其の三

 港に軒を連ねるババール水産の本社屋、その一室にて社長のドーンは養生している。ベッドに臥せ衰弱したその体からは、全盛期に「海坊主」の異名で呼ばれたことがあるほどの豪傑の姿は見る影もない。むしろ痩せ細ろえ余った皮が、どれほど急に彼の体から筋肉を奪ったのかを物語っている。そんな体調だけに、身の回りの世話は使用人任せの寝たきり状態であるのもやむを得ないことだろう。


 こんこん、と戸を叩く音が響いた。同時に中にいる人間の返事も聞かぬままに男が二人、戸を開け部屋に入り込む。随分と横柄な来客のようだがそれもそのはず、この会社の後継者と名高い番頭のリオッタと主治医のマーカスである。むしろ使用人たちが何かを察し体質の準備を始めた。


「あ、番頭。もうお薬の時間でしたか。」

「ああ、そうだ。お前たちもご苦労だったな。」


 番頭よりねぎらいの言葉を貰うと、使用人たちはいそいそと部屋を後にする。戸の前では手代のギギルが彼女らを見送り、全員が出たことを確認するとそのまま戸を閉め守衛の如くその前に立ち塞がった。社内だてらに物々しい警戒っぷりだが、いち企業社長の生死に関わること、社員や使用人とはいえあまり外に漏れるようなことは好ましくない、というのがリオッタの主張であった。


―――尤も、天井裏に潜み聞き耳を立てるハーフリングに対しては何ら効果の無い警戒ではあったが。


「おお…リオッタ…今日も見捨てずに来てくれたか………」

「当たり前じゃないですか社長。さ、お薬の用意をしますので。」


 ドーンは二人の存在に気が付くと、ひゅうひゅうと気道を鳴らしながら弱々しい声を放った。リオッタは優しい面持ちで答え、マーカスは患者の上体を起こし薬を飲ませる準備をする。思いの外ありふれた看病の光景に、天井から覗くギリィもいささか拍子抜けするところだ。


「…世話してもらっているところ悪いが、ワシももう長くは無いだろうな…お前に残せるものもどれだけあるのやら…」

「何を弱気な。あなたがそのようなことを口にしていたら、今も必死に人魚を求めている我々の立つ瀬がないじゃないですか。」

「いや…人魚の生き胆などどれ程の効果があろうか…」

「社長、大切なのは『治る』という気構えです。そんな後ろ向きでは治るものも治りませんよ、ねえ先生?」

「ええ。」


 薬を飲み少し体が楽になったドーンだったが、気持ちまで楽になることは無かった。そのネガティブな発言をリオッタは否定し、人魚の生き胆に願いを託すように勧める。尤も、その肝を取らんとする人魚の正体は、患者がリオッタ同様に後継者として目にかけて来たカークが罠に嵌められた成れの果てなのだが。


「…いやしかしだ、聞けばカークも会社の金を盗んで逃走したというではないか…お前と同様我が子のように可愛がってきた者に裏切られた…それを思うととても前向きな気分などには……」


 などと言っていると、ドーンがまさにそのカークについて言及した。瞬間、リオッタの表情がぴしりと強張る。


「あいつについては私も残念だと思っていますよ。でも今更何を後悔してもしょうがないこと。忘れましょう、カークのことは。」


 しかしすぐさまその表情は元の憂いを帯びた笑顔に戻り、ドーンを諭す。そして患者が再び眠りにつくまで話し相手として付き添っていた。その一連の様子からは、カークに一服盛り海へと追いやったという卑劣漢の姿は見て取れない。また主治医のほうも、以前の錬金術師のように知った顔ではなく、やはり父親の差し金とは考え難い。よもやリュキアもマシューも一杯食わされて担がされたのではとギリィが思っていると、突然


