第142話
その日の夕刻戦没者追悼式が執り行われた。移動が深夜同時に行われると決まったが故である。そのため急遽開催が早めになったが昴は迅速にその準備を整えて見せた。
ノヴァが日本に上陸し今の態勢が築かれてから戦死した隊員を偲ぶためのものだ。
旧東京タワー大展望台のそのまた上にある特別展望台にて。その中央に通貫しているエレベーター支柱。それを囲うように配置された巨大な大理石のような漆黒色の慰霊碑を前に数十名の人間たちが隊列を組んでいた。
所狭しに立ち並ぶその者たち。スタッフの大方が警備に繰り出し一部がこの追悼式に参加していた。
「リミテッド内部における内乱、及び作戦時における遠征の際に戦死された隊員たちの数は既に三桁にも及んでいます」
慰霊碑前の中央に佇み隊列を組んだ隊員たちに声を投げかけているのは昂だ。現皇太子としてリミテッドの未来を担う役として。変革をもたらすレジスタンスの統率を進んで出た男の姿だ。
そんな彼をこれまでただの
「中でも多大な犠牲が伴った出来事が織寧重工博覧会潜入任務、デルタボルト空爆、スファナルージュ第三統合学園襲撃事件。調布市のJAXA本社跡地におけるロケット発射阻止作戦。そして未曾有の大災厄とも呼べる犠牲者数を出した、先日防衛省の襲撃によって行われてしまったジオフロント陥落。これらによる犠牲者の数はぼくたちレジスタンスに看過できないほどの損失を齎しました」
彼は小さな胸を鷲掴んで語る。そんな彼の姿を前にスタッフの誰もが茶々を入れるようなことはしなかった。
この場において最も年若い成人すらしていない少年をただの子供とあざける者はいない。皆がレジスタンスを牽引する人間の一人として彼を扱っている。彼にはその素質や覚悟、度量があると理解しているのだ。
「……酒匂さん、あれを」
「かしこまりました」
酒匂は毅然とした面持ちで頭を下げ金属製の箱を持ってくる。頑丈で施錠の硬そうなその箱は金庫であった。
彼は慰霊碑の前にそれを据え置き箱の内側から取り出した物を並べていく。数あまたのドックタグだ。丁寧に拭われ殺菌されているが人間の血特有の赤さびがところどころに残っている。
「アイドレーターの一件以来、レジスタンス総出で事件が起きた各地に派遣をしました。その目的はこれらの回収です」
スファナルージュ第三統合学園の再興のためシエナが監督するといったとき時雨と真那は彼女の護衛の目的でキャンパスにまで派遣された。
あの時他の隊員たちも各々任務にあたり各地に出向いていると言っていたが、これを集めるためだったのだろう。
「回収できるものは回収いたしましたが、それでも半数以上は見つけ出すことが叶いませんでした。それらはノヴァが犇めき蹂躙するここから離れたアウターエリア。そして防衛省という魔の手によって事実上の支配がなされているリミテッドの至る場所に埋もれてしまっています」
そこで一息。いくつも言いたいことが溢れて来てやまない。それでも皇太子として私情は抑え込み必要なことだけを述べようとしているのが解る。
「レジスタンスとして我々の活動に携わったことによって名誉ある殉死を……いえ、防衛省の牛耳るこのディストピアでは名誉も何もありません。すべて踏みにじられ殉死を遂げました。彼らは防衛省の悪巧みに奔放されなすすべもなく討たれてしまいました」
スタッフ皆の表情が強張る。彼が言葉にしたことによって自分たちの置かれている状況を再確認したように。
「こんなにも卑屈な世界であるのに、ここにまた集まってくださった皆様に感謝の意を示します」
そう言って深々と頭を下げた昴を見て隊員たちの中からざわめきが発生する。各々思うことがあるのだろう。
「そして先日のジオフロント陥落において、レジスタンスの英雄ともされる船坂副指令もまた昏睡状態にあります」
ざわめきが最高潮に達した。船坂義弘。
かず数多の苦難に直面し普通なら死んでしまうような状態でも切り抜けてきた不死身の英霊が。襲撃を受け致命傷を負った。
その事実はこの場にいる隊員たち全員に戦慄を実感させる。
