第115話

「こちら潜入分隊、本部へ伝令、応答願う」


 薫の撃退、重ねて伊集院の拘束を満了し離脱を開始しはじめ数分の後。

 棗は無線機越しにジオフロントの管制区画にいるであろう妃夢路に向かって伝令を飛ばした。


「聞こえているよ」

「航空部隊との無線を仲介してくれ」

「了解さね……感度良好、問題なく繋がっているよ」

「偵察、離脱用機、応答せよ」

「……こちらブラックホーク01、操縦士シエナ・スファナルージュ、オーバー」


 無線機からシエナの声。ヘリを操縦中なのか風が吹き付ける音が聞こえてくる。


「作戦は成功した。現状離脱態勢にある。ブラックホーク01、指定区域にて待機せよ」

「了解しました、ランディングゾーンの座標指定願います」

「現在、ミッション区域から離脱、別のターミナルへ向けて進行中である。本部、近隣のターミナルの位置を教えてくれ」

「その位置からだと武蔵野二番ターミナルが近いね」


 航行中のシエナよりも状況把握に適しているのはソリッドグラフィを前にしている妃夢路だ。故に彼女は正確な位置情報を口頭ではなくファイルで送信してきた。


「ならばその地点の座標をブラックホーク01に送信してくれ」

「了解……これさ」

「確認できました、これよりランディングゾーンに向かいます」


 しばらくして目的地である調布市武蔵野台地のターミナルに到着する。そこから周囲を警戒しながら出ると上空にブラックホークが滞空していた。

 おそらくはレーダーで位置を察知されぬよう高度を保っていたのだろう。手早く乗り込むと機体は急上昇を始めた。


「皆様、ご無事で何よりです」

「無事なのが不思議なくらいだな」

「怪我などはありませんか? 必要なら私の救急キットを使ってください」


 シエナが放ってきたキットを使って各々が怪我の手当てをする。

 前回同様この機体に同伴していたクレアが各々の容体を確認している。

 皆すり傷や裂傷などがあったが大きな怪我はなかったようだ。全員が五体満足で帰還できそうなのはひとえに奇跡の成した業だろう。


「どこに向かえばいい」

「どこに行くにしても、イモーバブルゲートの高周波レーザーウォールはヘリでは通過できない。一度迂回して敵の索敵範囲外に逃れ、アウターエリアの駐屯地に向かってくれ」

「了解した。進路変更。方位220度、高度8000フィートに上昇する」

「拠点までは直線距離7.8マイル。経路120度……そのまま迂回していけばレーダー索敵外へと出られるよ」


 それを聞いて本当に全てが終わったのだと理解する。凝り固まった緊迫感がようやくほどけ始めるのを感じた。


「では、そろそろどういうつもりか聞かせてもらおうか」


 空気は更に張り詰める。尋問が再開されたわけだ。


「それは俺も気になるな。俺たち全員の身を危険にさらしてまで独断行動に走った理由。まったく見当もつかねえな」

「その男を人質に取ろうとした、という理由だけではなさそうだが」

「……そうだな」

「…………」


 伊集院は棗を眉根を寄せて睨んでいる。先ほど棗のことを名前で呼んでいたことから考えても赤の他人ではないはずだが。


「聞こえますかっ、誰か聞こえていますか!」


 さらなる質問がなされる前に無線から昴の声が響いた。


「リミテッド内部で、何やら不審な動きを観測しました」

「それはどういう意味でしょうか……?」

「ぼくは今回、皇さんに指示され酒匂さんとレッドシェルターの監視をしていたのですが、ソリッドグラフィで監視をしていたら問題が生じまして」

「何が起きた」

「それが……レッドシェルター内部南部に、ロケットが出現したんです」

「は……?」


 一瞬言葉の意味が理解できなかった。ロケットだと? それはたったさっき破壊したはずではないか。


「ロケットだと? 一体どういうことだ」

