其の四

「まったく、どういうことなんですか…」


 今日も今日とて州衛士隊隊長のベアは溜息をつく。今朝になって舞い込んで来た9件の捜索願。目下の悩みの種である連続金貸し失踪事件も進展していないというのに、たった一日でこれだけの行方不明案件が追加されたのだ。しかもそのうちの一件は同じ州衛士のフィル・ザーゲントとその侍従となれば、職場でも構わず頭を抱えたくなるのも無理はないことだ。


 連続行方不明事件に、ついに善良な市民、そして自分たちの同僚も巻き込まれてた。この事態は州衛士たちにとってショックだったことだろう。夏の盛りの大捜索もさらに熱の入ったものになっていく。無論「悪質な取り立てに耐えかねた債務者が『討たせ屋』なる存在に頼み金貸し達を誅殺していたが、金貸しギルドの元締めに目をつけられ『討たせ屋』もろとも返り討ちにされた」などという背景など知る由もなく、ただ無為にやる気を空回りさせるだけであったのだが。


 そしてこの日から数日の間、州衛士の屯所に金銭の貸借関係での相談が殺到していた。曰くギンドロのギルドに属する金貸し連中の振る舞いが前にも増して苛烈になり、ほとほと弱っているとのことだ。しかしただでさえ忙しいというのに、この手の問題はやれ契約書の証明がどうだとか、やれどこまでが法外の行為か曖昧だとかで州衛士としても面倒な案件。悲しいかな、債務者は半ば泣き寝入りを強いられることとなった。そして―――




「あんな連中とはいえ金を借りた手前、引け目というものを感じるだけの恥と外聞は持ち合わせているつもりです。しかしそれを差し引いても、最近の奴らの横暴さは目に余ります。衣食住を奪われるのはまだ序の口。妻や娘を色町に売り飛ばされ、自身も危険な炭鉱仕事に放り込まれた者も少なくありません。あるいは耐え兼ねて首を吊って自殺できるならまだいいほう、非道なことに見せしめのリンチでそのまま命を奪われた者も…


州衛士に相談しても糠に釘、近衛師団も門前払い。風の噂で聞いた話では頼みの綱だった『討たせ屋』さんたちも奴らに返り討ちにされたと…最早連中にされるがままに骨の髄までしゃぶられ、弄ばれる運命しか残されていないのかと絶望しました。


しかし我らにも意地と尊厳というものがある。老い先短いとはいえこのまま何もせず座して死を待つくらいなら、眉唾の噂にも縋ったほうが上等…ここに皆でなんとか集めた金があります。どうかこれで、ギンドロの手の者に復讐を…我らの恨み、どうかお願いします…」




―――丘の上の教会の懺悔室に、命を賭した老人の頼みが入るのはあるいは時間の問題だったのかもしれない。






「久方ぶりの『仕事』じゃのう…」


 深夜の教会、地下霊安室。「仕事」の打ち合わせでこうやって集まるのは実に八か月ぶりだろうか。しかしあれほどまでに「仕事」を渇望していたカーヤは眉間に皺を寄せていた。


「何だあれだけ『仕事』は無いかと騒いでたくせに随分不機嫌じゃねえか。『討たせ屋』とやらの代わりってのがそんなに気に食わねえか?」

「………それか、頼み料が少なくてやる気が出ない?」

「馬鹿言うな、そこまで器の小さいことは…まあ少しは思わんでもないが、それよりも頼み人の為、そして『討たせ屋』のためにも気を引き締めていかねばと思うてな。」


 ギンドロの拷問から逃れたもののそのまま息絶えた「討たせ屋」フィル・ザーゲント。その遺体はマシューと神父の手で密かに埋葬され、後日事の顛末が仲間内にも伝えられていた。奇しくも自分たちと志を同じくし、更に恨みに寄り添おうをした優しき暗殺者。しかしてその代償を己の命と一族の断絶。未熟な商売敵がヘマを踏み自爆しただけ、と嘲笑うこともできようが、それだけでは済ませられぬ同情がカーヤのみならずWORKMAN皆の心中にはあった。


「しかし今回の的は気負ってどうにかなる相手ではありませんよ。むしろ隙を見せれば『討たせ屋』さんの二の舞、どうかそのことを肝に銘じてくださいね。」


 ほのかに熱を帯びるメンバーを落ち着かせるように、神父が釘を刺す。なにしろ相手は輝世暦前より裏社会に君臨する大物。かように危険な世界で数百年地位を成し生き長らえているということは、そういったものへの対策は万全だという証拠でもある。実際にその手勢によって「討たせ屋」は返り討ちにされたし、その攻略が困難であることはWORKMANも身に染みていた。


