2055年 10月24日(日)
第80話
「柊唯奈の生存を確認した」
五日ぶりの全体会合のとき第一声に棗が言った。
「……は?」
耳を疑う。今この男は一体なんと言ったんだ。
「おい今、なんて言った?」
「柊唯奈が生きている。そう言った」
誰もがその言葉に驚愕を隠せない。
誰もが何も言葉を発せない。
誰もがその事実に確信を持ちえない。
ただ一人、ソリッドグラフィの傍に佇むその男だけはただ淡々と。
「おい……どういう意味よ、それ」
「言葉通りの意味だ。つい先ほどその情報がリミテッド全域に出回った」
「全域にって、レジスタンスが使っていたルーツからじゃないの?」
真那の言うルーツというのは、一般人などには一切認知されていない情報源だ。この場合リミテッド内部の同盟団体などが適する。
もっとも一番の情報源は、諜報員として防衛省に潜り込んでいる妃夢路の言質だと言えるが。
「いや違う。この情報は俺たちのような過激派団体だけにとどまらず民間人にも知れ渡っている」
「一体、どういうことだ、柊はどこにいるんだ?」
唯奈の生存。その事実に衝動を抑えられない。
もう死んでいると思っていた彼女。実際時雨の目の前で彼女は瓦礫に呑まれた。死んでいておかしくない状況だったのだ。
「落ち着け」
「この状況で落ち着い追ていられるか」
「いいから落ち着け。まず先に言っておくが柊は現在俺たちの手の届く場所にいない」
どういうことだ。捕縛されているのか。
「いかにも」
返答に背筋が冷えていく感覚。
「捕まってるのか? それなら早く助けに行かないと、」
「その点だがいくつか問題がある」
「問題……?」
唯奈がどういった状況下におかれているにせよ捕まっている以上はあまり好ましい状況ではない。その状況であるから様々な問題が浮上するのは当然だ。
そんな問題たちの中であの棗にここまで深刻そうな顔をさせる問題というのは一体何なのか。
「この情報は先ほども言ったとおりリミテッド全域に広まっている。この意味がどういうことか解るか?」
「謎解きなんかしてる場合じゃないだろ」
「住民たちの目に触れる場所に唯奈がいる……でも物理的に皆の目に留まる場所なんて存在しない。ということはマスメディア?」
「そういうことだ」
真那の推察に時雨は眉をひそめる。唯奈の生存とマスメディアがどう関わってくるというのか。
「いいか、柊唯奈の生存を俺が確認したのはαサーバーを経由してだ」
「αサーバーって……ワールドラインTVのことだよな」
「そうだ。織寧重工襲撃事件の際に俺たちがM&C社にコンタクトを取ったな」
唯一リミテッド外との線が生きているサーバー。スファナルージュ・コーポレーションが運営する大規模サーバーでもある。
もちろん防衛省が国外、すなわち外国諸国と連絡を取る手段は他にもあるだろう。だがレジスタンスというよりその他の住民たちが使える世界規模のサーバーはそこだけだ。
「αサーバーがどうしたんだ」
「実際に見てもらった方が早いな……妃夢路」
「準備は出来ているさ」
棗の呼びかけと同時にホログラム液晶が出現する。左上にはαサーバーを示すワールドラインの文字。そしてその画面の中央には少女の姿があった。
「ユイナ……っ?」
反射的にその名を呼んだ凛音だったがすぐに二の句に詰まる。
確かに液晶の中にいるのは紛れもない唯奈の姿。どっと安堵が押し出してくるのを感じながらも手放しに喜べる状況でもない。
その状態は見るからして異常だ。十五畳ほどの真っ白い部屋。必要以上にだだっ広いその部屋にはほぼ何もない。無駄に光度の高い蛍光灯。換気口、そして天井四隅に設置された監視カメラ。
窓一つないその隔離室然としたその部屋に唯奈はただ一人座っている。
「意識はあるようね」
彼女の肩はかすかに揺れている。こちらの方向を見やるわけでもないが少なくとも生きてはいるようだ。
明らかにおかしな監禁室。頭が痛くなるような白い部屋の中央にいる唯奈のことを凝視する。