「解りません、ですが確かに数分前、出現したのです」

「確かに……あるわね」


 ビジュアライザーにて小型のソリッドグラフィを展開させていた唯奈。そこには確かにレッドシェルターの一地点に高く聳えている何かがあった。

 先ほどまで対峙していたロケットと酷似した何か。


「本物なのか?」

「目視でも確認しましたがただのオブジェではなさそうです」

「何が、どうなっているのよ……っ」


 困惑したように唯奈は髪を掻き乱す。状況の発展に思考が追い付かない。だが頭のどこかではロケット出現の意味を正確に理解できてもいた。


「まさか調布市のロケットは、それその物がデコイだったというのか?」

「俺たちの軍事力を本物から背けさせるための囮だと?」


 脳を直接かなづちで叩かれたような衝撃だった。そんなまさかと思いつつもそれしか考え付かない。

 

「ですがどうやってそんなことが……レッドシェルター内部にはロケットを開発する施設がなかったのではないのですか?」

「そのはずだ。どうやってレッドシェルター内部に……」


 いや考えてみれば開発は内部で出来なくとも問題はない。外で開発したパーツを内部に持ち込めればあとは組み立てるだけで済むのだ。


「でもロケットのパーツをどうやって運んだの? 少なくとも私たちの監視体制の中、レッドシェルターまで運搬された様子なんてなかったわ。高架モノレールじゃ運べないわ」

「……運搬が可能な場所は地上や高架モノレールだけではない」


 それまで口を噤み続けてきたはずの伊集院が不意にそう発した。


「地上やモノレールだけじゃ……っ、地下運搬経路!?」

「……失念していました。我々が使用している地下運搬経路。それは東京23区だけでなく、東京都全域の地下に蜘蛛の巣状に張り巡っています。つまり――」

「イモーバブルゲート外からの運搬もできる……?」


 何故気が付かなかったのだろう。この事実に気が付いていれば、レッドシェルター内部で打ち上げが出来ないなどという結論には至っていなかったはずだ。

 だのに前提条件をありのままに受け入れてしまった結果、デコイに噛みつく結果となった。防衛省の策謀の筋書きのままに。


「くそ……この作戦全部意味なしかよっ。おい伊集院! 何が目的だ! なんのためにあのロケットを打ち上げるんだ!?」

「落ち着け和馬、伊集院純一郎を問い詰めても、おそらく正確な回答は出てこないだろう」

「おい皇、どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だ。この男は、この計画についておそらく何も知らない……佐伯・J・ロバートソンに利用されただけだろうからな」

「…………」


 それに伊集院は答えない。だがその沈黙が肯定を物語っていた。


「確かに先ほど立華薫に殺害されかけていたことを鑑みても、防衛省内部で分裂が起きたことは明らかだ」

「つまりこのロケット打ち上げの企画自体が、左翼側の計画だったということですか?」

「いやそれはないだろう。あくまでも、ロケット打ち上げ自体はこの男が企画したものだ。発案したのは、おそらく佐伯だろうがな」


 分裂が起きていたことから伊集院も佐伯が何かしらを企てる可能性は危惧していたはずだ。それ故に規格をその不穏因子にすべて任せていたとは考えにくい。


「……いかにもその通りだ。私を尋問したとして何か新たな情報が出ることはない」

「最初から、そんなことのために連行したわけじゃない……

「……は?」


 今、棗は伊集院のことを何と呼んだ。

 自分の耳を疑うが確かに脳はその言葉をしっかりと記憶していた。


「ナツメとジュンイチローは親子なのか?」

「……そうだ」

「きょ、驚愕の事実なのです……大スクープなのです」

「黙れ……ふん、そういうことか」


 棗が伊集院を連行した理由。ようやく納得のいく推察が出来た。

 

