其の三
「そうです。少し目を離しているうちに隙に燭台が倒れていて、気が付いた時には火の海でした。」
初春の夕暮れ、丘の上の教会で起きた
「そうですか?火の不始末にしては随分と荒れているような…」
「いやぁ、恥ずかしながら出火に少し取り乱して駆けずり回わってしまいまして。」
しかし、神父の話を聞く州衛士隊隊長ベアは疑りの目を向けていた。そしてそれは正しかった。出火原因は闖入した賊の放った火炎魔法。更には現場では人死にも出たのだが、どういうわけかそれもまた隠ししらを切り続ける。
「それに夕前のまだ明るい時間から燭台に火を灯してるというのも―――」
「あー、隊長?詮索はその辺にして切り上げてもいいんじゃないですかね?」
そんなベアの追及を止める声が上がる。随行した州衛士のマシュー・ベルモンドだ。パーマがかったボサボサの金髪を掻きながら、気だるそうに上司に進言した。
「なんですかベルモンドさん!?相変わらずやる気のない!百歩譲って屯所の中でならともかく、このような出先でそういう態度はやめてもらえませんか!」
「いやあ、暇にかまけすぎてやる気が有り余ってるのはわかりますけど、そもそもガリア教と教会絡みの事件は州衛士の管轄じゃないでしょ。あんまり先走ると、今度は第四近衛師団と軋轢が起こるかもしれませんよ?」
「うっ…!」
珍しくベアがマシューに突っ込まれ、言葉に詰まる。国教の管轄というデリケートな部分だ。それこそ街の治安維持のための末端組織が手を出すには過ぎるほどに。故に、たとえ小さな教会であろうと、そこで起きた事件は近衛師団の管轄となるのがどの州でも通例なのである。
「隊長は私のことをやる気無いと仰いますが、たまには私みたいにやる気がない方がうまくいくこともあるんですって。」
「むう、そ、そうではありますね…」
「じゃあそういうわけなんで、調書纏めてさっさと帰りましょう!これ以上お仕事してると残業になっちゃいますしね!定時帰宅で経費削減!」
「何であなたが仕切ってるんですか!?」
仕切りはともかくにして、他の隊員たちも同じことを考えていたのか、各自が自分の割当を終え屯所へと引き返して行く。おいおいに帰っていく州衛士たちに神父は玄関口で会釈して送る。そしてマシューもまた、早々に身支度を整え聖堂を出て行った。
「(―――で、こいつァ一体どういうことだ?まさか『仕事』絡みじゃあるめェな?)」
「(まあ、そのまさかですよ。詳しくは今夜説明します。)」
その出際、マシューと神父はすれ違いざまに誰にも聞こえぬほどの小声で言葉を交わした。これまで関係を気づかれぬようにふるまってきたマシューも、想像通りの面倒ごとに思わず苦い顔で頭を掻くのだった。
そしてその晩、教会地下霊安室。焼け焦げた上階とは対照的にいつもと変りなく、薄暗く湿っぽく血なまぐさい石造りの密室。そこにWORKMANたちは一人を除き集合し、神父から事の経緯と今回の「仕事」の話を聞いていた。
ここザカールに持ち込まれた旧時代の魔導書、13人の処女を贄に発動する超破壊魔法、それを封ずる一族の青年と彼を騙しその力を我が物にせんと目論む集団、奇縁によりこの教会で行われた大立ち回り、結果青年の死の直前にもたらされた「仕事」―――そしてWORKMANのひとり、カーヤ・ヴェステンブルフトが今この場にいない理由。
一通りの話を聞き終えると、ギリィ・ジョーは額をぴしゃりと叩き呆れた顔で言う。
「あのバカ餓鬼、またお人好しで自分で面倒事に首突っ込んだのかよ。」
「しかも手前ェで贄にされてりゃ世話ねェわな、まったく。」
同じくマシューも呆れ顔で同意した。彼女は魔族を自称する割には人情家が過ぎる。そのような心根でかような裏稼業に加わることに思うと諸もあるだろう。神父としては彼女のその情がメンバーに良い方向で影響を与えてくれることを期待していたのだが、そんな意向とは裏腹に今回は尻拭いめいた「仕事」となってしまった。頼み料もロイドが遺したなけなしの路銀だ。
「………だからと言って、この『仕事』受けないわけにはいかない。」
