其の三
「クワランさん、先生を呼んできてもらえないかな?」
夕暮れ時のザカール州。とある海沿い高級ホテルの純白のスイートルームも、夕日を受けて赤に染まる。宿泊するのはVIP中のVIP、中央教会六司祭のひとりが息子の御一行。その主賓ノーブルは病弱らしくベッドに半身を包んだまま補佐官のクワランを呼びつけた。クワランは一礼をすると、何かを察したかのように部屋を出る。
やがて帰ってきた彼は一人の小男を連れていた。この場にはあまり似つかわしくない風体の老いたハーフリング。服装こそ医者か薬師かといったところだが、教会最高権力者の縁者が連れて歩くには見るからに品位が足りないといった感じだった。
「これはこれはノーブル様。このガリエドに用ということは薬が要り用ということですかな?」
「ああ、そうだね。」
「して、持病のお薬ですかな?それとも…ですかな?」
「ふふ、先生も人が悪い。幼少のころから患っていたものは貴方のおかげでほぼ完治というのに。後者以外にあり得ないでしょう?」
「そうでしょうなそうでしょうな。」
ガリエドと呼ばれたハーフリングの男は、半ば予想通りといった顔でポケットから紙袋を取り出し、ベッドの上のノーブルに手渡す。すかさずクワランも水をコップに汲みノーブルの手前に差し出す。その行動に軽く会釈をすると、ノーブルは紙袋を開き中に入っていた丸薬を水と共に飲みほした。
「ガリエド先生、僕は本当に感謝していますよ。病弱で外に出ることすらままならなかった僕がこうやって諸州に周遊に出られるのは先生の薬のおかげ。」
「それだけではございませんでしょう?」
「ああ、それだけじゃない…獣人の如き体躯を以て、美しき娘の柔肌を蹂躙するという享楽。それに気付かせてくれたことには感謝してもし足りないほどです。」
端正なノーブルの口角が歪む。清廉と謳われる表向きの彼からは想像もできない発言、そして邪悪な表情。それが夕日を受けて、まるで血に塗れたように見えた。
「獣化薬。服用した者を文字通り獣人に変化させる薬。輝世暦前の戦乱期に人間が獣人に対抗するため作ったと言われておりますな。まあ儂らはその古代の文献をもとに復元しただけですが。」
「ジューロ・アルケミーギルドでしたっけ?」
「それはノーブル様と謁見した頃の名ですわ。今は
「獣化薬の効き目が表れるのは2時間ほど後。それに合わせてあのリュキアとかいうシスターを呼び出してきてくれませんか、クワランさん?」
「ほほう。やはり今宵の獲物はあの娘のおつもりでしたか。あれほどの美人、ダークエルフにもそうそういるものではないですからな。」
「クワランさんもだいぶ僕の事がわかってきたようですね。そう、あの美しい黒髪に褐色の肌…あれを蹂躙し引き裂けると思うと僕はもう…」
「では、私もいつも通りに州衛士隊に根回しのほうもしておきましょう。」
「ええ、お願いします。3年という長きにわたり、『送り狼』などという通り名をつけられて尚このような遊戯を続けられたのもクワランさんのおかげ。先生同様に感謝していますよ。」
「勿体無いお言葉。では。」
そしてクワランとガリエドは部屋を出て行った。一人残されたノーブルはベッドから跳ね起き、ストレッチめいてなまった体を動かす。その様子から、とても病弱との風評が流れた人間とは思えない。そして後の殺戮に期待を抱くその表情も、日中の好青年と同一人物とは思えない程であった。
「―――これが夕刻に奴らの停泊施設で得た情報の一部始終じゃ。」
「成程。ついぞ日暮れ前にクワラン補佐官がおいでになられたので何事かと思っていましたが、やはりそういうことでしたか。」
そして現在午後9時を回った教会地下霊安室。本来ならこんな時間のこの場にはありえぬ程の人数がここに集まっている。狐耳の密偵カーヤが夕べに得た情報を晒す。いくら高級ホテルとはいえネズミの一匹も立ち入らせぬことは不可能、そんな友が聞き覚えた会話を事細かに話した。神父はそれを聞き、日没前にやって来たクワラン補佐官の言葉「リュキアをひとりで街外れの小道に連れて来てくれ」という命令の意味を察している。
