第95話

「何よまた来たの?」


 病室の扉を開け中に足を踏み入れると同時。心底不快そうな顔で唯奈にそう言われた。


「まあ、来たな」

「はぁ……何で一日に二回もアンタの顔を拝まなきゃなんないのよ」


 普段なら二桁回数以上顔合わせしているはずだが。


「それとこれとは話が別。今回は病室なの。私は病人。だのにアンタに二回もお見舞いされて、傷跡に何度も菌を刷り込まれる気分よ」

「何気にバイキン扱いされたな。そんなに言うなら出ていくが」


 ちょっとショックである。もちろんこの唯奈に手厚い歓迎などされるとは微塵にも思ってはいなかったが。とはいえここまで手ひどく厄介者扱いされるとは。


「待ちなさい」

「なんだよ」


 背を向けて病室から去ろうとするなり静止を掛けられる。


「折角来たのに帰るのは流石に徒労だと思わないの? ただえさえ時間が限られてる環境なんだから、移動に費やした時間を無駄にするのは、ちょっと計画的ではないわね」

「……柊ってそんな理系思考だったか」


 うるさいわねと目線を逸らす。


「この医療病棟、数百メートル圏内にあるし別に移動時間は大したことない。不快なら無理しないでも帰るが」

「解んない奴ね、正直暇だから話し相手になれって言ってんの」

「あ、デレた」

「かき消すわよシール・リンク」


 別にそういう心境の変化ではないように思えるが。

 彼女の病室を見渡す限り娯楽という娯楽はない。まあ病室なのだから当然なのだが、数日ここに監禁されて退屈だったのかも知れない。

 凛音のぬいぐるみの頬を突っつきながらどこか気まずそうに目を反らす彼女の反応を見れば、だいぶ精神的に衰弱しているのだと解る。


「そこに突っ立ってられるのも邪魔ね……こっちにきたらどう?」

「ああ、そういえば今回はもう一人連れてきていてな」

「もう一人? ……っ!?」


 次いで室内に足を踏み入れた人物を目にして。唯奈は反射的に抱えていたぬいぐるみを背中に隠した。


「お見舞いに来たのだぞ……っていま何を隠したのだ?」

「べ、別に何も隠してないわよ」


 羞恥からか焦りからか顔を真っ赤にして、必死にぬいぐるみを毛布の下にねじ込む唯奈。

 そんな彼女のことを不思議そうに眺めていた凛音だったが、興味を失ったようにてこてことベッドに駆け寄った。そうして唯奈の横たわるベッド上にダイブする。


「うにゃーんっ!」

「ちょっ、いきなり飛びつかないでよ」

「と抵抗するふりをしながらも、鼻の下をだらしなく伸ばす唯奈様でした」

「マジで端末ごとスクラップにしてやるから」

「っ、わ、私を抹消しても、第二第三の高性能AIであるネイ様が、」

「…………」

「…………」


 さすがのネイも悪魔に睨まれては身の竦みも抑えられないようで。さりげなく目を反らすとそのままビジュアライザー上から姿を消した。


「ユイナ、怪我は大丈夫なのか?」

「まあ上々ね。数週間もすれば、裂傷した筋肉も結合するらしいわ」

「あまりこんなこと聞くわけにもいかないとは思うが……その怪我、どれくらい酷かったんだ?」


 それとなく聞いてみる。怪我の原因は時雨を庇って瓦礫の下敷きになったことにある。どうしても責任感を拭えない以上はあまり出過ぎたことは聞けないが……。


「骨は完全に粉砕してたっぽいわ。筋肉も数十か所裂傷してて、手術室にあと数十分運び込まれるのが遅かったら完全に細胞が壊死してたって話」

「切断云々って言っていたな」


 そんな結末にならなくて本当に良かった。まともに歩けない体になってしまっていたら一生悔やみきれなかったろう。


「まあ防衛省としても、重要な人質を死なせるわけにはいかなかったでしょうしね。不幸中の幸いってとこかしら。最先端のナノテク治療で壊死しかけてた細胞も息を吹き返したみたいね」

「悪いな」

「だから、アンタ何度言えばわかんのよ。アンタを助けたのは私の意志なんだっての。その私の行動にまで責任感じられたらホントやってらんないわよ」

「だがどうしてあの時助けたんだ?」


 時雨の体は致命傷でもリジェネレート・ドラッグがあれば再生できる。限度はあるが。だが唯奈はそうはいかない。


「しんないわよそんなの……気が付いたら勝手に体が動いてたんだから」


 彼女は自分でも解っていないように手のひらを眺めていた。あたかも意図していなかった行動に及んだ自分の体に何かを問いかけるように。


「自分でもバカだとは思うけどね。でももっとバカだと思うことに、不思議とその行動に後悔はしていない」

「そんな体になってもか?」

「アンタを助けたことに、何の意味もなかったとは思ってない。アンタが助かって、私が防衛省に捕まったことで、皆の意識が少し変わった気がするから。いい意味でも悪い意味でもね」


 それはレジスタンスの皆のことだろうか。


「そう。これまでのレジスタンスなら、あの時絶対私のことなんて助けたりはしなかった。実際、最初はその指針で無干渉を装おうとしてたんでしょ?」


 それに答えない。棗たちが唯奈を救おうとしなかった、という事実を口に出すことに抵抗があったからだ。唯奈は言われずともとでも言わんばかりに鼻で笑う。


「別にいまさらショック感じたりしない。解ってレジスタンスやってたんだから……まあ、それでも結果的に、皇棗たちは私なんかを奪還するために動いた。どうしてだかわかる?」


 良心の呵責か?


「まあそうなんだけど。でもそれを皆の心に生じさせたのはアンタよ、烏川時雨。アンタが何を言ったのかなんて知らないけど。まあ、なんか言ったんでしょ」

「……いろいろ罵ったが」

「何がきっかけかは知らない。でもアンタの発言、もしくは行動が連中の考え方を動かしたのは事実。だから私はアンタを助けたことは後悔してない。だって、レジスタンスがあるべき姿になろうとしている証拠だから」


 あるべき姿。それは人民の味方というスタンスだろう。それと同時に命を大切に扱う考え方。


「私の個人的な考えを抜きにしてもね」

「結果的に柊のことを死なせずに済んだわけだが、こういう結果になって、柊は……」

「もちろん、死ぬよりは生きる方がいいに決まってる。でも、もう状況が状況だったから。公開処刑されることにも諦めはついてた」


 死ぬ覚悟も出来ていたということか。

 目線でそのあたりを探ると唯奈はそのつもりだったけどね、と歯切れ悪そうな返答をしてくる。


「でも、なんて言うか。こんなこと言うのは屈辱的だけど、アンタたちが救助に来たってわかった時は……ああ、もうこんなことなんで言わなきゃなんないのよ……っ」

「言いたくないなら言わなくても」

「それはそれでなんだかバカみたいじゃない。とにかく、アンタたちが助けに来てくれた時、抑え込んでた感情がぶわっと溢れ出してきた」

「そうか」

「殺されても仕方ないなんてそう思ってきたのにね。いざアンタたちの姿を見て鳥肌。情けない話。処刑されなくてよかったと安堵しちゃった自分がいた」

「いいことじゃないか」

「そんな覚悟で革命なんてできないわよ。情けないわもう……」


 彼女はどこか感情的に吐き捨てた。目を反らして膝の上にまたがっている凛音を眺める。凛音は唯奈のことを不思議そうに見つめ返しながら、大きな耳をぴょこぴょこと揺らしていた。


「なんだかよく解らぬが、リオンはユイナが帰ってきてくれてうれしいのだ。リオンが帰ってきてほしいと願うだけでは、ユイナが安心できる理由にはならぬのか?」

「そんなの……」

「凛音様だけではありませんよ。レジスタンスの皆様が唯奈様の帰還を待ちわび、焦がれておりました。唯奈様なくし、レジスタンスはレジスタンスとしてなりえませんですから」


 二人の発言に唯奈はたまらず目を反らした。必要とされていることを実感し、感情を抑えられなかったのであろう。


「なんと申しましても、レジスタンスの収入源の多くは、C.C.Rionとユイパイマンの売り上げですからね」

「なのだぞっ!」

「あ、アンタらね……っ」

「青筋」

「っ」


 反射的に唯奈は口をつぐむ。感激からの憤怒と今日の唯奈はいつにもまして感情表現が豊富だった。


「凛音の言うとおりだ。皆、柊が生きていて安堵している」

「別に、アンタ達にどう思われようと知ったこっちゃないわよ」

「自分で言ってただろ。大事なのは命の数じゃない、軽い命と重たい命とか、どんな相対関係だって、天秤にかけていいものじゃないと」

「…………」

「俺にとっては、いや俺たちにとっては、柊の命も掛け替えのないものだ。天秤なんかにかけてはいけない。その命は重たい。失われていい物じゃない。だから……言葉が見つからないな」

「考えてから言いなさいよ」


 呆れたように言葉に詰まる時雨を見据えた唯奈。その目に軽蔑の色や非難の色はなく。

 

「見栄を張るのもバカらしいから言っておく。助けてくれてありがと」

「ああ。こっちもな。無事戻ってきてくれてよかった。おかえりと言っておくよ」

「それに関しても、ね……ただいま」

「おかえりなのだっ」


 唯奈は今度こそ、目を反らすことはしなかった。



 ◇



「そう……あなたはその選択肢を選ぶのね」


 いつ以来か訪れた台場の高架下で。鎖世は何かを悟ったようにそう述べた。


「俺はまだ何も言っていないんだが」

「口にしなくても分かるもの。あなたが最終的にここに来たということは、つまりあなたは定められた二つの道のりから、自ら足を踏み外したということ」


 意味が解らないんだが。

 高架下吹き付ける冷たい風に蠱惑的な彩色の長髪をたなびかせる鎖世。

 その端正な面持ちで叙情的な発言をするなら絵になるのだろうが、彼女の言動は例のごとく奇々怪界だった。


「では私が説明しましょう時雨様。具体的に言えば、これがシミュレーションゲームとして開発されていた場合、唯奈様、紲様の明白な個別ルートへの分岐点を素通りし、メインルートの道のりを歩もうとしているというこ」

