第75話

「C.C.Rion、花火……!?」


 凛音のシルエットを象った爆発の余韻。見間違うはずもない。あれは時雨がシエナのもとへと直接設計図を送ったものだ。

 だがなぜあんなものがこの瞬間に。あれは後夜祭で打ち上げられるはずのものだ。そのために泉澄に頼まれあの設計図をシエナに渡しにいったのだ。


「風間……まさか……ッ!」


 はっとして花火が打ちあがった場所を見やる。わずかに残る尾の軌跡をたどるとそれは屋上から飛び出していた。


「まさかこのために――――!?」

「時雨! 撃って!」


 不意を衝く花火。思わずアナライザーのトリガーを振り絞ることを忘れていた。

 硬直していたはずのノヴァがすでに予備動作を終えていた。一瞬の溜めののち最大速度の薙ぎ払いに転ずる。


「いけません! 回避します!」


 その状況をいち早く察知しシエナが操縦桿を強く引く。機体が旋回軌道に入った。


「く……! 回避しきれませんッ! シエナ様!」

「皆様! 捕まってくださいッ!!」


 回避するには敵との距離があまりにも近すぎた。鋭利な突起物の無数に生え揃った尾が旋回し突っ込んでくる。


「捕まってろ!」

「……っ、っ」


 急旋回に体勢を崩し外に吹き飛ばされそうになっていたクレアを間一髪で掴む。

 激しい揺れが襲い来た。ガタン! と音でも聞こえてきそうな震動。視界の上部をノヴァの尾が通過し尋常ならざる突風が押し寄せる。

 

「制御ができません! 墜落に備えてください!」

「し、シエナ様!」


 ルーナスが彼女の隣の席に向かうのが見える。

 グワングワンと視界が回転しブラックホークが急激に高度を下げていることが分かった。

 身のよじれるような遠心力に翻弄されながらがむしゃらに手を伸ばす。そうして吹き飛ばされそうになっていた真那の手首を掴んだ。

 真っ黒な海面が急速に接近してくる。このままでは海面に墜落する。


「自動水平機構をマニュアルに切り替えます! お兄様! 操縦桿を!」

「了解しました!」


 操縦席の二人が必死になってパネルを操作している。

 やがて収まることを知らないと思った機体の揺れが不意に弱まる。旋回しながら高度を下げてはいくものの、間一髪海面に衝突する寸前で機体の制御を取り戻したようだ。


「機体上昇! 自動整備機構を展開します」

「……計測完了。機体損傷が数か所ありますが、制御不能になる損傷ではありません」


 態勢を整えなおした機体が高度を上げていく。安堵のあまり凝り固まっていた息を一気に吐き出す。


「助かった……」

「時雨さん、ノヴァが……っ」


 安堵している余裕すらなかった。

 先ほどまでノヴァがいた位置には何もない。その位置から千メートル地点付近にその後ろ姿が見える。


「まずい、キャンパスに向かっている!」

「ノヴァは生体反応と銃火器に反応する。花火に使われている信管による爆発に引き付けられたのね……シエナ!」

「解っていますっ、ですがこの距離では間に合いません!」

 

 十分な高度を取って機体が再度台場メガフロートへ向けて発進する。このままでは確実に間に合わない。

 陸地から幸正たちが斉射したのか砲弾が舞い上がっていた。それらは一斉にリヴァイアサンに襲いかかり爆風に呑みこむ。それでもノヴァの侵攻は止まらない。


「全隊員! 次弾装填急げ!」

「照準照合! よーい……斉射ッ!」


 第二陣が舞い上がり強襲する。一瞬ノヴァの行進が止まったもののさらにその速度が速まった。


「次段装填! ……くそ! あの装甲は粉砕という言葉を知らないのか!」

「損傷はしている。即座に修繕しているようだな。きりがないだろう」

「仕方ない、RPG部隊、撤退し一般市民の避難に回れ! 重迫撃砲部隊、君たちは継続して時間を稼げ! 斉射ッ!」


 キャンパス内に避難したところで助かるはずがない。あのノヴァならばキャンパスを破壊するなど容易いことだろう。


「一応、キャンパスに皆が避難すれば、まだ可能性はあります」

「どういうことだ?」

「ノヴァに感覚神経はありません。知っての通りあくまでも機械の集合体ですから。それ故、ノヴァは体内にあるコアによりプログラムの発信を受信し行動しています。ノヴァは行動指針プログラムとして、視界に生体反応が収まらない限り標的を見極められないからです」