「ガリエドか。親父の手下の中でも最古参の部類に入る野郎だ。昔から胸糞の悪い奴だとは思っていたが、ここまでとはな…」
父ジューロの組織した裏の錬金術ギルド・
「そのクワランって補佐官もなかなかに傑物だなァオイ。点数稼ぎのイエスマンにしちゃ度が過ぎるんじゃねェか?」
州衛士のマシュー・ベルモンドも一連の会話に不快感を示した。表向きは宮仕えの身、彼が特に苛立ちを覚えたのはクワランの態度だったようだ。
「しかし向こうから出向いてくれるのならある意味好都合です。リュキア、例のお誘いに乗って下さいますね?」
「………了解。」
神父は連中の誘いを利用するべくシスターのリュキアに命じた。彼女は何の感慨も無くただ黙って頷く。
そんなWORKMAN達の折々の言動を、連れてこられたマーシャは奇異の目で眺めていた。部屋には一日経った死臭が蔓延している。彼女が先日殺し、明日葬儀が行われる予定のドンファンの死体が同じく存在していたからだ。しかし、マーシャが眉をしかめる理由はこれではなかった。
「ねえ、この小娘の言うことを本当に信じているの?」
「何じゃ、部外者が失礼な。自分の首もかかっておるのじゃ、嘘や誤情報など言えるかい。」
「ならばお前たちは本気でやるつもりなの?あのノーブル・フェルデナンドを…」
目の前で淡々と「仕事」の計画を練るWORKMANに対し、マーシャが呟いた。その語調の震えには明らかに動揺が見て取れる。
「何でェ。ついぞ昨日は『送り狼』絶対殺すと息巻いてたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?」
「程度というものがある!ノーブル・フェルデナンドよ!?六司祭の血族よ!?恨めしい思いは尽きないけど、よしんば殺せたとしてどんな報復があるかぐらい想像がつくでしょうに!!」
エルフの敵・女の敵、そう思い憎しみをぶつけてきた相手の正体を知り、マーシャは確かにたじろいでいた。自分が「人間の中では多少マシなほう」と思っていた人物がよもや「送り狼」だったという悔しさもある。だがそんな感情も吹き飛ぶほどに、国教の準最高権力者の息子というハードルは高い。本人も情けなく感じていることだろうが、闘争心はみるみるうちに萎えていた。
「しかし頼み人が3年の月日を費やしようやくその尻尾を掴み、自分では敵わぬと涙をのんだ仇敵。折角頼まれた我々が投げ出すというのも酷な話でしょう。」
「そ、そんな義理立てに命を賭ける気!?リュキアもどういうことなの!?生きるために徒党を組んでると言ったのに、明らかに犬死にしそうな相手に手を出すなんて矛盾してると思わないの!?」
「………それが私達の『仕事』だから。」
必死に止めようとするマーシャを尻目に、リュキアはテーブルに置かれた小銀貨を二枚手に取り霊安室を去って行った。アキムの頼み料大銀貨2枚を5人で割った額、決してはした金というわけではないのだが、的の持つ権力の大きさを思えば安いと言わざるを得ない。しかしそれでも、一つも文句を言うことは無かった。
「何だ、折角ここまで連れてきたのにこの姉ちゃんに手伝わせるつもりじゃなかったのかアイツ。まあどうでもいいがよ。」
「他所の助力をあてにしても始まるまい。先日のリザードマンみたいな奴のほうが稀じゃろうに。」
マーシャをここまで連れてきたギリィと、カーヤも続けざまに金を手に取り出て行く。
「ま、俺らも馬鹿じゃねェんだ。少しでも生き残れるだけの策くらいは用意してらァ。」
マシューも金を取り「仕事」に向かった。残されたのは神父とマーシャ、そしてドンファンの遺体のみ。神父は燭台から蝋燭を取り、マーシャに詰め寄った。
「さて、そろそろここも閉めたいのですが、貴女はどうされますか?」
