第349話 死神ちゃんと妖精(?)④

 その薔薇の香りがほとばしる鼻歌が、速度を上げて死神ちゃんへと近づいてきた。鮮明に聞こえるようになるにつれ、死神ちゃんはまるで呪いにでもかかったとでもいうかのように苦悶し、体を痙攣させた。――できることなら、この場からすぐにでも逃げ去りたい。そう思っても、不幸にも鼻歌の主が〈担当のパーティーターゲット〉なのだ。死神ちゃんに逃げ場などなかった。

 そうこうするうちに、けばけばしい色合いのバレエのチュチュのようなもので身を包み、ハリボテ感満載の羽を背中に背負った、筋肉隆々のドワーフのおっさんが楽しげにスキップをしながら現れた。おっさんは嬉しそうに頬を上気させると、死神ちゃんを羽交い締めにした。



「やーん! 今日は逃げずに待っていてくれたのねー! あたし、すごくうーれーしーいー!」



 おっさんは髭の剃り跡で青々とした頬を、一生懸命死神ちゃんに擦りつけた。死神ちゃんは悟りの境地とでもいうかのごとく、表情を変えることなくなすがままにされていた。

 おっさんは調子に乗って死神ちゃんのほっぺたに吸いついた。死神ちゃんはそれもまた涼しい顔で耐えていた。しかし、あごを掴まれて顔を寄せられると、とうとう耐えきれずに悲鳴を上げた。



「ぎゃあああああッ! 無理無理無理無理!」


「いやあだ、無理じゃあないでしょう? ほぉら、あたしの愛、受け入れて?」


「それだけは本当に勘弁してください」


「嬢ちゃんよ、ここまで来たら最後までペロペロさせろや」


「後生ですから。本当に勘弁してください」



 キャンキャンとぶりっこしゃべりをしていたおっさんは、一転して銅鑼のような声で死神ちゃんを脅しに入った。しかし死神ちゃんがギャン泣き寸前で懇願してくるので、おっさんは渋々死神ちゃんを解放してやった。


 このおっさんは妖精を自称している変態である。ビューティフルマッチョという謎の称号をほしいままにしており、〈美しい妖精〉で居続けるためにダンジョンへと度々やって来ていた。

 死神ちゃんは天井スレスレまで浮かび上がると、本日のご予定についておっさんに尋ねた。すると、おっさんはその問いに答える前にキレ始めた。



「てめえ、何度も言わせるんじゃあねえぞ。それが人様と会話しようっていうモンの態度か、ええ? 降りてこいや、ゴラァ!」



 死神ちゃんは〈嫌です〉と言いたげに首を横に振った。すると、おっさんは持っていた矢をつがえて、死神ちゃんに向かって放った。すかさず避けた死神ちゃんは、壁に突き刺さった矢を見て唖然とした。何故なら、矢からたくさんのハートがふよふよと飛び散っていたからである。



「何だこりゃあ。壁が恋煩いし始めたぞ」


「あん、分かっちゃった? 分かっちゃった!? とってもシャレオツだと思わない? 今やってるチョコレートイベントにピッタリだと思わない!?」


「またシャレオツっておっさん臭い――」


「やだもう、なあに? さっそく貫かれたい? ハートの弓矢で? それともナニで? もう、せっかちさんなんだからぁ。うふふ」



 死神ちゃんは辟易とした表情を浮かべると、小さな声で「や、本当に無理なんで」と口早に拒絶した。するとおっさんが残念そうに口を尖らせて、死神ちゃんの悪寒をより悪化させた。


 彼は美容家としてコスメ道具を手作りもしている。この矢はその一環で作ったものなのだそうだ。



「あたしが贔屓にしている雑貨屋のノームちゃんがさぁ、毎日毎日たくさんの殿方がお客として来てるはずだってのに、出会いがないんだってぇ。出会いがなさすぎてカラッカラらしいのよぉ。で、去年からギルドがイベント事を始めたじゃない? 彼女は〈日ごろの感謝を伝えるイベントなら、私にもお鉢が回ってくるんじゃあないか〉って思ったみたいなのよぉ。でも、去年のチョコイベも収穫祭イベも、全くもって収穫なしだったそうなのよぉ」


「それは、さすがに切ないですね」


「でしょー!? でね、今年はチョコ箱から指輪まで出ちゃうんでしょう? 義理でもいいから殿方からリングが欲しい適齢期女子のノームちゃん、いまだにひとつももらえてないんですってぇ。あまりのもらわなさに怒りすぎて、彼女、この前なんてとうとう雷雲呼んだからね!」


「精神的な干からびを物理的に潤そうってか。それとも、泣き顔をごまかしたいのか」


「さあねえ。どちらにしても、天候を揺るがすほどの怨念よ? 怖いったらないわぁ! ――そんな可哀想なノームちゃんに潤いを与えてあげようと、このビューティフルマッチョがひと肌脱ごうと思ったわけなのよー! この矢を受けた人はたちまちフォーリンラブッ! あたし、今日からラブピクシー始めちゃうわけようふふふふふ」