「だが、何故」

「気になることはあるだろうが、今はそんなことを論じている時でもない」

「それもそうだな。状況を整理すると、このロケット打ち上げ企画自体は、伊集院すなわち防衛省長率いる右翼側が進めていたものだった。だがその水面下、企画を利用し俺たちの目を欺いて、レッドシェルターからロケットを打ち上げようと佐伯率いる左翼側が画策した……ということか」

「つまり伊集院純一郎、アンタは文字通り利用されたってわけね」


 皮肉気に唯奈は鼻で笑って見せる。伊集院はそれに悔しそうな顔をするわけでもなく、複雑に老骨を思わせる眉を寄せて返す。


「だが、そもそも打ち上げ場所を二つ用意した理由が解らない。俺たちの対策としてデコイを用意したというのは分かる。だがそもそもレッドシェルター内部で打ち上げるならば、俺たちは容易くそれを阻止などできはしなかった」


 もっともである。そもそも目的不鮮明なロケット打ち上げの阻止を害を被ることを理解しながら決行したのは、その場所が調布市だったからだ。

 レッドシェルター外部、防衛省の領域外のこの場所ならば作戦が成功する確率が高いと踏んでの計画だったのである。

 もしレッドシェルター内部での打ち上げだと事前に知っていたのならば、打ち上げの目的が判明するまでは動かなかったはずなのだ。


「……おそらくは、私の目を欺くことが目的だろう」

「アンタの? どんだけ嫌われてたのよ」


 防衛省内部での分裂はレジスタンスですら察知できていたことだ。当事者である伊集院が気付かないわけがない。

 おそらくは佐伯が転覆を企てていないか入念にチェックしていたのだろう。


「そうだ。その一環として調布市のJAXA本社である宇宙航空センターにてロケットを組み立てた際、私が自ら信号を打ち込んだ」

「その慢心がアンタの注意力を散漫にしたわけね。で? そもそも、アンタは何のためにロケットを打ち上げるつもりだったのよ」

「レジスタンスの君たちに話す義理はないが特に隠すことでもない。君たちはデルタサイトの目的について理解しているようだからな」

「何かアンタ、やけに素直ね……」


 唯奈が気味悪がるように伊集院のことを見下す。確かに敵陣営の最重要人物にしてはその口が軽い。というよりもレジスタンスに対して貢献的である。

 伊集院の話によれば、打ち上げの目的は人工衛星ノアズ・アークにとある信号を送信することであったという。

 その信号というのは端的に言えばデルタサイトの強化だ。


「なるほどな、俺たちが命張ってまで阻止するようなことじゃなかったってことか」

「逆にリミテッドの安寧獲得に欠かせないものだと言えますね……あくまでもデルタサイトが機能している間の仮初の安寧ではありますが」


 おそらく佐伯が企んでいることはこの打ち上げに伴った伊集院の殺害だけではない。

 それが未遂に終わった今もロケットを展開していることからそれは明確だ。

 彼の最大の目的はあのロケットを打ち上げることか。


「つっても、別にデルタサイト強化が目的なら、阻止しなくてもいいんじゃねえか?」

「バカね、佐伯がこの老害を欺いてまで発射場を二つ用意したことから考えても……ノアズ・アークに送信する信号は多分全く別の物」


 そう言うことになるだろう。一体、佐伯はどんな信号を送ろうと考えているのだ。

 こちらの目を欺き防衛省を転覆させてまで成そうとしたその目的とは。どんな非人道的な目的があるのだろう。


「昴様、配信をご覧なさるよう伝えてくれますかな」

「配信ですか? αサーバーでしょうか」

「そうですな」

「配信がどうかしたのか?」


 無線越しに酒匂と昴の会話が聞こえてくる。

 