「まあな。カーヤの馬鹿はともかくにしても、王都のど真ん中で破壊魔法をぶっぱなそうと目論む連中を放っておくわけにゃいかねえよな?州衛士さまとしちゃあよ。」
「これでもっと金が貰えるならやる気も出ようけどなァ。これなら表仕事の手柄にして賞与貰ったほうがまだ儲かるくれェじゃねえか。」
仲間の命はついでとしても、頼み人の無念に加え、過激派組織の陰謀を挫くという側面も今回の「仕事」には存在する。治安維持に関わる表仕事を持つマシューにとっては無視できない要因だ。それがごく薄給の仕事だとしても。そのことを察しギリィはリュキアに同意し、いたずらな笑いを浮かべながらマシューに話を振る。対するマシューは、不貞腐れながら目の前に積まれた小銭をポケットに仕舞い、ため息をついた。
「では皆さんも同意ということで、改めて今回の『仕事』です。的は王都大学魔法研究会のメンバー、ヒューズ、ファイアム、ブリーズ。三人ともエルフの男性です。加えて、彼らの持つ『ボルガンの魔導書』の奪取もお願いします。」
「おう。」
「私も個人的には『仕事』に参加したいとは思っていましたが、なにぶん解呪のための準備に忙しくて。」
自分の教会を燃やされたという個人的事情があったものの、神父は「仕事」をマシュー達に任せた。ボルガンの魔導書の解呪、ひいてはロイドの妹、カーヤ、ほか巻き込まれた女性たち9人の解放もまた頼み人の最期の願いだ。それ故に今回の仕事には、魔導書を取り返すという手間も加わっているのだ。
「で、奴さんらは今どちらに?」
「さあ、そこまでは流石の私も存じませんよ。ただ、すぐにでも王都に戻るような様子でしたので、ラグナント州に続く北西の道を張っていればいいのではないでしょうか。」
任された実働部隊の質問に、神父はあっけらかんに答えた。魔導書の奪還だけでなく、逃げる的の所在も今夜中に探さねばならぬという手間。小銭で使われるには面倒が多すぎる。これにはマシューだけでなくギリィとリュキアも難しい顔になってしまう。
「まったく、こんな時カーヤのガキがいれば野良の犬猫に探してもらって一発で見つけられるだろうになぁ…」
「まったくだァな。」
「おやおや、これは異なことを仰られますね。お人好しのいらんことしいと文句を言われた割に、随分とカーヤさんの能力を買っているようで。」
マシューとギリィの愚痴を聞き、神父が笑顔で言った。はっとした二人は互いにバツの悪そうに顔を合わせてから、恥ずかしそうに霊安室を出て行く。続きリュキアも出陣。最後に神父は灯りを消し、必要そうな道具一式を探すため蔵へと向かって行った。
時計は夜の10時を回る。色街を除き、市内に出歩く人の姿はほぼ見当たらない。野暮用で近場に行く人がいるくらいで、今から州を出て遠方に向かおうなどという人はもってのほかといった雰囲気であろう。
しかし、そのもってのほかな集団が街の北側にいた。
ここから街外れまでまっすぐ北西に伸びる道はラグナント州に続いている。王都への直通ということで何かと用向きの多い道だ。件のローブ姿の集団は、まさにその道の上を歩いていた。まとまった荷物を背負い、完全に長旅といった様相だ。
「しかし、こんな夜逃げ同然でこの街を出る羽目になるとはな。」
「仕方がない。教会を燃やすなどという目立つことをしてしまったのだから、官員の手入れの前にいち早く去るが得策だ。最後の贄は道中で探せばいい。」
口惜しそうに語るファイアムを、ヒューズがなだめる。いくら強力な魔導書を再び手にしたと言っても、今のままでは只のエルフの魔導士三人組。州衛士や近衛師団が手勢を以てわっと押し寄せればすぐさま捕縛されてしまう。実際のところ、教会の火事の件は当の神父によって隠匿されていたのだが、警戒を怠らず逃げを打つという彼の判断そのものに間違いは無いだろう。
しかし、そのような慎重な行動にもかかわらず、彼らは不運に見舞われた。夜回り中の州衛士に後ろから呼び止められたのだ。
「おーい、ちょっとちょっと!そこの君たち止まってくれるかな?」
