其の二

 ザカールに来て4日目の朝が来た。


 身の証を立てられない自分の都合、基本宿を借りることはできない。不思議とあまり寄り付かない州で野宿するにも勝手がわからず不安ではあったけど、南側の温暖な気候と水源に恵まれたこの地は、幸い野で夜を過ごすのもさほど苦では無かったわ。森の民と呼ばれたエルフらしく樹上から起き上がり、森の中に流れる小川で体を洗い完全に目を覚ます。


 身支度を整え早くから向かった先は、この先の大きな一本杉。地元民にも有名な古木らしい。となれば地元の者であるリュキアと待ち合わせるにはこの上なくわかりやすい目印となるでしょう。そう、昨日彼女を今回の「送り狼」退治に誘った。奴の死を確実なものとするためという自分の都合もあるが、何より今の弱さに惑う彼女にとっても昔の冷徹な自分に戻れる良い機会だと思ってのこと。双方に得のある、断る理由など無い取引だと自負していた。



 しかし、古木の周りにリュキアの姿は無かった。



(そうか、あくまで組織に飼い殺されるような境遇を良しとするのね…)


 薄々そんな気がしないでもないでいた。悔しくなどは無い。ただ単純に彼女の堕落に落胆しただけ。そんな感情を抱えた私の足は、例の丘の上の教会へと向かっていた。私の誘いを蹴ってまで選んだという道を一目見てやろうという一種の興味よ。そう、決して自分が選ばれなかったことに対する悔恨や嫉妬では、無いわ。






 物陰から教会を覗けば、何やら賓客を迎え慌ただしい空気を醸していた。リュキアも、夜を忍ぶ仮の姿と思しきシスター姿で、慌ただしくVIPの相手をしている。濃紺の修道服が彼女の艶めく黒髪と浅黒い肌に実にマッチしていて美しい。いや、そうではなく、まるで本業のシスターのように甲斐甲斐しかった。


「そうですか。つい最近聖堂が火事に…さりげに年紀深いと評判でしたからお目にかかるのを楽しみにしていたのですが。」

「………すみません。」

「いや、リュキアさんが謝ることじゃないですよ。これは僕の勝手な希望ですから。それに形あるものはいつか壊れる、それは仕方ないことです。」

「………そう言ってもらえると少し救われます。」


 気障ったらしくそうリュキアと話している青年、私にも見覚えがあった。ノーブル・フェルデナンド。ガリア教中央教会で教皇に次ぐ権限を持つ六司祭がひとり、ハーマル・フェルデナンドの三男坊。生まれつき体が弱く深窓での生活を余儀なくされていたが、近年快方に向かい諸州を周遊して回っているという話だ。その各地で人柄の良さを示す逸話も多く生まれており、腐った人間達の中では比較的信用に足る人物だと認識している。今こうやって身分違いのシスターに接するさまも実に紳士的なことからもそれが伺えるわね。


 だからといって、いくら好人物だからとて人間の男に傅くあのリュキアの姿は見たくなかった、というのも今の私の嘘偽りない気持ち。やはりあの娘は最早あの頃には戻れないほどに変わってしまったのだろう。人間と見るや憎悪を滾らせていた少女が、目の前の優男に色目を使う、いやさ親し気にしている姿は私にとって見るに忍びないものだった。


「ノーブル様は寛容だからああも言われるが、歴史ある教会を小火騒ぎで台無しにしたこと、その罪の重さはちゃーんと認識しておりますかな?」

「ええ、それについては重々と、クワラン補佐官殿。しかしノーブル様も随分とお元気そうで。」

「良き医者に恵まれたのだよ。これも神のご加護だろう。」


 リュキアから数メートル離れたところでは、偉そうな中年男とここのヒラ神父らしき男が何か言っているが、どうでもよい。リュキアのことすらもどうでもよくなった今、ただの雑音以上の何でもない。私は今一度ノーブルと親しげに話すリュキアの姿を見てから、未練を振り切るかのように背を向け、標的「送り狼」を狩るべく再び動き出した。






 標的はすぐに見つかった。街の中央の広場でボロ布にくるまれて夜を明かした狼の獣人。伸び放題、汚れ放題の体毛に包まれた姿はさながら野良犬の王といった風体だ。


―――アキム・ガーガン。目下のところの「送り狼」の第一容疑者だ。


 「送り狼」はその名の通り、被害者の遺体にオオカミに襲われたが如き傷が目立ったことより付けられた名称。爪で引き裂かれたような傷、牙で食いちぎられたような痕、それ故にワーウルフによる犯行ではないか、とはルクセン州で起きた初犯の頃から言われていたわ。ルクセンの州衛士隊もワーウルフを中心に容疑者をピックアップ、そして限りなく黒に近いと言われたのがこのアキム。