最後に見た彼女の姿。その時は全身煤け服も破け、見るも無残な姿だった。そしてその彼女に瓦礫が降り注いだ……はずだ。だが今視界の中にいる彼女の姿は、少なくとも目で確認できる様子で言えば悪い状態だとは言えない。
右脚に見るも無残な赤く染まった包帯を巻いてはいるが。おそらくあの怪我は時雨を護った時の物だろう。それ以外に特に怪我らしい怪我もない。清潔な衣服をまとい拷問された様子もなかった。
「この動画は……?」
「先ほど、午後9時24分に、αサーバーで報道されたものだ」
「……監禁されているんだよな」
「ああ、それは間違いないな」
「柊を捕縛しているのは一体どこの団体だ?」
「それに関する回答はすぐに目にできる」
棗のその言葉に促されるようにホログラムウィンドウに目を引き寄せられる。数秒してスーツ姿の誰かが画面内に侵入してきた。
「呼ばれて飛び出て、アダムムムーン」
第一声に男は奇声を上げた。
「山本一成……!?」
「おっと、そう言えば呼ばれてはいなかったね。では仕切りなおして……ウェルカムトゥーリバティ。薫る桃源郷へようこそ」
両手を前方に掲げる体勢で一成は決めポーズ(らしきもの)を取る。数秒その状態で硬直していた彼は姿勢を正し、無い前髪を払った。
「んん~、やっぱりこのキャッチフレーズの方がいいね。アダムの僕にふさわしいフレーズだ。時雨くん、見ているかい? どうだい? 実際に大衆の面前でこのセリフを耳にして。意外と悪くないだろう? これで君も怪しい新興宗教の勧誘フレーズにしか聞こえない、だなんて酔狂なことは言えないだろう?」
「……まさか」
「ああその通りだ。柊を捕縛しているのは――――防衛省だ」
心臓が一気に押し潰されるような感覚。
一成は(架空の)前髪の調子が気になるのか何度も払う仕草をする。そうしてやがて納得したような顔をすると、改めて前髪を払う仕草をした。一連の動きに何の意味があったのかはよくわからない。
「この状況、時雨君、君たちならよくわかるよね。ただ解らない人も多いだろう。それで今回は僕の方から簡単に説明しようと思う」
一成はその場で踵を返し唯奈の方へと歩む。先には強烈な表情をした唯奈が一成のことを睨んでいた。
一成は数歩ほどして脚を止める。どうやら唯奈との間にガラスでもあるのかその場所を数回こ突いて見せた。
「やあ柊君、ご機嫌麗しゅう様子みたいだね」
「私の様子が気分良く過ごせているように見えるなら、アンタの目は節穴ね。その気味の悪い眼球抉り出してやるからこっち来なさい」
「おぉ怖いねえ、相変わらず。淑女はもっと淑女らしく振舞うべきさ」
「余計なお世話。アンタら相手に、礼儀も何も知んないわよ」
「何をそんなに血気だっているんだい? そこも、そんなに悪い環境じゃないだろう」
「こんな場所に監禁しといてよくいうわ」
「何が不満なんだい? 毎日三食支給しているし、トイレや入浴の場合はそこから出してあげているじゃないか。普通ならトイレは部屋の中に備え付けで汚いことはおろか、入浴という概念すらないはずなんだけどね。まあ入浴せず薫る状態になってもらうのも、それはそれで悪くないのだけど」
「死ね」
立ち上がった唯奈は足を引きずりながらカメラ側へと近づいてくる。そうしてガラス越しに一成に対面し、そのガラスを力任せに殴打した。
だがひびが入ることはおろか少しも震動しない。どうやらかなり分厚いガラスになっているようだ。
「無駄だよ、ってそれは君が一番わかっているだろう? 160ミリの強化ガラスさ」
「…………」
彼女は押し黙り一瞬視線をこちらに向ける。中継されていることには気が付いているらしい。
「寡黙な女性を演じたって淑女になれるわけではないよ? 黙っていても、その内側のゴリラのような血気が滲みだして、」
再度強烈なパンチがガラスに炸裂した。当然ヒビすら入らないようだったが。
「まあ、それでだよ、聴衆の皆」
一成は意識を切り替えたように振り返る。そうしてガラスに背をついて、こちらを見やった。
