信頼はしてるわ」

「なんだいきなり」

「別に……ただ私はアンタたちのことを無条件で信頼する。だからアンタたちも私のことは無条件に信頼しなさい」


 軽く握った拳で胸元をとんとんと小突いて身勝手な意思を押し付けてきた。


「論が乱れている。柊らしくないな」

「うっさいわね。こんな状況、まともな精神者なら耐えられるわけがないのよ。仲間内でも疑わなきゃいけない、皆仲良くなんて言ってられない環境なのは重々理解してる。だけどだからって、誰のことも信頼できずただ自分のことだけしか信じられない……そんな環境でまともな精神状態なんて維持できるわけがない」


 確かに唯奈の言う通りかもしれない。どれだけ鋼の精神力を持っているのだとしても、本当の意味での孤独に耐えられる人間などいない。

 もし真那や唯奈、凛音などといった身近な存在まで疑わなければいけなくなったとしたら。きっと精神疾患に陥ることだろう。


「そうね。私も皆のことはこれ以上疑いたくはないわ」

「真那……」

「どれだけ厳格な立場を貫いていても私たちは所詮人間だから。心の拠り所は必要なのかもしれないわね」


 やはり真那は変わった。


「とはいえ、懐疑心はどうしても必要。ハゲダルマが自衛隊員と密会していたことは事実なんだから。今はその現実を受け入れて問題が起きる前に阻止するしかない」

「そうだな」

「ちなみに網膜キャプチャーデバイスの録画を確認させたんだけど、ハゲダルマの密会相手の隊員、どうやらナノゲノミクスの局員っぽいのよ」


 ナノゲノミクスと言えば佐伯が防衛省長に昇格し、山本一成が局長を務めることとなった化学開発局の別称だ。最近知ったことだがナノテクノロジーを用いたゲノム遺伝子の研究を主に行っていることからそのように呼称されているようだ。

 どのように所属機関を解析したのかはわからないが、さらに幸正に対する疑心が湧き出してくる。


「……あの~ですね」


 会話が終局に向かっていることを察したのか月瑠が話の腰を折ってくる。

 幸正の件があったため、極力他の者には聞かせないつもりであったが聞かれていたらしい。


「……今の話は聞かなかったことにして」

「ハゲダルマが何とかって話ですか?」

「それだ」

「あたし、ランチの準備をしていたのであんまり聞いてなかったです。それよりもちょっと唯奈センパイに聞きたいことがあるんですけど」


 要所は聞かれていないようだ。それよりも彼女はどうしても解消したい疑問があるらしい。


「何?」

「さっきセンパイたちのことは信頼できる、みたいな話してた時、あたしの名前、ちゃっかりあげられなかった気がするんですけど」

「当然じゃない。信頼できないし」

「ひっどいですよぅっ、唯奈センパイィっ⁉︎」

「アンタもともと私たちの敵なんだから、当然でしょ」


 凛音みたいに頬を風船のようにふくらませるマフラー女を唯奈は一掃する。

 まあ確かについ数日前まで敵対関係にあった月瑠なのだ。彼女をレジスタンスに引き入れるきっかけを作った時雨などは彼女に信頼を寄せる根拠がある。

 だが客観的に見ている唯奈たちからしてみれば確かに疑う余地は無限に存在するだろう。


「まあいいです、あたしは元々デイダラボッチのプロフェッショナルなので、そうやってハブにされることにも慣れてます」

「なんというか、虚しい考え方ね……」

「まあ今は、センパイたちがあたしの友達になってくれたわけですから、デイダラボッチも卒業しちゃいましたけど。あ、さっきの発言取り消せたなら、あたし唯奈センパイに友達認定されるってことですよね。じゃあやっぱり、信用してもらえるよう頑張ります」

