第86話
「君はなかなか香らないね」
強化ガラス越しに嫌というほどに見た顔が張り付いている、左右対称に切りそろえられた髪。清潔な姿なのになぜかどこか不潔に思えてしまうその男。
「香らない女性に価値はないよ。かぐわしくない女性なんて……僕の前に立つ権利すらない。価値もない。ああその存在はなんてギルティなんだろうね。おっと、ギルティは
意味の解らないことをつぶやき続ける目の前の男はTRINITYの山本一成だ。
自分のことをたびたびアダムと称しては、何の前触れもなく『イヴゥウッ』と叫び悶絶し始める変態である。
そんなどうでもいい知識ばかり、この施設では身に染みるように植えつけられる。不快な思いばかりする場所だった、ここは。
「しかしあれだね。あれだけ尋問されても、口を割らないのは見上げた根性だよ。その我慢強さには感服するね。僕も誰かを尋問することに快感を覚え始めていたところだよ」
「……きも」
思わず本音が漏れてしまった。いけない。この変質者とは会話してはいけない。絶対いけない。
「それにしても、この部屋にこもって君も退屈だろう。今日が何日かわかるかい?」
唯奈がこの監獄施設に拘禁されて、すでに一週間弱が経過している。もしかしたら、そんなに経過していないかもしれない。この場所にいると時間感覚が失われるのだ。
当然窓はないし時計もない。あるものは明度の高すぎる蛍光灯と真っ白い部屋だけ。唯奈はその部屋の中で殆どの時間を過ごしていた。
「君も強情だね。まあ安心してくれていいさ。もう尋問はしない。これだけの期間続けても何も吐かなかったんだ。あと一時間かそこらで何か聞き出せるとも思っていないよ」
唯奈は度重なる尋問を受け続け、それでも何も情報を吐くことをしなかった。身体的に耐えられないほどの尋問ではなかったからだ。
スタンガンによる拷問など苦痛であることには変わらないが、それでも口を割る程の物でもなく。防衛省に捕縛された時点で死よりも恐ろしい体験をさせられると覚悟していたため、拍子抜けしたほどである。
「拷問が大したことなくて、驚いたのかい?」
「…………」
「まあそうだろうね。痛みとは、時に人の自制心を狂わせる。その度合いが一定以上に達しない限りまだ自我を保つことができる。どうしてこの程度の拷問しかしないのかって? そんなのは決まっているさ。僕たちがすでに知り得ている情報以上の物が、君の口から引き出せるとは思っていないからさ」
「…………」
「そんな目でにらまないでほしいね。僕は匂いフェチだけどM属性はないんだ」
透かしたように一成は前髪を払って見せる。払う前髪などなかったが。
彼は本心を語っているのだろうか。
唯奈から引き出せる情報などないという発言。それが意味することは、レジスタンスの情報を何から何まで得ているということ。そんなことはありえない。そもそもそうであるなら、すでにレジスタンスは壊滅しているだろう。
本拠点の位置が割れていたとして、もし防衛省の軍事力が総動員されていたら。完膚なきまでに、レジスタンスは叩き潰されているだろうから。
「まあ、色々と疑問はあるだろう。たださっきも言った通り、僕らはもう君に何かをするつもりはないよ。少なくとも、あと一時間……午後十時までの間はね」
時計はないが唯奈は大まかな現在時刻を把握していた。
それは今日の六時くらいから、こうして一時間間隔で一成が彼女のもとに訪れていたからだ。そのたびにあと何時間だ、唯奈に残された時間はこれくらいだと執拗なまでに思い知らせてくる。
「はぁ……君もなかなか肝が据わっているね。普通、未来に死という選択肢しか見えていない時、もっと人間とは取り乱すものだと思うんだけど」
「あいにく私たちはそんな生半可な覚悟で活動してないわ。アンタたちなんかに……絶対に屈しない」
唯奈はずっと閉ざしていた口を開く。見栄を張りたかったわけではない。少しでもレジスタンスの意識の在り方を示そうとしたのだ。