 定職にも就かず、飲む打つ買うのみに人生を浪費し、その金は女にたかる典型的なジゴロのヒモ男。この地点で私としては万死に値する存在ではあるが、それとは別に容疑に足る決め手が存在している。「送り狼」の毒牙に初めてかかった被害者のエルフ・メディナ、彼女は当時のアキムの情婦だったの。


 当然のように州衛士はアキムをつけた。しかし決定的な証拠が見つかる前に、奴は捜査線上から、いやルクセン州から姿を消したわ。しかしこの3年間、「送り狼」の被害は大陸各所にまで広まっている。この男が人の目から逃げながら犯行を繰り返しているのは明白。私は湧き出る怒りのままに奴を追い、ついに裏の情報網でアキムがここザカール州に潜伏していることを突き止めた、というわけよ。


 正直なところ、今現在すぐにでも息の根を止めてやりたいという衝動に駆られている。しかしまだ日も高い位置にあり、また広場とあって人目も多い。この場で仕掛けるのは下策だ。そんな私の駆け引きなどお構いなしに、奴はその小汚い姿を衆目に晒していた。見るからに浮浪者なので道行く人々も極力目を合わせないようにしている。よもやこの手で今日の今日まで逃げ延びてきたというのかしら。だとすればこれはこれで尚腹立たしい。必ず今日の内に始末してくれるわ。





 私はアキムの行動の一部始終を物陰から見張り、隙を伺う。しかしどうあっても人の目があり仕掛けに行けないでいた。そうこうしているうちに早くも夕暮れ時、奴の足は下町のほうへと向かっていた。いよいよ凶行に及ぶのか?私が警戒すると籠に入った蔦も蠢く。


 しかし奴の行き先は、小さなアクセサリ屋だった。男には、とりわけ浮浪者には無縁であろう店に入って行ったことで私は混乱したわ。それでも店の裏手に張り込み、聞き耳を立てる。



「おお、アキムさんかい?…って、体ぐらい洗ってから来てくれよ。一応うちも女性客中心なんだからその体臭が残るとなぁ。」

「すまない、店主さん。宿もままならぬ生活を送っている故…それよりも頼んでおいたものは?」

「ああ、昨日には上がってるよ。」


 中ではハーフリングの店主が気さくに応対している。何の依頼を受けたのか、その客の正体を知ってて引き受けたのか、そもそも金は持っているのか、疑問は尽きない。場合によっては共犯もあり得ると思い、よりいっそう警戒して窓の隙間からこの光景を見張る。


 店主が差し出したのは小さな化粧箱。受け取ったアキムが中を検める。見えづらい隙間からでもはっきり見えたそれはペアリング。しかも結婚を申し込むときに使いそうな装飾のもの。


「有難う、これで思い残すことは無い。色々な噂を聞いてこの州に来たのは正解だったよ。」


 そう言うとアキムはぼろぼろの袖の下から大銀貨を二枚取り出し、店主に渡した。身なりからは想像もできない大金に、店主はおろか私も驚きを隠せない。


「なあ、これからどうするつもりなんだい?随分と思い詰めた顔してるからちょっと気になったんだけどさ。」

「それは言えない。それどころか、出来れば俺に会って仕事を受けたことも忘れてほしい。頼む。」

「…まあ、貰うモン貰ったしそれはそれでいいけど。」


 そう言うとアキムは一礼をして店を出て行った。私も後を追ったわ。その最中で考える。今しがた手にした指輪、あるいはアレは次の獲物を釣るための餌ではないだろうか。高価なアクセサリに目がくらみほいほいと付いて来た若い娘を毒牙にかける、そういう用途に使うのではないだろうか。だとすれば身の丈に見合わない買い物にも合点がいく。やはりこの州でも事を起こそうとしている。ならば一秒でも早く奴を止める義務が私にはある。


 見回せば夕暮れの下町のさらに裏手。気が付けば人の気配は皆無。待ちに待った好機だ。籠を弄り蔦を放つ。狙いは無警戒な奴の首筋―――


―――しかし、しゅんっと空を裂いて飛んだ蔦は標的に届くことなく動きを止めた。植物を思いのままに操る自分にはあり得ないミス。焦り、どうにか蔦を動かそうと苦戦しているうちに、アキムの姿は遠ざかり見えなくなった。


(一体なんなの!?)