「……ああもう解ったわよ。信用してあげるから変な使命感持たないで」


 今後絡まれまくる未来が見えたのか唯奈は頬を痙攣させながらもため息をつく。

 月瑠のことは必要以上に疑っても仕方ないだろう。何と言っても凛音と肩を並べられるほどに裏のない存在だからだ。平たく言えばアホだから。

 初めて会ってから関係が一度壊れるまでお互い敵派閥の人間として衝突しなかったのも、あくまでも互いにその関係を認知していなかったからである。

 目的のために人をだますようなことが月瑠にできるとも思えない。


「ていうかここうちの教室なんだけど。アンタの教室一階でしょ」

「ああいえ、一応まとまって行動した方が安全なので、シエナプレジデントがこのゼミの学生になるよう便宜を図ってくれました」

「そう、まあそれは確かに必要かもね」


 いつ襲撃があるか解らない以上、単独でキャンパス内に潜入することは好ましくないだろう。

 月瑠がもともと一学年であることを知っている学生も少なくはない。しかしこの大学部は一年生も二年の講義を受けることが一応可能だ。

 ゼミまで変わっているため不審がる者もいるだろう。が正体を噂ながらも理解している彼らにとっては些細な疑念に過ぎない。


「はぁ……」


 そんなことを話しているうちにどこかやつれた様子の和馬が歩んでくる。彼がいたと思われる場所には数名の女子学生群があった。


「どうしたんだ?」

「いや、まあ……なんでもない」


 大方の予想はつく。以前のように女子学生たちに取り巻かれ媚を売られていたのだろう。

 女子たちの黄色い歓声には苦手意識でもあるのか、彼は首の骨を鳴らしながら一番壁際の席に陣取った。

 距離を取り、彼女たちの間に時雨たちという人体壁でも設けたいのかもしれない。時雨には縁のない話だが気苦労が絶えないのは見て取れる。


「ただ今帰還しました」


 泉澄が教室の扉を開けて顔を覗かせた。そう言えば姿が見えていなかったがどこに出かけていたのだろうか。


「昼食時でしたので食糧の調達に向かっていました」

「昼休憩だったか今は」

「購買というものに足を運んでみたのですが……申し訳ありません、すでに商品の殆どが売り切れていました」


 申し訳なさげに彼女が差し出してきたものは菓子パンや総菜パン系統のパッケージ。数はあるが確かにこの人数が食するには少々必要数に満たないようにも思える。


「珍しいね、今は学生も少ないから売り切れるなんてことないと思うんだけど……」


 紲は自作の弁当を持ってきているようで、桃色の紲らしい風呂敷から小ぶりな弁当箱を取り出しつつ疑問符を浮かべた。


「あ、お弁当ならあたし、用意してますよ」

「本当ですか?」

「はい、久々の学園生活だったので、ちょっと作りすぎちゃったんですよね」


 そう言って月瑠が机の上に置いたものは抱えるほどの重箱だ。

 今の時代弁当に重箱など使う学生がいるとは。そもそもそんな巨大な物どこに仕舞っていたというのか。


「うわぁ、凄いおっきな重箱……でもこれ作りすぎたって次元じゃないような」

「織寧センパイもいかがですか? あたしの渾身のお弁当なんですけど」

「いいの?」

「勿論。折角作ったんですから、皆で楽しく食べたいじゃないですか」


 昼休みのたびに屋上に撤退し、ひもじく一人飯をしていた月瑠とは思えない積極性だった。

 しかしこの重箱の中身に嫌な予感を隠しきれない。そんな憶測を立証付けるように公開されたその中には米しかなかった。


「白っ! 白いなおい!」


 堪えられなかったように和馬の突っ込みが突き刺さる。

 

「あたし特性おにぎりっす、ジャパンの古き良きカルチャーテイストを意識した、和のお弁当っすよ」

「ただの手抜きじゃねえか」

「このニオイは……沢庵宗彭なのだ」


 鎖世と歓談していた様子の凛音が、鼻をひくひくさせながらふらふらと歩んでくる。

 そうして重箱を前にその足を止めると途端にその瞳に歓喜の色を張り付けた。


「美味しそうなのだ」

「あ、凛音センパイ、凛音センパイの分はこっちに用意してます」


 月瑠は上段を持ち上げ下段の中身を露わにする。何か違いでもあるのかと勘繰るが、そちらにはふんだんに海苔が張り付けられていた。


「個人的にはおにぎりにシーウィードなんて邪道なんすけど、前回リクエストがあったので」

「ふむ、よい心がけなのだ」


 凛音はなぜか偉そうにふんぞり返る。


「なあ月瑠、このお弁当、貰って行ってもよいか?」

「ええ構いませんけど、一緒には食べないんですか?」

「サヨはあんまり群れるのが好きではないのだ」


 鎖世と一緒に食べる算段なのか。

 普段の凛音ならば鎖世のそう言った考え方など考える由もなかったろうが、以前に比べて思慮深くなったのかもしれない。

 凛音は月瑠の了承を得るなり、餌を与えられたウサギのようにあわただしく下段をもって鎖世の元へと転がっていった。せわしのない少女である。


「頂くよ」


 せっかく作ってくれたものを食べないのも無粋というものだろう。月瑠のおにぎりに口をつけると、案の定といったところか相変わらず素朴な味わいだ。

 それでいてどこか心が安らぐ。以前学生生活を送っていた時も、そう言えば大抵昼食はこのたくあんだった。

 あの頃とは色々と変わってしまったが、まさかまた同じように月瑠とこのたくあんを食べることになるとは思わなかった。酷く味気ないが。


「感慨に浸っているところ申し訳ありませんが、その共通の思い出がたくあんというのは……いささか色気も情緒もありませんね」

「ホログラフィさん、今たくあんをバカにしましたね」

「とんでもありません。そもそも日本の慣習や歴史というものは情緒や色気など無縁なのです。もっと厳正たる侍の国、それこそが日本です。馬鹿にするどころか、私は月瑠様の崇高する日本を高く買っているのです」