たとえ自分の命が後先短いのだとしても、そこで弱みを見せるわけにはいかない。それはレジスタンスの弱みを見せることと同義だから。
「そういう気高い女性は魅力的だと思うよ、まあイヴには到底及ばないけどね」
「変質者に褒められてもうれしくないわ」
「唯奈君、君は比較的社交的でよかったよ」
「……?」
どういう意味だと睨んで問いかける。
「この隣の部屋に、例の偶像崇拝団体の幹部が収監されているのは知ってるいるだろう?」
もちろん知っている。レジスタンスとは別の団体だ。右翼的なレジスタンスとは対照的に、革新的、非人道的で左翼的指針を持つ
その幹部である風間泉澄。その少女がこの隣の部屋には隔離されているのだ。
「風間泉澄……いや、
「……ちょっと待って倉嶋泉澄ってどういう意味よ。あの女の苗字は風間でしょ」
「それは君たちが潜入していたスファナルージュ第三統合学院に、同様に忍び込む際の偽名だよ。泉澄君の本名は倉嶋泉澄……
どくんと胸の中で何かが爆ぜる感覚。つまり倉嶋禍殃は実の娘をアイドレーターで活動させていたというのか。そして今、人質にとられていても救助に現れる様子はない。
もちろんレッドシェルターに潜入することは容易いことではないだろう。武力行使したとして、あの三段階の壁を突破できるとも思えない。それでも実の娘を見捨てる気なのだろうか、倉島禍殃は。
「驚いた様子だね。そんなに娘を見捨てるという事実が驚愕的かい?」
「…………」
「だけど君も同じじゃないか。大切な仲間たちは、今もなお君を助けに来ない。輝かしい仲間意識を持っていると豪語しながら、いまだに姿を見せない。そっちの方は驚かないのかい?」
「仲間と肉親じゃ、その繋がりは違う。それにレジスタンスに加入した時点で、皆見捨てられる覚悟はできてる。皆が助けに来ないのは私も望んでいること」
自分を助けることができても被害は絶大なものになるに違いない。どうせ救援が寄越されることなどないだろうが。
「なかなかに見上げた自己犠牲だね」
「自己犠牲じゃない。私は自らの命を天秤にかけただけ。その上でレジスタンスの存在に比重が傾いただけのこと」
いつしか自分が時雨に言ったことと矛盾のある発言だったが。それでも今回ばかりは致し方ないのだ。
ここは絶対不可侵の領域レッドシェルター。超軍事政権の支配するディストピアに今のレジスタンスは対抗手段を持たない。
「そんな唯奈君に、吉報さ」
「……何よ。アンタらが持ってくる報告なんて、確実に私にとっては凶報でしょ」
「それでも、興味はあるだろう?」
それに答えることはしない。確かに興味はある。現状自分がレジスタンスや防衛省の情勢などを把握できる手段があるとすれば……この男の言葉しかないからだ。
「実は防衛省内部でも意見が割れることがあってね。最近は政策指針にも相違が生まれてきたのさ」
「天下の防衛省様も仲間割れ? 大層な協調姿勢ですこと」
「まあそれで今は防衛省内部でも派閥が二つに割れているんだよ。意識的、概念的な分裂だけどね」
おそらく佐伯・J・ロバートソンを筆頭とした派閥、伊集院純一郎を台頭した派閥だろう。
度重なるデルタボルト使用歴。伊集院のU.I.F.部隊をもろとも空爆したのはほぼ間違いなく佐伯局長だ。そこから考えても、この二人は別の派閥の人間と考えて間違いはない。
「まあ、僕たちが左翼派で、もう片方が右翼派かな」
「……レジスタンスやアイドレーターみたいな革命軍に対する姿勢の話?」
「それもまあ含まれてはいるけどね。でもそうじゃない。僕たち左翼派は、もっと壮大なスケールでの改革を望んでいるのさ」
「壮大?」
一成のペースにのまれていることは理解しているが問うことをやめられない。
これは防衛省の政策指針に接触できるチャンスかもしれないのだ。たとえ、自分の命があと僅かしか残されていないにしても。どうにかして得た情報をレジスタンスに残すことができるかもしれない。
「そう僕たちが相対しているのは、何も蜂起軍だけではないのさ。もっと大きな規模でもっと強大な課題に対面している」