「そうは言っても、ノヴァがサーモグラフィみたいな機能持っておたら……キャンパスにいてもばれるだろ」

「はい。ですからあくまでも可能性の話です」


 とは言えそもそも皆の避難が間に合うのか。

 第三陣の強襲むなしく、リヴァイアサンはすでに陸地すれすれの場所にまで迫っていた。


「まずいわ……このままじゃ皆死んでしまう」


 視界の中でリヴァイアサンが猛攻を仕掛け始めていた。陸地からまだ距離があったことも幸いしてか被害はそこまで大きくない。

 アスファルトが十メートル近くにわたって砕けレジスタンス局員が一斉に跳ね飛ばされる。無数の瓦礫が吹き飛びキャンパス側に飛散、落下した。


「くそ! 撤退! 撤退しろ!」

「デルタ部隊、後退しつつ迎撃しろ! 俺に続け!」


 迫撃砲をその場に残し皆がRPGを肩に担ぎ後退を始める。すでに一般市民の避難は完了しているようだ。

 幸正たちが砲撃を開始した後も、鎖世と紲が避難誘導を買って出てくれたが故だろう。


「俺たちも撤退する! デルタ部隊! でかぶつの目を狙え!」


 RPGから一斉に弾頭が吐き出されノヴァの顔面に吸い込まれていく。数秒後、鼓膜をつんざくような絶叫が響き渡った。巨体がのけぞり激しく身をよじらせる。眼球を潰したのだ。


「撤退! 撤退だ!」

「総員、屋外へ撤退しろ!」


 その隙を見逃さず、隊員たちは更なる弾頭による爆撃を見舞いながら撤退していく。

 やがてすべての局員が屋内に身を隠した。これでひとまずは安心だろうか。リヴァイアサンにキャンパスを破壊される可能性を考えれば安心などできないが。


「あれ、織寧さんじゃないですか……?」

「何?」

「あの瓦礫のところです」

「瓦礫……!?」 


 クレアの指摘。はっとして再度キャンパス側に視線を流す。そしてクレアの指差す場所を見やった。肉眼では正確な状況認識が見込めないためインターフィアを介してだが。

 先ほどのリヴァイアサンの攻撃によって生じた瓦礫の山。確かにそこに黒髪が翻るのが一瞬見えた。全身傷だらけになり、服は破けすす汚れたその姿。そしてわずかに見えたその顔。間違いない紲だ。

 瓦礫が積み重なっていたせいで確認できていなかった。幸正たちの位置からでは死角となっていたはずだ。


「聞こえるか、誰か応答してくれ!」

「どうした?」


 真っ先に応答したのは船坂。彼は幸正たちと撤退していたはず。あの位置からならばまだ紲を救助する時間的余裕はあるはずだ。


「避難できて居ない人間がいる、紲だ」

「どこだ?」

「キャンパスから数十メートル地点、瓦礫のすぐそばだ。救援してくれ」

「ここからでは確認できないな……少し待て」


 紲の位置を確認しようとしているのだろう。


「それにしてもあんな場所で何をしているのでしょうか」

「何って……」

「だって動いているのを見ても、瓦礫に挟まれているというわけではないみたいなのです」

「確かにそれもそうね……それにノヴァから隠れるつもりであそこにとどまっているようにも見えないわ」


 確かにそれならばもっと気づかれぬよう身を潜めているはずだ。

 だが彼女は何やら激しく体を動かしている。瓦礫の間に手を突っ込んで何かを引きずり出そうとしているかのような、そんな。


「……燎鎖世よ」

「燎?」

「一瞬、彼女の髪が見えたわ。多分、瓦礫に挟まっている燎鎖世を救助しようとしてる」


 じっと目を凝らすが彼女の姿が見えることはない。特徴的な髪色の鎖世だ。見間違いということはないだろう。

 おそらくは、すべての一般市民の避難が済んでいざ自分たちも避難しようとしたときに瓦礫が飛来してきたのだろう。あの巨大な瓦礫に押しつぶされていたら即死だろうが。この状況下では生きていることを願うほかない。