どんっ


と鈍い音が天井裏にまで響いた。それは部屋から出たリオッタが憤怒の表情で壁を殴る音だった。


「…おいギギル、聞いていたか?『同様に我が子のように可愛がった』とよ…」

「へいリオッタ様。まったくとんでもない勘違い野郎でございまさぁね。」

「にわか成金の下民のくせに上から目線で私をあしらった挙句、下民の男と同列に扱うとは…耐え難い侮辱だ。」



―――実はリオッタは輝世暦前より受け継がれる土着の豪商の子孫であった。しかし彼の父がこの時代に不渡りを出し、リオッタも12という多感な時期にここババール水産へと丁稚奉公に出された。幸い商才に恵まれ、よき人柄で社長にも気に入られ、後継者と呼ばれる地位にまで上り詰めたのだが、落ちぶれたとはい名家の人間が貧乏網元出身の男の下で働くという屈辱は拭いきれぬまま。そしてその溜まりに溜まった屈辱という名のヘドロは、事ここに至りて吹き上がったのだ。



 無論、そのような事情を知らぬギリィにはこの豹変は一体何事かと思われたが、その後のリオッタの会話は彼の精神を心底驚嘆せしめた。


「まあいい。人魚、いやさカークさえ捕らえられればこの屈辱一度に晴らすこともできよう。おいギギル、町人たちからの報告はまだか?」

「へえ…それが未だに捕獲どころか情報らしい情報も…」

「まあいい。あの馬鹿が社長を見捨てて遠洋まで逃げるとも思えんしな。気長に待てばあるいは向こうから肝臓を差し出しに来るかもしれん。そしてまんまとその肝を社長が食らったのならば…


『お前が今食べた生き胆は、お前が可愛がったカークの肝臓だ』


と耳元で囁き、絶望に淵に落としてやろうぞ…ククク、そのままショックで絶命するかもなぁ…」


 先程までの好漢とは思えぬような邪悪な顔で、リオッタはほくそ笑んだ。「仕事」柄、様々な咎人を見て来た―――金に困って人を傷つける者、愛憎の果てに刃傷沙汰に発展した者、衝動で人を刺す者―――しかしそんなギリィですらも、その趣味の悪さと手口の残忍さはついぞお目にかかったことが無い。ぞくり、と背筋に怖気が走る。


「それにしてもマーカス殿には感謝してもしきれぬな。私がこうやって屈辱を晴らすことが出来るのもすべて貴方の持ってきた錬金薬のおかげなのだから。」

「いえいえ、私はあくまで道具を用意しただけ、きっかけに過ぎませんよ。すべてはお客様の創意工夫のなせる業…」


 錬金―――ギリィの耳にさらに衝撃的な言葉が聞こえた。


「常人なら毒を盛り老衰に見せかけてあの社長を殺すあたりの発想までが関の山ですよ。まさか生かさず殺さずのまま人魚薬をあんな手段として用いるとは…錬金術師としては駆け出しの私ですが、目から鱗でしたよ。」

「ハハハ、それを聞いて薬を売る貴方もなかなかのものですよ?」

「ええ。お客様の黒い欲望に応える、それが手前ども『曇一家クラウドファミリー』のお仕事ですから。ですのでこの一件だけと言わず、これからも是非ご贔屓のほどを。」


 頭を下げるマーカスの白衣の隙間から、胸元のワッペンがちらりと見えた。歯車を模した独特の紋、幼き日に本で見た先祖が組みしたという錬金術ギルドのマーク。曇一家クラウドファミリーなどという聞きなれぬ名前の団体なれど、この者が医者では無く父の下に就いた錬金術師であることはほぼ確定したと思って相違なかろう。それを目にしたギリィの心に殺気が灯る。


 しかしそれは潜入捜査という行為においてはあってはならぬ感情。こと手練れ同士の間では己の所在を晒すと同義であった。


「しかし気掛かりは人魚薬の効果だ。よもや時間で消えたりはせぬだろうな?」

「ご心配は無用です。時間で効力が消えるどころか、解毒剤すら用意はしておりませ―――」

「ん?どうした?」

「―――何奴っ!?」


 突如マーカスが鞄の奥から数本の鉄棒を取り出した。目にもとまらぬ手つきでそれらを組み合わせていくと、あっという間に一本の長鎗へと姿を変える。そしてそのまま間髪入れずに天井を貫いた。


ザクッ


 天井の裏から発せられる殺気目掛け鎗が飛ぶ。致命打は与えられなかったもののそれは確かにギリィの左腕を深く裂いた。こいつ、ただの錬金術師じゃねえ―――命は助かったががたまさかの反撃に虚をつかれたギリィは、鼠のように天井裏を這いほうほうのていで逃げ出すのだった。