「チャンネルは4ですぞ」


 酒匂に指示され各々αサーバーに接続する。そのチャンネルでは何の配信もされていないのかウィンドウが真っ暗のままだった。


「何も映りませんが……」

「これが、どうかしたのですか……?」

「防衛省の周波数をキャッチし何かしらの行動がないかと探っていたのですがな……どうやらそのチャンネルは防衛省が配信しているようなのですぞ」

「防衛省が……?」


 嫌な予感がする。そんな悪寒を匙で掬うように真っ暗だったウィンドウに何かが映った。


「ウェルカムトゥーリバティ! 香る桃源郷へようこそ!」


 画面いっぱいに不気味な嘲笑が浮かびあがる。


「さぁさぁ今日もやってきたよ、リバティ日報だ。ギルティなる聴衆者たちよ、香しいこの配信が見えているかい? おっといけない、これは禍殃のネタだったね」

「ぅげ……生え際チャイニーズ男」


 その顔を見て唯奈が女性にあるまじき声を漏らす。

 同時にその顔に不快そうな色を張り付けていた。監禁中の記憶がよみがえってきたのかもしれない。


「さてさて、日報とさっきは言ってしまったけどこれはゲリラ配信さ。その目的が解るかい?」

「このしゃべり方聞いてるだけで禁断症状が出そう」

「落ち着け」

「目的に関して鮮明にする前に一つ言っておかなければいけないね……実はこの配信は君たちリミテッドの罪深き聴衆者たちに対するものじゃないんだよ」

「どういう意味……?」

「この配信は、もっとワールドスケールでの聴衆に向けたアダムからのお告げなのさ。まあEDENを総べるこのアダムに掛かれば、ワールドだろうと宇宙だろうと、手のひらの中に納まるような次元の話だけどね」


 そう言って彼はない前髪を払う仕草をする。つまり要約すると海外諸国に向けた配信ということか。

 唯一海外と共用しているαサーバーを使っていることを見ても間違いはなさそうだが。一体何を配信するつもりなのか。


「ちなみにこのリバティ日報だけど、禍殃のアイドレーター日報と同じチャンネルを使っていてだね」

「アダム、あまり無駄話をしている時間的猶予はありませんよ」

「おっといけない、解っているよ局長。話を進めればいいんだろう? ……では本題に入ろう。まず僕たち防衛省は、今から八分後、午後9時29分にロケットを打ち上げる。ロケットの名称はU.I.F.SLスプレッドランスモジュラー。発射十六分後に千代田区座標の宇宙にてノアズ・アークという人工知能に接触する」

「な……ノアズ・アークはもう軌道から逸れているはずじゃ」

「おそらくはノアズ・アークが千代田区上空を経過する時刻すら誤情報だったのだろう。俺たちの目を欺くためのデマ」


 妃夢路が仕入れてきた情報。さらに昴たちが得てきた企画書。それら二つの記載が一致していたため、それすらデマなどとは気づきもしなかった。


「接触の目的は、ノアズ・アークにとある信号を送ることさ」

「アダム、その話を先にすると要点が伝わらなくなりかねませんよ」

「おっと、それもそうか。聴衆している者たちよすまない。少し話を脱線させよう。第一前提として話さなければいけないことがあったね……」


 そこまでいって一成はその表情を豹変させた。一瞬だけ邪悪で劣悪な物に。


「世界中にノヴァというギルティをばらまいたのは……

「な……っ!」


 あまりの衝撃に驚愕を隠せない。防衛省の策謀をラグノス計画の真相を配信しただと?