「こちらアルファ部隊、避難できていない生存者を二名確認した」

「救援可能か?」

「ああ、俺が行く」

「待て」


 船坂の救援態勢に不意に介入してきた幸正の声。何故制止する。この緊急事態に。時は一刻を争うというのに。


「救援はだめだ。リスクが高すぎる」

「何言っているんだ」


 思いがけない言葉。


「言ったとおりだ、救援はしない」

「……峨朗、どういうことだ」

「貴様ら冷静になれ。現状ノヴァは俺たちの存在に気が付いていない。勿論、避難が遅れた織寧紲にもだ。その証拠に先ほどまで止まなかった奴の強襲が止んでいる」

「確かに、それはそうだが」

「あの場所は俺たちから見て死角だった。それは奴、ノヴァにも言えた話だろう。ここで俺たちが出て行ったらどうなる? 既に眼球の修復も済んでいるはずだ。確実に奴の視界に入る。再びこの場所は激戦区となるだろう」


 もっともな話。正論だ。確かに幸正の言う通りではある。現状ノヴァが行動に移っていない以上、紲は気づかれていない。ここで出ていけば確実に気付かれる。

 たとえそうであっても、ノヴァが彼女たちに気が付かないなどという保証はない。ただの希望的観測だ。

 それにそんな危険な状況に彼女たちを留めておくなんてそんな非人道的な策をとれるのか。そんなことできるはずがない。


「俺が行く」

「独断行動は許さんぞ烏川」

「人の命がかかっているんだぞ」

「そんなことは百も承知だ。その上で、俺は救助はなしだと判断した」

「極悪非道が……自分が何を言っているのかわかって」

「貴様こそ理解しているのか? 俺たちは全知全能の神ではない。すべての人間を救えるなどということはありえない。貴様がここで鉄砲玉のように飛び出したとしてあの娘を救える保証があるのか? 救えたとして被害を出さない保証があると? 思い上がるな。貴様はあくまでもレジスタンスの一員にすぎん。貴様の独断で、俺たち全員の命を危険にさらさせることなどできん」

「っ……」


 幸正の糾弾に何も言い返せなかった。確かに非人道的だ。血も涙もない。それでもそれに何かを言い返すことができない。

 心のどこかで、ここで自身が救助に出るということがあくまでも自身のエゴでしかないと解っていたから。

 

「俺たちはレジスタンス。この世界に変革をもたらす異端者だ。その俺たちに、慈悲や憐憫といった感情は不要だ。俺たちに求められるものは、常なる最良の選択と、間違いを生まぬための熟慮。それだけだ」

「……っ」


 ああくそ最悪だ。言い返せない自分に嫌気がさす。それでもその禁忌を冒す覚悟が時雨にはない。

 今レジスタンスの天秤には無数の命が乗せられている。片方には二人の少女の命が。そうしてもう片方には数百という人間の命が。必然的に、どちらに秤が沈み込むかなんて火を見るよりも明らかだ。