 しかし驚いたのはギリィだけではない。


「マ…マーカスどの?一体どうなされた!?」

「うむ、ひょっとするとひょっとするが、今の会話聞かれたかもしれませんな。」

「ええっ!?」

「仕留め損ねた故何者の差し金かまではわからりませんが、警戒を強める必要はありそうですな。」





 さて、ギリィがからがら持ち帰った事の真相だが、それはリュキアの口からカークに伝えられた。リオッタの狂気的な計画、社長は彼らの手により衰弱させられたということ、そして自分の肝こそが社長を死に追いやる最後の一押しになるということ。WORKMANの同僚の協力については伏せつつも、すべて包み隠すことなく話した。そして美しき人魚の顔は悲嘆に曇った。


 翌日、今度は逆にリュキアがカークに岩場の竪穴に呼び出された。そこにあったのは彼女を待つ人魚の姿と、目もくらむような財宝の数々。さしものリュキアも目を丸くしている。


「ああ、これですか。いやものの話には聞いていたんですが、この辺りの遠洋には輝世暦以前に魔物に沈められた商船が今も眠っているって。こんな体になったのだからと半信半疑で探ってみたらなんとまあこの通り。」

「………それで、これをどうしたいの?」

「今回の手間賃として、貴女に受け取ってほしいんです。」


 リュキアは戸惑った。金が要らぬわけではないがそこまで執着するわけでもない。明らかにこの財宝は対価にしては多すぎた。


「………ダメ。こんなにも貰うほど私たちも力になれていない。」

「そんなこと言わず!こちらの気持ちの問題ですから!」

「………やっぱり無理。」

「いやいや!どうしても受け取ってもらわないと私の気が!」


 ダークエルフと人魚の奇妙な押し問答は数分続いた。勢い余って息を切らすほどに白熱していたカークだったが、やがて息を整え、真摯な瞳でリュキアを見つめ言った。


「ならば仕方ありません。あの教会のシスターである貴女に頼むのは心苦しいと思っていたのですが…」

「………?」


「どうしても受け取ってもらえないというのならこの財宝、噂に聞いたWORKMANへの依頼料として懺悔室にお納めください。そして万が一彼らが実在するならば、社長と私を貶めたリオッタたちにこの恨みを、どうか…」


 リュキアは心の臓を射抜かれるほどにびっくりした。まさかこの者の口からWORKMANの名が飛び出そうとは。表面上平静を装おうと努めるリュキアを前に、カークはひとりその心境を語り始めた。


「社長が生きるためならばこの肝臓捨てる覚悟もありましたが、むしろそれが死に追いやるための罠だとわかった以上、元には戻れぬこの体でここに留まる意味もありません。」

「………だとすれば、どうするつもりなの?」

「誰にも見つからぬよう人知れぬ遠い海の果てまで行こうと思います。ザカールに、いや人の世に戻るつもりもありません。あるいは隠された人魚のコロニーが存在するのなら、そこに厄介になりましょうかね、ハハハ…」


その笑い声はか細かった。


「そして世を捨てるならば、今更道徳に囚われることも無いでしょう。一般的には悪魔に魂を売ると同義の、WORKMANへの依頼も厭わない。ただ、同じく社長を尊敬する友と思っていたあの男の裏切り、その心残りさえ晴らしてくれるというのなら…」


 カークの頬に一筋の涙が光った。男の涙であるはずだが、その人魚の涙は真珠の如き輝きで、目の前のどの財宝よりも美しく見えた。人間世界への執着、罠に落ち老い先短いであろう社長への想い、友と言い切ったリオッタへの友情が反転した憎悪、あらゆる感情がないまぜになって現れた、そんな涙なのだろう。リュキアにはかける言葉が無かった。あるいは行動でしかこの涙に報いることができないと直感していた。