それは小柄で細身の若い州衛士だった。まだ肌寒い初春の夜だからかマフラー代わりに首元まで覆うマントも羽織っている。パッと見た感じ、いざとなれば腕力で御せそうなほどに頼りなさげだが、好んで自分たちから波風を起こす必要もない。ブリーズがこれに冷静に応対した。
「はい、何でしょうか?」
「いや特に何ってことも無いんだけど、お兄さんたちこんな夜中に旅準備してどうしたのかなー?と思ってね。」
「ああ、これですか。大学の春期休暇を利用して歩きで大陸横断に挑戦していまして。でもじきに休暇も終わるし、早いとこ大学のある王都まで戻らなきゃいけないんですよ。」
ブリーズはしらばっくれ当たり障りのない嘘を並べた。長期休暇を利用して貧乏旅に出る学生など珍しくも無い。およそ騙し通せる理由付けではあったが、どういうわけかこの州衛士の男はそこに妙に食いついて来た。
「あら大学生さんでしたか。いいねぇそういう思い出作り。私もそういう実のある青春を送りたかったよー。義務教育までしか受けてないけど。」
「そうでしたか、ではこの辺で…」
「いや、でももう帰ってしまうのは勿体無いなー。なんたってここザカールっつったら南にお魚北に牛とおいしいものがいっぱいの州じゃない?折角だからゆっくり腰を落ち着けてそういうもの食べて回ってもいいんじゃなかったのかなーって。」
「いや、ですから…」
「あ、でも最近このへんも物騒になったから、身の安全のためにはさっさと帰るのも仕方ないかもなー。押し込み強盗やら辻斬りやら…あっそうそう、今日なんか教会で付け火だそうで。そのせいで見回り強化だーってんで非番なのにこうやって夜回りに駆り出さたんですよ私。あーやだやだ。」
「……」
聞かれてもいないの勝手に自分で喋り出す州衛士に、ブリーズのみならず他の二人も辟易していた。しかも教会の火事を追っているということも当事者の神経を逆撫でする。ブリーズは目配せで仲間に意見を求めた。
その結論は「抹殺」であった。目の前のお喋りに対する鬱陶しさへの苛立ちという側面は少なからずあったが、だからといってそこまでは短絡的な結論というわけでもない。今は人の目の無い夜中、静かに始末すれば足もつくまい。大体自分たちは既に人を何人も殺している。公僕殺しは初めてにしても、これから王国相手にどでかいことをやらかすつもりなのだから、公権力の人間だからと尻込みする必要も無い。そっと頷いたブリーズは、目の前の男の話を聞くふりをしながら、気取られぬよう小声で詠唱を開始した。
「…アイスバレット!」
突然のブリーズの叫び声。同時に放たれる氷の弾丸。狙いは州衛士の心の臓。一間にも満たぬ間合いからの完全に不意を突く飛び道具。躱すことも防ぐこともおろか、普通ならまず反応すらできず何が起きたかすら理解できぬまま、どすっと鈍い音を立てて斃れるであろう一撃。
きぃぃぃん
しかし聞こえたのは肉を抉る鈍い音ではなく、美しさすら感じるほどの鋭い金属音であった。同時に氷の弾丸は綺麗に二つに割れ、あらぬ方向へと飛散する。マントに隠された左の腰よりた薄刃の剣を心臓の前に引き抜き、これに当たったのだ。氷塊を真っ二つにする切れ味の刃、それを実現する技量、何より瞬間の判断、そのどれもが常ではあり得ぬ。ローブの男たちはその現象を前に背筋が凍り付く思いをしていた。
「ダメだなァ…悪党を続けてェってんなら、もっとしらばっくれも上手くならねェと。俺の経験則だがな。」
先程まで緩い顔でひとり喋っていた州衛士の顔に、気が付けば深い闇が差す。明確な殺意を持った視線。自分たちも人を殺したことがあるとはいえ、明らかに格が違う。そのような殺戮者を目の前に、三人のローブの男たちは情けない悲鳴を上げながら三方散りじりに街中へ戻っていった。
「逃すわけねェだろ。」
州衛士マシュー・ベルモンドの背後から二つの影が飛び出し、それぞれが逃げ出した順路を追って行った。
「ちくしょう…なんだってんだ…」
真夜中の路地裏。丁度昼にロイドが隠れていたような袋小路にブリーズは身を隠していた。三人の中では一番大局を見て行動できる男ではあったが、州の外へと向かうつもりが街奥へ逃げてしまうというらしからぬ失態を冒した。今日二度も必殺の間合いを外されたショック、というよりは不意打ちを完全に凌ぐ見た目からは想像もできない達人二人の存在への恐怖が、彼を怯えさせている。そのような心持ちでは、悪手と分かっても奥へ奥へ逃げようとしてしまうのも無理からぬことなのかもしれない。