 だからと言って彼女たちを置き去りにするなんて……。


「解ったか烏川。ならば黙って状況を見守れ。神の采配に身を委ねろ。それが俺たちに加担する神の採決か、あるいは目の前に聳え立つ邪神の片鱗かは……定かではないがな」

「……クソが」

「遺憾なことだが、どうやら神は俺たちに味方してはくれないようだな」


 幸正のその言葉にはっとして視線をキャンパス外、リヴァイアサンの方へと向ける。巨体は何かに感づいたように、紲の隠れる瓦礫を凝視していた。


「気づかれた……!?」


 全身を振り絞るような予備動作。悪寒ばかりが背筋を走る。間違いない、あれは薙ぎ払いの直前に起こる硬直だ。


「クソ、ちくしょうが!」

「おかしな気は起こすな」

「シエナ、機体をもっと近づけてくれ! 注意をこっちに向けさせろ!」

「残念ですが、それは出来ません」

「なんでだよ、紲たちが死んでもいいのかッ」

「口を慎め烏川時雨。シエナ様も傷心されているのだ。その決断、覚悟を貴様の愚行で疎かにするな」


 時雨の行動を束縛するようにルーナスがアナライザーを持つ手首をきつくつかむ。

 解っている。解っているが。それでも本当に彼女たちを見殺しにするしかないのか。


「……違うのだ」


 そこで誰かの声が紛れ込む。無線に介入してきたのだ。


「それは違うのだぞ、とーさま」

「……凛音か。何が違うと?」

「とーさまの言っていることがなのだ。間違っているのだ。リオンたちは皆を助けるために戦っているのだ」

「ふん、貴様の裁量や採決、価値観などに興味はない。子供のわがままに付き合ってやる時間的猶予もな」


 凛音のその言葉を幸正は一蹴する。

 凛音とて解っているのだろう。今の状況を。幸正の下した非道すぎる決断に我慢がならなかった。とそういうことだろうか。

 その気持ちは皆が同じ。それでも選択を迫られざるを得ない時がある。

 どちらも救いたい、すべての人間を助けたい。そんな願望は必ずしも人のためになるとは限らない。それによって副次的被害が生じるのだとしたら……それはただの身勝手だから。


「子供は黙って俺たちの指針に従え」

「そうは、いかないのだ」

「貴様、いい加減にしろ」

「いい加減にするのはとーさまなのだ。リオンのとーさまは優しいのだ。皆を助けてくれる。リオンを助けてくれたとーさまだからな。でも今のとーさまは優しくないのだ」

「……時間の無駄だ。貴様ら凛音を拘束しろ。おかしな真似をされる前にな」


 幸正が隊員たちに指示を飛ばす。

 

「無駄なのだぞ。とーさま。とーさまはリオンを捕まえられないのだ」

「何を」

「何故ならリオンはもう、お外にいるのだ」


 彼女のその言葉。それを耳にするまでもなく時雨は彼女の姿を目にとめる。

 屋上。先ほど花火が打ちあがったその場所に彼女が佇んでいる。吹き付ける風に煽られ長い髪を揺らしながら、彼女は慄然としてそこに立っていた。


「貴様、早急に屋内に戻れ」

「嫌なのだ」

「貴様のその愚行で、俺たち全員の命が危機的状況に晒されると解っていての行動か?」

「勿論なのだ」


 そして彼女は大きく息を吸い込む仕草を見せた。

 

「こっち、なのだぁぁあ!!!」


 そうして絶叫。直にヘリの位置まで聞こえてくるのではないかという怒涛。当然その声はノヴァの感覚神経をも刺激した。

 巨大な頭部がゆっくりと持ちあがる。怪物の視線が自身に集中しても凛音は臆さない。その手に持った何かを掲げあげる。筒状に伸びた手のひらサイズの銀色の何か。


「貴様……」

「とーさま、リオンはリオンなのだ」

「意味の解らんことを」

「リオンはガロウリオンなのだ。ガロウファミリーの教えは忘れないのだ」


 彼女はインジェクターの先端にある突起物を押し込む。逆先端から鋭利な針が飛び出す。

 それを確認すると同時ノヴァもまた動き出した。唯一視界に収まった明らかなる人間の反応に食らいつく。予備動作ひとつなく凛音へと突っ込んでいった。


「だからとーさま、リオンはとーさまの教えに従うのだ。リオンは自分の意志で、ショードーに従うのだっ!」


 彼女は躊躇なく針を自身の腕に突き立てる。

 その臀部に黒い金属の尾のようなものが出現する。リジェネレート・ドラッグを撃ち込んだことで獣化が発動したのだ。


「うぅぅぅ……なぁぁぁああああああっっ!!!」


 接近してくるノヴァに彼女は恐れを知らず突っ込む。

 鉄砲玉のように跳躍し、ノヴァとの接触ざま、その顔面に強烈な蹴撃を炸裂させた。空気が引き裂かれるような鋭い衝撃音。


「まだまだ、なのだッ!」


 それでは終わらない。空中に投げ出されたかと思いきやリヴァイアサンの巨体にしがみつく。そのまま固い装甲に爪を突き立てその体に張り付き頭部まで駆け出す。

 凹凸だらけの頭部にまで達し、先ほどの蹴りで損傷したノヴァの頬あたりの掘削痕に両手を突っ込み力任せにこじ開ける。銀色の粒子をまき散らしながら、ノヴァの顔面が裂けた。

 撒き上がる大絶叫。咆哮をまき散らしノヴァは怒り狂ったように頭を振り乱す。跳ね飛ばされ、凛音は屋上に器用に着地するなり再び跳躍する。


「うんにゃぁッ!」


 前方宙返りの要領で踵落としを鼻先に炸裂させた。踵が勢いよく沈み込み亀裂が走る。そのまま鋭利な尾で追い打ちをかけ、頭部が一瞬にして押しつぶされた。

 それで猛攻はやまない。頭部の装甲を掴み更にそこにエルボーを炸裂させる。亀裂が一瞬にして瓦解し突貫する。


「ああ……あれは、痛いな」


 こんな状況であったが思わず時雨はそんな声を漏らしていた。彼女のひじ打ちの破壊力は身を以て知っている。獣化した凛音のひじ打ちとあればなおさらだ。

 凛音の間髪いれない強烈な攻撃。これが続く限り薙ぎ払いの予備動作には入れない。

 この猛攻ならば、もしかすればリヴァイアサンを抹消することもできるのではないのか。そんな淡い期待は一瞬にして砕け散った。


「……! 凛音、回避しろ!」

「なんなのだ?」

「薙ぎ払いじゃない!」


 その言葉はあまりにも遅すぎた。

 頭部の砲塔からノーモーションで吐き出された銀色の集合体ナノマシン粒子。それは回避する間もなく宙で的になっていた凛音に襲いかかった。

 凛音は制御が効かなくなった機体のようにその場から落下した。瓦礫だらけの地上に落下し砂塵を巻き上げてはね転がる。あの速度と衝撃ではおそらくかなりの損傷を受けたはずだ。

 瓦礫を蹴散らしながらぶっ飛んでいった凛音は、やがてその勢いを止める。砂塵が晴れたその場所には全身血だらけの凛音が横たわっていた。


「凛音ちゃん!?」


 すぐ近くにいた紲が驚いたように叫ぶ。そうして凛音の傍にまで駆け寄った。

 紲は目の前に聳え立つノヴァに臆しながらも凛音を必死に引っ張る。そうして鎖世がいると思われる瓦礫のもとまで引きずって行く。


「意識を確認できません、気絶しています」

「救助に行くぞ!」

「話を聞いていなかったのか、そんな軽率な行動は看過できん」

「離せ、もう関係ないだろそんなの」


 手首が折れるのではないかというルーナスの強烈な拘束に抗う。

 凛音がノヴァに見つかった以上もはや息をひそめる理由など存在しない。


「離せ!」

「この距離では救助しようにも間に合わない……残念だが」

「諦めてんじゃねえ、峨朗、何してる、早く助けろ!」


 ルーナスだけでなく真那もまた時雨を羽交い絞めにする。この標高から飛び出さん勢いだったからだろう。実際に止められていなかったら飛び出していたかもしれない。

 

「何を言っている烏川。奴は自分の意志でノヴァに攻撃を仕掛けた。自分の命の責任を背負ってだ。ならば、俺が助ける理由はない。凛音の死は凛音自身の問題だ」

「……娘だろうがッ!」

「この状況において血のつながりなど関係ない。奴は俺の部下だ。だのに奴は俺の命令に背き独断行動に出た。ならば救う価値などない」

「石頭野郎がッ」


 これまで感じたことのないような、激しい憤怒に襲われる。幸正を殴り殺してやりたいと煮えたぎるような、そんな。


「離せ!」

「駄目よ時雨、あなたも死んでしまうわ!」

「真那まで……なんなんだよ、仲間が死んでもいいのか? そんなに自分の命が惜しいのか?」

「皆助けたいわ。でも、この状況では……無理よ」


 真那はそういってわずかに目をそらす。解っている。この状況で彼女たちを助けることが不可能に近いことを。真那の後ろでクレアが今にも泣き出しそうな顔を浮かべているのを見れば、歴然だ。

