其の二
「のうギリィよ、あの『討たせ屋』とかいう連中のこと、おぬしはどう思う?」
汗ばむ夏の昼下がり、カーヤは西日の入りにくいギリィの店に退避していた。温暖なザカールの夏にあって、今日という日は特に暑い。そんな日に好んで外に出ようなどという奇特な人間なぞそうそういるはずもなく、ギリィの店も閑古鳥が鳴いている。それだけに、作業の邪魔さえしなければ暇人一人くらい置いておく余裕がギリィにもあったのだが、その暇人がふと問いかけてきた。
「何だまたそれか。俺はお前ほど金に執着してねえって何度も言ってんじゃねえか。」
「いや、今日のはそういうことでなく…」
カーヤの様子はらしくなく、妙にしおらしい。彼女がこういう時は、割とナーバスに悩んでいる証拠だとギリィも知っている。
「やはり皆、復讐は自分の手でつけたいと思うものなのかの?」
「いかな聖人や無垢なる者とて
「しかしじゃ、そこで人殺しの業を背負う必要はあるのか?己の手を血に染めねば、真にその恨みは晴れぬのか?」
「牙無き人の牙となりて恨みを晴らすが儂らの『仕事』などとのたまっても、所詮は代価行為に過ぎぬのか?だとすればWORKMANとは何のために…」
日の高いうちに口にするには危険な問いであった。ぎかしギリィは、周囲に人の気配がないことを察し、あえてカーヤに喋らせていた。彼女が感じる疑念と無力感、それはギリィ自身も少なからず思っていたことだからだ。
やがてギリィは鎚を止め、答える。
「まあ俺も、あのクソ親父だけはこの手でぶっ殺してやりてぇと思ってるぜ。他の誰にも譲る気は無え。」
「だがそれは俺にその力があって、それを行使できる組織に組みしてるからそう言えるってだけだ。平々凡々な一市民のままだったらどんな気持ちだっただろうかなんて及びもつかねえよ。
―――そう、もう俺らは市井の人々とは異質の存在なんだ。そいつらと同じ考え方なんて最早できっこねえんだよ。」
再びの沈黙。そしてギリィの店の中には、槌の小気味よい金属音と、蝉の鳴き声だけが響いていた。
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ドンドの遺体を発見してからというもの、州衛士隊は慌ただしさに包まれることとなった。近頃捜索届けを出された金貸し達数人、彼らが同様に殺された可能性が浮上してきたからだ。
こう言っては何だが正味のところ、行方不明の金貸しは総じていつ殺されても文句の言えないタイプだった。だがそれは捜査の手を抜く理由にはならない。州衛士隊は炎天下の中金貸しの、あるいはその遺体の行方を探す。
しかし州衛士たちが懸命に捜査に身を投じるのも勤務時間内のみのこと、休暇となれば日々の喧騒を忘れ自由な時間を満喫する。疲れを癒すべく泥のように眠る者、趣味に没頭する者、愛する家族と絆を育む者、それぞれがそれぞれの時を過ごしていた。
そして、我らがマシュー・ベルモンドの休暇と言うと―――
「フィアラ~、もうこのくらいにしてかえりません?私ゃもうクタクタですよ…」
「いーや、まだまだですよ主様。またいつ長雨が降るかわかったもんじゃないんですから、晴れ間のうちに買い込んでおかないと。」
―――主人なのに使用人にいいように使われていた。
なんとも奇妙な逆転現象もあったものだと思える構図だが、ベルモンド家では珍しいことでもない。親もない寄る辺もない若い身空の三人、上下の関係に拘る余裕などは無い。立ってるものは主人でも使えというのが半ば家訓と化していた。
「大体な、荷物持ちなら私よりフィアナのほうが妥当じゃないのか?あいつのほうが力持ちだし。」
「ソレお姉様本人の前で言わないであげてくださいね。大の男より腕力がある、って言われると割と本気で泣きますから。」
同時刻、家で掃き掃除をしていたフィアナが大きくくしゃみをしたのは、決して埃のせいではないのだろう。
「さてあとは保存の利くお野菜を、っと。」
大量の荷物で録に身動きができない主人をよそに、フィアラはてきぱきと店を回り、最後に馴染みの八百屋へ向かう。気がつけばもう夕刻、買い物どきだ。八百屋の前もにわかに人だかりが出来ている。
「こんばんは、ジーニー。」