「いや違うね。ギルティなのは君たちの方だ。ノヴァはあくまでもリバティの使者に過ぎない」

「この男……何を考えている」

「気づいている者も多かったろう? ならば僕がその疑心を形にしてあげよう。それは正しい。そして僕たちのやっていることも正しい。世界をリバティに導くための正義感溢れる活動さ」


 もう撤回などできない状態にまで来ている。

 海外諸国は確かに防衛省とノヴァの関連性について疑心を抱いていただろう。それ故にレジスタンスに加担する国が多数あったのだ。

 それでも防衛省がそれを認めない限りは彼らも核心には迫れない。

 防衛省が諸悪の根源だと根拠もなく決めてその制圧に掛かれば、デルタサイトという供給が絶たれ生存が厳しくなる。

 その状態こそが防衛省の望んでいたものだったはずだ。ラグノス計画の終点にあるべき理想の姿だったはずだ。

 だのに一成は今その均衡を自らの手で瓦解しようとしていた。


「従来の防衛省は随分と保守的な考えを持っていてね。今の均衡状態を保とうとしていたんだ。でもね均衡なんて長くは続かない。平和なんていつか壊れるものさ。何と言っても、平和の裏側には戦争が常について回るからだ。平和は戦争なくして成立しない。それ故に僕たち革新派閥は、さらなるリバティへの一歩を歩みだすことにしたんだ」

「一歩……?」

「あまり、おかしな気を起こさない方がいいよ、海外諸国の諸君。均衡を崩し改変をもたらすとしても、それには必ず抜け穴が付きまとう。君たちが僕たちに刃向おうとするのなら、僕たちは保身のためにも保険をかけないといけないのさ。その保険は、もうかける準備が出来ているんだけどね」


 保険。一体何のことか。


「さっき話していたロケットの件だけど。送る信号はノヴァを操るための物なのさ。その信号を人工衛星ノアズ・アークに送信し、さらに地球を囲う形で分裂している七つの子機に、同じ信号を配信する。この意味が解るかい? 僕たちがしようとしていること、それは――――ノヴァを自在に操ることさ」


 自在に……? 現状では操れていなかったというのか。


「君たちがおかしな気を起こす前に、一つ対策を取るとしよう。ロケットが人工衛星に到達し、ノヴァを制御する信号を送信したら、僕たちは大きなリバティへの一歩を歩みだす」


 一成はそこで言葉を切った。胸に刺していた薔薇を手に取りそれに鼻をうずめては匂いを堪能する。


「手始めに……そうだね、どこかの大陸を潰すとしようか」

「……!?」

「恐怖による抑圧、ああなんて甘美な響きだろうね。早く潰したい。ノヴァに侵略させたい。ああ待ち遠しいよ、リバティに一歩近づくことが!」


 意味の解らない発言の数々。だが解る。この男はハッタリなどをかましているのではない。本気で大陸を潰す気なのだ。


「ああ興奮してきた……早くイヴ、君と二人きりになりたいよ……ああハゥフゥ! 僕のイヴゥッ!!」

「全世界配信で、日本の痴態をさらさないでほしいですねえ」

「そうは言われてもね、この漲って止まないリビドーをどうやって抑え込めばいいんだい?」

「それは知りませんが、話が進みませんので進行は私がします」


 一成は枠外に押しやられ佐伯の不敵な笑みがクローズアップする。


「まあ、そういうことですよ皆さん。私たちはね、この世界を統一しようと考えているのですよ。大日本帝国の再建といったところですかね。恐怖による抑圧で、すべての国家を我が手中に収めようと考えています……もちろん皆さんご協力願えますよね」

「世界全てを自分色に染めたいわけだね。んん~、なかなかにスケールの大きなフェティシズムだ」

「あなたの性癖で語られても困りますがね。まあそういうことです。状況をご理解いただけたのでしたら幸いです。ああそれから、どの大陸が抹消されるかは後のお楽しみということで」

「あとは、発射まで静かにしていようか」


 彼らが黙り込んでから数秒もの間、機内には静寂が取り巻いていた。

 誰もが彼らの目的を目の当たりにし状況を飲み込めずにいたのだ。飲み込めてはいたが理解しようとしていなかっただけか。


「ふぇ、ふぇぇぇえええ……」

「黙れ」


 最初にその沈黙を破ったのはクレアだった。時間をかけてようやく状況の深刻さを実感し焦ったように情けない声を出す。


「おいおい、まじでまずくねえかこの状況」

「防衛省……いえ、革新派閥は恐怖政権でも確立させるつもりなの? それも世界規模の」

「ナノマシンを用いた世界征服……ばかげた話だけど本気で実行する気に思えたわね」


 ああきっと本気だろう。本気で世界を統一しようとしているのだ。

 

