其の二

「ああーもうっ!やってらんねェぜ、まったくよォ!」


 ぬるめの茶を飲み干し、マシュー・ベルモンドは大きな声で毒づいた。昼下がりの教会、いつものようにサボりにきた「仕事」仲間を迎えた神父は、いつも通りのアルカイックな笑みでその様子を眺めていた。


「仕事は増えるわ、隊長もピリピリするわ、うちのメイドどもも馬鹿みたいに騒ぐわで百害あって一利も無ェ。いっそ誰でもいいからとっとと人魚でも捕まえてこの騒動終わらせてくれねえもんかねェ。」

「おやベルモンドさん、誰でもいいからとは無欲なものですね。500万ギャラッドですよ?できればご自分で捕まえようとか思わないのですか?」

「今は金より平穏が欲しいや。」


 彼が荒れる原因はもちろん人魚騒動と、それに端を発する港湾の監視作業である。懸賞金の発表からもう3日も経ち、未だ新たな目撃情報すら無いというのに、人魚捕獲に燃える市民の数は減る様子を見せない。ババール水産、ひいては現時点でのそこの責任者リオッタが民衆を煽るのが上手かったということではあるのだが、それはそれで人魚などという不確かな存在をあたかも捕獲できる公算があるかのように喧伝するのも解せぬところではある。ともかく、ザカールの沿岸部は未だ冷めやらぬ興奮に包まれていたのだ。


 となれば、そこに度を過ぎた者がいないか取り締まるのが警察機構たる州衛士の仕事。しかし降って湧いたこの急な仕事は平常のシフトを大きく乱した。比較的仕事量の少ないデスクワークの担当から数名かいつまんで割り当てられるのだが、その内容は海沿いの端から端まで歩いて見て回るという内勤とは比べ物にならないハードワーク。しかも相手は一攫千金を夢見る欲深な連中だ、実際に事件事故の起きる率も半端ではない。更には見回りルートが定められているから、普段の市中見回りのように行く道を誤魔化してサボるなどということもできない。そんな逃れられぬハードワークからようやく解放され、虎の子の市中見回りの時間を利用しこうして丘の上の教会でクダを巻いている、というのが今のマシューの状況である。


「大体俺みてェな小兵にやらせる仕事じゃねェだろあんなもん。熱くなったオーク同士の喧嘩なんか止められるかってんだよ。ほら見てくれよとばっちりで受けた青あざ。」

「ははは、それは災難でしたね。しかし逆にいい『証し』になったんじゃないですか?」


 脛についた打撲の痕を見せながらマシューの愚痴は続く。青く腫れ上がったそれを見て神父は苦笑しながら言った。


「どういう意味だよそりゃ?」

「きちんと表仕事をしているという証明になる、ということですよ。私どもの『仕事』にも貴方がもたらす州衛士の情報が有用だというのに、今のようにあまり不真面目を晒してクビを切られては元も子もないですからね。」

「へっ、言ってくれらァ。」


 理由を聞いたマシューは鼻で笑った。と、同時に神父は目の前の茶器を片付け始める。


「さて、私もこれから表仕事のほうの用事がありましてね。中央王都の正教会まで行かねばなりません。今から二日ほどここを空けますので、ベルモンドさんもその間表仕事のほう、せいぜい頑張って下さい。」

「大きなお世話だこの野郎…っておいおい、聞いてねェぞそんなこと。」

「今初めて言いましたから。ああそうそう、表仕事を真面目にやるのは勿論のこと、『仕事』のほうもくれぐれも独断専行などなさらぬよう…」

「へいへい、心得ておりますっての。」


 程なくして神父はあらかじめ用意していた手荷物を抱え、貸し馬車で王都へ向けて出発した。マシューは思いがけず彼を見送ったあと、これ以上ここに長居は無用と来た道を戻ろうとする。瞬間、背後からぬんめりとした気配と共に何者かが彼の肩を掴んだ。


「………ちょっといい?」

「うおっ!?何だリュキアかよ驚かせやがって…珍しいなお前のほうから用事って。」


 マシューを呼び止めたのはここの修道女でもあり「仕事」仲間のリュキア。存在を忘れていたわけではないが、普段ならどうせ声をかけても無視か祖っ気の無い返事しか返ってこないので今日は一言も言葉を交わさずに帰るところであった。それが向こうから話しかけてきたのだ、びっくりするのも無理はない。


