2055年 10月12日(火)
第60話
――――夢を見ていた。
目の前に立っているのは彼女の姿。風邪一つ吹かぬ中でその長髪は棚引き黒い軌道を描く。
A.A.の傍に佇んで幼き彼女はじっと大きな瞳で時雨を見つめている。
ああいつの記憶だろう。どうして今更こんな記憶がぶり返すのか。
考えるまでもない……今日の作戦の中で真那の影を見たからだ。幼き日の時雨の知っている本当の真那の。
「時雨」
彼女は赤を基調とした少し派手なドレスを纏っていた。
そんな彼女の後ろでは、大きな球の上でバランスをとるアンドロイドの姿がある。旧型なのか、現代一般家庭用に開発されている物に比べると動きがぎこちない。
「ピエロって滑稽だよな」
気づかぬうちに時雨はそんなことを呟いていた。
「道化と言えば聞こえはいいが、玉の上で転がされて、客を楽しませるために自分を押し隠させられてるみたいな……そんな感じがするよな」
「なんだかそう言われると、今のリミテッドの一般市民のことを示しているみたいね……わけのわからない政策に振り回されて、イモーバブルゲートの内側に隔離されて生きてる」
そういうものだろと、そう思った。今の時雨にとってはそれが当たり前だから。その状況を変えるために戦っているのだから。
「というか真那、お前……真那だよな?」
「何言ってるの時雨。ついに頭おかしくなった?」
怪訝そうに彼女は時雨の額に手を当ててくる。その仕草、間違いなく真那だ。時雨の知っている聖真那。
似ているようで、レジスタンスに入って再会した真那とこの真那はどこか違う。そしてこの真那こそが時雨の知っている真那なのだ。
「いや、やっぱり真那はこうじゃないとなと思って、真那らしいというか」
「……何よ、さっきはこのドレス似合ってないって言ってたくせに」
頬を少し膨張させ不満そうに真那が怒る。そんなことを言っただろうか。記憶にない。
「多分夢だよな」
「どうして、そう思うの?」
「その反応がそう物語ってるだろ」
「そう……なら、その夢から早く目覚めないとね」
真那は意味深に笑って指先を突き出してくる。その指先が眉間に触れるか触れないかと言うところで止まった。
真那はしばらくその状態のまま時雨の目を見据えていたかと思ったが、不意に神妙な面持ちでその唇を震わせる。
「ねえ時雨、今の私、どう見える?」
「どうって……いつも通りの真那だろ」
「そう……やっぱりあなたは変わらない」
こつんと指先が眉間に当たった。グラッと眩暈のようなものを覚え、そのまま背中から地面に倒れこむ。
「な、なんだよ」
打ち付けた後頭部を抑えながら上体を起こす。
「──真那っ!?」
真那の姿は変わり果てていた。
ドレスは破れ煤け、いたるところがどす黒く染まっている。彼女自身の血だ。
周囲には得体の知れない粘体とも液体とも説明がつかない黒い存在に侵食され、空間を容赦なく呑み込んでいく。
「時雨……もうどうしようも、ないの。ここに閉ざされちゃったら、きっともう、どうしようも……」
彼女の声は震えている。現実を噛み締めることを恐れ、それは無慈悲に彼女の目の前に突きつけられて。
何が起きているのか解らない。それでも彼女の傍にまで這って行く。地面という概念すら認識できず、もはや上下左右すら判別がつかない。第六感的な感性で彼女のもとまで這いずり進む。
全身が痛い。焼けただれるような身を引き裂かれるような。それでも立ち止まらない。
知る由もない場所で彼女はずっと戦っていたんだろう。手探りで、すすり泣く彼女の手の甲を握り締める。
「安心しろ。俺がいる」
「何も解ってないくせに……強がらなくて、いいの」
目は更に霞み始めていたが彼女が優しくはにかむのが解った。それを耳にして熱い感触が目頭に染み渡る。灼熱ではなく命の感情の熱。
新しい熱が時雨の頬に弾ける。彼女の感情だった。
時雨を見つめる彼女は、どうしてか涙しながら笑っていた。
「私のこと、助けて」
「言われるまでもない。こんな場所、直ぐに抜け出して」
「ううん、今回じゃないの」
「何――?」
「今回は私が時雨を助ける。私の命、あなたに託す」
全身の神経を悪寒が撫でた。彼女はいったい何を考えているんだ。
「どんな形で再会できるかは解らないけど、でも、どんな私でも私だから。次あったとき、ちゃんと私の名前、呼んで」
彼女の言葉はひどく不可解で。普段の彼女とは違って、脆くも儚くもなくて。何か決意を決めたように。
「私が全部、終わらせるから」
そういった彼女は時雨から目を逸らす。
彼女が見据えているのは、未知なる黒い空間に晒されてなお不気味に佇む
そして時雨は彼女の真意を知る。直感的に理解する。
彼女は、時雨の代わりになろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます