第76話
脳裏にフラッシュバックする光景。目の前で瓦礫に呑まれた唯奈の姿。
呆気なく、少しの慈悲すら感じさせずに瓦礫の中に姿を消した彼女の――死に際。
また一人の命が奪われた。
「嘘だろ……っ」
心臓が激しく鳴動する。頭がグワングワンと揺れ何も考えられなくなる。
紲が死んだ。
時雨はただブラックホーク上から何をするでもなく、何もできず。ただ彼女が押しつぶされる様を傍観していることしかできなくて。目に映るすべてのものが真っ暗になっていく感覚。
こんなにもこの世界は無慈悲なのか。人間の手によって生み出された破壊の限り。それに翻弄され無実の命が奪われていく。
そんなことがあっていいのか。あっていいはずがない。それでも起こり得てしまうのがこの世界なのだ。
刹那、ノヴァの頭部が吹っ飛んだ。
「……!?」
吹っ飛んだというには語弊がある。正確には消し飛んだ。まるで掻き毟られたように一瞬にしてその下顎が失われた。
「あの現象……マイクロ特殊波!?」
「間違いありません、ですがなぜ……」
疑念に回答が付く間もなく、ノヴァがバランスを崩し全身を暴れさす。身をよじり大絶叫を上げようとして声帯が失われたのか叫喚すら生じない。
「――なんでこの俺が人助けなんてしなきゃなんねーんだクソが。配役間違ってんだろ」
「……っ!?」
機内から誰かの声がした。先ほどまでは乗っていなかった人物の声。反射的にアナライザーを持つ手を挙げ振り向きざまにその銃口を向ける。
トリガーを振り絞れることはなかった。
「待て、今回ばかりは殺し合いに来たんじゃねえ」
「立華、兄……!?」
そこに佇む姿に驚愕を禁じ得ない。いつの間に機内に潜入していたのか。目がくらむようなまばゆい青の光が反射する。立華薫がそこにいた。
アナライザーを撃とうにも時雨の手首は薫にきつく握りしめられ、少しも指が動かない。
「装甲車両の襲撃ぶりだな、烏川」
「立華、なぜ……っ、ルーナス!」
「やめといたほうがいいと思うぜ、烏川はともかく、てめえらが寄ってたかって突っ込んだって俺には勝てねえよ」
後ろからアサルトライフルの銃口を薫に向けたルーナス。彼の姿は見えていないいはずだが薫は少しも動揺した様子もなく淡々とそう告げた。
「貴様……どうやってこの機内に乗り込んだ」
「あーうるせえなハエ風情が、どうだっていいだろンなこと。耳元でぎゃーぎゃー煩わしいんだよ」
「貴様……ッ」
「それより、とりあえずこいつどうにかしとけ」
薫は激昂するルーナスには目もくれず、もう片方の腕に抱えていた何かを床に落とす。何かではなく誰かか。
「紲……?」
そこに座り込んでいる少女を見て思わず目を疑った。全身傷だらけで制服も至る所が破けているが間違いない。
「あ、あれ、烏川くん……? 私どうして……それにここ、どこ……?」
彼女は状況を全く把握できていないのか、放心したように辺りを見回している。
そんな彼女に駆けより震える彼女の肩を抑え込む。挙動不審に陥ったままブラックホークから飛び降りる可能性を危惧してだ。
薫はそんな時雨の行動には一切関心すら示さず手首を躊躇なく離していた。
「何のつもりだ」
「んなこと俺に聞いてんじゃねえよ。佐伯の野郎にきけってんだ」
「どうして紲を助けた?」
「防衛省は民間人を護る役職だろうが。助けたら悪いかよ」
そういう薫もどうやら自分の行動に疑念がわいているらしい。
おそらく佐伯に指示を出されての救助。彼自身なぜ助けるのだと疑念を持ちながらの救助だったのだろう。
「俺たちを殺しに来たのか」
「そうしてーのは山々だ。人助けなんて俺の性に合わねえ。さっさと激戦おっぱじめてえとこだ……がどうやらそうもいかねえらしい」
「どういう意味だ?」
「そんな状況じゃねえってハナシだ。あのでかぶつを何とかしねえことにはな」
尻目にリヴァイアサンのことを眺めながら、薫は納得がいかないように舌打ちで返してくる。
「そもそも俺の任務はてめえの抹殺じゃなく、てめえの連行だ。てめえの抹殺任務を命じられてたのは何処かの全欠霧隠だしな。まあてめえも俺と同じ改造人間、リジェネレート・ドラッグがあるから半殺しにはしていいみてえだがな」
「…………」
「それも今はお預けってハナシだ、クソ納得できねえ」
「休戦協定ということか?」
「知るか」
どうやらそういうことらしい。ひとまず彼にこの機体を墜落させられることはなさそうだ。アナライザーをしまってルーナスたちにも武器の類を降ろすように目で指示する。
「お前が出てきたということは、あのマイクロ特殊波も」
「紫苑だ……っち、あの野郎いい配役しやがって」
そう言って薫は予備動作もなく機体から身を投げた。はっとして身を乗り出すとすでに彼の姿は見えない。下方には広大な東京湾が広がっているばかりだ。
よもやこんな形で防衛省の人間と共闘、とはいわねども休戦協定を交わすことになろうとは。
視線を移行しキャンパス側を見やる。インターフィアで視界内部の情報を拡大し目標の人物の姿を探す。すぐに屋上にその姿を見つけた。
「立華妹……」
「防衛省の人間が、どうして……」
「あの人たちも、そんなに悪い人じゃない、ということなのです……?」
視界の中、紫苑がアンチマテリアルライフルのトリガーを振り絞った。銃口からマズルフラッシュが迸り弾丸が発射される。それがリヴァイアサンの喉元に炸裂し、その部分の装甲がごっそり消失した。
ノヴァはその猛攻に押され少しずつ後退していく。陸地に乗り出していた上体を引き戻しかなりの距離を取った。
「なんだ? 何が起きている!」
「TRINITYの介入があった。立華兄妹だ」
「……奴らも手段は選べないということか。よし好機だ! 全軍、峨朗凛音及び燎鎖世の救助に向かえ!」
船坂の指示。一斉にキャンパスから人間があふれ出す。武装したレジスタンスの兵たちだ。
彼らは凛音たちを囲う形で包囲し瓦礫から鎖世を救助した。瓦礫に挟まれていたようだが、どうやら怪我自体は大したことなさそうだ。彼女の姿を見て胸の内側からどっと安堵が押し寄せてくるのを感じる。
「民間人の救助に成功、これよりリヴァイアサンの殲滅に移行――――」
「まちなさい」
だが船坂の指示を無線越しに酒匂が止める。酒匂が無事ということは、おそらく一緒に民間人を避難させていた和馬も無事だろう。二人とも防衛省の人間に拘束されたわけではなかったようだ。
「……だが、」
「その必要はありませんぞ。先ほど、我々が監視していた防衛省の者たちがそちらに向かいましたぞ。おそらくあの大軍ならば……殲滅できないということもありますまい」
その泰造の言葉。その意味をすぐに時雨たちは実際に視認することになる。
キャンパスの向こう側から無数の軍用機が向かってきているのが見えた。かなりの数の戦闘機に数十近い戦闘車両。数台の戦車まで見える。
確か台場とこの台場メガフロートをつなぐ高架モノレールは破壊されていたはずだが。
「今は廃絶されている海底交通網を経由したようですな。それよりも船坂殿、直ちにそこから離脱することをお勧めしますぞ」
「だ、だが」
「今は休戦しているかもしれませぬが、我々が防衛省の敵仇であることには変わりありますまい。いつ背中から狙撃されるかはわかりませんぞ」
「……確かにそれもそうだな」
「酒匂の言うとおりだ。船坂、峨朗、至急ミッション地点から離脱しろ。数機のブラックホークを手配させておく。ランディングゾーンは織寧重工工場跡地だ」