「この状況、革新国が唯一核を所有しているようなものだ」

「それは違うな。その状況ならば、他国もまた核を開発し核抑止力を展開できる。だがこの場合はそうもいかない。ナノマシンの抑止など出来るはずもない」


 皆の声音が等しく強張っている。まさかそんなことがと実感を持てずにいながら確信してしまっているのだ。

 防衛省は本気で世界を掌握しようとしているのだと。


「……私の目は節穴だったようだ」

「どういう意味だ」

「私は佐伯がペテン師であると考えてきた。だがそれは間違いであったようだ」


 伊集院は形容しがたい葛藤にさいなまされるように表情を歪ませていた。自分がただ利用され続けてきたことに対する憤慨か、あるいは後悔なのか。

 どちらとも取れない顔で彼は項垂れる。


「さて、そろそろ打ち上げの時間だね。発射管理局、どうだい?」

「点火シーケンスへと移行中です」

「タイムリミットは僕に言わせてくれないかな」

「構いませんが……こちらがタイムリミットになります」


 ウィンドウの中で一成は何かタブレット端末のようなものを手渡される。

 ウィンドウから目を反らし機窓から外の光景を見やった。遥か彼方レッドシェルター。摩天楼群から外れた一角にロケットが聳えているのが見えた。


「発射まで、あと一分だね」

「くそ……っ、止める手段はないのか!」

「……無理だ。距離が離れすぎている。それにもしリミテッド内部にいたのだとしても、レッドシェルターには入れない」

「くそ!」

「……レッドシェルターの高周波レーザーウォール越しには攻撃が出来なくても、ウォールの効果範囲外に出た後に撃ち落とすことはできないのですか?」

「それは無理だ。高周波レーザーウォールは標高四千メートル地点にまで聳えている。その高さにまで到達でき、かつロケットを打ち落とせるような兵器など短時間で調達できない。できたとしてもそこで撃ち落とせばリミテッドが火の海と化す」