「今回、我々防衛省は我々のリバティを迫害する矮小な害虫を掃除した。皆も知っているだろうけど、先日台場で起きたノヴァの襲撃のことさ。僕たちは、防衛省の勢力の一部を発動させてその鎮静化を図った。その中でね、どうやらその暴動には、とある団体が加担していたということが判明したんだよ」
彼は台本を読む役者のように大げさな仕草で概要を解説していた。なんとなく気に障るその挙動に彼が何を言おうとしているのかを理解する。
「大体の予想は出来ていたけどね。加担していた団体はアイドレーター。狂った偶像崇拝団体さ。その狂信的な思考でノヴァが出現し、危うく未曾有の大災厄に陥りかけたよ……はぁ、まったく散々だね。アダムである僕とイヴのEDENを汚されるところだった。そんなことは許さない。許されるはずがなぁいぃっ! それはこの世で最も悪しきこと、それすなわちギルティ! んー、ギルティイ! ……ってこれは
脱線を繰り返す一成の演説。それでも意識を緩めたりしてはいけない。それでは彼の思うつぼだからである。
あえて厳格ではなくこのような酔狂な発言を組み込むことで、逆に聴衆にインパクトを与えることは広報における常套手段だ。ましてやそれが防衛省の報道となれば聴衆は必ず勘ぐる。
「その暴動に加担したと思われる人間を僕たちは捕縛した。その人物に関しては明日の報道でやるとして……先にもう一人の人間について話そうじゃないか」
そう言って彼は気味の悪い嘲笑を浮かべる。唯奈は黙ったまま一成のことを睨みつけていた。
「その暴動に、別の羽虫が迷い込んでいたようでね。ここにいるレディはレジスタンスの人間さ」
唯奈は学院での暴動には関与していない。何故ならば彼女はその暴動が起きる前にデルタボルト襲撃に乗り出し瀕死に陥ったからだ。
それ故にこの一成の発言は聴衆に対する意識や印象の植え付けのようなものだろう。
「最近リミテッドに脅威の種を持ち込んでいるレジスタンス。僕らの輝かしき、もといかぐわしきリバティを害する連中、皆も知っているだろう? その勢力の鎮静化のため今回はこの報道に乗り出したというわけさ」
「私の拘禁されている姿を報道してレジスタンスを抑制するつもり? はっ……やり方も言動も矮小ねアンタたち」
「その煩わしい口を塞いであげてもいいんだよ。君だってもう尋問は嫌だろう? 嫌なら黙っていることをお勧めするよ」
尋問。やはり受けていたのか。目で見る限りそれらしい傷痕はないが傷を残さずして尋問をする手などいくらでもある。服に隠された部分は見えていないのだから、何もされていないと考えるのは早計だった。
「まあ端的に言うとだね。この少女の身柄は僕らが拘束している。君たちの大事なお仲間が傷つくのを黙って見ていられないというなら、投降したほうが身のためだよ。もし投降しなかったらどうなるかはわかっているよね。この真っ白い部屋に真っ赤な花が咲くことになる」
「人質というわけか」
「常套手段だな……暴動側に対して行う政策にしてはすこし過激すぎる気もするが。民間人に聞かれているという状況ですらあるのに」
「タイムリミットは午後10時。それまでに指揮官である皇棗、君一人で指定区域まで出頭してくれるかな?」
午後10時……もう12時間もない。
出頭すべき指定区域は千代田区外周区、港区方面区界。そう指定して一成は言葉を切る。そうして話に区切りをつける様に何度目か解らない前髪の払いのけをした。
「ふぅ、あれだね唯奈君。こうして間接的にも数万という人間の前に姿をさらされるのは、こう、ゾクゾクする物があるよね」
「…………」
「その変態を見るような冷たい目線、くせになりそうだ」
「死ね」
率直に唯奈は言い切る。一成はにやにやと気味の悪い嘲笑を向けたままで。唯奈はそんな一成を睨みながら一瞬カメラの方向を一瞥した。
「……っ」
彼女の瞳の中にとある感情を見出してしまう。
強い意志。何者にも屈しない不屈の強烈な感情。その瞳の中には明確な覚悟があった。殺される可能性に対する覚悟。