 状況を把握するために、焦る気持ちを抑え目を凝らし蔦を見据える。すると、落ち着いた今ならばはっきりと見えるものがあった。ようよう広まる夜の闇の中で、ひときわ黒く輝く一筋の線が蔦に絡み動きを止めていたのだ。私はこれを知っている、そして、それが誰の手によるものかも。それ故に湧き上がる理不尽、私は思わず叫んだわ。



「何故邪魔をするの!?リュキア!!」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 だんだんと暗くなりゆく裏路地で、二人の女が絡まり合う紐を挟み対峙する。ひとりは蔦を操り一族と女性の敵を狩るエルフ・マーシャ。もうひとりは金を貰いて人の恨みを晴らす稼業のダークエルフ・リュキア。かつて志を同じくしながらも離れ平行線を辿った二人は、ここにきて敵対という形で交わり合っていた。


「黒糸を離しなさい、リュキア。」

「………」

「私の頼みを蹴ったのはアナタにも事情があるからと納得もできるわ。でもね、まさか邪魔までされるのは流石に私の理解を越えてるわ。」

「………」

「何とか言ったどうなの!?」


 かつて仲間と思い好意的に見ていた者相手でも、マーシャはこれ以上ない怒りをぶつける。しかしリュキアは黙して答えない。恐れているわけではない、その瞳には確実に立ち向かう意志が宿っている。だからこそ、何故に確固たる信念をもって邪魔をするのかを考えれば、マーシャも猶更苛立つことだろう。


「リュキア!!」

「………私は今でも仲間だと思っている。」


 リュキアがようやく重い口を開く。飛び出した「仲間」という言葉はマーシャの心を揺らしたが、それでは逆に何故邪魔をするのかという疑問は深まるだけ。なおも厳しい視線を投げかける。




「………仲間だから、間違いを犯してほしくない。」




 その言葉を口にするリュキアの胸中には、昨日の事が思い出されていた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「今の自分の弱さに苛立ちを感じているのなら、即刻WORKMANなど辞めて私と共に来なさい。あの頃のアナタに戻してあげるから。」


「その気があるのなら明日、そうね、あそこの森の一本杉で待ってるわ。」


 マーシャはそう言い残して姿を消した。すぐ答えが出る選択ではない。ひとまず教会まで戻ることにした。私の前を男が歩く。会話は無い。元より気さくに話すようなこともないけど。


「………なあ。」

「ん?どうした。お前から話しかけてくるなんて珍しい。」



「………私は、弱いか?」



 男は少し驚いていた。話すにしても私から話しかけることは稀だから。それでも今のもやっとした気持ちを耐えられず、問わずにはいられなかった。


「何でェ藪から棒に。あの姉ちゃんの言葉がそんなにショックだったか?」

「………そうかも。」

「なるほどね。まあ、弱ェえだろうな。」


 男は事も無げに答えた。この男は私が敗れた相手に悉く勝利した剣士。その強さから見れば当然の返答。わかりきったことと言えばそうだけど、少し凹む。


「あと、ギリィも弱ェ。」

「………」

「神父さまだってそんなに強かねェだろうぜ。カーヤのガキなんざ論外だ。」

「………?」

「当然、俺だって弱ェよ。」


 男が勝手に続けた言葉に、私は戸惑う。仲間を侮っている様子でもない。自分を卑下しているといったていでもない。


「………どういうこと?」

「そりゃお前ェ、国家権力様が本気になりゃ俺達なんざあっという間に縛り首だ。誰も勝てやしねェ。そういう意味じゃどいつもこいつも弱っちいさ。」


 極論だった。そりゃ国家権力が総出でかかればWORKMANも一斉検挙されるだろうけど。私が聞きたいのはそういうマクロレベルの話じゃない。


「そりゃ俺だってあいつより強ェえ、誰々より弱ェえって話にゃ人一倍敏感なほうだけどよ、それは個人的な感情だ。国家を前にしたらそんな強弱なんざ誤差の範疇でしかねェよ。」

「………それはそうだけど。」

「だからよ、弱っちいから徒党を組むしか無ェんだ。」


 さっきまで背を向けていた男がようやく振り返り、言った。


「ヘマをかまして国家権力に捕まらねェように、間違いを犯して国家権力に目ェつけられないように、弱い奴ひとりじゃ御しきれねェそこの尻拭いのためにお互い組んでるんだろうがよ?」

「………!!」

「今から俺一人で『仕事』やれって言われても、しんど過ぎて無理だし絶対ェどっかでヘマして磔刑台だァな。そういう意味じゃ俺ァお前らに感謝してるんだぜ?お前も同じくらい感謝してもらえなきゃ割に合わねェけどな。」