「………確かに、難しい。昼も夜も見張りがいっぱい。」

「中に入り込もうにも、文字通りネズミ一匹が関の山じゃったわい。」


 既に下調べに出向いていたリュキアとカーヤが溜息をもらす。表の権力者以上に命を狙われやすいせいか、特にその屋敷の堅牢さはその手の潜入からの暗殺を幾度となく成し遂げてきたWORKMANでも匙を投げるほどということ。なれば外で仕掛けるのが好ましいのだが、それこそ反逆者への私刑などでもない限り、安全圏から出ることなど稀だろう。


「久々だってのに、こいつぁ歯応えのある相手だぜ…」


 ギリィは爪を噛み呟く。やりがいに心を躍らせるような口ぶりではあるが、実際のところは強がりでしかなかった。せめて外に釣り出す妙案があれば…そうは思いながらも策は思いつかない。


「仕方ねェ、あんまり気は進まねェがひとつだけ使える手があるんだが…」


 と、マシューが何かを思いついた様子。本人は何故かあまりやりたくはないようなのだが、今は何でもいいからアイデアが欲しい。なんだかんだ言いながらもチームのサブリーダーのような位置にいるこの男の案に、ギリィは言葉とは裏腹に興味を示した。


「何だよクソ役人。テメエの頭で何思いついたってんだ?」

「まあな、死人に鞭打つのは趣味じゃねェんだがよ―――



―――フィルさんにもうひと働きしてもらおうか、ってな。」






 八月某日、金貸しボーゲンの店に一人の客が舞い込んでいた。それは金を借りに来たわけでも金を返しに来たわけでもない、ただ一つの情報を売りに来た情報屋であった。


「何だその当方にとって重要な情報とは?くだらん話だったら簀巻きにして川に放り込むぞ。」

「いえいえ、そんなことはございません。親分さんにも、いや親分さんの親分さん、ギンドロ大親分のお耳にも是非入れていただきたいとっておきでございまして…」


 情報屋は下手したてにこそ出てはいるが、その妙に浮かれた声は無駄に神経を逆撫でする。顔も巻き布で隠しており、尻尾の存在から獣人かそれの血を濃く受け継ぐ種であることこそ分かるものの、胡散臭いことこの上ない。暇で無ければ門前払いしていたところだろう。しかし、そんな怪しい人物がもたらしたのは、確かに有用なものであった。


「何!?あの『討たせ屋』がまだ生きていているだと!?」

「ええ、しかも大親分さん方に仕返しをしようと目論んでいるそうで。」


 ボーゲンはギンドロのギルドの中でも中核に位置する男であり、「討たせ屋」フィル・ザーゲントへの拷問にも側近の一人として立ち会っている。そして、フィルが隙を突いて逃げ出したことも。どの道あの傷では長くはないと追跡もそこそこで切り上げたが、まさに寝耳に水の情報であった。


「その話、本当であろうな…?」

「ドヤ町の知った顔の闇医者のところに、四肢の腱を切られた急患がやって来たのを目撃しましてな。あまりに酷い傷だったのでなんぞあったのかと尋ねたら、そりゃあもう事の顛末を事細かに喋ってくれまして。まあ今は退院して何処に消えたことか。」


 裏の暗殺者がそう簡単に口を割るのか多少疑問は残ったが、情報屋に投げかけた幾つかの質問の答えは確かに当事者しか知り得ぬものだった。ボーゲンの中でその情報の信憑性が固まる。


「…なるほどわかった、上にも伝えておこう。その情報が本当だとしたらお前は大親分の命の恩人だ。遠慮せず持って行け。」


 ボーゲンは巾着に金貨を詰め、情報量として手渡そうとした。しかし、情報屋はこれを受け取るどころか、更に煽るような耳障りな声で言った。


「命の恩人?おかしなことを言いなさる。それじゃあまるで大親分さんが仕返しを恐れて逃げ隠れしているみたいじゃないですか?」

「え?お前はその情報で恩を売って金にしたいのではないのか?」

「今回に関して、アタシゃ銭勘定はどうでもいいんですよ。ただ、伊達で売ってるギンドロのギルドがどう出るか、それを話の肴にしたいだけなんで。」


「そもそも刺客を返り討ちにしたと喧伝しといて、実は生きていました、なんて醜聞が先ず大問題でしょうに。」


 裏社会の人間にとって、自分の命を狙う刺客を返り討つことはある種のステイタスである。こしゃまくれた暗殺者ふぜいに命を殺らせない、組織力と度胸を示したことになる。最近になって取り立てが苛烈になっているという市民からの相談も、「討たせ屋を返り討ちにした」その権威を背景に勢いづいたということなのだ。