フィアラは顔馴染みの店員に挨拶する。しかし友人からの返事はない。こういう時は大体相場が決まっていることほ彼女は知っていた。特段失礼を感じることでも無い。
「前髪から覗く切れ長の瞳がステキ!独身ですか?お年は?ご職業は?」
そう、八百屋の娘ジーニー・ミショウは客の男性にアプローチをかけている最中だった。常に色恋に飢えている友人にとってはいつもの事、フィアラは呆れ顔でその様子を眺める。
しかしだ、今ジーニーが逆ナンしている男の背後には二人のメイドが主人の動向を見張っていた。しかも彼女らときたら姉を想起させるほどの一般的な男性をゆうに越える高身長、しかも服装から僅かに見える腕も一目でわかるほどに筋肉質。そんな輝世暦前の女戦士のような使用人が
そして、そんなプレッシャーの前にも関わらず、彼女らの主人を口説くジーニーもまた、ある意味傑物なんだろうとフィアラは呆れを通り越して感心するのだった。ここまでくると、買い物が進まずにまごまごしている男のほうに同情してしまう。
「やっと追いついたー…って、フィルさんじゃないですか。」
そんな男―フィル・ザーゲントの助け舟は突然に現れた。荷物に足を取られ遅れていたマシューがようやく追いつくと、休日中にたまさか出会った同僚に声をかける。
「あ、マシューさん!どうされたんですか今日は?」
「見ての通り、買い物の付き合いですよ。いやぁ、お互い公休なのは知ってましたが、まさかこんなところで会うなんて。」
既にお互いを名前で呼び合うような仲となった二人の州衛士は、どうでもいい店員の会話を割って世間話を始める。親を早くに無くし、若い身空で家督を継いだ身、それらの奇妙なまでの共通項が互いに親近感を抱かせるのにはさほど時間はかかるものでは無かった。
「え!?ということはイケメ…じゃなくてこのお方もマシュー様と同じ州衛士さまで?」
「そうだよジーニー。まあ私と同じで出世からは遠いタイプなんで、口説いても玉の輿は狙えないだろうけどね。」
「もっともらしく言ってないで、主様はもう少し出世に興味を持ってください!」
「痛い痛い!耳を引っ張るな!」
目の前で行われるわちゃわちゃとしたコントに困り顔だったフィルも笑みを浮かべる。その一方で、背後のメイド二人は鉄面皮を崩さない。その姿を不思議に思ったマシューが問いかける。
「…って、そちらのお二人はフィルさんところのメイドさんで?」
「ええ、エルとアーラです。昔からザーゲント家に仕える使用人の家系で、僕みたいな頼りない男にも未だについて来てくれる。ありがたいことです。あ、そうそう、この二人は双子なんですよ。」
「いや、そりゃ見りゃわかるって言うか…」
顔つきから体つき、背丈に至るまでまるで鏡写しのようにそっくりな二人が並び立っているのだ、まず双子の類と思うほうが普通だろうよ、とマシューは思った。同時に、大昔からついてきてくれる使用人の二人抱えるという、これまた奇妙な共通項が浮かび上がったことでよりフィルに親近感を覚える。
(しかしまあ、背丈はフィアナだが、雰囲気はリュキアみてェな姉ちゃん達だな…)
そしてマシュー、エルとアーラへの第一印象はこのようなものだった。彼女たちは揃って無口だ。主人から挨拶を促されても会釈のみ、というか事ここに至るまで一言たりともその声を聞いていない。そして今も、逆ナンが途切れた間隙を突き、てきぱき必要な野菜を手に取り店員に差し出している。口数は少ないが有能、という点において、マシューは「仕事」の仲間であるリュキアを想起したのだろう。
「それでは僕たちは夕飯の支度もあるのでここで失礼します。また明日屯所で。」
「ええ、じゃあまた明日。」
店員の無駄口で時間を取らされたものの、メイドの働きもあり買い物をささっと終わらせたフィルは別れの挨拶を残し去っていった。そして、未練がましくその後ろ姿を見つめるジーニーをせっつき、フィアラも買い物を済ませ帰路に就く。気が付けば空の色は夕暮れの赤へと変わっている時間であった。
「日の長い夏場でもうこんな空ってことは、だいぶ遅くなっちまったな。フィアナも待ちくたびれてるんじゃないか?」
「ええ、そうですね。でも私も時間が許すなら、もう少しあの方たちを話がしたかったですね。」
「何だフィアラ、お前もフィルさんみたいなのが好みのタイプだったか?」