しかして彼は、三人目の達人に襲われることとなる。
三方を囲む塀の上には既にWORKMANギリィ・ジョーが陣取っていた。腕輪を長針に変化させ、頭上から隙を狙う。一瞬、にゃあ、と野良猫の鳴き声。恐怖に竦んだエルフの体がびくっと反応する。と同時に、ギリィが跳ぶ。
しかし恐怖に竦んだことが逆に警戒心を研ぎ澄ましたのか、ブリーズはこの頭上からの襲撃者の存在に気が付いた。
「あっ…アイスウォール!!」
咄嗟の詠唱、そして掲げた両掌より形成される防壁。厚さ20㎝はあろう氷の板が針を阻まんと立ち塞がる。しかし、このブリーズ会心の反応ですら、襲撃者を止めることはおろか驚かすこともできなかった。
ギリィは慌てず宙空で右手に持った針をナックルパートに変化させ、その右正拳で以て氷の板を砕いた。砕けた氷の礫が次々とブリーズの顔面に降り注ぐ。そしてその雹に混じって、再び変化した長針も額を目掛けて降って来た。固い頭蓋骨も意に介することなく通過した針は脳を貫き、次の瞬間には枝分かれして搔き乱す。柔らかな脳をグズグズに擦りつぶされブリーズはそのまま絶命した。あまりの咄嗟の事に、彼が死の間際三度目の恐怖を感じる事が無かったのは、せめてもの幸いだったのだろうか。
「こいつは持ってなかったか…」
「仕事」の後、ギリィはブリーズの死体とその荷物を漁った。しかし目当ての魔導書は見当たらない。ギリィは他の二人に後を託し夜の闇へと消えて行った。
一方、散りじりに分かれたファイアムは裏通りを肩をいからせながら早足で進んでいた。三人の中では激情家らしい襲撃者を威嚇するような態度。いや、あるいは恐怖を紛らわせるための虚勢か。
「怖かねえぞ!てめえらなんか怖くねえぞ!」
WORKMANリュキアはその背後を気取られぬようきっちり追う。彼女は仕掛けあぐねていた。ファイアムの虚勢に怯んだわけではない。問題はボルガンの魔導書だ。ページを開いた処女を贄として取り込む魔本。こちらの存在を感付かれ、それを盾にされてしまったらアウト。自分が13人目の贄となり、破壊魔法発動の手助けをしてしまう。それだけは避けなばならない。
そんな襲撃者の思惑など知る由もなく、ファイアムの足は裏通りを抜け本通りへと差し掛かろうとしていた。歩いてる人はいなくとも道沿いの家屋で眠る人は大勢いる。彼の虚仮脅しの叫び声で目を覚ます人がいればそれだけ仕掛けるのも難しくなるだろう。リュキアは意を決し、この場で始末をつけるべく黒糸を飛ばす。
「――――そこかっ!?」
これまた臆病さ故の警戒心が勝ったのか、普通なら闇に隠れて見える由もない黒糸にファイアムは反応し、掌より炎の奔流を巻き起こす。油でなめした髪の毛が元だ、炎に接触した黒糸はあっという間に引火し、暗闇の中に一筋の火の光りを描いた。
しかし、だからといって黒糸の飛ぶ勢いが死んだわけではない。その身を炎に包んだ糸はファイアムの首目掛けて巻き付く。しかも一向に燃え尽き灰になる気配が見えない。まるで何かの意志、あるいは怨念が地獄への道連れを求めるが如く。燃え盛る糸を無表情で絞り上げるリュキアもまた、同じ何かに突き動かされているようでもあった。
となると、たまったものではないのはファイアムのほうである。燃え盛る糸が首に巻き付き徐々に締まっていくのだ。首の周りが焼ける痛みと呼吸が奪われる苦しみを一度に味わう。しかも気道を潰され叫び声ひとつあげることもままならない。結果として、リュキアが完全に締め上げるよりも先に彼は絶命した。
ファイアムの命の火が消えると同時に、黒糸を包んだ炎も消えた。まるで何かの暗喩のように。後に残った艶を失った黒糸を眺めながら、リュキアは何かの物思いにふける。しかしすぐさま我に返り、死体とその荷物を漁った。彼女の警戒とは裏腹に、彼もまたボルガンの魔導書を持ってはいなかった。