 しかしこれだけ豪気な態度に出ながら、「返り討ちにし損ねた」などという噂が広まれば、同業者や他の裏社会の関係者につけ入る隙を与えるのは必定だろう。


「しかも報復を恐れて屋敷に引き篭もったとなれば、まさにいい笑いもの。『面子』を特に重んずるギンドロの旦那には耐え難いことになるでしょうなぁ。」

「くっ…!」

「ではアタシゃ高みの見物を決め込ませてもらいますよ。では…」


  カラカラと笑いながら帰って行く情報屋の姿を見てボーゲンは思った。奴は恐らくは商売敵、つまりは別の金貸しギルドの手の者だと。それがこちらをけん制に来たのだ。あるいは「討たせ屋」もそいつらの手で保護され、こちらを攻撃する手段として飼われている可能性も浮かぶ。確かに無視できぬ状況、彼はすぐさまギンドロの屋敷へと馬を走らせるのだった。






「ふう、慣れん喋り方は疲れるわい…さて、細工は流々、あとは結果をご覧じよ、といったところかのう。」


 ボーゲンの店から程離れた路地裏で、情報屋は顔を隠した巻き布を外す。するとぴょこん、と飛び出すのは見慣れた狐耳。情報屋を「裏社会に属する」とするボーゲンの推察はある意味的を射ていた。しかしてそれは同じく金貸しを生業とする商売敵ではなく、裏社会の裏の裏に属する暗殺者集団WORKMANであることは知る由も無かった。






「これは…ギンドロ様が直々に取り立てとは、今日は一体どうしたことで?」

「何でぇ、おいらぁが来ちゃ不味いってのか?いいから出すもん出せや。」


 同日、夜の色町。とある性風俗店の店主は目を丸くしていた。ここはギンドロのギルドの息のかかった店、借金のカタに連れ去った女を沈める場所の一つである。それ故に母体であるギルドへの上納金は定期的に納めねばならないわけだが、いつもなら使い走りの若い衆に手渡すだけだというのに、まさかのトップが直々にご来店なのだ。そりゃびっくりもするだろう。


 あの後ボーゲンからの報告を聞いたギンドロは大層臍を曲げた。情報屋カーヤの言う通り「面子」を重んじる男、あのような情報に反応せぬはずも無い。屋敷に籠るなど言語道断、自ら復讐者の目に留まるように姿を晒し、その上で返り討つ。それしか恥を削ぐ方法は無し。周囲に強面の大男を侍らせ、恐らく影には子飼いの暗殺者を潜ませ、まだ姿を見せぬ「討たせ屋」を挑発するかのように色町の通りを練り歩いていた。


 ちなみに、情報をもたらしギンドロの癇癪に触れたボーゲンの行方はようとして知れない。


「見せモンじゃねえぞオラァ!」

「もっと道空けろや!親分のお通りだぞオラァ!」


 目的でやって来た男がひしめく色町通りのど真ん中を、怒声と暴力でこじ開けながら進む一団。「すっきり」するためにここに来た男たちは、その目的とは真逆の心地悪さを感じずにはいられない。しかしあの強面の一団にそれを注意する勇気のある者などいるはずもなく、ただ不貞腐れながら横に掃ける以外の選択肢はなかった。


 そしてその様子に、ギンドロは大層満足していた。力と恐怖の看板を掲げ市井の人間を抑え込む、これこそ裏社会の頭首たる自分のあるべき姿だとひとりごちる。しかし完全ではない。まだこの看板には「染み」がついたままだ。その「染み」を落とすことこそ、この恣意行為の真の目的なのだから。



すっ…



 瞬間、側近の一人が人影を見かけた。建物の間から覗く向かいの通り、そこに革鎧装備の男が歩き去る姿を。この場にそんな物々しい恰好をしているようなのは州衛士ぐらいなもの、そして夜回りの州衛士が色町を巡回するのは自然なこと、その一瞬ではさして気に留めるようなものでは無かった。