そして彼女のその覚悟はとある言葉を投げかけてくるのだ。言葉にされなくても解ってしまう。助けるなと。捨て置けと。彼女はそう言っているのだ。
「しかしこれゲリラ配信だしな……もしかして見てもらえてないかもしれない? 時雨君、
「きめぇっ!」
聞き覚えのある一喝とともに、ぶつっと配信が途絶えた。録画が終わってもしばらく誰も言葉を発しない。
「どうしたのですか皆様、自称アダム様のキモさに悶絶されているのですか?」
「違うだろ……いやそれもあるかもだが」
皆が押し黙っている理由、それはそれぞれ異なるだろうが唯奈のことであることは間違いない。唯奈が生きていたという事実に歓喜しその彼女が拘束されている事実に翻弄される。
「柊が生きていたなんて、な」
「この状況は予測できなかったわ……人質に取られる可能性。こうなることが解っていたなら他の手の打ちようがあったかもしれない」
「で、でもできたことなんてあの瓦礫の中から無作為に探し出すことくらいで……あの場所は空爆されていたのです。無理だったと思うのです」
「でも、もしかしたら見つけられていたかもしれなかった……」
「もしあの場所に留まっていたら、学院での被害はさらに甚大なものになってたろ……後悔しても仕方ない」
「烏川の言う通りだ。今更考えたところで状況は好転しない。すべては過ぎたことだ」
棗はそういって録画していたその中継を遮断する。
画面から唯奈の姿が失せたことで、再びさまざまな懸念や不安に駆られ始める。
唯奈が受けている尋問、それはどんな苛烈なものであるのだろうか。想像もつかない。もしかしたら耐えられぬ暴虐の限りを尽くしたものである可能性だってあるのだ。
早く救出しないと手遅れになるなんてことにもなりかねない。
「柊が隔離されているのは、レッドシェルター内部だよな」
「十中八九そうだろうね。具体的な場所はレッドシェルター内部A09地点、南東方面。そこにある隔離拘留施設さ」
「帝城では、ないんだよな?」
「勿論。帝城は防衛省の根城であって豚箱の類ではないからね。レッドシェルター内部には用途に合わせた様々な施設がある。独立原子炉、発電系統、医療病棟、学院、隔離拘留施設、そしてデルタボルト。他にも数十という施設で成り立っているのがレッドシェルターさ」
「隔離拘留施設は刑務所みたいなものか?」
「ああ。リミテッド内部で起きた犯罪の中で、凶悪犯罪と認識される事態が発生した場合、被疑者はそこに叩き込まれる」
「俺が拘留されてた施設もそういやA09だったな……あそこは最悪だぜ」
記憶を掘り返すように和馬は頬をひくつかせる。拘留経験があるのか。
「何であれ一成の要求に応じるわけにはいかない。となると物理的に救助に行くしかないが」
「施設のセキュリティレベルは最大8のふたつ下。そこまで高度ではないけど、問題なのは、かなり厳重な人員投与がされていることだね」
「見張り兵か?」
「そうさ」
ソリッドグラフィで確認するがさすがに施設内の構造までは解らない。
ただ言えることはかなり巨大な施設であるということだ。感染者の隔離施設も病院にしては巨大だったが、これは桁が違う。
「人員配備情報によれば、まず施設の外部に待機U.I.F.が六人。施設内部、これは通路巡回兵とかだね、七人。そして、看守が二人。帝城を除けば、ここまで人員投与されている施設はそうないんじゃないかな」
「それ以前の問題よ。その施設に辿り着くよりも前にレッドシェルターという壁がある。外周区全域に張り巡らされた軍用A.A.陣営。さらにその後ろにある高周波レーザーウォール」
「何とかA.A.は回避できても、高周波レーザーウォールはどうしようもねえ」
和馬が頭を悩ませるのも無理はない。高周波レーザーウォールといえばイモーバブルゲートにも採用されている壁だ。
イモーバブルゲートは数十メートルという武装鉄壁の上部に、高周波レーザーウォールをドーム状に展開している。リミテッドを覆う形でだ。