ヒューズは頭を抱えていた。街の中央を流れる運河にかかる橋げたに隠れ、何故このようなことになったのかを考えていた。確かに順風満帆とはいかぬ計画ではあった。ロイドの逆襲に遭い一度魔導書を奪われ、大陸の南東くんだりまで行く羽目になった。それからもややあったもののなんとか魔導書を再び手に入れ、しかも贄も一人増やした。後はもう一人贄を手に入れ、王都に戻り騒動を起こすだけ。むしろ事態が好転した、と思った矢先にあの襲撃者だ。今日一日に起こった出来事の高低差に精神が揺さぶられ、不安定になっていた。
「そ、そうだ!すぐにでももう一人の贄を得て、ここで破壊魔法を発動しよう!この街ごとあいつを吹っ飛ばす、助かるにはそれしか道はない!」
ヒューズは急いでバッグからボルガンの魔導書を取り出した。元よりどの程度本気であったかは分からぬとはいえ、本来の目的を忘れ完全に自己の保身のために13人の処女の命を使おうとしていたのだ。
しかし今は深夜。何度も言うように人通りなど滅多にあり得ない。女性ともなれば猶更であるし、しかもそれが処女である可能性はさらに低まる。橋の下からわずかに行きかう人を観察していたが、大体が飲み屋帰りの中年男か、純潔とは程遠そうな商売女ばかり。ヒューズはどんどんと気をすり減らしていく。
待つこと数分、日付が変わる直前ぐらいの時刻であろうか、ヒューズの意志が通じたかのようにひとりの女性が橋を渡る。十代後半ぐらいの勝気な表情の少女。服装を見る限りどこかの使用人、しかもあまり裕福でない家の者だろう。この夜中に薪を背負い疲れを見せる薄幸そうな様からは
「おーい、どうしたんだこんな夜中に?」
「あ、主様。」
しかしヒューズの願いは叶わなかった。タッチの差ともいえるタイミングで、何やら主人と思しき州衛士が彼女を呼び止めたのだ。
「何って、薪の蓄えを切らしてることに気付かなくて、今ほうぼうを回って分けてもらってきたところなんですよ。さもないと明日の朝大変なことになるし。」
「お前ねぇ…こんな夜更けに年頃の娘の一人歩きは危険だからやめなさいっての。」
「でも朝もまだ寒いし、部屋を暖めておかないと主様布団から出てこなくなっちゃいますもの。それで遅刻されたら事ですので。」
「う、うぐっ…」
主人とメイドの主従だてらに隔ての無い会話。傍から見れば微笑ましい光景の筈だが、それを目の当たりにしたヒューズには、絶望を与えるに十分な瞬間であった。
―――主の州衛士、それはまさに先程自分に殺気を放ったあの男だったのだ。
「ともかくフィアラ、見たところ薪も十分だろうしもう帰りなさい。最近物騒なんだから。今日だって教会で付け火があったとか何とかで大わらわだったんだよ?そのせいでこんな急な夜回りも命じられるし…」
「はーい。じゃあ主様も、お仕事頑張ってくださいね。」
マシューに見送られ、フィアラは橋を渡りきり家の方角へと歩き去って行った。手を振り見送る主人の足元には「お仕事」の標的。ヒューズの心臓は破裂しそうなほどに脈打つ。
「―――それじゃあ、言われた通り『お仕事』頑張りますか。」
たっ、っと橋から飛び降り的の目の前に降り立つ。振り向き先程よりも鋭い眼光で見据えると、ヒューズは蛇に睨まれた蛙の如くに固まり口をパクパクさせるだけになってしまった。その右手にはボルガンの魔導書、マシューは察した。
「なるほどねェ。今あの娘っ子を13人目の贄にしようと目論んでたってわけだァな…なるほどなるほど。」
マシューの口調に抑揚は無かった。しかし、それが逆に相手にとっては恐怖を感じさせるものだった。
「いまいち気乗りのしねェ『仕事』だったがよォ、お陰様で今しがたやる気がこれまでに無いくらいに出てきたわ。いやァ、わざわざすまないこって。」
そして抜刀一閃。ヒューズの胸から腰にかけて斜めに赤い線が走る。遅れて憤血。斬った後の反応が遅れる、これまでに見せた事が無いほどの神速の斬撃。あるいはヒューズが万全で得意の魔法を使ったとしても阻めなかったかもしれない、電光よりも疾いのではと思わせる一閃だった。しかしマシューはこの会心の一撃に何ら余韻を味わくことも無く、ただボルガンの魔導書を無表情で拾い上げ、教会へと帰って行くだけであった。