「了解した」
船坂たちが撤退していくのが見える。民間人の安否は防衛省の人間が確保するだろう。
そんなことを話しているうちに戦闘機がリヴァイアサンの上空にまで到達していた。少し遅れて戦闘ヘリ。時雨たちが圧倒的な破壊力を体感したあのクラスター空爆によって、リヴァイアサンが爆撃の渦に巻き込まれていく。
やがて校庭に集合した戦車群が主砲による砲撃を開始した。凄まじい爆撃の嵐。レジスタンス相手にしている防衛省の余力そのもの。無数の爆撃にリヴァイアサンの修繕速度が追い付いていない。
「スファナルージュ、聞こえているか」
「ええ皇様、聞こえています」
「君たちも今すぐそこから離脱しろ」
「了解しました。ランディングゾーンは?」
「先ほど立華薫の侵入を受けたな。その際に発信器を仕掛けられた可能性がある。一度、中央区に迂回してくれ。ユニティ・ディスターバーを用いてユニティ・コアの発信電波を破壊する。追ってランディング指示を出す。その機体は爆破しよう」
「かしこまりました。ブラックホーク008号機、離脱します」
ブラックホークが向きを変え台場メガフロートから離れていく。
すでにリヴァイアサンはかなりの損傷を受けたようで東京湾に半分沈み込んでいる。
おそらく今この猛攻の間にも、局員が新たなデルタサイトを設置していることだろう。その電源がつけられれば、もうノヴァが出現することもリヴァイアサンが自己再生をすることもなくなる。
一抹の安堵と底知れない疲労に苛まされながらその場に沈みこんだ。
「閉めるわ」
気を利かせたのか真那は時雨を一瞥しドアを引き閉める。この光景を時雨の視界から遮断するためだろう。
「終わった……な」
「ええ、被害を最小限にというわけにはいかなかったけど……」
無尽蔵に出てしまった人的被害。来場客や学生。そのうちの半数近くが殺害されてしまった。なんの罪もない人間たちが。
「紲は、大丈夫か?」
「全身いくつも傷がありますが……致命傷はないみたいなのです」
紲の怪我の治療をしていたクレアが安心したようにそう言う。シエナの持つ医療キットもあって紲の怪我の心配はいらなそうだ。
「大丈夫か? 痛む場所はないか?」
「う、うん……」
彼女はなぜか時雨から眼をそらす。
「……ねえ烏川くん、どういうこと?」
「何がだ」
「さっきこのヘリに乗り込んできた人、防衛省の人なんだよね」
「ああ」
それがどうかしたのか。そう問い返そうとして胸騒ぎを覚えた。思い当たる節があったわけではない、直感的にしまったとそう思った。
「あの人、烏川くんたちのこと敵みたいに言ってた。それなら……烏川くんたちは一体、何なの?」
迂闊だった。心臓が再び加速していく。
紲の疑いにも困惑にも、そして失望にも似た表情。それに答えることができない。
「烏川くんたちは、防衛省の人間じゃなかったの……?」
「それは」
気まずくて後ろめたくて目をそらす。今度は紲が時雨の目を直視していた。
嘘がばれた。
「烏川くんは……」
「…………」
「そっか。やっぱり、そうなんだね」
紲は静かにそうつぶやく。すべてに気が付いたように時雨のついた嘘に感づいたように。
時雨のエゴで嘘の裏側に隠していた真実に辿り着いたように。
彼女はどこか笑っていた。無気力な、望みも願いも信頼も何も感じさせないただ悲しい笑顔を、浮かべていた。
「烏川くんたちが……レジスタンスなんだ」
その言葉を否定することはできなかった。
嘘に嘘を塗り固め閉ざしていた真実の扉に再び嘘を固めても、もはやその扉は閉まらない。
紲はすべてを確信してしまったから。
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