「……それは、海外諸国に対する話? 少なくともノヴァに対抗って意味ではないと思うけど」
「君たちはだいぶ防衛省に関する情報まで掴んでいるようだね。その様子だとラグノス計画の真相にまでたどり着いているのかな?」
「辿り着いていなければそもそも私たちは蜂起なんて起こさない。アンタたちがノヴァを生み出した張本人だってこともわかってる。ノヴァが世界全土を襲ったのは、決して超自然現象なんかじゃない。ナノテクノロジーを用いたバイオテロだってことも」
「……なんだ、やっぱり気が付いていないじゃないか」
唯奈のその発言に一成は落胆したようにため息をついた。そうして卑しい嘲笑を浮かべやれやれと言わんばかりに首をふるう。
「何よ、しらを切るつもり?」
「そうじゃないさ、確かに君たちのその推理は正しい。僕たちはナノマシンによるバイオテロを行った。そしたらどうだい。これまで僕らのことを見下してきた海外諸国が去勢したワン公みたいにへりくだるようになった。滑稽だね」
「……アンタたちの価値観なんて知らないけど。でもそれなら私たちの読み通りじゃない」
「残念。確かにへりくだる連中の姿は
「アンタの目的……?」
「ノンノン、そんなもの欲しそうな顔をしてもポロリはないよ。僕の口から教えることはないね。それじゃ何も楽しくないじゃないか。リバティは、自ら歩み寄ってきたりはしないんだよ。歩み寄らないといけないのは僕たちの方なのさ」
相変わらず意味不明な発言の列挙。ここから考察できたものはいくつかある。
まずこの男たちは何かしらの明確な目的を定め行動している。それは世界というスケールの中で、あたかも生態系の頂点にリミテッドが君臨している今も成し遂げられていない。
海外諸国に対して優位になることが目的ではないといいうことだ。
それならばいったい目的とは何なのか。まさかナノマシンを用いた海外諸国の殲滅というわけではあるまい。
もしそんな酔狂な目的があったのならば、そもそもデルタサイトを供給する必要がないのだ。
高周波レーザーウォールの技術を用いたナノマシンの活動を抑制する特殊電磁波を展開するデルタサイト。あれがなければ諸国は数日ともたずノヴァに占領され壊滅するのだから。
「ん~それにしても、少し残念だね。僕は君たちのことを過大評価していたつもりなんだけどねえ……特に時雨君。禍殃は彼のことを絶賛していたからね。今回ももっと計画的に行動してくれるものと思っていたけど」
「……烏川時雨が、どうしたっていうのよ」
「んん? 気になるのかい? 壁の外にいる彼のことが」
「……別に」
試すようなからかうような。無性に腹の立つ顔で一成は唯奈の顔を覗き込んでくる。反射的に拳が出かけたが彼との間には分厚いガラスがあることを思い出した。
「そう言えば君は時雨君を庇って、ここにいるんだったね」
「…………」
「誰かを身を呈して護るなんて、まるで正義のヒーローのようじゃないか。だけどね唯奈君、ひとつ教えてあげよう……正義とリバティというものは必ずしも比例するものではないんだよ」
「…………」
「そして、ときには罪深き者こそがリバティに愛されることもある。つまりギルティとリバティは紙一重ということ。というよりは表裏一体といった方がいいかな。僕と禍殃みたいじゃないか……唯奈君、君は今回正義を執行し、でもリバティから見放された」
「アンタら、自分たちが悪だってことは理解してんのね」
「必ずしも、誰もが正義だと実感する事象は存在しないよ。大衆にとっては等しく正義でも、とある人間からしてみればそれは悪かもしれない。逆もまた然りさ。ナチスドイツの活動がいい例なんじゃないかな」
「つまりアンタたちは、自分たちがナチ野郎みたいな差別主義者だと言いたいわけね」
「それも一つの回答かも知れない。人の命の重さは等しくない。差別も人知れずうまれてしまうというものさ」
一成は無い前髪を払った。相変わらず気持ちの悪いしぐさである。
「君は裏切られたのさ」