「まったく、独断専行はよしなさいとあれほど口を酸っぱくして言ったというのに…」

「………すみません。」

「だがよォ神父様、この依頼、断るって手は無ェよなァ?」


 その夜、王都から帰った神父は呆れ顔でその依頼のことを聞いていた。しかしマシューが言うことも否定しない。尊敬する社長に毒を盛り、自身も人魚に変えられ、挙句まとめて罠にかけ消されそうになった頼み人の恨みはよくわかる。しかもその裏には「虎」のギルドから忠告のあった錬金術師の影。加えて頼み料も高額となれば断る理由は無かった。そもそも、依頼を断ったのなら今ここにWORKMANが集められることも無いのだ。


「ではお願いします。的は、ババール水産番頭のリオッタとその部下ギギル。そして社長専属医、いやさ、『曇一家クラウドファミリー』の錬金術師マーカス…」


 マシューとリュキアは山に盛った財宝を手づかみし黙して霊安室を出て行った。しかし、ギリィ・ジョーだけは空の棺桶に腰掛けたまま動かない。左腕には包帯が巻かれ血が滲んでいる。マーカスより受けた傷は思いの外深かったようだ。


「代わりましょうか?」

「冗談言うなよ神父様。俺ぁやるぜ…」


 神父が声をかけるとようやくギリィは立ち上がり、歩き出した。一見、憎き父に組みする者に対する直情で動いているかと思われたが、神父は止めなかった。彼の瞳には、冷静さと確かな勝算が見えてきたからだ。





 夜9時、リオッタ達はようやく退社した。まだ陰謀を実行に移せる段階ではない、暫くは表向き人の良い後継者を装う必要がある。そういうわけで、この時間まで社長の看病をしてからようやく社を後にすることができたのだ。正門に鍵をかけ踵を返す三人、しかしその表情はようやく家路につけるといった安心感とは程遠い、険しいものだった。


「…ではマーカス殿、くれぐれもお気をつけて。」

「なあに、私にはこの鉄蛇鎗があります。そちらこそお気をつけて。」


 住処が反対方向のマーカスはここでリオッタ、ギギルと別れ港沿いの道をそれぞれ逆向きに歩き出した。彼らが警戒するのは日中屋根裏に潜んでいた賊。その所属や目的などはわからぬものの、自らの企みを確かに聞かれていただろう。となれば、一両日中に何らかのアクションが起こることは明白、いや、この帰り道にも何か起きるかもしれない。リオッタとギギルはそれぞれ前後を見回しながら歩く。


 帰路の右手には夜の大海原。秋深まり肌寒い海風がそちらから吹き込んでくる。その寒さと緊張で、後ろを見張っているリオッタがぶるりと震えた。今夜は新月、ふと海を見ると不気味なほどに真っ暗で、もしここに落ちたのなら二度と浮かび上がれないのではないか、そんな不安感をあおるようにぱちゃ、ぱちゃと気味の悪い水音を立てている。


―――しかしてその不安は現実となる。


 左の足首を掴まれるような違和感が走る。瞬間、その足は何やら得体の知れぬ力によって引っ張られた。体勢を崩し地に臥せたリオッタはその力の赴くままに引き摺り回される。


「!?お、おい!ギギル!助けてくれ…!」

「なっ!?リオッタ様!?」


 叫び声に気が付き、振り返り手を伸ばすギギルだったがいかんせん気が付くのが遅かった。既に上司は手の届く範囲にはおらず、ただ、亡霊めいた目に見えぬ力によって夜の海に引き込まれる姿が瞳に焼き付くだけであった。


 深い海の底でリオッタは溺れたかのように必死にもがいた。しかし足を掴んだ何かは浮上を許さない。一体何が自分の身に起きているのか、意を決し海中で目を見開く。光の無い世界で彼がうすぼんやり見たものは、半裸の女めいた人影だった。


(人魚………!?)


 リオッタの胸中に心あたる人物の顔が浮かぶ。しかしその可能性はやがて否定された。己が罠に嵌め人魚に変えたカークの姿は色白金髪の上半身、しかし目の前の人魚と思しきものは真黒の海に同化するように髪も肌も黒い。


(あいつじゃあない!?…誰…!?まさか…!?本物!?だとしたら何故!?)