「彼は誰よりも誇り高く人道に率直でした。自身の存命よりもまず誇りと決意に従う。時に自身を危険にさらしながら無実の民の命を一つでも多く救おうとした。気高い人物です。船坂副指令にはそれだけの覚悟がありました。勿論、戦死された他の隊員たちも同様リミテッドのために命を張ったのです」
昴は動揺する隊員たちを前にしても少しも臆さない。先立った仲間たちの死を悼むために静かに貫禄のある雰囲気を醸し出していた。
暗闇の中であっても彼はどこか威厳がある。
「これから、皆様に戦死したもののドッグタグを配布します。各々、死者の魂に弔いの念を捧げてもらえますかな」
酒匂はそう言ってドッグタグを全員に配布していく。時雨たちにも行きわたった。
タグに記されている名前は当然時雨の知らない目にすらしたことがない名前。だがそれでも胸の奥底からこみあげてくる得体のしれない感情に心は揺すられる。
この人物はこうして見送られる側の人間にならなくてもよかったのではないか。もしかしたら生きてこの日を迎えることもできたのではないか。
いやそもそも死を悼むようなそんな辛い式を上げる必要すらなかったのではないか。そう思わずにはいられない。
防衛省が存在している以上はそれは妄想にしかなりえないが。
「皆様、行きわたりましたでしょうか」
昴の確認。
「それでは先立たれた栄誉ある戦士たちに手向けとしてドッグタグを捧げましょう」
一人ずつ慰霊碑の何も刻まれていない部分にドッグタグを嵌めこんでいく。
どうやら慰霊碑に刻まれた名前は直接刻み込んでいたわけではないらしい。このドッグタグを嵌めこむ設計になっているようで、彼らが手向けを捧げるたびに一つまた一つと没者のリストが更新されていった。
「……気の利いた演出ね」
真那がそんな光景を見ながらふふっとその表情を弛緩させる。
何のことかと再度慰霊碑を伺うと刻まれた名前たちがほのかに青白い光を放っていた。
数百という命たちは、あたかも闇に沈んだこの世界に仄かな光を差すように。少しずつ死のこびり付いた暗鬱とした心を色付かせていく。
優しい光は無限に広がり幻想的な様を魅せていた。
「先立たれたぼくたちの仲間たちに、英雄たちに黙祷を捧げましょう。死者への鎮魂を……もうここにはいないかつての仲間たちへの意思を、皆様、この場で捧げるのです」
彼のその言葉を耳にざわめきが静寂に変化していく。各々が戦死した隊員たちに思いを届けているのだ。未だに実感出来ていないのか困ったようにあたりを見回す者もいれば静かに偲び泣く者もいる。
これだけの犠牲が生まれることに時雨もまた感慨を失いかけていたような気がする。幾度と無く仲間たちが死んでいく光景を見てきて感覚が麻痺してしまっていた。いつの間にか日常的に人が死ぬことを当たり前に感じてしまっていた。
一つ一つかけがえのない命なのだ。それらがこんなにも簡単に奪われることなどあっていいはずかない。
「リオンの周りでも関わってきた者たちが、仲良くしてた者たちがもう何人も死んでしまったのだよな」
同様に凛音も再痛感させられたのかもしれない。赤の瞳に様々な感情を渦巻かせながら静かに胸に拳を押し付けていた。胸の痛みを押さえ込むように。
レジスタンス局員全員に通常配布されているドッグタグ。当然それは時雨含む主要格の人間にも与えられている。時雨はそれを無造作に放置していたが真那はそうではないようだ。
「私たちの認識票もいつかここに並ぶことになるのかしら…」
自分の名前の刻まれたドッグタグを手の内に握りしめつつごく小さな声で呟く。
喜怒哀楽の振り幅が比較的小さな真那であるが、人間観察が不得意な時雨にもその声の中に哀愁を見つけることはできた。
華奢な肩に手を置こうとして止める。そんな未来には絶対にさせないとそんな気休めの言葉をかけることも憚られる。
防衛省に全て掌握され勧善懲悪などまともに機能していない世界だ。昨日までは普通に隣にいたはずの人間がこうして先立ってしまう過酷な環境。そんな中で時雨が声をかけたところで気休めにすらならないだろう。
「その時は俺の認識票も隣に並べてやる」
それでも自然と手はドッグタグをきつく握る真那のそれに重ねられていた。
「馬鹿ね。心中なんて何一つ合理性がないのに」