「なるほど、流石はホログラフィさんです」


 うまく口車に乗せられ月瑠は納得していた。あほ丸出しである。


「そう言えば、俺は基本的に屋上に行っていたが、真那たちは前まで、昼は何を食べていたんだ?」

「何も口にはしていなかったわ。講義は退屈な環境だから。まともに体を動かしていないのに食事をすれば、眠くなってしまう」

「右に同じ。あの環境じゃ、アイドレーターがいつ仕掛けてきてもおかしくはなかったし」

「心構えがなんていうか、凄いね……」

「も、申し訳ありません……」


 泉澄は頭を深く垂れ謝る。アイドレーターという名称が話題に上がって反射的に謝辞が出た感じだ。


「風間は? 今回みたいに購買で何か買ってたのか?」

「僕も基本的には何も口にしませんでした」

「周囲を警戒してか」

「いえ、倉嶋禍殃にそう指示されていたので……毒などが仕込まれている可能性があるため用心するようにと」

「毒って……ここには他の学生もいるんだから、そんなもの仕込む人はいないと思うけど」


 紲の言うとおりである。倉嶋禍殃の考え方は甚だ理解が出来そうになかった。

 まあノヴァを神の遣いと崇める偶像崇拝団体の創始・統率者だったのだ。少しくらい狂っていないとあんな暴挙には出られないだろうが。


「そう言えば倉嶋禍殃の消息は掴めたのかしら」

「それに関しては何も。あの意味不明なアイドレーター日報とかも当然配信されてないみたいだし、消息は何も掴めてないみたいね」

「そう言えば、あの格納庫に格納されていた機械はどうなったのですか?」

「キメラとか言うアレ? 今も健在みたいよ。倉嶋禍殃は離脱する際、一切それに手を付けなかったぽいし。まあそんな余裕なかったのかもしれないけど」


 そもそも禍殃があれを自分が使うために用意していたのかどうかすらわからないが。

 もし自分専用だったのならば、あの格納庫を開くための認証は彼の生体組織でのみ行えるようにすべきであったからだ。

 だのにあの格納庫は泉澄にしか開けなかった。禍殃が何を考えてそんな設定にしたのかは未だによく解らない。


「ちなみに報告しとくと、ジオフロントの増築作業はちょっと難航してるみたいね」

「難航? 何か問題でもあったのか?」

「M&C社からの軍需物資の運送に関して、少しトラブルがあったみたい」


 よもやレジスタンスへの軍事提携をいまさらになって渋っているのか。


「それはない。この間、防衛省が対外的に大々的に諸国を潰す宣言したしね。もう諸国としてもこれまで通りの安寧なんて築けるとは思ってないはず。積極的にレジスタンスに軍事的な協力を買って出る軍需団体も増えてるみたい」

「なら上々じゃないか」


 何が問題だと言うのか。彼らが意欲的に供給を続けてくれることがレジスタンスにおける現状最大の力添えといえる。


「海外諸国の私たちへの協力姿勢に関してはね。ただ問題なのは、調布市での事件以来、アウターエリアにおける監視が強化されたこと。これまではイモーバブルゲートによる物理的な障害しかなかったけど、今は常に航空部隊による索敵がされてる」

「運搬経路に関してはどうするのですか? 妃夢路様が二重スパイであった以上、我々の移動手段も防衛省に熟知されているはずですが」

「それに関しては、どういうことか一切地下の警戒はされていないみたいなのよね」


 レジスタンスが地下運搬経路を使っていることは敵も既知としているはずだ。その地下を封鎖しないだけでなくな巡回兵すらいない事実。何か異例の事態が起きていると考えるのが自然か。


「まあそう言うこともあって今は地下運搬経路を使って運送してる。いずれその地下が封鎖されるだろうから、その時の運搬方法も考案してるみたいね……芳しくないみたいだけど」


 地下以外にイモーバブルゲートを越える手段は今の所見当たらない。


「高周波レーザーウォールがある以上は、上空からの潜入も事実上無理だろうしな」

「とは言っても、正攻法で関門を抜けられるとは思えないわ。関門の人間を買収することなんて、絶対にできないでしょうし」


 八方塞というのはこのことだろう。地下を塞き止められれば事実上外との連絡を遮断されるのだ。

 それだけではない。外部からの軍需を運搬するどころか外部へと出ることすらできなくなる。早急に打開策を見出す必要がありそうだった。


「ジオフロントの再興が完了するまで、敵さんが待ってくれればいいんだが」

「その必要はないわね。重要なのは、軍需をリミテッド内部に運び込むことだから。仮配置場所さえ確保すれば、早急に地下から運び込んでおくことが出来る。ただ地下が使えなくなれば今後の人員的な援助は望めなくなるわね」

「それに関しては、棗さんがすでに手配していると言っていました。M&C社その他の軍事団体から、現時点で可能なだけの兵力をリミテッドに寄越すように連絡を付けたようです。滞りなく事が進めば、数日以内にはリミテッドに入れるはずだとか」


 ということは数日以内に地下の塞き止が行われないことを願うほかないわけか。


「それにしても、防衛省も少し杜撰なところがあるよね」

「杜撰?」


 月瑠のおにぎりを手に黙って話を聞いていた紲。彼女は疑問符を浮かべたような顔で小さく首肯する。


「だって、レジスタンスが地下を使ってることは妃夢路さん経由で解ってるんでしょ? それなのに地下を放置しているなんて」

「人員が足りていないのかもしれないわ。とはいっても、確証がある以上、地下の管理が第一に行われるのが普通だとは思うけれど」

「なんだか、ちょっと変な感じだよね」


 真那の発言に同調しつつ紲は口元に手の甲を当てて熟慮している。どうにもふに落ちないらしい。


「抽象的な表現ではありますが、紲様の考えに大いに同調できます。確かに防衛省の考え方はどこかおかしい。それは統制が杜撰というよりも、あえて見て見ぬふりをしている……そんな気がしてなりません」


 どう言う意味だと疑心に塗れた視線がネイに集中する。皆何となくその意味は理解していることであろうが。


「妃夢路様が我々を裏切り始めたのはここ最近のことではないでしょう。そもそもとして最初からレジスタンスの諜報活動をするために、所属したと考えるのが自然です。妃夢路様は以前から陸上自衛隊に所属する準陸尉であったわけですから」

「……確かにそうね。妃夢路はいつでも私たちの情報を防衛省に流せる環境にいた。地下を使っていることだってずっと前から漏洩できていたはずなのに、それなのにどうして……」


 杜撰というにはあまりにも疎かすぎる。何か裏があるように感じてならない。

 可能性としてはいくつか思い当たる。第一に妃夢路がすべてを防衛省に伝達していないということ。何を躊躇う理由があるのかは判断のしようがないが。


「妃夢路の情報を充てにしていないって線は……ないか」

「それはないでしょうね。そもそもそうであるならば、防衛省は妃夢路様を諜報員として忍ばせないはずですから」


 それもそうか。ほかに考えられる可能性があるとすれば、


「防衛省が、あえてあたしたちを野放しにしている、という可能性はありえませんかね」

「あり得ない、とは言い切れませんね」


 何かしらの理由があって地下を経由していることを看過している可能性。


「正直なことを申しまして、これまで幾度となく防衛省にはレジスタンスを叩き潰す機会があったはずです」

「どういうことだ」

「考えてもみてください。これまでのレジスタンスにはM&C社という強大な後ろ盾などありませんでした」


 防衛省からしてみれば簡単にひねりつぶせる対象であったわけだ。

 勿論棗は武力行使などによる強引な改革に乗り出すような軽率思考の持ち主ではない。簡単に足を掴まれることはなかったと思うが。


「確かに、言っては何だがM&C社の協力を受ける以前のレジスタンスは、規模も軍事力も、あくまでも革命団体だったわけだしな」

「軍とすら呼べないような小規模団体であったことは確かね」


 以前からいくつかの国からの支援は受けていたと聞く。

 それも防衛省に認知されない小規模な物であったとか。到底レッドシェルターを要塞都市として君臨する覇者に太刀打ちできる規模ではなかったはずだ。

 それ故に棗は織寧重工の講演会を利用し危険を冒してまでM&C社との結託を試みた。

 防衛省にもレジスタンスを蹂躙し抹消する余裕はあったはずだ。それだのに実行に移さなかった理由。そこにはいかなる思慮と策謀があったのだろうか。


「……考えても、答えはでなそうだが」

「伊集院純一郎に確認してみるのも手かもしれませんね」

「あーそれは無理かもっすね」


 たくあんをポリポリと咀嚼する月瑠が肩をすくめた。


「無理って、どうして?」

「確かに防衛省の政策とか、そう言うものを管理していたのはエンプロイヤーでしたけど。ですが、そもそも妃夢路センパイをレジスタンスに潜入させていたのは、佐伯シーフでしたから」