「……何が言いたいのよ」
「君は命を呈して時雨君を護った。それなのにどうだい? 君の余命は残りわずか一時間程度。それなのに彼はいまだに君を助けに来ない」
「それを裏切りというのならアンタは相当のメンヘラ野郎ね。この状況で、私を助けないことはリスクを鑑みれば当然のこと。必ずしも助けることがいいとも限らないの。アンタは自分の行いに見返りを求めずにはいられないの? それとも相手に依存しないと生きていけない弱小動物なの? イヴぅっ、イヴぅって架空の存在に固執して。はっきり言うわアンタ超絶にキモい」
「そう強がっても僕には解るのさ。君は怖がっている、着実に迫る死という現象に。助け出して欲しいと思っている。違うかい?」
「あんまり舐めてくれちゃ困るわね。私はこれでもレジスタンスに命を捧げた蜂起軍なんだから」
その発言に一成は何も応じなかった。ただ内心の読み取れない不気味な笑みを浮かべ、遠慮もなしに唯奈の顔をまじまじと舐めるように見据える。
唯奈は彼のそんな意味深な目線から思わず目をそらした。覆い隠したはずの本心が盗み見られているような錯覚を覚えたから。
「そんな傷心の唯奈君に、朗報どぇす!」
一成は一転、両腕をピンッとのばして静止した。しばらくその体勢を保っていたかと思うとゆっくりと姿勢を正し髪を整える。
「さっき言いかけてなぁなぁになっていたことさ」
「どうせ凶報なんでしょ」
「君の意識如何では、そうとも言い切れない。まあ前置きが長くてもまた脱線しそうだから端的に告げよう……柊唯奈君、僕たちのところへ来ないかい?」
「……は?」
「そういう反応が返ってくると思っていたよ。もう一度言うよ。僕たちのところに、防衛省に来る気はないかい?」
「……いや、意味が解らないんだけど」
頭がくらくらする。一体この男は何を言っているのか。招き入れようというのかレジスタンスの幹部である柊唯奈を。
「君はすでにレジスタンスからも見放された存在さ。現状誰も君を必要としていない。それならもし君が望むなら防衛省に君の席を設けよう。ウェルカムトゥーリバティ、香る桃源郷へよう」
「ふ……ふざけないでよッ!」
衝動的に防弾ガラスを殴打する。鈍い炸裂音が浸透し、じんわりとした熱と鈍痛が手の甲から滴り落ちる。
意味が解らない。思考がさっぱり追いついていなかった。
「君は狙撃手としてはかなり有能だからね。ユートピア創立をもくろむ僕ら左翼派の改革のために、ぜひその力を貸してほしいのさ」
「ふざけないで! 誰がアンタらなんかに加担するかっ!」
「そうはいっても君は元々自衛隊の人間だよね。陸上自衛隊、普通科・第八連隊……
「私は、防衛省の腐った内情を目の当たりにして、レジスタンスに入ったのよ。リミテッドはユートピアなんかじゃない。むしろ防衛だなんて大層な建前をぶら下げただけのエゴイスト連中の牛耳るディストピアよ」
「ひどい言われようだなぁ……つまり僕たちに協力するつもりはないということでいいのかい?」
「何度も言わせないで。そんな提案、クソくらえよ」
「はぁバカだね君も。でもそうやって何かの信念を曲げないその姿勢は嫌いじゃないよ」
呆れたようにため息をつく。唯奈はそんな彼のことをただ睨みつけることしかできなかった。
「ど~も失礼します、唯奈センパ……ってあ、お取込み中でした?」
そんな奇妙な静寂を打ち破るように監獄エリアのセキュリティゲートが開く。そこからひょっこりと顔を覗かせたのは第三統合学院以来の顔。
「霧隠、月瑠……」
「いや大丈夫さ。たった今勧誘して、厚意を仇で返されたところさ」
「厚意? なんかよくわかんないすけど、どうせアダムセンパイ、無理に誑し込もうとしたんじゃないんですか?」
「心外だね。僕は紳士だよ。はああれだ、押し売りするセールスマンが鼻先でドアを閉められるのはこんな感覚なのかもしれないね」
「やっぱりアダムセンパイ、無理矢理やってたんじゃないすか」