「…………」
「でも、ありがとう」
心なしか彼女の指にかかる力が弛緩したように感じたのは、きっと時雨の勘違いではないだろう。
「どうぞ、お直りください」
昴は一歩前に踏みでると表情を一変させた。
「皆様に、少しお話があります」
彼の雰囲気が急変したのを肌で感じたのか隊員たちもまた彼に注目する。
視線の中心に立っていても昴は一切表情を変えることもなく単刀直入に話題を切り替える。
「船坂副司令が重傷を負い数多の仲間たちが命を落としているのは、殆どがリミテッドのためです……ですがレジスタンス内部でおかしな動きが見られています」
「裏切者のことか……」
すぐにピンと来て呟くと昴は見つめ返してきた。
「先日のジオフロント襲撃の皮切りも、とある隊員による手引きによって行われました。つまり諜報員がレジスタンスにいたということです」
再度ざわめきが生まれた。喧騒は諜報員という言葉に動揺を隠せないが故の物だろう。
「落ち着いてください、諜報員に関しては既に特定し全力でその捜索にあたっているところです」
昴のその言葉に皆は再度静まる。
「ですが一人裏切り者がいたということは、他にもいると考えて然るべきでしょう。包み隠しても仕方ないため、あえて率直に述べさせてもらいます……ぼくは、他にも内部工作員が潜んでいるのではないかと踏んでいます」
煮えくり返るような陰鬱とした空気が充満する。皆が理解したのだ。自分たちが疑われているのだと。
「皆さんのことを疑うような発言お許しください。ですがこれはもはや避けては通れぬ道なのです。皆さん、今後は周囲の親しき仲間同士でも警戒心を怠らず、慎重に接するようにしてください。何かしら諜報員に関して心当たりがある方は、この追悼式終了時にここに残ってください。何も知らないという方はお気になさらず……ですが、もし何か知っているのに隠した場合、それが発覚次第相応の処罰に処します。先立たれた隊員たちの死を悼む心があるならば、これからの身の振り方を、皆様よく考えてください」
その言葉を最後に昴は姿をひそめた。隊列を組んでいた隊員たちはぼそぼそと何かを話し合ったりしている。それらのうちの殆どは昴が何を言っているのか理解もつかないことだろう。
「あんな警告……昴さん、すこしひどいのです」
クレアは臆したように呟く。
「いや、俺はそうは思わないな」
だがそんな彼女の言葉を和馬は否定していた。
「どういうことですか?」
「各々の警戒心は最初からあったことだ。東はそれを表面に引き出したに過ぎないんだよ。逆に、嫌われ疎まれる役を自分で買った東には感服すら覚えるぜ」
理解は及んでいないようだが クレアも考えを改めたようである。
十数分が経過した時その場に残っている隊員は極僅かであった。
「ねえ、烏川時雨」
「なんだ……近い」
そろそろ深夜の移動に向けて準備を整えるかとなっていた時。不意に唯奈が声を掛けてくる。周りには真那たちしかいないが真那たちの視線も気になるようで。極限まで顔を近づけてくる。
「実は……えーと」
「勿体ぶるな」
「後ででいいんだけど、誰もいない場所二人きりで会いたいんだけど……変な意味じゃないわよ」
その真意をとらえかねて言い淀んだ時雨を見てか自分の発言の危なさに気がついたらしい。
「とにかくアンタに話したいことがあるのよ。他の奴にはとりあえずは聞かれたくない話。和馬翔陽とかはまだ信用出来るけど……今はアンタが一番信用できそうだし」
「工作員に関する事か?」
すぐに彼女の要件に関しては見当がつく。もとよりレジスタンスに裏切り者がいるかもしれないと言ってきたのは唯奈だ。
妃夢路のことに関してまだ何か解っていることがあるのかもしれない。
「真っ先に俺を信用してくれるとは。明日はデビルの魂刈りでもあるのかね」
「アンタ私のこと、なんだと思ってんのよ」
睨みながら足を踏み潰してくる。
「日時はこっちから指定する」
「そうしてくれると助かる」
「密会ですか。意味深ですね」
やり取りを黙って聞いていたネイだったが口元に手を当て含み笑いのようなものをして見せた。