 混乱する頭に疑問の嵐が駆け抜ける。しかし、酸素が供給されず次第に機能を低下させていく脳ではその回答を割り出すことは能わなかった。


 ダメ押しとばかりに、首周りにも左足と同質の力が加わった。その力は、肺の中にわずかに残った空気すらも塞き止め脳への循環を阻む。やがて、普通に溺死するよりもわずかに早く、リオッタはその水底で息を引き取るのだった。


 的の死を確認すると、リュキアは黒糸を回収し誰もいない沿岸まで泳いでから、ようやく海面から顔を出し息継ぎをした。心にしこりが残るたびに海で戯れる日々は、彼女に並々ならぬ肺活量を授けていたようだ。そして港へと上がると、水着姿のまま足早に夜の闇へと消えていくのだった。





「リオッタ様―!!リオッタ様―!!」


 一人残されたギギルは、夜の海に向かって叫び続けていた。目に見えぬ力によって海の底へと引き摺り込まれた上司。その一部始終を見た彼の心に嫌な可能性が思い浮かんだ。


―――魔物モンスター


 勇者アランによる魔王バルザーグ討伐により魔界も消滅、それに伴い316年経った現代まで魔物モンスターを目撃したという報は無い。しかしかの魔王の侵攻が残した爪痕は深く、誰しもがもう存在しないと思っていても心のどこかでその存在を信じ、畏怖している。そしてギギルの眼前で起きた光景は、その存在を匂わせるほどに不可解なものであった。


(よもや、海の魔物モンスターに取って食われちまったんじゃ…)


 ギギルの頭に空恐ろしい可能性がよぎる。次第に目には涙があふれ、上司を呼ぶ声にも力が籠っていった。


「なんですかなんですか!こんな夜中に騒々しい…」


 背後から呼ぶ声が聞こえた。そりゃこれだけ大声でわめいているのだ、誰かが気になって駆け付けにも来るだろう。ギギルが振り返ると、そこにはおあつらえ向きに州衛士が立っていた。沿岸の夜回りなのだろう、冷たい海風にやられぬようにマントを羽織った州衛士に、ギギルは助け船を求めるがごとくわっと掴みかかった。


「ああっ!しゅ…州衛士さま!?魔物モンスターですよ魔物モンスター!!」

魔物モンスター?このご時世に一体何を言ってるんです?酔ってるんですか?」

「酒なんか飲んでねえよ!今この道を歩いていたら突然、連れだって歩いていたリオッタ様が見えねえ何かに捕まって、海に引き込まれたまま帰ってこねえんだよ!本当だって!信じてくれよ!!」

「まったく、魔物モンスター魔物モンスターって、あんたねぇ…」


 ざくり


 州衛士の呆れ声が聞こえるや否や、ギギルの頭頂が割れ血が顔面を滴った。マントに隠したサムライソード抜刀から上段振り下ろしまでコンマの世界の出来事、WORKMANマシュー・ベルモンドの為せる技である。


「あんな趣味の悪い計画立てる手前ェらのほうがよっぽど魔物モンスターだろうがよォ…」


 マシューの絞るような声が耳に届いたのかはわからない。ギギルはただ、白目を剥いたまま背後に倒れ、その身を海に投げ出した。やがて探し求めた上司の待つ海底へと着くことだろう。その様子を一瞥すると、マシューはサムライソードを空振りし血をぬぐい、鞘に納刀してそのまま何事も無かったかのように歩き出すのだった。





 一方反対方向に歩き出したマーカスは海沿いを離れ、街外れの平原に出ていた。市街から離れた掘っ立て小屋が今の彼の住処。帰路を行く彼の心境は、ついぞ先程「仕事」にかけられた二人とは違い、ある種の充足感に満ちていた。


 思い返すのは今回のクライアントであるリオッタの事。自らが並べた商品のラインナップを見て、ただの毒殺では無く、手塩にかけた部下の身肉を食らわせて失意のうちに死を与えようというアイデアに行きついたある種のセンス。趣味の悪い策謀だとはマーカスも思ったが、だからこそ手ごたえを感じた。