「まあ月瑠君も来たことだし僕はそろそろ退散しようかな。こんな何の香りもしない、むしろ無菌室然とした空気ばかり吸っていては吐き気が催してしまう……そろそろイヴ成分を摂取しないと、気が狂ってしまいそうだ」
そう言って彼は唯奈に背を向けた。歩みだすことはなくそのまましばらく佇み続ける。
「僕は、君に最後の機会を与えたつもりなんだよ。最初で最後の……リバティに到達するための片道切符を」
「アンタみたいな変質者に恵まれるくらいなら、煉獄の手招きに応じたほうがまだマシ」
「そうやって強気でいられるのも今のうちさ。どうせ……時雨君はここには来ないからね」
そう言い切って彼は後姿のまま(無い)前髪を払った。そのまま監獄エリアから姿を消す。
そんな彼のことを変質者でも見るような目で見ながら、月瑠は唯奈の傍にまで歩み寄ってきた。
「アダムセンパイって、なんだかちょっと気持ち悪いですよね」
「……アンタも誰かのことを気持ち悪いって思う感性は持ち合わせてたわけね」
会話をするつもりなどなかったが、彼女の気の抜けた口調に思わず返事をしていまう。
「それってどういう意味ですか? ひょっとしてバカにされてます?」
「そういうつもりはないわよ。ただ……アンタは人のことを疑わない人間に思えてたから」
「そんなことはないですよ? ただジャパニーズは超ミステリアスな人が多いので、インタレスト津々なだけっす……まあでもアダムセンパイについてはあまり知りたくはないですね。なんか伝染りそうですし」
臭い物に蓋をするように顔の前で小さく手を振る月瑠。
「まさかアンタが防衛省の人間……それもTRINITYだなんてね」
「あたしも驚きましたよ、まさかセンパイや唯奈センパイ、それに凛音センパイまでレジスタンスの人だったなんて。あたし全然気が付かなくて、普通にスチューデンツライフを満喫してました。あ、これはエンプロイヤーには内緒ですよ」
「アンタ……そもそも何のために潜入してたのよ。アイドレーターの消息をたどるためだとは思うけど、私たちのことも任務の一環だったんじゃないの?」
「いやぁ、そうだったんですけどぉ……実はターゲットの事前情報を紛失しちゃってまして。まさかセンパイだったとは思いもよらなかったんですよ」
てへぺろと口にわざわざ出して意外とあざとい仕草をする。
「それにしても、アダムセンパイは何しに来てたんです?」
「さぁ……嫌味を言いに来ただけじゃない?」
「記録によれば、タイムリミットが一時間減るごとに来てるぽいですね。中々にいやな性格してますね」
「まあ……それももうないけどね」
「どういうことですか?」
「最後の一時間はもう更新したから。次に来るのはたぶん私を処刑する人間だろうし」
「え? 処刑? なんですかそれ」
瞬きをして月瑠は不審そうな顔を浮かべる。
「知ってるでしょ。私は今日の午後十時に公開処刑される。まあ、公開処刑って言っても、ここで殺害するのを中継するだけみたいだけど」
「ちょ、ちょっと待ってください、それマジですか?」
「そうよ」
「マジですかそれは超サックっす! 超ナンセンスです! 処刑ってなんすか、それも公開処刑って」
本当に知らなかったのか月瑠はなぜか憤慨していた。
「ジャパニーズニンジャの血を引くジャパニーズだのに、モダンジャパニーズはそんな恥知らずなことをしようとしてるんですか?」
「なんでアンタが怒るのよ」
「だって公開処刑ということは、白昼のもとでキルするってことっすよね。そんなのジャパニーズニンジャの風上にも置けないです。ジャパニーズニンジャ、人を殺すのは暗殺と決まってるんですよ? それなのに公開処刑って、超ファッキン! エンプロイヤーが言ってたのはそういうことだったんすかっ」
いやそんなことはないと思うが。月瑠は元々日本のことを勘違いしているようでもあるし、どうやら公開処刑は心の底から許せないらしい。
ここまで憤慨する彼女の姿を見るのは初めてだった。
「待っててください唯奈センパイ! あたしがエンプロイヤーに文句言ってきます」