 まさに手も足も出なかった。防衛省革新派閥の佐伯・J・ロバートソンの策謀にまんまと嵌められてしまったわけだ。


「安全系、準備完了」

「残り、十五秒だ」

「エネルギーの充填が完了」

「九秒だね」

「メインエンジンスタート」

「四、三、二……舞い上がるがいい、リバティの使者よっ!」


 レッドシェルターに黒煙が立ち込めそしてロケットは上昇を始めた。

 一寸の狂いもなく確かに高度を上げていく。爆裂の勢いを伴って一直線に空間を貫いていった。


「終わった……止められ無かった」


 ロケットが人工衛星に到達してしまえばどこかの大陸が抹消される。そして世界は恐怖によって支配されるようになる。

 ナノマシンによる世界の掌握。革新派による世界征服が始まるのだ。


「くそ、くそがっ!!」

「止まってくださいなのです……!」

「だ、黙れ……」


 そんな悲痛な叫びなどお構いなしに、巨大な燃料を搭載した金属の塊はもはや手の届かない場所へと向かっていく。

 もう手段など何一つなかった。


「奴は、ペテン師などではない」


 項垂れていたはずの伊集院の言葉。時雨たちとは違ってその声音は絶望に満ちてはいない。


「水面下で動きながら陰湿な蛇のように機会を伺う人間であると、そう思ってきた。だが違う、奴はペテン師などではない」

「何を」

「佐伯・J・ロバートソン、君は一歩届かない。君は運命の歯車の手のひらで転がされているだけの……ただのピエロだ」


 爆音が轟く。闇に閉ざされていた真っ黒い空を照らす花火。爆発地点から雨のように降り注ぐ火の玉はロケットの破片。

 防衛省左翼側の陰湿な策謀をふんだんに詰め込んだ金属の塊は、宇宙に到達する前に霧散した。


「なに……!?」

「おやおや、これは予想外の展開ですね」


 一成たちの演出ではないようだ。常にポーカーフェイスの変人二人組も、この事態は予測していなかったことが表情から読み取れる。

 爆散したロケットの破片は流星群のように周囲に散らばって、その大半が東京湾に着水した。


「地上に被害はなかったみたいだけど、一体何が……」


 海面ではなく陸上に降り注いだ鉄の雨もあったが、それらはリミテッドから遠く離れた地点に落ちていた。

 かなりの標高に達した時点で爆発し被害範囲が拡大されたのが幸いしたようだ。


「これは僕のEDENフォーマー計画にはないシナリオだ……」

「何ですかその胡散臭い計画は」

「っ! 情報局! 直ちに配信を中止しろ!」

「指令了解、ワールドラインTV、チャンネル4hの配信を中止。繰り返す、ワールドラインTV、チャンネル4hの配信をちゅ」


 途端にウィンドウ越しに活気立ち始める喧騒。それは局員の指示が伝達され切る前に遮断された。おそらくはこの予測不能な事態を収束すべく配信を遮断したのだろう。


「……伊集院、これはどういうことだ」


 棗は表情で驚愕を露わにしながらも冷静に伊集院に問い詰める。先ほどの意味深な発言といいまさかこの爆破は彼の仕業なのか。


「確かに私は佐伯どもに利用され嵌められていた。だが何の対策もしていなかったわけではない」

「あらかじめ爆弾を仕込んでいたのか?」

「それはない。そもそも、レッドシェルター内部において、別のSLモジュラーが複製されているなどと知る由もなかったからな」

「ならどうやって……」

「単純な話だ。今回の調布市での打ち上げ企画を決行する直前、私の部下をレッドシェルターに忍ばせておいた」


 部下というのは防衛省の人間ということで間違いあるまい。

 しかして左翼派閥が防衛省内部で転覆を目論んでいることに感づいていたというのならば。

 そのような作戦を任せるとすれば全幅の信頼を寄せられる相手でないといけないことになる。伊集院がそこまで信頼している部下とはいったい誰なのか。


「だが俺たちがお前を捕縛してから先ほどの配信まで、一度として指示を取らせなかったはずだが。その部下は誰の指示でロケットを爆破したというのか」

「指示は一つだけだ。有事の際、すなわち不穏な動きを見せていた左翼派閥の連中が阻止せねばならぬ行動に出た場合におけるもの。その時に限って臨機応変に対処するようにと指示をしていた」