「ち…違いますよ!そっちじゃなくてメイドさんのほう!あの場では口を開いてくれませんでしたけど、似たような境遇の者同士仲良くしたいなー、と。」
(似たような境遇…ねェ…)
帰り道での他愛の無い会話の中、マシューの心中にひとつの疑問が思い浮かぶ。フィアラはああは言ったが、あの双子とうちのモリサン姉妹には何かが決定的に違っている、そんな気がしてならなかった。自分でも何故そんなことを思ってしまったのかマシューにもわからない。
はたして、リュキアに似ていると評したのはただ無口なだけだからだったのだろうか―――自分の中の裏の顔が、何かを嗅ぎ取っていたのではなかろうか。しかしその答えが見つかったとて詮無き事、マシューはくだらない疑念を飲み込み帰り路を歩くのだった。
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「―――あの男さえ…あの男さえいなければ弟が店を手放すことも、そして自ら命を絶つこともなかった!私はあの男が憎い!たとえ死後地獄に堕ちようとも、この手で八つに割いてやらねばこの世で生きていく意味も無い!『討たせ屋』どの、どうかこの恨み、よろしくお願いいたします…」
「貴方のお気持ちはよくわかりました。その恨み、お引き受けします。三日後の夜中にこの地図に示された場所でお待ちください。金貸しのデフュー、必ず生きたまま目の前にお引渡しします―――」
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失踪した金貸しの捜索が始まり五日が過ぎた。さりとてドンド以外の行方は未だに誰一人として掴めず、その生死も不明のままである。
(まあ、プロの仕業だからなァ…)
事件の裏に「討たせ屋」なる存在がいることをただ一人知る州衛士、マシュー・ベルモンドは大きくため息をついた。裏の暗殺ギルドという殺しのプロのすること、ドンドの件こそが偶然であり、本来なら死体の処理も完璧の筈。ならば州衛士隊などという木っ端の警察機構に見つけられるはずが無い。自分たちのやっていることが無駄と分かれば切なくもなろう。
あるいはその「討たせ屋」とやらの存在を隊に知らせ、捜査の足しにして手柄とすることも考えていた。カーヤほど執着はしないが、マシューもまた商売敵を快くは思っていない。表仕事の評価も上がるし、そもそも義理立てをする必要は皆無の筈である。しかしマシューはなぜだか妙な胸騒ぎがして言い出せないでいた。
そんなわけで、今日も一日州衛士隊は徒労を強いられたのだった。
(しかし、いくら忙しくても《コレ》を欠かすことは出来ねェからな。)
気が付けばもう街は夜の闇の中。疲労を抱えたマシューの足取りはやや重い。さりとてこの男はサボりの常習犯、その疲れは仕事によるものでは無かった。帰宅の時間がかように遅れたのも残業のせいなどでは無い。それ故に帰りを待つモリサン姉妹にどう言い訳をしたものかと、マシューは帰り道の中思案を巡らせていた。
―――瞬間、ぬるりとした気配。
暑い夏の夜特有の湿気というわけではない。そもそも触覚ではなくもっと精神的な感覚。この太平の世にはあるまじき、さりとてマシューにとっては馴染みの深い感覚。そう、殺気である。
マシューは家へと変える足を止め、その感覚のするほうへと惹かれていく。しかし何かの事件の気配を察し、未然に防ごうという殊勝な心掛けではない。単純な興味、あるいはそこに待ち受けるかもしれぬ何者かと対峙する期待感、自分でも悪癖だと思いつつも治せぬ衝動によるものだった。
気が付けば人気の無い裏路地。夏の熱気で腐敗が加速した生ごみの臭気が鼻を突く。それでもマシューの足は止まらない。殺気の濃度の高まりとともに、彼の鼓動も高まる。そして、家々に囲まれ見通しの悪い路地の、さらに人目につかない角を曲がる。
―――そこにあったのは、仮面をつけた三人組がひとりの男を攫わんとする光景。
気を失い、今まさに大柄な仮面の二人組に担がれている男には見覚えがある。評判の悪さでは失踪した連中に引けを取らぬ悪徳金貸しのデフュー。かつて刃傷沙汰に巻き込まれ裂かれたと自身で喧伝する大きな口は、一目見たら忘れられぬものではない。
(ってことは、こいつらが「討たせ屋」―――!?)