これは分子レベルの物質すら通過させない高周波粒子を展開させた事実上の壁だ。羽虫どころかナノマシンすら通過させない。通過しようものなら触れた部分から分散し消失してしまう。
「高周波レーザーウォールの攻略法はないのか?」
「そんなもんあったら、最初からレッドシェルター攻めてるっての」
それもそうだ。聞いた話だがレジスタンスはこれまで一度としてレッドシェルター内部に侵入できたことがないという。勿論、妃夢路という諜報員の活動は抜きにしてだが。
「妃夢路がどうにかして柊を救出する線は……」
「それは無理さ。そもそも私にはその権限がない。隔離収監施設へのアクセスはレベル5以上のアクセス権限が必要さ」
「妃夢路は陸准尉だろ。かなり上位のアクセス権限があるんじゃないのか?」
「残念ながら、私は防衛省直属というよりか
「……つまり、無理ということか」
「事実上、唯奈様を救出する手段として有効なのは、強行突破ということになりますかね」
それ自体がかなりの困難な気もするが。だがアクセス権限どうこうで唯奈を救出できない以上、それしかないのかもしれない。
「皇、アンタはどう考えているんだ?」
始終無言を貫いていた棗に問いかける。何であれ彼は時雨たちにこれを見せる前から情報を掴んでいたわけだ。それならば何かしらの作戦を考案しているかもしれない。
「烏川、どうやら君は勘違いしているようだ」
「勘違い?」
「君たちは、柊唯奈の救出の策を考案するために俺がこの録画を見せたと思っているのだろう。だがそれは違う」
「それは、どういうことですか?」
だまって話の成り行きを見守っていた昴が怪訝そうな顔をする。当然の反応だ。
「俺はそんな目的のためにこれを見せたのではない」
「そんな目的、って、」
「これを見せたのはあくまでも状況の共有のためだ。後々柊唯奈の捕縛に関して知って問題を起こされては困る。故に、君たちと情報を共有した」
まさか救助しないとでも言い出すつもりか。
「その通りだ」
絶句した。この男は一体何を言っているのだ。
「どういう意味だよそれ」
「君は状況の深刻さを理解できていない。俺たちは今、防衛省に誘き出されようとしている。柊唯奈という餌を使ってな。だがその要求に応じる理由はない」
そんなことは言われるまでもなく理解しているのだ。だからこそこうして潜入の手口を考案しているのだというのに。
「一朝一夕で潜入に成功できるほど、俺たちが崩そうとしている壁は脆くない。レッドシェルターは現状、俺たちの力では崩せない。陥落させるどころか抜け道の風穴を空けることもな」
「そんなこと言ったって……柊を見殺しにするってのかよ」
「そうだ」
反射的に彼の顔面を殴打していた。彼はよろめきつつもその場に踏みとどまる。殴り返してくるわけでもなく冷淡な目で見据えてくる。
「出来ないからってやらずに諦めるのか、柊は仲間だろ。嬲り殺されていく様を指を咥えて眺めてろと言うのか?」
「これは選択だ。俺たちは執拗に取捨選択を迫られる環境で戦っている。すべてを獲得できるなどという考えは、ただの理想論だ」
「だからって、柊を見殺しにしていいはずがないだろ」
もう一度振りかぶった拳は彼に着弾することはなかった。棗の手の中に拳が収まっている。彼は至近距離から、やはり内心の読み取れない目で時雨を見据える。
「これは、柊も周知の現実だ」
「…………」
「レジスタンスで戦う以上、常に俺たちは死と隣り合わせだ。それは皆理解しているだろう。その上で作戦に参加している。それだのに君はいつまで子供のように喚くつもりだ? 泣き喚いて状況が好転することはない。俺は今回の状況を覆しえないことだと判断した。今回ばかりは完全に防衛省に先取りされていた。認めるしかない。俺たちの負けだ」
「沈痛な決断ではありますが、今回ばかりは私も皇殿に同意ですな」
これまで沈黙を貫いていた白髭の筋骨隆々な紳士は、あごの豪快な髭を指先でさすりながら呟く。
「酒匂さんまで……」