 しかし次から次へとその革鎧が目につくのだから、やがて側近たちも気味悪がり始めた。もしかしたらもしかしてじゃないのか、そう耳打ちをして情報をボスにも伝える。そしてやがて、その革鎧の男は本通りにまで姿を見せる。




 色町を行き交う人込みの中に紛れる革鎧の男、その髪は漆黒、しかしてその素顔は仮面に包まれ窺い知れない。しかし、ギンドロの一行はそれが誰であるのかはっきりと認識していた―――それはまさに、「討たせ屋」フィル・ザーゲントの姿だった。




「いたぞぉ!!追えっー!!俺らぁの前に引きずり出した奴には金一封だ!!」


 ギンドロの物々しい号令が響き、大男たちが一斉に仮面の男へと向かう。しかし人込みが邪魔で碌に追うこともできない。人々も一体何事かと慌てふためき右往左往するのだから、腕力で掻き分けるにも一苦労である。一方で仮面の男はするりするりと人込みの間を縫うように、滑らかに駆け出す。そしてそのまま色町を抜け、人気ひとけの無い小道を往く。


「やっと人込みから抜けられたぜ…よし、追うぞ!」

「あれ?何か足遅くね?」


 しかして追いかけっこの舞台が南へ向かう小道に移ると形勢は逆転していた。仮面の男の足が妙に遅いのだ。話によれば「討たせ屋」は健脚を誇りそこから繰り出される短刀術を得手としていると聞いた。だというのにこの足の遅さはどういうことか。だがそれは捕らえるにはむしろ好都合、ギンドロの追手たちはその違和感を気にせずに追走を続けた。


「うわっ!なんだこの野良猫どもは!?」

「痛ってえ!何か引っかかったぞ!」

「ようやく追いついたぜ…ってあれ?」


 圧倒的な走力差、捕縛も時間の問題と思われた。しかし何故か追手たちは仮面の男を捕まえるには至らない。道を横切る野良猫の群れに驚き足を止めたり、何か糸のようなもので足を取られ転ばされたり、なんとか追いついてものらりくらりとした動きで雲や霞のように手から逃げていく。


 不可解なアクシデントが頻発した末、やがて追いかけっこの舞台は第三のステージ、南の港の倉庫街へと移っていった。






「なるほど腐っても鯛、病み上がりでも素人には捕まえられそうにありませんね。」

「となると、金一封を手にするのは俺かお前のどっちかって事だな。」


 夜の闇を一掃濃くする倉庫の影で、ソリアとゼガンはほくそ笑む。ギンドロ子飼いの暗殺者二人は追いかけっこには加わらず、遠目から一部始終を覗いていた。元より表立って行動する立場ではないし、暗殺に携わる者特有の慎重さから「見」に回っていたのだ。


 そしてその作戦は功を奏し、正に今漁夫の利を手にせんとしている。追手を振り切った仮面の男は廃倉庫の中に隠れた。それを知るのは自分たちだけ。この袋の鼠を捕まえれば金一封のボーナスだ、笑いが止まらないとはこのことだろう。


「そうだ、ここはひとつ勝負と洒落こみません?二人同時に侵入して、先に標的を捕まえたほうが勝ち。負けたら酒を奢る、というのは。」

「はっ、そりゃあいい。金一封貰った上にタダ酒まで飲めるなんて、今日は吉日だな!」

「…もう勝った気ですか。まったく。」


 倉庫の中という袋小路、相手はかつて倒した人物のしかも病み上がり。万に一つもしくじる要素は見いだせない。そんな余裕から、ソリアとゼガンはまるでゲームのように賭けの対象としていた。ぎぎぎ、と重苦しい倉庫の扉が開く音。同時に「つむじ風のソリア」と「疾風のゼガン」の名に恥じぬ疾さで仮面の男へと跳んでいく。



 しかし彼らは気付いていなかった。

 「つむじ風」や「疾風」よりも疾い、黒き殺意の風が背後から迫っていたことをー――




―――WORKMANが情報屋カーヤを通じ流した嘘の情報、それはギンドロを外に釣り出すためだけではなかった。「印象の固定化」。かつて返り討ちにした「討たせ屋」が再び襲ってくる、そのイメージを強めることにもあった。素早い動きで獲物はナイフ、仲間は確実に殺したので相手は一人。その思い込みが、予想外の得物を使う伏兵、という可能性を頭から追いやっていたのだ。