 男ははにかみながら語る。そういえばWORKMANに誘われたとき、神父さまからも同じことを言われた覚えがある。


私は初心を忘れていた。迷いの根幹は、心構えからして間違っていただけ。それを思い出した今、自分の弱さも私より強い相手のことなどももうどうでもよくなっていた。


「………ありがと。」

「おう思う存分感謝してくれよな。で、然るにだ、あの姉ちゃんは大丈夫なのか?」

「………マーシャが?」

「ああ。俺らァは仲間がいるからこうやって何とか『仕事』として回ってるがよ、あの姉ちゃんはソロ活動だろう?独断と偏見で無関係の人間殺したり何だりで悪目立ちして、挙句権力に目ェ付けられたらそこでお陀仏じゃねえか。まあ、老婆心だがよォ。」


 私ははっとした。これまで百数年はうまくやってこられたかもしれないけど、これからも同じとは限らない。そういえば彼女の言っていた「送り狼」って―――




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「仲間だと!?よくもまあこの状況で言えたものね!標的を狙う邪魔をしておいて仲間だなんて!」

「………無駄な殺しで州衛士に目をつけられ続けたらいつかは捕まる。だから。」

「無駄?何のことよ。まるであのアキムが『送り狼』でないような言い方ね!」


 紐を挟み舌戦が続く。見るからにヒステリックを発症して捲し立てるマーシャ。一方のリュキアはいつものように静かな語り口だが、その言葉に籠った意志は揺らがない。引き合う蔦と黒糸の張りが、そのまま場の緊張感を表現していた。


「仮に『送り狼』で無いとしても所詮は屑の男。命を奪うことになんら躊躇いは無いわ!」

「………そんな無軌道な殺しを続けてたら、いつか縛り首。」

「よく言う!そもそも私を止められるつもりでいるのか?今の群れて弱くなったお前に!」


 マーシャの引く手に力が入る。体躯はさほど変わりなく腕力も同等程度のふたりだが、マーシャの能力はそもそも「植物を操る」というものだ。彼女の腕力に上乗せして、蔦そのものが自らに絡まった黒糸を引っ張る。ずずず、とリュキアの足元から音がし始めた。



「………そう、今の私ではあなたを止められない。」


「………でも、弱くて群れているからこそ使える手もある。」



 突然、マーシャの喉元にひんやりした感触が走った。金属特有の貼りつくような冷気、そして同時に伝わる冷淡な殺気が彼女の背筋を震わせる。首を動かさず視線を下に向ければ、喉の先には琥珀色した金属針が突きたてられている。更にその針の元を目で追うと、そこにはハーフリングの姿が。


「よおリュキア。店に投げ込まれたメモ書き見て飛んできたが、こりゃ一体どういうことだよ?」

「………後で話す。とにかく今は協力感謝。」


 低い身長だてらに腕を伸ばし喉に長針を突きたてるハーフリングは、リュキアに気さくに話しかける。そしてこの伏兵のことをマーシャも知っていた。先程アキムが買い物をしていたアクセサリ屋の店主。確かに昨日リュキアは仲間にハーフリングがいると言っていたが、まさかこんな近くにいたとは。裏をかかれたマーシャは歯噛みをした。


 いや、それ以上に驚いたのは「リュキアが他人を頼みにした」ということだろうか。自分の知る彼女は極力人と関わり合いを持とうとしない娘だった。漆黒の遺志に突き動かされ、自分と殺す相手以外の存在を認識していないかのような振る舞い。共に「エルフの怨霊」と呼ばれ半ば同僚ともいえる自分に対してすらそうであった。それが今は他種族の仲間に協力を求めている。


確かに彼女は弱くなった。だが、あるいはこれがその弱さを受け入れることで得た力だというのか―――



「まさかアナタが数を頼りにした手を取るとはね…プライドは捨てたのかしら?」

「………何でもいい。これが今の私たちのやり方。で、話ぐらいは聞いてくれる?」


 二者の間に張っていた手綱が緩む。マーシャが力を抜いたのだ。リュキアひとり相手ならばどうとでもなるが、別の手練れも加わるとなれば話は別だ。かといって、標的を殺す前に余計なことで命を散らすのも本意ではない。何かと敵愾心に溢れる彼女だがそのくらいの分別はあるのだ。