空気が澄み、月がはっきり見える今夜。ノーブル・フェルデナンド一行が停泊するホテルの一室、最上級からはひとつ落ちる部屋にガリエドはいた。ひとつ落ちると言っても一般市民では無茶せねば一泊借りられぬほどの部屋だ。ガリエドは備え付けの葡萄酒を味わいながら、今のこの環境に酔いしれる。
(グランギスの片田舎に引き篭もったままではこれほどの美酒は味わえなかっただろうな。やはりジューロに付いて来て正解だったわ…)
国家より禁忌とされた錬金術。それを蘇生させんと宣言したジューロに対し、彼と同じ村に住む者たちは様々な意見を持った。賛同する者、反対する者。その中でガリエドは真っ先に賛同した。そのおかげで改名時代より古参幹部として君臨し、教会勢力への侵入という大役を任され、そして今VIP待遇で諸州を回っている。ガリエドは人生を回帰して、己の選択が間違っていなかったことを噛み締めていた。
―――直後に、その選択がはたして正しかったのかを問う瞬間が訪れることも知らず。
ふと、灯りが消えた。窓はすべて閉めてある。よもやこれほどの高級ホテルで壁に穴が開いているだのといった欠陥もあり得まい。となれば隙間風ではない。はてどうしたことかと疑問に思いながらも、席を立ち再び燭台に火を灯しに歩く。距離にして3メートルほど。一人しかいない部屋、この距離で命に係わる危険などまず起こらない。
筈であった。暗闇の中、ガリエドは突如として金縛りじみて体が動かなくなった。背後から何者かによって羽交い絞めにされている、そこまではわかる。だとすれば何者だというのか。恨まれるあては星の数ほどあるが、今の自分の地位を考えればそうそう手出ししようなどという者はいない筈なのに、である。
「ようガリエド。俺の声に聞き覚えはあるよな?」
「ま、まさか……ぎ…ギリィ坊ちゃんっ…!?」
強襲者は背後からガリエドに話しかけた。喉元を腕で抑えられ、上手く大声も出せない状況、絶え絶えの声で記憶の中の声の主を探し当てる。そういえばザカールにはマスターたるジューロの一人息子がいて、次々とギルドメンバーをあの世に送っている、そんな噂もあったことを思い出していた。
「坊ちゃん…坊ちゃんが儂を殺しに来る理由は自分でも…存じてますぜ。だが今や儂は六司祭の御子息のお抱え医師……儂を殺したら坊ちゃんもただじゃ済みませんぜ…?」
「脅しのつもりなら残念だな。俺は別に個人的な事情でテメエを殺りに来たわけじゃねえ。テメエ『ら』全員が俺達の標的だ。さしあたって俺は楽な相手を選ばせてもらったがな。」
ガリエドは絶え絶えの声で権力をかさにギリィを止めようと話を持ち掛けようとした。しかしよほどのことでも無い限りWORKMANがこの段に至った的を逃す筈も無い。ギリィもその掟に則り冷徹に、右手の腕輪を針に変えて標的の右こめかみに触れさせる。ついそこまで迫った命の危機、絶頂から絶望の終焉を回避するべくガリエドは足掻いた。
「ぜ…全員ってことは……ノーブル様も殺るつもりで…?」
「ああ勿論だ。俺じゃない他の仲間が向かってるがな。」
「そのな…仲間の命が惜しいんなら…儂を殺すのは後回しにした方がいいんじゃないですかい…?」
ガリエドは別の方向から延命を嘆願し始めた。その命乞いにギリィの手が止まる。
「坊ちゃんも…じゅ…獣化薬はご存知で…?」
「ああ、糞親父が何かやってたな。」
「こ…効能はあの頃よりも2倍増しですぜ……病弱なもやし青年とも、只の獣人とも違う…あるいは古の魔王の手勢に比肩するかもしれぬモンスター…それが今のノーブル様……」
自分はその薬の御し方を知っている、仲間の命が惜しくば自分を生かせ、と言いたいのだろう。ギリィが少なからず動きを止めたことでガリエドは手ごたえを感じにやりと笑みを浮かべた。しかし―――
「残念だな。俺たちは殺るといったら殺る『お仕事』なんでな。強い相手で音を上げるような真似はしねえだろうよ…っと!」