「上官の指示を仰がせず独断行動をさせたのか」

「私が捕縛されるか、あるいはあの場で殺害される可能性も熟慮していた。よもやレジスタンスの君たちに連行されることになるとは考えていなかったがな」


 伊集院は皮肉げに笑う。自分を捕縛したそのレジスタンスが自分と敵対関係にあると理解したうえでだろう。

 どうしてそこまで冷静でいられるのだろうか。伊集院を処刑する可能性だってあるというのに。


「まあいい。俺たちの手ではなくお前の手によってではあるが、ロケット打ち上げは阻止できた。作戦は成功したと考えていいだろう」

「運命の悪戯といったところか。我々の利害が一致したにすぎん」

「ランディングゾーンに到着しました」

「お前の処遇に関しては、一度駐屯地に帰投してから考える」


 ヘリは既に拠点へと到着しているようだった。空気をかき混ぜながらブラックホークは降下していく。

 下界に広がっているのは久々に見る光景だった。時雨がレジスタンスに拉致られラグノス計画の何たるかを知らされた場所。

 アウターエリアにある駐屯地、陸上自衛隊広報センターである。


「俺は一度、ジオフロントに帰投する」


 ヘリから皆が降りると同時、船坂が軍用車両に乗り込みながらそう告げた。


「目的は?」

「今回の作戦によって生まれた被害の統計をとる必要がある。また地上遊撃部隊の安全区域への誘導も必要だ。現地にいた俺の認識があった方がいいだろう。本部に合流する」

「妃夢路への伝達か。いいだろう。他に随伴車両部隊はいるか?」

「いや必要ない。地下運搬経路を用いるとはいえ目立つような行為は避けるべきだからな」


 そう応じる船坂の表情に時雨は何か得体のしれない感情を見出す。

 それが何であるのかは解らなかったが。ただ何か違う目的で本拠点に帰投するつもりのように思えたのだ。


「峨朗、和馬。伊集院を尋問室へ連行しろ」

「いいだろう」

「おかしな真似すんなよ。俺も無意味な殺生はしたくねえしな」


 棗に指示され幸正が伊集院を連れて施設内部へと入っていく。

 伊集院の後ろについてその背中に小銃を向けている和馬。二人の男に挟まれ見張られながら伊集院は尋問室へと連行されかけていた。


「――――!」

「がっ……!?」


 風塵のように上空から落下した何かが、いともたやすく和馬の体を突き飛ばした。砂塵を巻き上げながら着地したそれは人影。

 

「ふん……!」


 その姿を確認するまもなく幸正は迅速に小銃のトリガーを振り絞る。

 吐き出された雨のような銃弾をその人影は至近距離であるにもかかわらず回避した。時雨の目でもおえないほど俊敏な身のこなしで急速に幸正に接近していく。

 銃弾が一つも当っていないことを瞬時に察知し幸正は小銃を捨てナイフを抜刀する。

 その切っ先を地面に組み伏せた伊集院の喉元に押し当てた。こちらも到底人間とは思えないほどの反射神経だ。


「とまれ。さもなくばこの男の」

「――――」


 本来ならば幸正の判断は正しかった。

 この状況にて敵の正体が解っていない以上は、接近戦を一対一で受けることは危険だ。それならば人質を取って応対した方が戦略的勝利を見込める。だが、


「ッ、ぬぅ……ッ」


 襲撃者は幸正に伊集院の動脈を掻っ捌く暇すら与えない。コンマの速度で肉薄し、幸正の頭部目がけて回転からの蹴撃を炸裂させる。

 幸正はまたもや神業レベルの反射神経で身を引きそれを回避した。そうして懐目がけて振り上げられた刃物に対しナイフを忍ばせる。

 空間を引き裂くような鋭い金属音。火花が飛散し、剣戟に押し負けた幸正は跳ね飛ばされ後退する。

 彼の手から跳ね飛んだコンバットナイフは中腹辺りで二つに分断されていた。あまつさえ裁断された地点から銀色の粒子へと変換されていく。


「っ! よけるのだとーさまっ!」


 その隙を人影は見逃さない。瞬く間に開いたばかりの彼我の間隙を縮め、がら空きになったその喉元へと逆手に持たれた刃物が接近する。

 さすがの幸正でも回避しようがない一撃だった。刃物は確実に彼の喉を切り裂いていたことだろう。


「待て」


 立ち上がった伊集院の静止が掛けられなければ。


「っ……」


 襲撃者はその強襲を止めた。幸正の首を刎ね飛ばすはずだった刃物は首に接触する寸前で静止している。

 まるで時間そのものが停止してしまったかのような。両者が微動だにしなくなったことで、ようやくその人影の全容を垣間見ることが出来た。


「いつまで待てばいいんです? エンプロイヤー」

「霧隠……!?」


 止まっていた時間が動き出したように彼女の背中に灰色のマフラーが舞い落ちる。

 幸正と対峙している小柄なその少女の姿は見間違いようもない。霧隠月瑠だった。

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