「………アンタ、人魚騒動を終わらせたい?」

「何だよ。さっきの話聞いてたのか。ああそうだな、この騒ぎが一日も早く落ち着いてくれって願ってやまねェわ。」

「………500万ギャラッドも要らない?」

「いや金はあるに越したことはねェけど、まあ、それはそれこれはこれって感じだな。」

「………じゃあちょっとついて来て。」

「いや、ついて来てって言われてもわけがわからな…ってオイ!?」


 要領を得ない問答の後、リュキアは何も分からぬままのマシューの手を引き、丘の上の教会を後にするのだった。





 リュキアたちが向かった先は東の断崖へと抜ける洞窟。昼間でも光刺さぬ薄暗い道を、革鎧の州衛士を引き摺りながら修道女が進む。傍から見たら中々に奇妙なシュチュエーションであるが、実際に手を引かれるマシューはもっと奇妙な感覚を覚えていた。何がどうなってこんな状況になったのか、そもそもあの娘がこのような積極的な行動に出ること自体が稀だ、理解の追い付かぬままただされるがままであった。


 やがて前方に光が見えた。そこを抜けると目前には大海原。生まれ落ちて20年ここザカールで暮らしてきたマシューもこの場所の存在は知らなかったようで、素直に驚きの表情を見せている。


「………おーい!呼んできたよー!おーい!」


 と、ここで突如としてリュキアが叫び出した。普段から囁くような小声でしか喋らないというのに。しかも人の気配など感じられぬ海原に向かって、である。何やら嫌な連想をしてしまい、マシューは怪訝な顔になるが、無論そういうわけではなかった。


 突然、凪状態の水面に飛沫が立った。何事かとマシューが目で追うと、それはどんどんとこちらに近づいてくるではないか。そしてついにはこちらの岩場手前でいっとう大きな飛沫を上げて、その物体が姿を現した。


「マジかよ…」



 マシューは絶句した。今彼の目の前にいるのはザカールを騒がす興味の対称、500万ギャラッドの価値ある貴種、そして彼の目下の悩みの種―――そう、人魚だったのだ。



 美女の半身に魚の半身、伝説や御伽噺の中でしか聞いたことの無い生き物が、実際に目の前にいる。それだけでも十分に驚愕に値するというのに、どうもその幻の存在はリュキアの呼びかけに答えてこちらにやって来たようであった。ますますもって訳が分からぬと目をぱちくりさせて困惑するマシューをよそに、リュキアと人魚はごく自然に話し始めた。


「ええっと…リュキアさん、助けになってくれる人がいると仰られていましたが…こちらは確か州衛士のベルモンドさんでしたよね?」

「………うん。大丈夫、あなたが思ってるほどコイツも使えない男じゃないから。」

「いや!?そういう勘ぐりじゃないですよ!?…あっどうも、ベルモンドさん。お気を悪くしたのなら申し訳ありません…」


 澄んだ美しい声で人魚は話す。伝承によればその歌声に心奪われた船頭が舵取りを忘れしばしば座礁を引き起こしていた、というのも納得できる美声であった。しかしその声とは裏腹に、語調は妙に俗世じみているというか、まるで商売人のそれである。しかもマシューを知っているかのような口ぶり。いよいよもってわけがわからない。


「その、初対面どころか幻の生き物に気さくに話しかけられても、私もどうリアクションしていいものか…」

「ああ、そうですね。この姿では気付けないのも無理はないですよね、失礼しました。では改めまして…僕はカーク、ババール水産の番頭をしていた者です。」


 その言葉を聞いたマシューは、そっとちょうどいい大きさの岩場に腰を掛け、大きなため息をひとついて空を仰ぎ見た。最早あれこれ考えるのも億劫といった風情である。まあ無理からぬ話である。500万の懸賞金がかかった人魚と、その胴元から金を横領して夜逃げした犯人。種族・性別、何から何まで違う二者が同一人物と名乗っても誰が信じようか。