 解っている。この中で一番わがままなのは時雨自身なのだと。幼いクレアでさえ状況を正しく認識できているというのに。それでも諦められるはずがない。


「紲、聞こえるか、頼む、応答してくれ!」

「か、烏川くん?」


 動揺し焦燥しきった震える紲の声。凛音の無線から時雨の声を耳にして、紲が回線をつないだのだ。


「そこから逃げろ!」

「で、でも燎さんが……!」


 彼女は自分の命がかかっているというのにそう答えた。

 その声は酷く震え恐怖に支配されていることは明白だというのに。それでも逃げ出そうとはしていなかった。


「それでもだ。早く逃げないと全滅するだけだ……燎は置いて逃げろ!」


 胸が引き裂かれるような感覚に陥りながら叫んだ。

 もしかしたらノヴァは瓦礫に挟まれている鎖世に気づいていない可能性がある。それならば紲がそこから離れれば鎖世は襲われないかもしれない。

 そんな淡い期待を胸に抱きながらの指示に紲はだが拒否の意思を見せた。


「で、できないよ!」

「燎は狙われないかもしれない」

「そ、それでも無理だよ!!」


 かたくなに紲はその首を縦には降らなかった。声は霞み滲んでいたが。


「烏川、勝手な指示は出すな。織寧紲がキャンパスに避難すれば、ノヴァはキャンパスを狙う。そうなれば避難している全員の命が」

「てめえ……黙れよッ!」


 ここまで来てもいまだ全体の損失しか鑑みれない幸正に罵声を叩きつける。


「いいか紲、峨朗の言うことなんか気にするな、今は逃げろ、キャンパスに駆けこめ!」

「でも、」

「いいから走れ! 燎のことはお前の責任じゃないッ!」


 逃げ出そうとしない紲。そんな彼女を駆り立てる様に叫び散らす。


「……できないよ」


 彼女は静かに、だが何か覚悟を決めた様な声音で、呟いた。


「できないよ烏川くん。燎さんを残していくなんて、できない」

「早く凛音を連れて逃げるんだ。今ならまだ間に合う」

「ごめんね烏川くん……でもできない。それに死なせない。凛音ちゃんも燎さんも」

「な……」


 思わず言葉に詰まる。紲のその言葉に驚愕を受けた。その言葉から確かなる彼女の覚悟を感じ取ってしまったから。

 紲は瓦礫の傍に凛音を横たえ、立ち上がった。聳え立つ今にも襲いかかろうとしていたノヴァに向かって、立ちふさがる。

 そしてあろうことか両の手を広げノヴァに対面した。あたかも凛音たちのことを護るように。


「……死ぬぞ、馬鹿野郎」

「馬鹿で、いいんだよ」

「死にたいのか」

「死にたくなんてないよ……でもね私、信じてるから」


 ノヴァを前に果敢にも立ち続ける紲。その足は、いや全身が震え今にも崩れ落ちそうになっていても。彼女は逃げ出すことはしない。


「私を助けてくれた烏川くんを……防衛省の、皆を」

「!」

「あの時私を助けてくれた皆なら、きっと……私のお父さんを、智也を殺したレジスタンスからリミテッドを護ってくれる」


 心臓を鷲掴まれているような、そんな衝撃。彼女は時雨がついたその嘘を信じ時雨にすべてを託していた。

 この状況でもなおその嘘に固執し彼女は自らの命を賭している。


「だから私は、凛音ちゃんも燎さんも絶対に死なせない。たとえ私が死んでも、絶対に死なせない!」


 紲は一歩足を踏み出した。ほんの数十センチ。だが途轍もなく重たい脚を踏み出す。

 その一歩で数十センチ分、死に近づいていることを理解しながら。背を向けることなくノヴァに向けて駆け出した。


「囮作戦……っ、デコイになる気なの?」

「戻れ! 戻れよッ!!」


 凛音から離れもう届かないその言葉を抑えることができない。

 彼女はがむしゃらにノヴァに接近していく。その行動の意味はすなわち囮だ。自分が標的になっているうちに燎たちを救助しろという意味。

 その意志が幸正たちに届かないと解っていながら、彼女は命を捨てた。

 リヴァイアサンが鎌首をもたげ紲目がけて突っ込んだ。

 そこからの光景はひどくスローモーションに映った。無慈悲にも紲との距離が縮まっていく死の鉄槌。それは呆気なく紲の肉体を押し潰した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る