同時にギリィの右手にぐっと力が入り、ガリエドのこめかみに針が突き刺さった。頭蓋骨を貫通し、脳を一文字に貫く。もう一度力を籠めると、針が彼の必殺の意志を汲み取ったかのように、的を確実に葬るべく脳内で花開いた。柔らかな脳が海綿のように穴ぼこだらけになり、ガリエドの意識は飛んで行った。行先は恐らく地獄。
ギリィは憎き父に組みする仇敵の死体を一瞥すると、再びその姿を闇に隠し自分とは無縁の高級ホテルを後にするのだった。
同刻、街外れの小道。街中にすらもう人の気配の消え始める時刻である。街から離れた場所ならば猶更であろう。当然行き交う者は無し。しかし道脇に立つ一本の針葉樹の下に気配がひとつ。丘の上の教会の修道女・リュキアである。
「リュキアさーん。すみません待たせてしまいましてー。」
ふと、静寂と寂寥感が支配していたこの空間に人の気配と呼ぶ声が現れた。線の細い青年の存在にリュキアは振り向き反応する。だいぶ走ってきたのか、男は随分と息を切らしていた。
「………大丈夫ですかノーブル様?お体の割にそんなに走って。」
「ははは、大丈夫大丈夫。それに僕はこれでも男なんだ。レディに心配されるのは少し気恥ずかしいかな。」
「!………すいません。」
頭を下げるリュキアに対しノーブルは爽やかな微笑で返した。彼ら自身の容姿の良さも相まって、その光景は美男美女・真夜中の逢瀬、といった雰囲気を醸し出す。しかしその裏にはどす黒い欲情が渦巻いている。リュキアもそれを察しながら、あえて知らぬふりをしてノーブルに応対した。
「………それで、こんな深夜に何用ですか?」
「そうだったね。伝えたいことがあるんだ…実は僕は、今日一目見て君のことを…」
風が吹き、ふわりと若葉の匂いが香る。男は背を向け女はとぼけた顔で何事かと小首をかしげる。見る人が見れば、あるいは愛の告白シーンにも見えることだろう。しかし、そのような微笑ましい状況では決してなかった。
「―――引き裂きたいと思ったんだ。」
異質な返事と共に、ノーブルは猛烈な勢いで振り返った。同時に差し出られた左手は、爪の生えた異形と化しリュキアの腹部を狙う。
一般の女性ならばこの一撃に反応など出来る由もなく、わけもわからぬまま腹を裂かれていることだろう。しかし今宵の相手はその実よく鍛えられた殺し屋であった。ノーブルが裂いたのは脱皮めいて脱ぎ捨てた修道服のみ。「仕事」向けの装束を纏った中身はバク宙で間合いを離れ、同時に黒糸を放ち相手の左手に絡めていた。
「リュキアさん!?…なるほど、そういう方でしたか。」
いつもなら必中の不意打ちを躱されたノーブルは面を食らったが、瞬時に状況を読む。目の前の女性のいかにもな恰好と得物、裏工作で隠しているとはいえ多くの人に恨みを買っているだろう己の悪癖。導き出される答えは己に懸賞金がかけられ、目の前の娘がそれを狙う殺し屋だという結論。当たらずとも遠からずのその結論に、ノーブルの心はむしろ躍った。
「いい、いいですよリュキアさん。修道服よりも全然美しい。それにこの殺気満点の得物。殺す気の抵抗をしてくる女性なんて初めてだ。せいぜい僕を楽しませてくださいね。」
ある種の喜びに声を震わせながらノーブルは言った。同時に、彼の肉体がみるみると変化・膨張し着衣を破る。やがてその体躯はおよそ二倍に膨れ上がった。しかしてその容姿は、美男子だったかつての姿とも、「送り狼」の容疑者と疑われたワーウルフとも違う、比べるのも烏滸がましいほどの醜悪な化け物じみた姿であった。ガリエドが死の直前に語ったような、輝世暦前のモンスター、という形容が最もしっくりくるだろうか。
ノーブルが再び化け物じみた左手を振るう。怪力が黒糸でつながれたリュキアを振り回す。いつぞやと同じようなシュチュエーション。しかしリュキアは同じ轍は踏まない。空中前転で勢いを殺し、ダメージを追うこと無く着地、再び目の前の化け物に構えを取る。
