第五章

2055年 12月11日(土)

第141話

 本拠点ジオフロントが完膚なきまでに破壊しつくされてから三日が経過した。

 その修繕は絶望的とも思われていたが、何も手を打たないわけにはいかず修復作業に取り掛かり始めている。緊急搬入された大型クレーンや重機によってこの三日で瓦礫やコンテナの残骸がすべて運び出された。

 あれだけ荘厳な雰囲気を醸していた軍需空間が何もなくなってしまっているのは、空虚という言葉以外では言いあらわせない。


「ジオフロントの損壊率は約八十七パーセント……絶望的ですね」


 更地になってしまったその空間を悄然として眺めているとネイが静かに呟いた。


「全部なくなってしまったな。振り出しだ」

「多少語弊がありますね。振り出しではありません。もとより悪い状態になっていると言えます」

「それはどういうことなのだ?」


 ゼロはどんなに減らしてもゼロだろ? と付け加えつつ凛音は疑問符を形容する。


「この場所はもう防衛省にリークされているわ。ここはもう、私たちにとって安全ではないということ」


 立ち並びじっと増築作業を俯瞰していた真那が答える。ジオフロントの鉄壁に刻まれた無数の弾痕を指先でなぞる彼女の面持ちは、普段に増して神妙だ。


「防衛省による拠点の特定。これによるレジスタンスへの打撃は今回の襲撃に留まることはないでしょう」

「また襲撃されるということか?」

「その可能性は高いですね。いえ、まず確実だと言っても過言ではないです」


 泉澄の言うとおり次いつ襲撃が起きるか解らない状態だった。

 今はジオフロント旧東京タワーの周囲に防衛網を敷いているが、防衛省による襲撃に対応できる保証などはない。

 ここを根城にしていることはもう敵も確定しているだろうし、次は前回以上のまとまった軍隊で攻めてくるはずだ。

 

「せめて、俺たちが妃夢路を逃していなければ……」


 悔やんでも仕方ないことだが後悔は胸をついて止まない。彼女を逃したことは様々な不確定要素を与える結果となった。

 単純に今回の襲撃による情報が防衛省に伝達されるという問題。そしてレジスタンスの内部に精通していた妃夢路が、これまで通り防衛省に加担し続けるということ。

 もしあの時捕まえられていれば少なくとも今以上にレジスタンスの情報が漏洩することはなかったのだ。


「それにしても、妃夢路さんがスパイだったなんて……」


 クレアは狼狽を隠せない様子でガスマスクを掻き抱く。その言葉に皆の顔つきが複雑な物に変化する。各々色々と感じることがあるだろう。


「よく解らぬのだがな、レンカは元からスパイだったのだろ? いまさら何が問題だというのだ?」

「スパイはスパイでも、どっちの諜報活動をしているかが問題なのよ」

「妃夢路様は防衛省の内部捜査をしていると私たちは認識してきました。ですが実際のところは、私たちの内情が防衛省にダダ漏れになっていたわけです」


 ネイの発言を耳にだよなぁと和馬は全て後手に回ってしまったことを再痛感するような声で応じる。


「考えてみりゃ、おかしなことはいくらでもあったよな。妃夢路は軍法政策会議にも出席する高級の准尉だ。それなのに、防衛省の計画の一部しか俺たちに公開しなかった。それは知らなかったんじゃなくて、あえて教えてこなかったわけだ」

「気づく機会はいくらでもあった。だけど私たちは、仲間内での探り合いを極端に恐れていた……だから、気づけば全部壊れてしまっていたのね」

「妃夢路のやつ、低迷する俺たちのことを内心嘲笑いながら観察してたんだろうな」


 壁に拳を押し当て和馬は声音を抑えながら呟く。行きどころのない激情を霧散させるように彼は自制心を無理やりに抑え込んでいるようだった。


「過ぎたことは悔やんでも仕方ない。それよりも、今は俺たちが出来ることに目を向けるべきだ」


 増築作業の指揮を執っていた棗が話に介入してくる。その傍らには老年の男性もまた佇んでいる。伊集院純一郎だ。

 伊集院は刈り揃えられた髭を指でさすりながら内心の読めない表情で腕を組んでいる。


「そのおっさんは信用していいのか?」

「私は君たちの信用などは求めていない。私がレジスタンスに加担する理由は、あくまでも目指すべき場所が同じであるからだ」


 和馬の疑り深げな視線に伊集院は怯まない。彼はジオフロント襲撃ののち隔離されることなく釈放となった。

 勿論棗の独断ではない。時雨たち全員が伊集院に対面し彼の意志に耳を傾けた。その上で解放したのである。


「……要約すれば、俺たちは利害が一致したということだ」


 もとより保守的な指針で活動していた彼はあまりにも過激さが過ぎた佐伯たちの活動に異を反していた。彼らの非人道的な活動は看過できないと考えレジスタンスに加担することを決めたのである。


「皮肉な話ね。もともと自分が率いていた防衛省を潰そうとしてるレジスタンスと結託するなんて」

「自分の立場などは関係がない。私はエリア・リミテッドの安寧を獲得するためならば平気で敵に媚を売る」

「こんな枯れた老体の媚なんて、こっちから願い下げですけどね」

「相手の顔色など窺うつもりはない」


 ネイの冷やかしにも動じない。この男の真意はいまだ掴めないが今は信頼するしかないだろう。伊集院の立場は大きな貢献となりえるからだ。


「とかなんとか言って本当は棗センパイと一緒になれて嬉しいんですよ、エンプロイヤーは」

「邪推だな」

「平常心を貫こうとしても無理ですよ、TSUN・DEロイヤー」

「私の活動に血筋などは関係ない」

「そう言えば、ナツメとジュンイチローは親子なのだったな。しかしまったく似ていないのだ」


 凛音は二人の顔を見比べながら難しそうな顔をする。確かにまったく似ていない。目元には面影を感じるが。


「棗がレジスタンスを立ち上げた当初の目的は防衛省長が父親だったから?」

「それも間違いではないな。俺はこの男を、真の父親と思ったことはないが」

「ふん……」


 なんとなく残念そうに鼻であしらっていた。


「だが親父の非道を正すために俺は戦ってきたわけではない。必要とあれば、防衛省ごとこの男も叩き潰すつもりでいた」

「……その割には、立華薫に殺されそうになっていた時、必死に乱入していたように思いますが」


 ネイの的確な指摘に棗は何も返さない。どうやら痛いところを突かれたらしい。彼にも肉親に対する情という概念は宿っているようだ。


「……ふ」


 満足そうな声は上がったが。


「何であれ、今は細心の警戒を怠るわけにはいかない」

「今後どうしていく予定だ?」

「ジオフロントの警備体制が万全ではない以上、ここに留まるのは得策ではないだろう。一部のスタッフには、別の場所に居住区を設ける。そこにて、ジオフロントの再建まで待機してもらうことになる」

「別の居住区、ですか?」

「いつ更なる襲撃が起きるか解らない状況だからな。完全に復旧しきるまではジオフロントに君たちが留まるのは今日限りになる」


 それは予測していなかった指針。敵に本拠点の位置を知られたとはいえ唯一の牙城なのである。この場に隠れ続けるものだと思っていたが。


「それも当然の処置と言えますね」

「東!」


 いつの間にか背後に佇んでいた昴に和馬は思わず駆け寄ろうとした。怪我をしている彼を支えようとしたがためである。

 少年のそばにたたずむ老年でありながらも老いを感じさせない筋骨を携えた酒匂に制されとどまる。

 

「ご心配には及びませんぞ。昴様には私が付いていますが故」

「怪我は大丈夫なのか?」

「ええ。皆様の迅速なる処置のおかげで弾丸も摘出できました。しばらく包帯は外せませんが、もうこの通り一人で歩けるくらいには回復しています」


 彼はU.I.F.襲撃の際に腹部に弾丸を撃ち込まれ気を失っていた。致命傷であったはずだがなんとか無事であったらしい。

 U.I.F.を制圧して医療設備を真っ先に再興させたが故だろう。あのままもし拠点が攻め落とされていたらと考えると恐ろしかった。


「棗さんの決定が最善かと思います。どれだけレジスタンスが防御を固めていても、この周辺区画全域を抹消させられればもう打つ手はありませんから」

「地下に位置しているとはいえ、空爆でも受ければかなりの被害を受けることになるでしょうからな」

「はい。それ故に、主要格の一部が安全な場所に待機しておくのは、いざという状況に備えての準備として重要なことだと言えるでしょうね」

「ジオフロントが再建できれば、身の振り方も多様になる。だがそれまでは、君たちには別の場所で過ごしてもらう。場所に関していくつか目処は立てているが、現状ではまだ勧告できない。変更の可能性もあるからな」


 ということらしい。棗の秘密主義は今に始まったことでないため特に言及することはなかった。

 何であれ今必要なのは一刻も早く積み重なる問題を消化していくことだろう。


「具体的に、移動はいつになる」

「この本拠点の警戒網が最も薄いのは今だろう。防衛省が今日明日にでも襲ってくる可能性もある。出来るだけ早急に行動に出た方がいいだろうな」

「仮居住区に関しては今夜のうちに手配しておく。スファナルージュに掛け合えば、おそらく明日には準備が整うだろう」

「ということは、ジオフロントに留まるのは今日で最後ということね」


 真那は変わり果ててしまったジオフロントをどこか名残惜しそうに見渡しながらそう呟いた。


「別に今生の別れになるわけではない。M&C社の協力の元、迅速な増築作業が出来れば数か月で戻ってこられる」

「場所はどこであるにしても仮拠点にいる間、そっちが襲撃されたらどうする。まともな警備体制すら築けないだろ。一巻の終わりなんじゃないのか?」

「それに関しては問題ない。今やもはやアンドロイドやドローンの目を気にして武装できないなどとは言っていられない状況だ。ジオフロントの軍物資の二十パーセントを仮拠点に流す」