「さて燎、俺たちがここに来た理由なんだがな」


 意味の解らないことをつぶやくネイのことは無視して用件を伝えることにする。


「言わなくても解るわ。あなたはメインルートを歩もうとしている」

「折角話反らしたのに、燎までメタ発言してきたら取り付く島がない」


 き真面目くさった顔で鎖世は振り向く。


「あなたにとってその選択は正しいもの? それとも誤った選択?」

「さぁな、成り行きに身を任せてここに来ただけだ」

「物語に近道なんて存在しないわ。ただ、すべてはあなたが選んだ道。それならば、詮衡されしあなたの役割は、その選択によって移り変わるというもの」


 まったく本格的に意味不明な発言である。

 鎖世は高架から足を乗り出し、レインボーブリッジの先に広がるリミテッドを眺めていた。

 そんな彼女の傍にまで歩み寄り同様にその光景に意識を向ける。鎖世はしばらく暁色に染まっていく光景を眺めていたが、こちらのことを一瞥し口びるを震わせる。


「それで、どうかしたの?」

「これといって用があってここに来たわけじゃないんだが……改めて、お礼を言っておこうと思って」

「お礼?」


 不審そうに彼女は視線だけ振り返らせてくる。そんなものを受け取る義理などないと言わんばかりの面持ちだ。


「色々と。学園では皆の避難を率先して行ってくれた。柊奪還の時は、あんな危険な真似までして、中継に割り込みをしてくれた。あんなことをすれば確実に防衛省を敵に回すことを理解していただろうに」

「……感謝されるようなことはしていない。リミテッドがあるべき姿に収まるように、すべきことをしただけ」

「それが燎の当然な考え方でもだ。それでも凄いことだ」


 並大抵の覚悟では出来ない。

 学園では、鎖世が動いてくれなかったらきっと沢山無実の民の命が奪われていただろう。

 αサーバーに割り込んでくれなければ、きっと唯奈は……、


「私は、正しいことをしたの?」

「少なくとも、俺たちにとって燎は救世主的なことをした。だから助かった」

「そう……」


 彼女は短くそう呟いたきり何も返しては来なかった。彼女から目を反らして無限に広がる発展区画に視線を落とす。


「時雨、あなたはこの光景を見てどう思う?」

「どうって。変わらないなと」

「変わらない……本当にそう思う?」


 改めてその光景を俯瞰する。発展し続けるディストピア。防衛省の策謀によって生み出されたエリア・リミテッド。

 陥落した織寧重工はこの場所からは見渡せない。目視で確認できる変化といえばデルタボルト跡地くらいだろう。

 鎖世が指摘しているのはおそらくそんなことではない。


「少しずつ、この不詮衡ふせんこうな世界は変わっている」

「そうは見えないけどな」

「目で見て分かる変貌ではない。要素の一つ一つが、少しずつ詮衡され始めているの」

「…………」

「道行く人たち、戦う人たち、そして暗躍する悪い人たち……その皆が自分たちのあるべき姿になろうとしている」


 悪の連中……防衛省の人間達も役に嵌っているわけだが。皮肉めいた思考だったかもしれない。


「すべての存在が、勧善懲悪に当てはまるわけではない。善が存在できるのは、あくまでも悪に対当するからだもの。その善悪の概念がすべて失われた時が来るとすれば……それは、もはや詮衡という概念すら存在しないのかもしれない」


 鎖世は思い悩むようにそう呟いた。彼女が何を考えているのかはなんとなく理解できる。

 レジスタンスが求めるリミテッドの在り方は一切の策謀の存在しない状態だ。策謀とはそれすなわち防衛省そのものの存在である。

 ならばその悪たる防衛省が失われれば、それこそ鎖世の懸念する詮衡という概念の存在しない状態になるわけだ。

 鎖世そしてレジスタンスは鎖世の言う不詮衡な世界を正そうと奮闘している。

 行きつく先が詮衡されている世界ですらないというのならば。一体詮衡された世界というのは、どういう世界であるのか。


「もしかしたら善悪の概念が存在する現状こそが、詮衡された世界なのかもしれない」

「……いつもの燎らしくないな」

「いつもの私?」

「いつもの燎なら、この現状を不詮衡な世界と表現して、正そうとしてるはずだ」

「そうかも。でもその燎鎖世も、詮衡された存在なのかしら」

「……すまん、哲学的過ぎて俺にはついていけない」

「哲学ではなくこれは詩的解釈。かく言う私も、よく意味は理解していない」


 めずらしく軽口を叩いて鎖世はふふっと表情を弛緩させる。

 やはり、いつもの鎖世らしくなかった。

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