「………大丈夫。本当に本人。私が保証する。」

「お前マジでふざけんなよ?カークさんのことは元よりよく知ってるし、今も手配書で嫌というほど顔も拝んでるんだ。顔もガタイも結構良いお兄さんだよ?それが何で女に、いや、それどころか人魚になってるんだよ!?」


 ババール水産の後継者候補カークは気のいい男であった。普通の大店なら下働きに丸投げするであろう州衛士の見回りも、わざわざ自分で対応するぐらいである。ゆえにマシューも良く知った人物であり、彼が会社の金を持ち逃げして姿をくらませたと聞いた時はにわかに信じがたいと思っていた。それがどうしたことか、性転換し人魚と化したなどとは。まあ確かに、姿形を変え海中で生活していれば捜査の網にかからないのも得心はいくのだが、何故そうなったのかがわからねば納得など出来ようはずもなかた。


「それについては僕自ら説明しますよ。言っても信じてもらえるかはわかりませんが…」


 カークを名乗る人魚は、その最大の謎についてとうとうと語り始めた。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






 時はババール水産社長ドーン・ババールが病床に臥してから一週間後のある夜に遡る。彼の生きざまに惚れ入社し、そして彼の手により後継者として見出されていたカークは気が気でない日々を送っていた。尊敬し敬愛する社長にちらつく「死」の文字は彼の心を乱す。


そんな折、同じく後継者候補と言われた同僚リオッタに夕食に呼ばれた。無論、本筋は食事では無く今後の身の振り方を話し合いたいのだろう。カークはその夜、リオッタの待つ完全個室性の会員制レストランへと足を踏み入れた。


「これはこれはカークさん。ささ、リオッタ様がお待ちです。」


 リオッタの腰巾着とあだ名される手代のギギルに手荷物を預け、部屋に入る。そこには、手つかずの前菜とリオッタが彼を待っていた。


「やあカーク、遅かったね。悪いが先に酒だけは開けさせてもらったよ。」

「いや、構わないさ。」


 真っ赤なワインの入ったグラスをくゆらせながらリオッタが声をかけた。そしてカークが席に着くと、もう1/3ほど減った瓶の中身を空のグラスに注ぎ手渡した。そして互いに中身の入ったグラスを軽くぶつけ挨拶程度の乾杯を済ますと、手つかずだった前菜に手を伸ばす。


「主治医のマーカスも言っていたが、社長はもう駄目かもしれん。辛いかもしれないが、覚悟だけは決めた方がいいだろうよ、カーク。」

「頭ではわかっているさリオッタ。でも僕にはまだそこまでの割り切りはできないんだ。」


 互いに前菜を片付けたあたりでリオッタが話を切り出した。しかしカークの返事は実に浮かないものだった。


「まだ社長には教えてほしいことが山とある。それも覚わらぬうちにババール水産の跡を継ぐなんて僕にはとてもとても…」

「それは後継者レースから降りる、ということかな?」

「そんなことはないさ。でも、お互い今の未熟なまま会社を任されても社長の顔に泥を塗るだけ、それだけは避けたい…ああ、社長が回復するならどんなことだってするのに…」


 前菜に代わって運ばれたスープを口にし、カークはため息交じりに漏らした。あるいはこの時対手を見ていれば、その邪悪な企みを秘めた笑みに気が付けたのかもしれない。そしてリオッタは、我が意を得たりとばかりに言い放った。