 その決定が事態の切迫さを物語っているが、それよりも時雨が気になるのはその大量の物資をどうやって仮拠点に移動するかという点である。


「地下運搬経路をと言いたいところだが、そうも言えないのが問題だな」


 幸正の言うとおり地下運搬経路はもはやレジスタンスの専売特許ではない。

 ジオフロントへ部隊が襲撃を仕掛けてきたとき連中はジオフロントへの入り口が地下にあることを知っていた。

 そう考えると地下運搬経路を使っていることももう防衛省は既知としているのだろう。というよりも妃夢路が裏切っていた時点で最初から知られていたと考える方が自然だ。

 これまで奇襲をかけられなかったことを考えるとあたかも泳がされていたようにも思える。その点防衛省の考えは読めそうにはないため、いくら策をめぐらせても裏をかかれそうなものだ。


「地下運搬経路がもう安全でないと考えますと……イモーバブルゲート外に出るのも厳しいかもしれませんね」

「あおそらく俺たちが外に流れないよう、防衛省もイモーバブルゲート地下に部隊を配置しているはずだ。この状況もある。外の拠点に流れようとするのは自然だからな」


 以前デルタボルトを用いた壁外拠点の爆破が防衛省によって行われた。このことからレジスタンスのから拠点や駐屯地の壁外分布をある程度把握されていることは自明の理だ。

 それ以前の問題として姫夢路の存在もある。こちらの活動拠点となる場所は全て敵の既知となっているわけである。

 それらを踏まえた上で最適解を見いださなければならない現状だ。進退極まったのか伊集院は老いを感じさせる声音でふうむと唸った。


「我々の地力が根付くまでは隠れ蓑の生活を続けるほかない」

「運搬も結局地下を経由するしかないでしょう。地上は目立ちすぎますから。幸い地下運搬経路は蜘蛛の巣状に張り巡らされていますので。敵の目をかいくぐって移動するしかないでしょうね」

「肩身が狭いですなあ」


 はっはっはと酒匂は豪快に笑って見せる。こんな状況に置かれていても動揺の色を見せない人物だった。

 いや動揺はいくらかしているのだろう。昴に仕え護るものとして彼の前では弱みを見せないつもりなのだ。年の功のなす業か。貫禄醸す印象ゆえかもしれない。


「しかし今日明日の出立ということでしたら、その前にやっておきたいことがあります」

「やっておきたいこと?」


 昴は幾ばくか表情を改めて一歩踏み出した。皆の視線が集中するなか齢十五の少年は少しも臆することなく話を継ぐ。


「はい。これまでの大規模な作戦に伴う被害総合、それは振り返ることさえ身が竦むようなものでしょう」

「我々は数値的な人員管理なども行ってきましたがな。今回の襲撃事件に伴う死傷者の数は類を見ない大痛手となってしまいましたが故」

「それ故に、追悼式を行いたいと考えています」

「追悼式?」


 予測もつかないような提案だった。追悼の儀式などこれまで一度として行ってきたことはなかったからだ。


「戦いに明け暮れ、身を焦がす日々。たまの休息を与えられても、それはあくまでも肉体的な休息にしかなりえなかったでしょう」


 今回の出来事はあまりにもダメージが大きすぎた。無数の仲間が失われ無数の者が喪失の恐怖に苛まされているはずだ。


「それ故に今回この逆境をスタッフの皆さんが乗り越えられるよう、追悼の儀式を執り行おうと考えました」

「なるほどな……いいだろう」

「ありがとうございます皇さん。追悼式に関しましては皇さんが執り行いますか?」

「いや俺は確かにレジスタンスの牽引役だが、兵士の士気を高める役でもそれらの傷心をねぎらう役柄でもない。そう言うのは東、君に任せるさ」


 昴は今や防衛省から離脱した身とは言えどリミテッドにおいても日本の皇太子という立場は変わらない。

 唯一残された皇族の血筋。本来リミテッドの未来を率先して担っていくべき存在でもあるのだ。そう言った意識が彼の中にも芽生えているのかもしれない。


「勿論です。お任せください」

「ふ……いい顔だ。自身の力を過信している様子もないのに、どうしてそこまで自信に満ち溢れているのか」

「簡単な話ですよ。ぼくには酒匂さんがいますから」


 昴は落ち着き切った表情で自信満々にそう告げる。そんな彼の傍らで酒匂は誇らしげに腕を組む。


「そうではありますまい。昴様がそうして胸を張れるのは昴様の心意気が誰よりも気高きものであるからですぞ」

「そうでしょうか?」

「そうですとも。誰よりもリミテッドのことを考え誰よりも状況を良きものにしようとしている。称賛に値する意識ですな」

「そう、なんでしょうか」

「そうですとも」


 やはり酒匂は得得たる表情で髭を整えていた。

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