―――あれこそが、我らの首領マスタージューロ・ジョーが求める「蛮族に相応しき下劣な魂」だろう


 新参の自分にはそれが如何な目的のために求められているのかはいまいちわかりきっていない。しかし、その言葉面に合致するリオッタの人間性は首領マスターを喜ばせるに足るものの筈だ。およそ初仕事ではあったが、大収穫と言っても過言ではないだろう。組織内での覚えも良くなることだろう。その先に待つ明るい未来を思い、マーカスの口角は少し緩んでいた。


 それが油断と見たのだろう、道端の樹上に隠れていたギリィが的へと跳びかかる。しかし、ケガのせいでいつもの調子が出なかったせいか、錬金術師離れしたマーカスの反射神経が凄いのか、ともかくそのアタックは不発に終わった。今度は白衣の下に仕込んだ鉄棒をやはり早業で組み立て、自分目掛けて飛んでくる肉弾をその背で撃ち落としたのだ。腹をしたたかに打ち据えられたギリィだったが、すぐさまに息を整え的に対し構える。


「その手にした長針、噂に名高き『意志ある金属』…成程、貴方が話に聞いていた首領マスターの御子息か。」


 マーカスも槍を構え、突如襲い掛かった暗殺者を相手取る。と、そこでその得物を見て何かに気が付く。


「先行してザカールに入っていたジャレッド先輩とニーギス先輩は貴方の復讐に遭い消された、という風の噂はどうにも本当のようですな。」


 ギリィは黙して答えない。実際その風の噂も半分は真実で半分は誤りであった。


「おっと、我らが首領の御子息だというのに自己紹介がまだでしたね。私はマーカス。貴方がお父上の下を離れられたあとにあのギルドに入った者です。」


 マーカスは槍をくるくる回し一礼して名乗った。ギルドマスターの息子に対するにしては慇懃無礼、ある種の挑発めいた態度。しかしギリィはまだ黙して動かない。


「手前、見た目通り長命のエルフでして、輝世暦以前より傭兵・冒険者を生業としておりました。無論、魔王バルザーグの手勢の魔物モンスターともやりあった経験がありますよ?」


 彼の錬金術師らしからぬ鎗捌きにはそういう理由があった。そしてその態度には余裕が見える。自分は戦乱の時代に実戦を積んだ鎗術家、不意打ち専門の暗殺者と正面切って戦えば負けるはずはないと暗に言っているのだろう。ここまで小馬鹿にされても、普段血の気の多いはずのギリィはやはり動かなかった。


「しかし今の平穏な世では退屈で退屈で腕の振るいようも無い。そんな折、『この平和な世の中に陰りを与え騒乱の火種と成す』と標榜する貴方のお父上のギルドの存在を知りましてね、すぐさま弟子入りを志願しましたよ。かつての騒乱溢れ、腕を見せつけることのできる時代を取り戻したくて―――」


 未だひとりごちて語るマーカスの話途中で、ついにギリィが仕掛けた。使い物にならない左腕はだらんとさせたまま、右手に握った長針を突き出しての突進。足の速いハーフリングならではの速攻であったが、それですらマーカスの掌の上だった。


「あるいは貴方を連れ帰れば首領マスターへのいい手土産になったのかもしれませんが、仕方ありませんね!」


 まっすぐ突っ込んでくるギリィに対しカウンター気味に槍を突き出すマーカス。狙いは心の臓。速度、タイミング、リーチ、いずれをとってもギリィの比ではなく、必殺は免れぬものだと思われた。


 しかし、ギリィは槍の穂先が障るか触らないかのギリギリで足を止めていた。一歩間違えばそのまま串刺しの危険伴うチキンレースめいた停止、それを制したのだ。そしてすぐさま長針を環状に変化させ、何を思ったのか目の前の槍の穂先にぶら下げた。



―――重い!?