 後方から猛烈な速さで襲い来るリュキアの黒糸が「つむじ風」の首を捉え気道と命を奪い、ギリィの琥珀色の長針が「疾風」の大きな耳を貫通し脳を穿つ。


 あるいは普段通りの警戒心を持っていればこうもあっさりとはいかなかったかもしれない。一度倒した相手という侮り、敵はそいつのみという思い込み、それらに囚われて油断したことは看過できぬ失態、反省すべき点だ。


 しかしこの暗殺稼業で反省を次に生かせる機会などは稀である。反省に値する事柄とは死とほぼ同義。決して短くない時間この稼業に浸かっていた彼らは、まさにその摂理に従い命を落とすのだった。






 仮面の男の追跡が始まりかれこれ一時間が経過した。度重なる偶然(という名のWORKMANの仕掛け)により標的を見失ったギンドロの手の者たちは、必死に倉庫街を探し回っていた。そして、そうこうしているうちに馬を用意していた親分も到着、気性の荒い彼のこと、厳しい叱責を食らうことも覚悟していたがひとりの男の吉報を以ってそれは回避された。


「『討たせ屋』の隠れている倉庫を見つけました!」


 まさにジャストタイミングで入った報に、ギンドロは直ちに機嫌を良くした。以前のように既に捕えて連れてこさせるのではなく、この場で捕らえるさまを見られる。それは彼の嗜虐心を大いに刺激した。そして急いでその倉庫まで案内させる。


 固く閉められた扉がギギギと音を立て開く。月明りが差し込み中の様子を照らし、そこにいる人物の姿を闇の中から浮き出させた。



 そこには確かに仮面を被った黒髪の州衛士がひとり。


 そして、その足元に無様に寝転ぶギルド自慢の暗殺者ふたり。



 それに気が付くか否かという間に、仮面の男は一気に間合いを詰めていた。決して俊敏とは言えぬ速度、しかして接近を拒めぬ独特の歩方。そしてそんな気味の悪い空気を纏い、風が吹いた。「つむじ風」や「疾風」とはまるで違う、夏の湿気を帯びた風のようなぬんめりと体に纏わりつく風。そしてその得体の知れぬ風に乗った白刃は、ギンドロ以外の者十数名の急所を的確に斬り裂いていた。


 かきん、と刃を鞘に納める音が倉庫に響く。同時に、ギンドロと仮面の男以外、この倉庫に居る者は皆地に臥すこととなった。


「ようやく会えたなァ、ギンドロの旦那よォ。」

「な、なななな…何者だ、おめえは…」


 自分の知る「討たせ屋」は短刀を得物とすると記憶している。しかし目の前の仮面の男の持つ刃物は、ショートソードの刃渡りに近い。いやさ、あれだけの細身にしてあの鋭さを持った剣なぞ400年近い人生の中でもお目にかかった事が無い。そして、そんな刀剣を扱う者もまた存ぜぬ。「討たせ屋」と同一人物なのか?という些末な疑問ではない、もっと得体の知れぬ者に対する問いかけであった。


 すると男は仮面を外した。そして黒髪のかつらも。そこから現れたのは、クセの強い金髪と、垂れた瞳を持つ男。しかしその眼光は、その眠そうな瞳からは考えられぬほどに怜悧で殺気に溢れていた。


手前てめェ様もこの世界に長く居るんなら名前ぐれェ聞いたことはあんだろ。この街の闇の闇、『WORKMAN』の名をよォ。」


 秘中の秘の暗殺者ギルド「WORKMAN」。確かにその名に聞き覚えはある。しかしその存在もまた長い人生の中でその存在を確認したことは無い。そして、知らぬということは恐怖へと繋がる。市井の人間に恐怖を与え支配する側を自負するギンドロは、皮肉にも目の前の恐怖に縛り付けられていた。