翌日、神父の解呪は滞りなく成功し、12人の娘は解放された。事情も素性も特殊ゆえ真実を一から十まで話すことはできない。アンジュとラグナント州の娘たちには虚実織り交ぜ説明し、納得の上で帰ってもらった。
ただひとり、赤毛の娘を除いては。
「そうですか…兄は、逝きましたか。」
「ええ。魔導書を護り恩義ある者を助けようと、ファーグリズ家の名に恥じぬ最期でした。」
「いえ、擁護していただかなくても結構です。そもそもあれが騙されたりせねば起こりえないことでした。」
魔導書に吸い込まれていたロイドの妹は、事の仔細を話す神父に冷淡に言った。しかしその表情からは、言葉だけでは割り切れぬ感情が明らかに見て取れる。それがまた、傍らで眺めるカーヤの心を締め付ける。
「これからはどうされるおつもりで?」
「このようなことが二度と起こらぬよう、人の手の届かぬ地まで封じに行こうかと思います。それがファーグリズ家の意志であり、兄の遺志ならば…」
手にしたボルガンの魔導書をぎゅっと握り、悲壮な決意を目に湛えロイドの妹は語る。あるいは彼女自身、二度と俗世に関われない場所にまで行くつもりなのだろう。カーヤは何か言葉をかけてやりたかったが、何も言うべきことが思い浮かばず、ただ教会から去っていく彼女の姿を力なく見送るしかできなかった。
「のう、神父よ。もし儂があの時ちゃんとあの書を人の手の届かぬところに隠しておけば、このようなことにはならなかったのかのう…」
姿が見えなくなるまで見送った後、珍しく元気のない萎れた表情でカーヤは言った。
「さあどうでしょうね。貴女があの書を雑に扱い騒動を起こさねば、私もその存在に気付かずに解呪もしない、従って封じられた女性方は一生書の中、という事態も考えられます。そう考えれば、ロイドさんも己の命を懸けて彼女たちを救ったともいえるでしょう。そう思えば少しは救われたと思いません?」
「だ、だがしかし!」
「縁とは異なもの。因果の帰結など文字通り神のみしか知りえないでしょう。たらればなど語ってもキリがありませんよ?」
神父はカーヤを慰めた。いや、慰める意思などではなく、ただWORKMANとしての心得を語っただけなのかもしれない。だからと言ってはいそうですかで納得できる訳も無く、カーヤは未だそのことを引き摺ってるかのように悲しそうな顔をしている。
「…もし悪いと思うのなら、これからは心を入れ替えて真面目に仕事に当たって下さい。表裏問わずに、ね。過去は変えられないけど、未来は変えられるのですから。」
神父がそう言い終えた直後、見送った先の道から今度は逆にこちらに来る人影が見えた。遠目でもわかるどこかで見た感じの姿、そして聞き覚えのある声。それは、ついぞさっき説明を聞き帰って行ったばかりのアンジュだった。
「あーいたいたカーヤちゃん!すっかり忘れてたけど今週ピンチだから手伝ってもらおうと思ってたのよ!」
「うげっ!アンジュ!?」
「何よその露骨に嫌そうな声は?傷つくわぁ…って、冗談は置いといて、何だかよくわからないけど一日無駄にしちゃったみたいだし、いよいよ締切ヤバいのよ。だからこの通り!」
例によって男色絵草子の手伝いを頼まれるカーヤ。正直好ましい仕事ではないのだが、自分の過失でいらぬ騒動に巻き込んだのはロイドだけでなく彼女もであると思えば、罪滅ぼしの気持ちもある。そして何より―――
「うむ。わかった!このカーヤ・ヴェステンブルフト、精一杯手伝わせてもらうぞ!」
神父と顔を見合わせ軽く頷くと、カーヤは先程までの陰鬱な表情を一変させ快く仕事を承諾した。アンジュは喜び少女の手を引きさっさと去っていく。神父はその様子を柔らかな笑顔で、しかしどこか影の挿した視線で見送った。
(でも、この稼業に手を出した以上、地獄行きの未来だけは変えられそうにはありませんけどね…)
神父はアンジュたちの姿が見えなくなると、雲一つなく嫌味なくらいに真っ青な空を仰ぎ見て、そんなことを考えるのだった。
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