「いや、アンタね……」
「とめないでください唯奈センパイ。あたしはジャパニーズニンジャの名誉を守るために、こんな不祥事は見過ごせないんですよっ」
「アンタが何を言ったって指針が変わることはないわよ」
「うっ……」
さすがの月瑠のでもそれは分かっているのか言葉に詰まる。走り出しかけていた足を止め再び唯奈に向き直ると、その場に腰を下ろした。そうして膝を抱える形になる。
「あたしが真のジャパニーズニンジャだったなら、この状況を覆す超グッドなアイデアの一つも出せるはずですのに……悔しいです」
「もう、なんなのよアンタ……調子狂うわね」
本当にここが敵本拠地のど真ん中なのかと疑ってしまう。この霧隠月瑠という少女は、本当の意味で悪に染まりきっているわけではないのか。いやそんなことはない。
世界を牛耳る防衛省の悪事に加担している時点で、その人物の人格がいかなるものであろうとそれは等しく悪だ。留意の余地などない。
「何であれ、アンタは私の敵なんだから、あまり情を見せるようなことはしないべきね」
「敵すか……そうですよね。あたしはエンプロイヤーに雇われている身ですから。そのエンプロイヤーの敵ならあたしの敵なわけですし」
「それに、どうせ私の公開処刑は免れない」
「どうしてですか?」
「どうしても何も……ここは難攻不落のレッドシェルター。自力での脱走なんてできないし、それに私を助けに来る物好きなんていない。あの男の言葉通りになるのは悔しいけど、でもそれが現実。私が選んだ道だもの。私にはもう選択肢なんてないの」
「……来ますよ、センパイは」
「は?」
だが月瑠は否定した。唯奈の覚悟を瓦解させるかのように、静かに告げる。
「来ますよ、絶対に」
「来るわけないでしょ。こんな死に損ないのことを助けになんて」
「いえ来ます。あたしには解るんです」
「来ないって言ってんでしょ」
「来ます、絶対に」
やけになって否定する唯奈に月瑠は屈しない。確かな確信をもってそう言っていた。
「どうして、そんなこと解るのよ」
「カンです、ジャパニーズニンジャとしての」
「話にならないわね」
「確かに根拠なんてないですけど、でも絶対に来ますよ……だって、センパイはセンパイですから」
「意味わからないんだけど」
根拠もなしに断言する月瑠に唯奈はわずかな苛立ちを覚えていた。
「センパイは優しいですから。でも優しいだけじゃない。誰よりも現実を見据えられる強さがあるんです」
「アンタに何が解るのよ」
「解りますよ、少なくとも、唯奈センパイよりは」
「……ああもうむかつく。私たちは同じレジスタンスなのよ。敵対するアンタとは、」
「いえ、それでも唯奈センパイよりは解ってるつもりです……孤独な殻に閉じこもってる、唯奈センパイよりは」
その言葉に返すことができなった。抽象的な発言だったがなんとなく言い返せない。
「その殻を割るのは、きっと、唯奈センパイではなくセンパイの方です」
「何意味わかんないこと言ってんのよ」
「あっれぇ……って言われてみたら、あたしもよく解んなかったです」
「アンタね……」
素でやっているのかあるいは演じているのか。それは分からない。何の根拠もない憶測はなんとなく憶測には留まらない気がした。
「やっぱりあたし、抗議してきます」
「…………」
「こんなところで唯奈センパイに死なれては、あたしのジャパン開拓に支障をきたしますから。次はユイパイマンについて調査するって決めてるんですから」
そう言って彼女は監獄エリアから姿を消した。それからしばらく唯奈の脳裏には月瑠の言葉が反芻し続ける。
センパイは来る。絶対に来る。
どうしてそこまで自信満々に言い切れるのだろう。もし救助に来られても、状況は悪化するだけだ。
時雨が一度救われた命を軽々と投げ出すようなバカでないことを祈るしかない。
「まあ、一番バカなのは……私なのかもしれないけど」
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