出会い頭に驚くが早いか、無手の仮面男が飛燕の如き速さの一足飛びでマシューに接近した。そして、相手が州衛士の恰好をしているにも関わらず、何ら躊躇もなくマントの下から鋭く磨かれた短刀を心臓目掛け突き出した。目撃者は誰であろうと消す、暗殺者にとっての基本に則った行動である。
しかし、彼にとって不幸だったのは、この州衛士が腰に下げている剣が支給品のブロードソードでは無かったことだ。
『修練を一日でも欠かした瞬間、腕は衰え始める。剣の道とはそういうものだ。』マシューの師・
腰元の鞘が鳴り、次の瞬間には必殺の間合いで繰り出された心臓突きを薙ぐ。きいぃん、とあるいは美しさすら感じる金属音が路地裏に響いた。と思えば、その美しい音色は二度三度、いや数十回にわたって鳴り響く。マシューの袈裟切りを仮面の男がナイフで弾く。頸動脈を狙った刺突をサムライソードで受け流す。狭所だてらに、二人の暗殺者は壮絶な受け太刀の応酬を見せていた。
やがて二人の動きはぴたりと止まる。互いの喉元に刃をあてがったまま。互いが互いの命を握った状態、これこそが人を殺すことに躊躇の無い者同士の休戦協定ともいえる状態であった。
「
「隠してたわけでもねェよ。俺ァブロードソードじゃこう上手くできねェってだけだ。それに三味線弾いてたのはお
―――フィル・ザーゲントさんよ。」
マシューの斬撃が届いていたのか、顔を隠していた仮面がぱっくり二つに割れる。同時に前髪がだらりと垂れ再び瞳を隠す。だがそれで正体を隠したことにはならない。正に今の姿こそ、フィル・ザーゲントの普段の姿だからだ。
「まさかアンタが例の『討たせ屋』だったとはなァ。いや、何故かそんな気はしてたがよ。」
「僕たちは名乗った覚えは無いのですが、世間ではそう呼ばれてるようですね。そういうマシューさんこそその腕、噂に聞くWORKMAN、だったりするんですかね?」
「はっ、だったら面白れェな。」
いつの間にかマシューに地が出ているとはいえ、二人は普段通り仲良くおしゃべりをする。喉元に白刃が煌めいているという異常な状況を除けば、の話だが。
しかし本当に奇妙なものだ、と二人は同じことを考えていた。若くして親を亡くし州衛士を継ぎ、若いメイドを二人食わせていかねばならない立場。これだけでも十二分に奇跡的な共通項であるというのに、更に暗殺者としての裏稼業を持つということまで一致しているとは。今まさに命のやりとりをしているにも関わらず、互いへの興味は更に増していく。
「なあフィルさんよ、標的はお仲間さんが頼み人の所まで届けてんだろ?じゃあ時間はあるよな?」
「まああの二人ならここからヘマを踏むことは無いと思いますが…どうかされましたか?」
「いや何だ、お互いに気なってるところだ、このまま身の上話と洒落込もうじゃねェかと思ってよ。」
「ははは、相手の喉元に得物押し当てたまま身の上話ですか。最高にクレイジーですね。」
狂っている、とは評したが拒否は無かった。互いに互いが何故このような境遇になったのか興味は尽きないし、何より自分たちは元より正気ならざる者、体裁を気にする必要など一切存在しないのだから。
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マシューさんも「アーキスト砦の戦い」についてはご存知ですよね?