「そ、その闇のギルドが何だって俺らぁに!?まさか、同業者の、『討たせ屋』の仇討ちか!?」

「かっかっか、こいつァ驚いた。冷血で鳴らしたギンドロの旦那ともあろうお方が、仇討ちなんて人情味溢れる言葉を口にするたァな。」




「そんな上等なモンじゃねェよ。ただ幾ばくかの金を貰って手前ェをぶっ殺してほしいと頼まれた、ただそんだけだ。」




 WORKMANマシュー・ベルモンドの放つ威圧感にいよいよ押され、ついに「面子」を重んじるギンドロも恥を捨て背を向け逃げ出そうとする。しかし既にサムライソードの間合いの中、老体のドワーフの足で逃げられる由も無い。鞘が鳴り、月明りに当てられた剣閃が光る。その光は丁度背を向けたギンドロの尻の間から背骨を真っ直ぐ走り、脳天へと抜けていく。そして、綺麗に左右に分かたれた彼の身体が、どちゃり、と生々しい音を立てて崩れ去った。




 かつてギンドロだったふたつの肉塊を一瞥し、マシューはフィルの末期まつごの言葉思い出す。


『だって僕は今こんなにも…ギンドロをこの手で地獄に送ってやりたいと思っている…!』


(…まあ、そもそもアンタの仇討ちってわけじゃねェんだ、俺が殺っちまっても文句は無ェだろうよ…)


 友と呼ぶに値する男が今わの際に語った願い。無論叶えられるわけもなく、WORKMANとしてそこまでする義理も無い。さりとて無碍にできるほどマシュー・ベルモンドという男は不義理だっただろうか。人の情とプロフェッショナルの無情、そのはざまにて割り切れきらない感情を抱えるマシューは、苦虫をかみつぶしたような顔で夜の闇へと消えていくのだった。






 翌朝、廃倉庫の見回りをしていた港湾関係者によってギンドロたちの変死体が発見された。今度は行方不明の金貸しの親玉か、と州衛士隊は頭を抱えたが、その事件の捜査はえらくあっさりと打ち切られた。例によってWORKMANの殺し技が不可能犯罪だと断ぜられたからだ。


 そして一連の行方不明事件も、徒労と諦観により徐々に捜査への熱を失っていき、いつしか打ち切られた。いずれ、市井の人々からも記憶の片隅に追いやられ、親兄弟や友人といった近しい存在以外の人間からは、完全に忘れ去られることとなるだろう。




「はぁ…」


 あくる日、主人を連れ買い物に向かうフィアラ・モリサンは大きく溜息をついた。


「どうしたフィアラ、憂鬱そうな顔をして。」

「いや、今からお野菜を買いに八百屋に行くじゃないですか。でもジーニーにどんな顔をすればいいのかって思いまして…」

「ああそうか、フィルさんのことか。」


 男好きの八百屋の娘ジーニー・ミショウは、以前フィル・ザーゲントに熱を上げていた。しかし彼は家人もろとも行方不明となったことが新聞各紙でも報じられていた。よほどアンテナの低い人間でもない限りそのことを耳にするのは必定、となれば相当に落ち込んでいるに違いない。そんな友人になんと声をかければいいのか、そのことがフィアラを悩ませていた。


 それを聞いてマシューも眉間に皺を寄せる。行方不明だと思っているフィアラですらこうも心苦しいのだ、傷だらけのフィルを看取った自分のプレッシャーたるや如何ほどか。顔に出さないのは得意だが、正直気が滅入る話だ。二人はそうこうしているうちに八百屋の傍まで歩を進めていた。




「やだすごい高身長イケメン!独身ですか?お年は?ご職業は?」




 二人の目に飛び込んできたのは、彼らの気苦労など知る由もなく、客の男にせわしなくアプローチをかけるジーニーの姿であった。 杞憂で済んだ、で片付けるにはあまりにも節操のない知り合いの姿にマシュー達はずっこけた。



「ちょっ…ちょっとアンタ、随分元気じゃないの?」

「あ、フィアラ。ちょっと待ってて今このイケメンの連絡先を聞いてから…」

「そうじゃなくて!ザーゲント様のことはどうしたのよ!?」


 心配していた自分が馬鹿みたいじゃないか、そんな苛立ちと共に逆ナンに精を出すジーニーにも負けず追及を続けるフィアラ。すると彼女は振り返り、ちっちっち、と指を振った。


「そりゃ私だって、ザーゲント様のことはショックだったわよ。でもさ…終わった恋を引き摺っててもしょうがないじゃない。女ならいつも新しい恋に生きないと!」


「まあ、そもそも始まってすらいなかった恋だし、引き摺りようは無いわよね…」

「つーか主語デケエな…」


 呆れを通り越して尊敬すら感じるジーニーのポジティブさに、フィアラもマシューも生暖かい視線を送ることしかできなかった。そんな、夏も終わりに近づくある日の出来事だった。

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