「霧隠は誰でもセンパイなんだな。しかし佐伯が、か」


 となれば伊集院に聞いても答えは返ってこないだろう。

 そもそもとして佐伯が手引きしていたことというからには、革新派閥である彼の考えに準拠しているということになる。

 であるからして彼の画策する革新的なラグノス計画のその一環なのかもしれない。


「なんだか謎だらけだよね、防衛省って」

「指導者が伊集院から佐伯に変わって更にな。思考回路が常人の認識の域を超えている」

「連中の目的はノヴァによる世界の統一化。そんでもって全てを日本に統合することか?」

「アダムセンパイがそれらしいことを言っていましたよね」

 

 そう言えば何故あの時、佐伯はロケットの打ち上げを強行したのだろうか。


「何でって、ノアズ・アークっていう人工衛星に信号を送信するためでしょ?」

「その信号が問題なんよな。あれはどっかの大陸をナノマシンで抹消するために必要な信号だったわけだろ? だけどよ、そもそも防衛省は、元からナノマシンの制御が出来てるんじゃなかったのか?」


 ナノマシンが防衛省の生み出した物である以上、そのナノマシンを制御する技術も有しているはずである。

 それならば第一前提として技術は彼らの手元にあって然るべきではないのか。

 何かしらの指示を世界中に散らばったナノマシンに伝達するとして、その度にロケットを打ち上げるなどというのはあまりにも非効率的過ぎる。

 

「防衛省は世界中に蔓延しているナノマシンに指示を出すために、ノアズ・アークという人工衛星を用いていると考えられるわね」

「ノアズ・アークは、資料によれば八機で一つであるらしいです。先日のSLモジュラー打ち上げの際に目標機としていたものが親機。そしてそれ以外に、地球を観測すべく各地点に配置されている子機が七機あるみたいですね」


 真那の推察に泉澄が捕捉する。衛生コンステレーション型の八機分割できる人工衛星だと言うことくらいしか時雨はしらない。


「各機が配置されている地点は、主要国と指定される七か国直上の地点になります。アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、カナダ、そして日本。通称G7ですね。ロシアは主要国ではありませんが、その直上にも子機が配置されているようです」

「世界における主要な国家を観測する衛星……目的はナノマシンによる支配に関することで間違いはないと思うけれど。そもそも地上から人工衛星に指令を飛ばす方法はないのかしら」

「ないとは考えにくいですが……何かしらの事情があって、今はそれが使えなくなっているという可能性がありますね」


 そのためロケットの打ち上げが行われたということか。

 そこから考察するに防衛省はロケットの打ち上げを行わないことにはナノマシンを自在に操れないということになる。つまり打ち上げに成功しなければどこぞの大陸を潰すこともできない。

 この憶測が正しければ、防衛省は大きな課題と足枷を背負っているわけである。ナノマシンを自由自在に操れているわけではないということだから。


「今後も防衛省がロケット打ち上げをするようなそぶりがないか、監視しておく必要があるだろうな」

「しかし妃夢路恋華がレジスタンスから離脱した以上、もはや察知する手段すらないのではないですか?」


 泉澄の不安に唯奈はそうねと同調して話を継ぐ。


「それにレッドシェルター内部での打ち上げが可能なら、もう私たちにはそれを阻止する手段すら存在しない。霧隠月瑠、アンタも伊集院純一郎もすでにレッドシェルターには入れないでしょうし」

「打つ手なしって感じだな」

「いつ防衛省が再度の打ち上げをするか解らない以上、打開策を考案する必要があるわね」

「ですがそもそもノアズ・アークは常に宇宙空間を移動しているのではなかったでしょうか。10月8日のあの日は、ちょうど人工衛星が千代田区上空を通過する日であったために、打ち上げが決行されたのですから」

「確かにそうだったな。てことは、いつでも打ち上げられるってわけじゃねえのか」


 これによって懸案がわずかに薄れる。それでも座標を変更して打ち上げる可能性だってあるため油断は大敵だろう。

 常に防衛省の動向に目を光らせ、可能な限りその策謀を未然に阻止しなければならない。色々と目先な課題はあるようだった。

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