「…マーカスも言っていたが、まるで手が無いというわけでもないんだ。『人魚の生き胆』―それがあればあるいは…」

「『人魚の生き胆』って…そんなものは迷信だろ?今日の今日まで不老不死を得た人間なんていなかったじゃないか。」

「大切なのは信心さ。不老不死を与える食物を食った、という事実が本人に再び生きる活力を与え、快方に向かうようになるかもしれない、とさ。」


 所謂プラセボ効果というやつであろう。主治医マーカスの提案に疑念は持たなかった。しかしそれ以上に、もっと現実的な問題が目の前に立ち塞がっていたのだが。


「そうは言うが、肝心の人魚はどこにいるって言うんだよ?そもそも幻の存在を食べさせるってことが矛盾しているよ。」

「いいや、幻なんかじゃない…存在しているのさ、私のすぐ目の前にな…」


 リオッタが意味深な言葉を呟くや否や、カークの体に過剰な熱気が走った。身を焦がすような熱さ。己の細胞全てが蠢き、変質していくかのような感覚。


そしてそれは感覚だけでは無かった。澄んだコンソメスープに映った己の顔からは男らしい精悍さが失われ、女性のようなたおやかさをたたえ始める。手の平を見れば、日々の仕事ですっかりごつごつになった指がまるで白魚のように細くすらっとなっていく。そして何より異常を感じるのは下半身、まるで二本の足が一本に束ねられるかのように次第に自由が利かなくなってきていたのだ。


「あ…熱い…!リオッタ!?これは一体!?」

「凄いだろうカーク?これが御伽噺でよく聞く人魚薬の効果さ。マーカスにこんなものを作る腕があったとは私も驚いているよ。」


 人魚薬。人間と人魚の恋愛を描いた御伽噺にはつきもののアイテム。人を人魚に、人魚を人に返る秘薬。地上と海という生活圏の壁を越え一緒に暮らすため、作中の登場人物はこぞってこれを求めたがる。その結末がたとえ悲劇的なものだとしても―――


「なっ…!?じゃ、じゃあまさか僕の肝を抉り取って社長に…?」

「言っただろう?『社長が回復するならどんなことだってする』って。」


 カークの言葉じりを捉えたリオッタは、悪意と狂気に満ちた表情で答えた。当のカークの頭には、生きたまま肝臓を切り取られるという恐怖でいっぱいだった。このままではまずい、なんとかせねば―――彼はまだ肉体に男性的な力が残っているうちに、扉を蹴破り逃げ出そうとする。


「逃すなよギギル!」


 上司の命令を受け手代のギギルがカークを止めに入った。しかし、人魚薬の効果が表れるのが思いの外遅かったせいか、あるいは必死状態での火事場の馬鹿力なのか、自由の利かぬ体なれどカークはその制止を振り切りレストランの外まで突破する。失態を取り返さんと焦り追うギギル、そしてさらに後から追従するリオッタ。


 その混乱と狂乱のチェイスは、なんとかカークの勝利に終わった。港まで逃げ切った彼は、半分人魚と化したその体のまま海に飛び込んだ。初めは混乱と熱気で溺れかけたものの、人魚化するに従いその体はどんどんと海に馴染み、ついには普段よりも速く泳げる肉体に定着、そのまま人の手の及ばぬ海域まで逃げ切ったのだった。


 一方、カークを逃がしたリオッタたちは彼の退路を不作べく暗躍した。夜逃げをでっちあげ公僕に指名手配させ、また漁師の噂話を元に人魚、すなわちカークに懸賞金をかけた。そんな二重の包囲網の中、夜の海にたゆたうリュキアの姿を目撃し、彼女に助力を求め―――





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







―――そして、今に至るというのだ。



「いやあ、あの夜にリュキアさんとあんなところで出会えたのは僥倖でしたよ。それに少し役得もありましたし…」

「………それは秘密の約束。」

「何やってたんだよ、お前?」


 深夜に全裸で海に浮かぶことが趣味とは、「仕事」仲間には口が裂けても言えぬことだ。特にマシューには、知られればどう弄られるかわかったものではない。念を押してカークのの口を封じた。


「………気にしないで。とにかくこの人魚は彼しか知りえないことを知っていた。九分九厘本人で間違いないと思う。」

「本人しか知らないこととは?」

「………教会への寄付金の額。」


 またカークは信心深い男でもあった。幼い、貧しい頃には祈りをささげることしかできぬ境遇を苦々しく思っていた。日の出の勢いの新興会社で番頭にまで上り詰めた時、その鬱屈した思いを晴らすかのように、国教ガリア教関係への寄付を惜しみなく振りまいた。リュキアの属する丘の上の教会もその恩恵にあずかっていたようだ。


(………彼には経済面で世話になったから、なんとかしてあげたいと思う。)

(お前案外律儀というか、金の礼で事を起こしたりする奴だったのな…)