 そんなわけで、その怪しい弓矢のテスト運用をしにやって来たのだそうだ。死神ちゃんは壁に突き刺さった弓矢をぼんやりと眺めながら〈これは矢を受けたら恋に落ちる前に命を落とすんじゃあないか〉と思った。

 案の定、いろんな意味で死者が出た。おっさんは通りすがりの冒険者を背後から狙い撃ったのだが、一人は背中からハートを噴出させながらドウと前のめりに倒れ込み、一人は膝に矢を受けて冒険者人生を終える決断をしてしまった。ここそこでハートとともに噴き上がる冒険者たちの悲哀を目の当たりにしながら、おっさんは不思議そうに首を傾げた。



「っかしいなあ……。幸せで満たされるはずが、哀しみが広がってやがる……」


「矢じりに殺傷能力がりすぎるんですよ。もっと蚊に刺された程度の〈チクッとして終わり〉くらいにはできなかったんですか?」


「だって、恋もコスメも、いつだって電撃的にビビビッときて出会うものじゃない?」


「俺、あんたとの出会いはある意味ビビビッと来たけどな」



 死神ちゃんは皮肉のつもりで、鼻を鳴らしながらそう言った。しかしおっさんはまるで天啓を受けたかのような、〈それだ!〉と言いたげなハッとした顔を浮かべた。そのまま、おっさんは冒険者たちの目の前に躍り出た。



「オッス、あたし、ラブピクシー! あなたの恋心、叶えまキュンッ!」



 冒険者たちは肌を粟立たせると、一斉に剣を抜いて戦闘態勢に入った。どうやら、彼らはおっさんをモンスターと認識したらしい。おっさんは怒り狂いながら、ハートの矢を乱れ撃った。そのうちのいくつかはモンスターにヒットし、おっさんにフォーリンラブしたモンスターが乱入してきて戦場はハートと悲鳴が飛び交う阿鼻叫喚地獄となった。



「てめえら、何、俺に向かって剣を振ってやがる! 俺はモンスターじゃあねえ!」


「嘘だ、そんな毒々しい格好をしたドワーフがまっとうな冒険者のはずがない!」


「ピギィィィイイイイイイイイッ!」


「よく見ろや、羽生えてんだろうが! 俺がラブピクシーだっつったら、ラブピクシーなんだよ! てめえら、いいからとにかくフォーリンラブしろや! 剣じゃなくて腰振れや!」


「やだ、破廉恥! こんなのがラブピクシーなはずないよ、絶対!」


「ブモオオオオオオオオオッ!」


「いやあああああ! モンスターが仲間になりたそうにこちらを見てくるうううううッ!」



 埒が明かないと判断したおっさんは、モンスターも冒険者もまとめて拳でねじ伏せることに決めた。手にしていたハートの弓矢を打ち捨てると、彼は魔女っ子ポーズを可愛くキメてから敵味方関係なく突っ込んでいった。

 蝶のように舞い、蜂のように刺すおっさんの手慣れた動きに、あろうことか誰かの胸がキュンと鳴った。しかし、おっさんは舞うには筋肉が重たすぎた。ここぞというところで跳躍したものの落下していきながら、おっさんは口惜しそうに叫んだ。



「ダイエット、かなりいい感じなのにいいいい! まだ、飛ぶには重たいというのおおおお!」


「だから、その貧弱な羽じゃあ筋肉ダルマを浮遊させられはしないだろうよ」



 落とし穴に落ちていくおっさんを目で追いながら、死神ちゃんは冷静にツッコミを入れた。そして〈そもそも、彼が妖精であるというのは自称である〉ということを思い出して苦い顔を浮かべると、死神ちゃんは疲労の滲んだため息をついた。

 死神ちゃんは面倒くさそうにハートの弓矢を拾い上げると、壁の中へと消えていった。




   **********




 死神ちゃんが待機室に戻ってくると、天狐がそわそわとしながら待っていた。彼女は目を爛々らんらんと輝かせながら、吸盤状の矢じりを手に構えていた。どうやら、先の部分を安全なものにすげ替えて、さっそくこのラブ弓矢で遊びたいらしい。

 弓矢を手渡してやると、天狐は四苦八苦しながらも先端部分をすげ替えた。そして死神ちゃんに向けると、思いっきり矢を解き放った。



「あああああああああッ! 凄く可愛い何これえええええええッ!」



 どうやら矢じりに媚薬的なものが塗り込められていたらしいのだが、死神ちゃんは先のすげ替えられた矢を受けても何も心身に影響を受けなかった。しかし、ハートが飛び散るエフェクトはそのまま矢の方に残っていたらしく、死神ちゃんはたくさんのハートを背中に背負うこととなった。結果、可愛らしいハートを撒き散らす死神ちゃんにケイティーがフォーリンラブした。



「これはいい玩具を手に入れたのじゃ! 今までたくさんの〈ぱーてぃーぐっず〉を作ってきたのじゃが、こういう発想はなかったのじゃ! おもしろいのう!」


「天狐ちゃん私にも撃ってこのときめきそのハートで表したいあああああああ」



 死神ちゃんは頬を引きつらせると、とりあえず落ち着けよとケイティーを諌めたのだった。





 ――――道具が映えるか否かは、〈使い方〉だけでなく〈使う人〉にも依るようDEATH。

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