輝世暦前の魔王軍との戦争の中、小国アーキストの騎士団が、数にして数倍の手勢を誇る
実は師団の長たる
司令塔さえ潰してしまえば知恵を持たぬ
しかしアーキスト王も決して不人情では無かった。名を残すことを良しとしない代わりに、彼にそれとなく素性を隠したまま爵位を与え直下の貴族として取り立ててくれたのです。この男こそゼン・ザーゲント、僕のご先祖様です。
とはいえ所詮は暗殺者の家系、代々当主も
州衛士の給金だけで生活が
押し込み強盗に襲われ殺された家族の仇を取ってほしい―――実にシンプルな復讐の依頼。相手は狂暴と名高い連中でしたが、ザーゲントの暗殺術の敵ではありませんでした。こうして依頼を果たし、少女に報告に向かったのですが、仇を討ったにもかかわらず彼女の表情はすぐれませんでした。
「できることなら、この手で仇を
虫も殺せないような可憐な少女の口から飛び出した苛烈な言葉。あまりに衝撃的な発言に、それこそが世の真理なのだと悟りましたよ。復讐とは第三者が代わりにするものではない、当事者が手を下してこそ初めて完了するものなのだと。
今までのザーゲント家のやり方も、都市伝説たるWORKMANでは復讐に燃える者たちの救いたり得ない。ならば僕がその救いになろう。そう思いそれとなく風評を流しました。
そして、現在に至るというわけです。
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「伝説の暗殺一族ザーゲント家か、生まれてこのかたこの街で生きてきたがとんと名前を聞いた事が無かったぜ。まあこの稼業に足突っ込んで5年ちょっとのぺーぺーじゃ無理もねェわな。」
「僕はむしろ5年そこらでこの技量ということに驚きますよ。異国ワノクニの剣技、
「へっ、おだてても何も出ねェぜ。」
刃を向け合ったまま、互いの身の上を話した暗殺者たちは談笑する。その間、一切殺気と意識が途切れることは無かった。一瞬でも気を移せば斬られるという極限状態、そんな中でかように他愛の無い会話を交わせることができるというのは、やはり異常としか言いようがない。
「で、これからどうします?僕はそろそろ仲間の元に戻りたいのですが。」
「おおそうだ
―――素人さんに人殺しさせるような真似、これっきりにしとくこったな。」
その言葉に、フィルは握ったナイフを引っ込めるどころか僅かに喉元に押し当てた。余程よく研がれた得物なのか、皮一枚が切れ首から赤い血がたらりと垂れる。しかしマシューに一切の動揺は見られない。
「どういう…意味ですか?そちらの商売が上がったりだからやめろという強迫ですか?」
「まあ、そうしてくれって身内はいるにはいるが、俺個人としちゃそこまでがめついこと言う気はねェよ。」
「ならば、清廉な一般市民の手を血で汚させるな、そういう事で?」
「いやいや、そこまでええかっこしいする気もねェよ。大体、俺らみてェな裏稼業の腐れ外道に頼った時点でどんな聖人君子もヨゴレにヨゴレんだろうが。」
「ならば―――」
「俺ァ
真摯な瞳でそう語るマシューの言葉は、がめつくもなければカッコつけでもない、さりとて随分と甘っちょろいものだった。まさか友人として身の上を心配しているだけとは、フィルも呆気にとられる。しかし、何故今の「討たせ屋」稼業が寿命を縮めることになるのかはとんと見当もつかない。
「いまいち因果関係がわかりかねますが?」
「まあいくら
そう言うとマシューは先んじてサムライソードを下げた。空気が弛緩するのを感じ、最早命のやりとりをする雰囲気でないことをいち早く悟ったからだ。フィルもまたそれを感じナイフを下ろす。
「なんと言われようと、僕はこの稼業を変えるつもりはありませんよ。僕が間違っていないことは、依頼人の数も証明してくれている。」
「全ては頼み人の為、か。アンタ優しすぎんな…」
僅かに寂しそうに呟いたマシューの言葉は、サムライソードを納刀するときの、かきん、という音にかき消された。そして踵を返し無防備にも背を晒しながら、再び家路に就こうとする。
「さて、やかましい使用人の待つ家に帰りますか。早くェと何言われるかわかったもんじゃねェしな。あっ、アンタも使用人の所に戻るんだろ?」
「そうですね、今頃もうエルとアーラが依頼人の前に標的を連れて来てる頃でしょうし、僕も急がないと。」
「やっぱりあの姉ちゃんたちもカタギじゃなかったか…」
ザーゲント家の使用人エルとアーラ、彼女たちが仕えるのは主人の裏稼業においても同じであったようだ。大切な姉妹の如き使用人に裏の顔を隠しながら生きるマシューには、それは少しだけ羨ましく思えたことだろう。
「隣の芝が青く見えるだけの事ですよ。」
そんな友の心中を察したように、フィルはそう言い残し、そして闇に消えていった。共に裏稼業で生きるにしても、それはそれで苦労や心労は絶えないようだ。先程までの殺気が嘘のように、ふっ、と吹き出しながらマシューは路地裏を後にするのだった。
そして翌朝、金貸しデフューの捜索願が州衛士隊に届いていた。
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