同時に左腕に巻き付けた糸を回収し、着地と同時に再び放つ。狙いは首筋。この形態になって視力がどうなったのかはわからぬが、闇夜に紛れる黒い糸は見切れなかったのか易々と首に巻き付かせた。
しかしリュキアがいくら力を込めようが、ノーブルが窒息で苦しむ様子は見られない。丸太もかくやというほどに膨れ上がった筋肉が黒糸の食い込みを阻んでいた。その奇妙な手ごたえにリュキアが狼狽えた隙を突き、ノーブルが攻める。驚異的な瞬発力で一足飛びに間合いを詰め、爪を振りかざす。さしものリュキアも完全に無防備であった。
びぃいいん
しかしその掲げられた右手は振り下ろされなかった。背後から何か紐めいたものが絡みつき引っ張っていたのだ。夜目の利くリュキアがようやく全容を見られたそれは植物。長く太い蔦が絡まっていた。このような術を操る者は自分の知る中では一人しかいまい。
「………マーシャ!?」
ノーブルのさらに数メートル後方に、切れ長の瞳のエルフの姿。まさにそれは、かつて「エルフの怨霊」と並び恐れられた双璧の一人であった。
「なるほど助っ人か。しかも僕好みの美人。楽しみが増えたなぁ。」
ノーブルは新手の登場にも慌てる様子もなく、むしろその容姿を見て獲物が増えたと舌なめずりをした。そして蔦の巻き付いた腕を振るう。不意打ちの拘束では動きを止められたものの地力がまるで違う。マーシャの身体はそのまま振り乱され、宙を舞った。しかしこの反動を利用し、ノーブルの前方、リュキアの横に着地し対手を睨みつける。
「………マーシャ、貴女相手が悪いって言ってたじゃないの。」
「確かにね。中央教会を敵に回すのは本意じゃないけど、それでもアナタに失望されたままこの州を出るのも寝覚めが悪くてね。っていうかアレが本当にノーブル・フェルデナンド?」
「………信じられないけどそう。」
照れくささで赤くなっていたマーシャの顔色が瞬時に青く染まる。確かに、それなりにマシな人間と思っていた者が目の前の化け物と同じとは到底信じられまい。しかし彼女もまた一流の暗殺者、すぐさま気を取り直して目の前の標的に目を向けた。一方のノーブルは自分の肉体に余程自信があるのか、余裕綽々な表情を見せていた。
その直後より始まった戦闘は、およそノーブルの見立て通りであった。変貌した彼の筋肉には、リュキアの黒糸もマーシャの蔦もなかなか決定打たりえない。元より二人とも正面からの暗殺を得意としないスタイルだ、尚の事不利であろう。
何よりも厄介なのは瞬発力だ。二人とも殺しの技は絞め技、もっといい形で首を捉えれば殺す手もあるというものである。しかしノーブルの野獣の如き脚力から繰り出される矢のようなダッシュがあっては、なかなか首に得物を巻き付けるに至れない。「エルフの怨霊」二人の顔に焦りの色が差す。
「どうしたのっ?本職の君たちが素人の僕に押されてさぁ!!」
その相手の弱気を見逃さず、ノーブルが一気呵成に攻め始めた。これまで躱され続けていたが、事ここに至りて手数で押せば勝てると踏んだのだろう。
―――それが、「エルフの怨霊」の罠とも知らずに。
二人に駆け寄るノーブルの足が砂にとられて滑る。無様に転びそうなところを寸でで踏ん張り持ちこたえる。同時に浮かぶ疑念。確かに乾燥した日が続くが、ここまで砂っぽい道では無かった筈だ。ならこの砂はどこから?今しがた地面から湧いて来たのか?などと瞬時に考えていると、なんと立っている地面が落とし穴めいて崩落を始めたではないか。
崩れゆく足場を覗いてみれば、底にはおびただしい数の木の根草の根が見える。植物を操るマーシャの技は蔦で首を絞めるだけでは無い。周囲の木々草花に命を出し、道の真中のある部分から水分を吸収させたのだ。水気を失った土は乾き砂と化し、今まさにその場に誘い出される形となったノーブルは、まんまと足を取られ落下し始めた。