 マーカスは驚いた。既に重量を誇る総鉄製の鎗の先に、本来腕輪程度の大きさしかないであろう金属が吊り下げられたとしても、さほど重みを感じることは無い筈である。しかし確かに重みを感じる。しかも腕が耐え切らずに槍の先が徐々に下がるほどに、だ。


 その驚きは、今度こそ致命的な隙となった。ギリィは一気に間合いを詰め、懐に入り込むどころか背後に回り込む。しかして得物は槍の先に預けたまま、右手は無手、左手も動かぬ状態。それで目の前の歴戦の戦士を殺すことなどは不可能と思われた。


 ギリィはマーカスの背中に跳びかかり、背後から右腕一本で首を極める。ようやく我に返ったマーカスは、ハーフリングの小さな腕一本で締め付けられたとてすぐに振りほどけるだろうと考えた。



しかし、振りほどけない。



 まるで万力のような締め付けが首に加わる。この細腕のどこにそのような力があるというのか、いよいよマーカスは槍を手放し両手でそれを引きはがそうとした。しかし、その右腕に触れた瞬間に、嫌な思い出がフラッシュバックする。大陸南方に生息する、水牛を絞め殺して丸呑みにすると言う大蛇、その討伐任務にてそれに触れたときと全く同じ筋肉の張りが感じられた。



 超重量を誇る腕輪とはめたまま日常の生活を送るうちに、ギリィのその右手はそれ程までに強くなっていたのだ。



 畜獣ですら逃れられぬほどの拘束をエルフが解ける道理などは無い。みちみちみち、と筋肉が隆起する音が耳に入り、絶望感を煽る。やがて、ぼきり、と鈍い音が夜の平原に響いた。同時にマーカスの体から血の気が引く。ギリィの右腕は、窒息させる前にその者の首の骨を砕いてしまっていた。


「へっ…どうだ、未だ『仕事』でも見せたことのねえ俺の隠し技…てめえにゃ勿体ねえが冥土の土産だ、持っていきやがれ…」


 右腕を解くと、先程まで力いっぱい抵抗していたはずのエルフは、糸の切れた操り人形のように、関節を無視しぐにゃりと倒れた。その様子を、ギリギリの戦いを制したギリィは息を切らせながらじっとりと眺めていた。「この平和な世の中に陰りを与え騒乱の火種と成す」曇一家クラウドファミリー…一体父は何を企んでいるのか、仕事の充足感以上にそんな得体の知れぬ不安感がギリィの心を覆うのだった。





 翌朝、リオッタとギギルの土左衛門が引き上げられた。検死の結果、州衛士隊が出した結論は「帰り道に足を滑らせ海に落ち溺れ死んだ」ただそれだけの単純なものだった。そして出資者が死んだことによりババール水産が掲げていた人魚の懸賞金は消滅。二日も経たぬうちにザカールを狂乱に巻き込んだ人魚騒動は、まるで元から何も起こらなかったかのように落ち着いた。


 その一方で、WORKMANたちの心は落ち着きとは無縁の感情に包まれていた。最早来訪者など居なくなった岩場に佇むリュキア、父の陰謀を思い心乱れるギリィ、そして程なくして亡くなったドーンの遺体を弔う神父。喪失感・焦燥感・無常感…三者三様の後味の悪さを味わっていた。


そして、マシューは…





「フィラちゃん~、そっちは見つかりましたか~?」

「ダメですわお姉様、まったく、どこに仕舞ったのやら…」


 今日も今日とて慌ただしいベルモンド家の朝。しかしこの日は少しその慌ただしさの意味が違っていた。屋敷じゅうをひっかきまわし何かを探すメイド姉妹。珍しく普通に起床したマシューも何事かと目を丸くしている。


「おいおい、今度は何の探し物だよ?人魚の賞金はお流れになっただろうに。」

「あ、主様おはようございます。いや、ちょっと探し物で…」

「主様はご存知ありませんでしたか~?大主様とお父様が愛用していた猟弓~。」


 今度の探し物は猟弓だった。さて何のためにそんなものが必要になったのか、マシューに嫌な予感が過ぎる。フィアラはデジャブめいて今朝の朝刊を差し出した。そしてそこに大きく書かれていたことには


『北の山中にモケーレムベンベ現る!捕獲者には金800万ギャラッド進呈! カニラ林業』



「…で、今度はこれを捕まえようと?」

「ええそうですよ!なんたって800万ギャラッドですよ!?前よりも300万ギャラッド多いんですよ!?それだけあったら我が家の家計もどれだけ助かることか!主様の安月給でやりくりするのももう限界なんですよ!?」


 相も変らぬメイドたちの姿に、マシューはただただ呆れるのだった。

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