「昴様、今回は相手が悪すぎますぞ。明らかにこちらよりも勢力圏の幅広い防衛省。そんな相手と敵のテリトリーでひと悶着起こして、我々が生存できる可能性は万に一つもありますまい」
「内部からレッドシェルターの脆弱なセキュリティを探ってみたけど、踏み入る余地すら感じさせない周到ささ」
「皆して何言っている。そんな冷静に……柊の命がかかってるんだぞッ」
手のひら返していくように棗に同調していく者たち。その異様な光景に面食らう。
何なんだよこいつら。一体何を考えてそんな発言をしているのか。そんな疑心に侵食される。
「おいおいお前ら……流石に冷徹すぎやしないか」
まだ理性を保っている者もいた。和馬は憤怒を無理やり押さえ込みながらも動揺は隠せない様子で髪を乱す。
「これはあくまでも熟慮ゆえの決断だ。この判断が現状最も被害なくして、この状況を回避しうる」
「つってもよ、仲間だろ」
「仲間などとそんな形式的な観念に惑わされるな。俺たちは同じ目的のために行動している共同体であって、上面だけの共感をほめのかす間柄ではない」
「……おかしいぜこんなん」
言い返すことが出来なくなったように和馬は言葉に詰まる。
そんな彼の隣で船坂は難しい顔をして沈黙を貫いていた。おそらく唯奈を救うことに伴うリスクを計算しているのだろう。
そもそもおかしい。仲間を、大切な人間を救うのにリスクも何も関係ないだろう。何故皆そんな単純なことに気が付かないのだ。
「棗……酷すぎるわ、そんなの」
「真那」
「これまではそんな指針を取ってこなかった。仲間の犠牲を前提にだなんて、そんなの非人道的すぎるわ」
真那もまた周りの手のひら返しに違和感を隠せなかったのか。どこか悲しげに棗のことを見据えている。対し棗は淡白にそれに応じた。
「だから何だ?」
「何だって……」
「いいか聖、俺と君でレジスタンスを立ち上げた時、君はそんなことを考えていたのか? 仲間内で偽善にも似た助け合いをするために、レジスタンスを立ち上げたのか? 違うはずだ。君は父親を聖玄真の死の真相を探るために、防衛省に刃向うと決めたはずだ」
「それは……」
言い淀む真那に棗は矢継ぎ早にいいか聖と語りかける。
「もしここで無鉄砲にレッドシェルターに突っ込んだとしてどうなる。今の俺たちの軍事制裁力では、瞬く間に築き上げてきたものが失われる。本格的に奴らと対面できるのは、準備を万端な状態にまで整えられたときなんだ。今じゃない。もし今行動に移せば、おそらく聖玄真殺害の真相は闇の中に葬り去られるだろう。それでもいいのか?」
「……っ」
それに対し真那は下唇をきつく噛みしめるだけだった。棗の巧妙な口車。それに乗せられ真那は何も返せなくなったのだ。
それが単なる可能性の話にすぎなくても、それでも父親のことを話題に出されては、その現実性も高まってしまうというもの。
「解ったか烏川。これがレジスタンスの総意だ」
「そんな物、お前が皆を誘導して導いただけの結論じゃないか」
「それでもだ。今回俺たちが動くことと動かないこと。レジスタンス全体のこうむる被害を鑑みれば、後者の選択以外ありえない」
「そんなの……」
それ以上、何も言葉を紡げない。
非人道的だろうとなんだろうと。確かに被害を抑えるという点にのみ着眼した場合、唯奈を救出しない選択の方が正しいことは明らかなのだ。
「そんなの……そんなのおかしいのだ」
言葉一つ発していなかった凛音が不意に喚声を荒げた。
「被害だとかリスクだとか……そんなの関係ないのだっ」
「そ、そうなのですっ、唯奈さんは、私たちの大切なお友達なのですっ!」
おろおろとしていたクレアだったが凛音に追随するように手を握りしめて、強く訴える。
「そんなの、リオンの知っている皆の考え方ではないのだっ!」
「私もそう思うのです……っ、いつもの皆さんなら、きっと唯奈さんを助けようとしていたはずですっ」
「黙れ」
「っ、は、はぅぅ」
精一杯の勇気を振り絞った発言だったのだろうが。幸正の言葉にクレアは思わず身を縮みこませる。
「黙らないのだっ」