その間隙を突き、リュキアの黒糸が舞う。道脇の針葉樹の枝に引っ掛け、そのまま落ちゆくノーブルの首を捉えた。枝を支点に滑車の原理そのままに首に作用する。リュキアは相手の巨体を落としきらぬように力を籠め、ノーブルを絞首刑に処した。ここまで互いに一度も打ち合わせらしい行為をしてはいない。昔培ったコンビネーションの為せる連携だ。
しかし恐るべきは獣化薬か。地に足のつかない状況で首つりにされれば常人なら間違いなく即死である。しかしノーブルの首の筋肉はこの絞首刑にも10秒、20秒と耐えていた。リュキアの腕力が尽きれば立場が逆転、しかも彼女の疲弊から見ればその時は遠くないように思われた。
そんなリュキアを援護すべく、ぽっかり空いた穴の中から蔦が飛び出した。マーシャの操るその得物の狙いは首ではなく足。ノーブルの足首にそれらが絡みつくと、植物の力が真下方向へと体を引っ張った。自重だけならば耐えられた絞首刑に、下から亡者の手の如く引っ張る蔦の力が加わる。頭からは黒糸、足からは蔦、と全身を引っ張られ、その力は全部首に集中する。やがて今まで食い込むことの無かった糸が彼の筋肉の金を突き破り、気道を封じた。
ぴいぃぃん
リュキアは張りに張った黒糸を指で爪弾いた。弦楽器のような美しい音色が静寂の夜に響く。しかしその美しい音は、ノーブルにとっては死へのいざない。糸を伝わる衝撃がまさに最後の一押しとなり、遂にモンスターの命を奪うに至った。
リュキアがようやく力を抜くと、ノーブルの身体はそのまま墓穴を思わせるように道にぽっかり開いた穴へと吸い込まれていった。二人のエルフが覗き込めば先程までの化け物の姿は無く、華奢で見目秀麗な青年の姿だけがそこにはあった。おそらく死と共に獣化薬の効力も失われたのだろう。ただ一つ生前のノーブルとは違うところがあるとすれば、その顔が見せたことも無いような狂気と苦痛にあふれたものだった、というところだけだろう。
いよいよ夜は更けていく。明朝に起きねばならない用事があるのなら確実に寝ていなければならない時間だ。ノーブル・フェルデナンドの補佐を務めるクワランもその限りではない。何せ明日は一番で州衛士の屯所に向かい、朝一で発見されるであろう死体についての捜査をせぬよう釘を刺しに行かねばならない。ホテルのVIPルームの一室で、豪華なベッドに身を委ね眠りにつく。
にゃあ にゃあ にゃあ
ふと、夢うつつともつかぬ中で猫の鳴き声が聞こえた。いやここはホテルの中、猫など居る筈もあるまい、ならば夢だと決めつけ再び深い眠りに入ろうとする。しかしその鳴き声は次第に大きくなり鼓膜を直に揺らす。これは夢ではない。どうしたことかと跳ね起きる。
そこには、猫を抱えたマント姿の州衛士
「な、何者だ!?州衛士風情が何故このようなところに!私を何者か知っての狼藉か!?」
「ええ、存じてますとも。忠臣で有名なクワラン補佐官さまでございましょ?」
驚き騒ぐクワランとは対照的に、州衛士は猫なで声で彼に近付く。怒りながらも、忠臣と呼ばれ悪い気がしていない自分がそこにはいた。
「あの病弱なノーブル・フェルデナンド様を盛り立て、ここまで旅ができるほどに尽くされた。いやァ、ご立派なことで。それに―――」
「せ、世辞はよい!!だから貴様は何者かと…!!」
「―――放蕩の末死んだ主君の責をとって自害たァ、なかなかできるもんじゃねェですよ。」
「何……ぶぐっ!!」
州衛士は猫を投げ捨てた。瞬間、白刃が走る。目にも止まらぬ速さで抜刀されたサムライソードが、クワランの腹を貫く。急所たる肝臓への的確な一突き。そしてクワランの死を確認しないまま剣を抜くと、小脇に抱えていた別の短刀を取り出し、彼の手に握らせ傷口に押し当てる。
ここまでの一連の行動は、宙空に投げられた猫が一回転から着地するまでの間に行われた早業である。
WORKMANマシュー・ベルモンドは何かしらかの紙切れを置き、そっと部屋から出て行った。残されたのは、短刀を腹に刺し自害したようにしか見えぬクワランの遺体だけであった。