いたずら気な笑いに思わず視線を彷徨わせる。月瑠たちと何やら話し込んでいる真那に聞かれてはいないかと無意識的に確認していた。
「聖真那、ね」
「言葉に出てたか?」
「別に。表情から察しただけよ」
唯奈はネイと同じように面白がるような表情を見せていた。口元を歪めからかうように。昔の唯奈では考えられないような反応だ。
「気になって仕方ないって様子ね」
「そう言うわけじゃないが」
「嘘。最近のアンタ、なんだか聖真那を見る目が変わったように思えるし」
「そうですね。昔から時雨様は真那様のことを視線だけで妊娠させられるような性犯罪者の目で視姦し続けてきましたし。ああけがらわしい」
「シール・リンクのその発言はまあ冗談にしても、確かにアンタのこれまでの聖を見る目は少しおかしかった。少なくとも、レジスタンスに入って初めてであった相手を見る目ではなかった」
あまりにも的確な指摘に息を飲む。流石といえばそこまでだがかなりの観察眼と言えるだろう。狙撃手の目はごまかせないらしい。
「でもそれでいてアンタの目はどうにも恋しい相手を見るような目には思えなかった。もっと無機質なあやふやな物を見ようとして、見れてない感じというかしら」
「その発言が一番あやふやなんだが」
「まあ何であれ、そんな曖昧な関係に思えていたけど、どうしてかここ最近のアンタの意志はしっかりしているように思える。聖真那との付き合い方に何かしらの決意を見出したようにも思えんのよね」
「なんだそれ」
「入籍でもしたのかと思ったけど、そう言うわけではなさそだし」
なわけあるかと呆れ半分に訂正しようとするものの、唯奈も半分冗談で言ったらしくふふっと小さく笑って見せた。
「まあアンタがそこまで聖真那を信頼しているなら、私も信頼せざるを得ない。話をするとき呼んでも構わない。まあ正直誰が疑わしいのか、私としては既に見当をつけているんだけど……」
「え?」
「……何でもない」
踵を返した彼女は意味深に間をおいて端的に応じただけで。
「どこに行く」
「そろそろ準備しないと、出立に間に合わないでしょ」
目線で展望台の外を示す。外は完全に闇に飲み込まれ時間帯は計り知れない。あと一時間もしないうちに日付は更新されてしまうのだろう。準備を整えた方がよさそうか。
「ユイナと何を話していたのだ?」
「大したことじゃない」
大きな耳を興味深そうに跳ねさせながら凛音が近寄ってくる。
「もしかしてあれなのか?」
「あれ?」
「ずるいのだぞシグレ! リオンに隠れて、一人でユイパイマンを堪能していたのだな。リオンもユイパイマンをお腹いっぱいになるまで食べたいのだ!」
「な……痛っ」
凛音の天にまで届きそうな叫びに唯奈が驚いたように頓狂な声を上げる。その際に足元が狂ったのかまぬけにも壁に頭をぶつけていた。
「未遂でも補導されかねないから、やめろ」
「何故なのだ?」
「まず肉まんのネーミングに明らかなる問題があるからだ」
「ユイパイマンが何かダメなのか? どうしてなのだ? ユイパイマンは美味しいのだ」
「味の問題ではない気もしますが……」
泉澄が苦笑しながらそう時雨の心情を代弁してくれる。時雨の気苦労を理解し同情してくれているようだ。
「確かに、それもそうなのだ。大事なのは味ではなく柔らかさと大きさなのだ」
「大きさですか?」
「うむ。イズパイマンはあんまり食欲をそそられないのだ」
「イズ……っ、も、申し訳ありません、至らなくて……」
泉澄はその意味を理解した途端赤面し何故か謝罪する。酷く不憫に思えた。
「時雨、そろそろ私たちも下に向かいましょう」
「あ、ああ」
そんな彼女たちのことを同様に眺めていた真那。声を掛けられ思わず狼狽する。
「どうしたの?」
「……いや」
不思議そうに見つめてくる彼女に返す言葉を持たなかった。
どうしてか先ほどの唯奈の発言が頭に染みついて剥がれない。動揺が頭の中に滲み出してきているのが自分でも解る。真那を意識している自分がいるのだ。
「……悩みに悩むべし、青二才」
誰かが笑ったような気がした。
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