「じゃあ話を聞こうかしら。アキムが『送り狼』でないように言ってたけど、確証でもあるの?」

「………まだ調べている最中だから完全な確証ではないけど、あの人は私たちに『送り狼』を『仕事』にかけるよう頼んで来た。」

「なっ、どういうこと!?」


 マーシャは驚いた。「送り狼」の第一容疑者が「送り狼」を殺すように依頼した、というわけのわからない状況だ。当然のように説明を求める。


「………昨日の地点では失念していて言い忘れてた。ごめん。」

「まあ言ったところで簡単に話を聞いてくれそうな相手でもねえし、こうやって寸でで止められたんだ。別にいいだろ。」


 ハーフリングのギリィが半笑いしながら茶化す。その言葉に対し、マーシャは目下の男をきっと睨んだ。


「おっと悪い悪い。じゃあそこんところは俺から説明させてもらうぜ。ちょいと複雑すぎて口下手なアイツじゃあ無理っぽいしな。」

「………お願い。」


 マーシャも軽く頷いた。何かと気にくわない男ではあるが、喉元に未だ長針を突きつけられた状態では拒否権は無い。それを確認すると、ギリィは事の顛末を話し始めた。



「まあ平たく言っちまえば恋人の仇討ちだ。三年前、恋人のメディナってエルフの娘を『送り狼』に殺された。その復讐を俺達に頼んだってことよ。」

「恋人?軽率なヒモ男がよくもまあぬけぬけと言えたものだな。」

「言ってやるなよ。確かに女にだらしない生活を送っていたことは事実だが、メディナって人にだけは本気だったって話だ。腰を落ち着けて、職も取って、きちんと結婚する気でいたみたいだしな。」

「何っ!?」

「結局夢は叶わなかったわけだが。その未練から俺の表仕事に婚約指輪を頼みにも来た。彼女の墓前に捧げるそうだ。」


 無論、アキムはギリィが殺しを頼んだ集団の一員とは知らない。ただザカールに腕のいいアクセサリ職人がいるとの評判を聞いて、WORKMANの依頼ついでに立ち寄っただけである。この話を聞いた時、ギリィは例によって奇妙な縁を感じずにはいられなかった。


「そんな恋人を殺された挙句、容疑者として白い目で見られることになった。それはそれで自分のしてきたことのしっぺ返し、仕方がないと割り切ってはいたが、それでも結婚を決意させたほどに愛した女性を殺された恨みだけはどうにもならない。アキムさんは世捨て人になってまで仇を追った。」

「…虫のいい話だな。」

「まあそうかもな。しかし彼の追跡も空しく、『送り狼』はひとり、またひとりと女性を手にかけていく。悔しさでどうにかなってしまいそうになりながらも、アキムさんはようやく奴らの尻尾を掴んだ。」

「連中…?」

「その真犯人は自分では到底手の出ないような巨大な相手。かかっていっても犬死しかならない。それでもこの恨みを諦めきれない彼は、ザカールに伝わる噂に縋り、俺達WORKMANに頼みに来た、ってのが事の顛末だ。」



 マーシャの顔にわずかに焦りの色が差す。軽薄なヒモ男にしてサイコキラーだと決めつけてかかった男が、実は情愛深い男だった。気丈な彼女のこと、いつもならばかような真相があろうとも「過去に女を不幸にしたことに変わりはない」と開き直ろうものなのだが、何故だか今は心が揺れる。世間の風評に完全に惑わされた悔しさか、あるいは「弱くなった」と罵った同志に出し抜かれる形となった恥ずかしさからか。ともかくマーシャは体験したことの無い感情に揺さぶられていた。


「まあつってもコレ全部本人の口からの伝聞だ。真っ赤なウソかもしれねえ。そこは今仲間が裏を確かめに走ってるところだがな。」

「………自分では間違いを犯すかもしれないところを支えてもらえる。結果自分の身も護ることができる。これが自暴自棄だったあの頃と違う、今の私のやり方。」

「ま、それでも間違うことは少なくねえけどな。」


 リュキアの瞳には、昨日のような迷いは見られない。自らを捨て憎悪に身を任した力を拒否し、徒党を組むことを恥としない今の彼女の姿は、マーシャにとってはやはり受け入れがたいものだった。しかし同時に、弱さを受け入れ堂々と佇む姿に別の強さを見出し、まったく趣の異なる魅力を感じていたこともまた事実である。


「それで、真の『送り狼』とは何者なの?複数犯のような物言いだったけど。」

「………それは今夜調べがつくと思う。真相を知りたいのならついて来て。」

「おいおい。勝手にアジトに連れてって大丈夫なのかよ?」

「………大丈夫。私たちを売ったりはしない。というか人間の男で構成される州衛士隊を頼ることはない。そういう意味では信頼できる。」


 リュキアの言葉を信じ、針を取り下げるギリィ。自由の身となったマーシャは、大人しく彼らの後を歩く。行先は丘の上の教会・霊安室。日はとっぷりと暮れ、夜の闇が辺りを包む。大半の日々の仕事は終わりを告げ、『仕事』の時間が始まる頃であった。

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