翌朝、ノーブル・フェルデナンドは土座衛門として発見された。リュキアたちが仕事にかけた後、港に投げ捨てたのだ。この大物の死はザカールのみならず周辺各州にまで一日経たずに伝わり大きな混乱を招いたが、事件そのものの収取は意外なまでに早くついた。
ホテルの一室で腹を切り果てたノーブルの補佐官クワラン。その傍らに置かれた遺書には、主君の夜遊び癖を止められなかったこと、その結果酔った主君が港で足を踏み外し溺れ死んだこと、そして自らの命でその監督不行き届きの責任を償ったことが書かれていたのだ。状況からこれらの証拠は真実性があるとされ、六司祭の息子の死は事故として処理されることになった。無論、ザカール州議会で責任問題の押し付け合いという醜い争いが起きるという反響はあったのだが、凡そ以て末端の州衛士・市民には何ら影響を及ぼさない結果となるのだった。「送り狼」の名は依然そのままだが、同様の被害が起こらなくなった今次第に忘れられていくことだろう。
「では、私はこの辺で失礼させてもらう。」
州北西の王都へと続く街道、日も明けきらぬうちから行く者と見送る者の姿。再び当てのない旅を始めるマーシャの元に、リュキアと神父が別れの挨拶に来ていた。
「もう発たれるのですか?もう少し時間を待っていただければ、皆でお見送りできたのですが。」
「人間やハーフリングと慣れ合うつもりはないわ。もっと言えばリュキアだけでよかったのに。」
「これは失礼。しかし惜しいですね。それだけの腕があるなら、私どもの仲間になって下されば心強いでしょうに。」
「手伝ったのは私自身の見栄とプライドの為よ。アナタたちのやり方の有効性はよくわかった。でもだからといってはいそうですかと受け入れるつもりは無いもの。」
マーシャの態度はあくまでつんけんとしていた。逐一提案を外され神父も苦笑いしている。そのままマーシャが去ろうかという時、リュキアが彼女に駆け寄った。
「………ありがとう。」
「れ、礼を言われる筋合いは無いわ。さっきも言ったでしょ、自分自身の問題だって。」
「………それと、これ。」
「!?」
リュキアはマーシャの両の手をぎゅっと握った。唐突な接触にマーシャは頬を赤らめる。そっと離した手の中には、小銀貨が一枚握らされていた。
「こ、これは…?」
「………頼み料。」
「別に私はアナタやアキムの為にしたわけじゃないって言ってるでしょ!」
「………それでもこれが私たちのルールだから。金を貰わない殺生はただの殺戮。それで赦されるってわけでもないけど、一応。」
それは今回の「仕事」の頼み料、その分け前の半分。ただの返礼ではない。頼み人の恨みを聞き入れた時のみ殺生を行うというWORKMANの戒め。同時に、無差別に振り回される己が怒りと殺意を抑えるための鞘でもある。かつて神父が無軌道だった自分に示した道を、今なお無軌道なマーシャに示すための小銀貨だったのだ。
「い、一応路銀の足しに貰っておくわ!言っておくけど、アンタたちの流儀に理解を示したって訳じゃないんだからね!」
「………わかってる。そういう頑固な性格も。」
「もし万が一旅先で私どもの『仕事』に興味を持たれることがありましたら、王都で『焔』かポルガで『虎』とお尋ねください。あちらにも同業の者が―――」
「だから違うって言ってるでしょ!ふんっ!」
マーシャはそのまま回れ右をして去って行った。しかしいちいち立ち止まり後方を振り返ったり、さっきリュキアに握られた手をたまにじっと見たりしており、その歩みはいやに遅い。そんなこんなを繰り返す様子を、送る二人はその姿が見えなくなるまで眺めていた。
(男嫌いで同族への帰属意識が高い…だからといって、まさか。いやしかし…)
そんなマーシャの挙動不審な様子と、隣に立つリュキアのとぼけた表情を交互に見ながら、神父の脳内にはある懸念が浮かび上がっていた。
「………ねえ、アンタさぁ。」
「どうした?お前ェから話しかけてくるなんて珍しい。」
その日の昼のこと。マシュー・ベルモンドは繁華街から離れた喫茶店のテラスで堂々と茶をすすっていた。昨晩は遅くまで「仕事」をしていたのだ。朝に弱く元より勤労意欲の薄いこの男にちゃんと午後の見回りをしろというのも土台無理な話。恥も外聞も無くサボりに走っていた。
しかし今日はいつもと様子が違う。相席者がいたのだ。丘の上の教会のシスター・リュキア。街の若者にも密かに人気な美人と、州衛士隊で一番冴えない男の相席は、わずかに通りがかる人々の目からも奇妙に見えたことだろう。
「………自分たちが徒党を組むのは国家より弱いからって言ってたけど、」
「ああ、言ってたな。」
「………もし国家より強かったらこの『仕事』辞めるの?」
マシューは苦い顔をして茶器を下した。心当たりがあったからではない。質問の内容があまりにも素っ頓狂すぎたからだ。
「あのな、俺ァどこの魔王様だ?」
「………でもあの言い方だとそういうことになる。」
「国家戦力に比肩できるいち個人とか無茶苦茶言ってんじゃねェ!事実上この『仕事』は辞めらんねェって意味だよ!」
「あら?お仕事を続けるおつもりがあるなら、こんな所で休んでる暇は無いんじゃないですかね?」
突如会話に割って入る声。マシューが振り向けばそこには憤怒の表情の、買い物帰りの使用人の姿。
「そんなことだから州衛士隊のお荷物呼ばわりされるんですよ!私たちがそれでどれだけ恥ずかしい思いをしたか!!」
「いや違うんだフィラ!これはそういうアレじゃなくてだな、その、なっ!?」
「………?」
フィアラに問い詰められるマシューは目線でリュキアに助け舟を求めた。しかし「仕事」のことならともかくこういうことの機微には疎い娘、何をそんなに喧々諤々となっているのかすら理解でき無さそうな表情で、目の前の二人のやり取りを見ている。
しかし、マシューへの助け舟は意外なところから現れた。
「ダメよ~フィラちゃん~。確かにおサボりはいただけないけど、今は野暮ってものよ~。」
フィアラに随行していたフィアナが、妹の詰問を止めた。そのにこやかな表情の裏には何かしらの含みも感じられる。この意外な行動にフィアラは戸惑い、マシューはその裏は置いておくにして歓迎した。
「お、お姉様!?何を…」
「おうそうだフィア言ってやれ!こういう気分転換こそ仕事を円滑に―――」
「そうそう、主様の逢引を邪魔しちゃいけませんよ~」
「ぶふうっ!!」
マシューが口に含んだ茶を吹く。フィアラも唾を吹く。それほどまでにフィアナの発言は想定外のものだったのだ。
「あ、主様!?いつの間にこんなダークエルフと!?」
「なっ、逢引てお前…別にコイツとはそういう関係じゃなくてだな!!」
「お隠しなさらなくてもいいんですよ~。しかも街の殿方の密かな憧れと言われる丘の上の教会のシスターさんじゃないですか~。こんな上物物件をゲットできたら、私たちとしても鼻が高いですわ~。」
確かに先程までの状況、見る人が見ればそういう勘ぐりを覚えても仕方がないところはあるかもしれない。だからと言って一方的な勘違いで話をまとめられてはたまったものでは無い。マシューは必死に反論し、フィアラは何故かしどろもどろになっていた。
「これでお世継ぎの問題は近々解決しそうですわね~。良かったわねフィラちゃん~。」
「主様が…あの冴えない主様が…こんな美人と…いつの間に…」
「だから違うっつってんだろうがお前ら!フィラも何だよそのリアクションは!?おいリュキア、お前からも何か言ってくれ!収拾がつかない!!」
無論、この手の機微に疎いリュキアには場を収める上手い言い訳を口にするどころか、目の前で起こる喧騒の意味も理解してはいなかった。
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