 無感動無表情キャラだと思っていた同僚の意外な一面を耳にして、またもや驚きを隠せないマシュー。しかし彼にとっても確かにこのカークの件はどうにかしたいところではあった。何せ相手は表仕事で追っているお尋ね者ということになっているのだ、功名心が首をもたげるのも仕方がない。上手く転べば手柄になるかも、という皮算用が湧き上がる。


「で、助っ人として呼ばれた私は何をしたらいいのかね?元に戻る方法を見つけて冤罪を証明すればいいのか、リオッタ氏の陰謀を暴けばいいのか。」

「いえ、そこまでしていただかなくても結構です。ただ、社長の容体を随時知らせていただければ。」


 助平心が見え隠れするマシューの問いかけだったが、カークの返答は実にささやかなものだった。出鼻をくじかれ、マシューの額に汗が流れ落ちた。


「い、いやねカークさん、あんたライバルに罠に嵌められて会社の跡目を継げなくなったばかりか殺されかけたんだろ?それなら仕返ししてやるのが常道ってもんじゃ…」

「確かにリオッタのしたことは個人的には許せません。でもそれも社長の回復と引き換えだというのなら、その悪意も必要悪として了承するしかありません。」

「えぇ…」

「あの夜は恐怖と混乱で思わず逃げてしまいましたが、本当に社長が助かるのならば、この肝臓この命、投げ出す覚悟も出来ています。」


 「恨み」の感情に基づく「仕事」を営むWORKMANにはにわかに理解しがたい感情だった。いや、現代人視点から見てもかなりずれた発想だと言わざるを得ないだろう。彼の社長に対する忠義心は、やや狂気に寄り過ぎているのかもしれなかった。


「まあ、アンタがそれでいいならそうするけど、こっちはこっちで勝手に調べさせてもらいますからね。何せ人魚薬なんて危険な代物だ、市民の間で悪用されるようになったら事ですので。」

「ええ、それはそれで構いません。どうもお手数をおかけします。」


 人魚という伝説存在に似つかわしくないお役所仕事的なやりとりの後、マシューとリュキアはカークと別れ帰って行った。例によって無表情なリュキアとは対照的に、マシューは未だ現実とは思えないような状況を訝しみ、眉間に皺を寄せながら歩いている。


(そもそも、本当に人魚薬なんてもんが実在するのかねェ…)





「あるぜ、人魚薬。少なくとも俺はこの目で見たことがある。」


 ハーフリングの男は手作業をしながらこともなげに答えた。しかしその瞳からは確かに心理的な動揺が見て取れる。リュキアから紹介された今度の件、折角だからと「仕事」仲間のギリィにも手伝ってもらおうと彼の店を訪れ事の仔細を説明したマシューは、その返答に嫌な予感を覚えた。


「見たことあるって…そりゃアレか?錬金術関係でか…?」

「ああ、実家にいたころ親父の研究室ラボで見かけた。実際に使ってる所は知らねえけどな。」


 御伽噺にその名を見かける人魚薬は、錬金術師の手によって創作の存在ではなくなっていた。そして錬金術という言葉が、二人の心に大きな影を落とす。かつて手にかけたハーフリングの錬金術師二人、西より来訪したWORKMANニースの「錬金術ギルドに気を付けろ」という進言…この事件はただの会社の跡目争いだけでない、もっと大きな陰謀がこの背後で蠢いている、そんな予感がしてならなかった。


「俺の知る限りじゃ、あの会社にお前ェの知り合いらしいハーフリングは在籍してねェと記憶してるが?」

「俺が出てった後に親父に師事した奴がいるのかもな。てなわけだクソ役人、この件に俺も首を突っ込むぞ。社長さんの容態確認も含め、ババール水産を見張るのは俺に任せろ。」

「…言うまでもねェだろうが、私情を押しすぎんなよ。熱くなればミスに繋がる、そしてミスが繋がれば―――」

「言われるまでもねぇ。」


 ギリィは手作業を止め、日も落ち切らぬうちに店を閉めた。店主が如何なる用でどこに行ったのかは言うまでもないだろう。


(『仕事』のほうもくれぐれも独断専行などなさらぬよう…)


 神秘の忠告も空しく、リュキアのたまさかの親切心から始まった一連の事態はいよいよもって深刻なものへと発展していった。

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