「いい加減にしろ。前も言っただろう。貴様らのような子供のわがままに付き合っている余裕などない」
「それはこっちのセリフなのだ、最近皆おかしいのだっ、皆何かを怖がっておるのだっ」
邪推だなと幸正は鼻で笑った。
「凛音には解るのだ。何かを怖がっておる。そうでもなければリオンの知っておる優しい皆が、ユイナを見捨てるはずがないのだ」
「黙れ、小娘風情が。俺たちの生きている世界で、ああなったらいいこうなったらいいなどといった理想論は通用しない。貴様のその考えは無意味な願望だ。柊は救えない。これが現実だ」
「可能性がないわけではないのだろっ? 少しでも助けられる可能性があるのだろっ? それなら助けるべきなのだ! ここで見捨てたら、皆防衛省と一緒になっちゃうのだ」
「黙れッ!」
凛音の腹部に幸正の岩のような拳がめり込んだ。容赦のない一撃。凛音はそのままぶっ飛び昏倒する。あまりにも強い衝撃だったのか気を失っていた。
「……何してんだ」
「口で言い聞かせても解らない頑固者だからな」
「誰に似たんだか」
あきれたように和馬は肩をすくめる。
「今後、防衛省の指定した時間まで凛音を外には出すな。何をやらかすか解ったものではない。事が起きてからでは取り返しがつかないからな」
そう言って幸正は時雨のいる場所にまで歩み寄ってくるなり、凛音のフードを鷲掴む。そうして引きずるようにして彼女をこのフロアから連れて行った。
「そういうわけだ。烏川、気持ちは解らないわけではないが諦めろ」
「お前みたいな奴に解られて堪るか」
少しでも和解できていると思っていた自分がおかしかった。
この男は狂っている。レジスタンスのリーダーとして活動し続けてきた結果、感覚がマヒしてしまっているのかもしれない。
人道という人間に本来あるべき要素が、この男からは風穴にあったようにごっそり失われているのだ。
この場にいる人間の殆どがまるで自分と同じ人間ではない様に見えた。
「君も、おかしな気は起こすな」
「おかしな気を起こしてんのはてめえらの方だ」
棗の胸ぐらを掴みあげる。そうして至近距離から顔面に怒声を浴びせた。
「凛音の言ったとおりだ、お前ら全員防衛省の連中となんら変わらないッ」
真那や和馬たちの表情が明確に歪んだのが解る。彼女たちとて本当は唯奈のことを救いたいに決まっている。それでも棗の言う取捨選択の結果、自らの意思を閉じ込める結果になったわけだ。
良心が残っているにせよ彼らは唯奈を救わない選択をした。それならもはや他の連中と相違点などない。
棗の胸ぐらに掴みかかったまま追撃を仕掛けた。
「目を覚ませよ機械連中が。お前ら全員プログラムされたマシンか? 『鉄のような無人軍隊』か? 違うだろ。ならさっさと夢見心地から覚めろってんだ!」
「鎮まりなさい、烏川殿」
お断わりだ。
「……酒匂さん」
「御意」
脳が揺すぶられるような感覚。ぐわんぐわんと意識が明転する。
気づけば時雨は冷たい地面に叩き付けられていた。酒匂に組み伏せられる形で頬を床から引きはがすことすらできない。
「これが現実だ、烏川」
「仲間内で争って……それこそ、防衛省の思うつぼだろ」
「それでも無意味にレッドシェルターに突っ込み、無駄死にするよりはいい」
「分からず屋が……俺は一人でも柊を助けに行く。誰がなんと言おうと絶対に屈したりしない」
「……そういうわけにはいかない。君が捕縛され尋問の末にレジスタンスの情報を吐き出す可能性もあるからな」
「そんなこと知るか、仲間ひとり救えないレジスタンスなんか、いっそのこと壊滅したほうが――――っ」
「……酒匂、烏川も拘束しておいてくれ」
「気は進みませぬが……仕方ありますまい」
後頭部に激しい衝撃が走る。意識が徐々に遠のいていく。朦朧としていく視界の中、皆が時雨を見下ろしているのが解る。
「てめえら皆……人殺しだ」
そして完全に意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます