第319話 死神ちゃんと保護者⑨

 死神ちゃんはご機嫌斜めだった。というのも、つい先ほど一案件終えて待機室に戻ってきたら、グレゴリーにからかわれたからだ。出動中に出くわした〈鬼火化した亡霊ファズボール〉のひとつひとつが個性豊かなおっさん顔で、そのことを疑問に思った死神ちゃんに対して、グレゴリーは「ジャック・オ・ランタンもウィル・オ・ウィスプも、そして死神ちゃんも元はおっさん。このダンジョンは〈ふよふよと漂うおっさん〉だらけだな」というように揶揄したのだ。

 機嫌を損ねた死神ちゃんは残りの勤務時間中、頑なに飛行での移動を行わなかった。その様子をモニターで眺めながら、グレゴリーと同僚たちは不思議そうに首を傾げた。



「あいつ、何で飛行しねえんだ? 飛んだほうが早いだろう」


「めちゃめちゃ必死に走って、冒険者を追いかけてますね」


「……あ、転んだ」



 死神ちゃんは盛大にすっ転んだまま、ぷるぷると震えていた。何とか立ち上がると、再び冒険者を追って駆け出したのだが、すぐさまべしゃりと転んでしまった。



「何やってるんだ、あいつは。ふざけてるのか。もしそうだとしたら、あとでゲンコツだな」



 顔をしかめさせたグレゴリーの視線の先では、死神ちゃんが地に伏したまま、先ほどよりも一層ぷるぷると震えていた。一向に起き上がろうとしない死神ちゃんは、とうとう火が付いたように泣き出した。すると、死神ちゃんから懸命に逃げ惑っていた冒険者が血相を変えて戻ってきて、死神ちゃんを抱き上げた。

 困惑顔で死神ちゃんをあやす冒険者の様子を眺めながら、同僚たちは苦い顔を浮かべた。



「もしかして、かおるちゃん、さっきグレゴリーさんにからかわれたことを気にして、微妙に幼女スイッチ入っちまってるんじゃねえ?」


「かなあ? だから、転んだくらいで泣いてるのか」


「グレゴリーさん、この状態でゲンコツなんてしたら、ギャン泣きされますよ」


「うへえ、それは面倒だな。少しばかり、様子を見るか。ドヤすのはそれからでも遅くはねえよな」


「――あ、死んだ」



 死神ちゃんを抱きかかえたまま戦闘を余儀なくされた冒険者は、あまりの戦いづらさにペースを乱されて、あっけなく灰になった。なおもグズグズと鼻を鳴らしながら、死神ちゃんはトボトボと待機室へと帰ってきた。

 同僚たちは、ソファーの端で背中を丸めていじけている死神ちゃんの様子を伺っていた。死神ちゃんの幼女スイッチを手間取ることなくオフにすべく、最良の方法を探るためにだ。しかし、ソファーによじ登ってしょんぼりと背中を丸めてすぐ、死神ちゃんは出動要請を受けてソファーからのそのそと降りた。そしてため息混じりにトボトボと、死神ちゃんはダンジョンへと降りていった。


 意気消沈気味の死神ちゃんの次なる〈担当のパーティーターゲット〉は、女性だらけの集団だった。幼気いたいけな女児がしょんぼりと背中を丸めて歩いてきたのを見て胸を痛めたお姉さんがたは、こぞって死神ちゃんに肉まんを押し当ててヨシヨシした。同僚たちはその様子を羨ましそうに眺めたが、当の死神ちゃんは突発ハーレムに疲れを感じているようだった。

 死神ちゃんを可愛がることに夢中となっていた女性たちは、モンスターがすぐ側にいることにも気づいていないようだった。そのため、彼女たちはあれよあれよという間に倒れていき、先ほど出ていったばかりのはずの死神ちゃんは意外とすぐに戻ってきた。


 戻ってきた死神ちゃんは、再びソファーの上でしんみりと丸くなった。しかし、やはりすぐに出動要請がかかり、出かけていった。冒険者と駆けっこしては転んで泣いて宥めすかされ、戻ってきたら再び出かけていき、肉まんを押しつけられお菓子を与えられては疲れを繰り返す死神ちゃんを眺めながら、グレゴリーはぼんやりと呟いた。



「やべえ。飛行するより移動が遅いはずなのに、徒歩のほうが仕事が早いぞ。怒る気満々だったのに、これじゃあ怒れねえじゃねえか」



 グレゴリーの周りにたむろしていた同僚たちにも、もちろん出動要請はかかっていた。しかしながら、彼らが帰ってくるよりも先に死神ちゃんは帰ってきて、再び出かけていき帰ってくるのだ。

 しかも、死神ちゃんの〈中途半端な幼女スイッチオン状態〉での冒険者とのやり取りは、普段とはまた違ったおもしろさがあった。そのため、死神ちゃんをドヤしつけるどころか、「もう少し見ていたいのに」と言いながら出動することを渋る部下をドヤしつけることが、目下のグレゴリーの仕事になっていた。


 死神ちゃんに雷を落とすことを考えていたグレゴリーは、逆に死神ちゃんを心配し始めた。泣いたり疲れたりを繰り返して、死神ちゃんがヘロヘロになってきていたからだ。しかしながら、幼女スイッチオンのせいなのか、死神ちゃんはまるで意固地になっているかのように休憩を取ろうとはしなかった。モニターを見てやきもきとし、うろたえ始めたグレゴリーに、同僚の一人が苦笑いを浮かべた。



「とっとと『さっきは悪かった』って謝って、お昼寝の時間を設けてあげたらどうっすか」


「ああ、うん、そうだよな。まさか、ダンジョン内を徘徊するっこいおっさんにラインナップしただけで、あそこまでいじけるとは思わなかったんだよ」


「いやあ、最近の薫ちゃん、〈おっさん〉がNGワード化してるんですよね。〈おっさん〉絡みで心抉られることが立て続いてたみたいで。だから余計に、まだまだ若いと思っていたくて、つい気になっちゃうみたいですね」


「年齢的にはバッチリ中年だろ、あいつ。まごうことなくおっさんじゃあねえか。――あ、おっさんだから、はっきり〈おっさん〉と言われて凹んでるのか」


「しかもジャック・オ・ランタンなんか、外の世界では畑の害獣扱いされているでしょう? そんなのと同列に扱われたら、おっさんでなくても凹みますって」



 グレゴリーはウンウンと唸りながら、両手で頭を抱えて尻尾をビタビタと動かした。彼は余計なことをポロッと言う癖があり、デリカシーが無いと女性陣に怒られることもしばしばだ。今回もそういうをしでかしたらしいということにようやく気づき、自己嫌悪に陥っているようだった。

 グレゴリーが悶々としている合間に、死神ちゃんは帰ってきてまた出かけていった。死神ちゃんが帰ってきたことに気づかなかったグレゴリーは一瞬慌てふためくと、ため息混じりに「次帰ってきたら、休憩させてやろう」とこぼした。



「ああら、可愛い子ちゃん。元気がないぃわね。どうしたぁのかしぃら?」



 モニターから聞こえてきた声に、グレゴリーたちは「げ」と顔をしかめた。画面の中では、小人族コビートなどの〈小さくて可愛らしい子〉が大好きだという〈可愛い子ちゃんたちの保護者〉を名乗る女性が、しゃがみ込んで死神ちゃんの顔を覗き込んでいた。彼女はただ〈可愛らしい子が大好き〉なだけでなはい。何かにつけて「保護しなければ」と言って、連れ去ろうとするのだ。また過去には、小人族が特定の死神罠を忌諱していると耳にした彼女は〈可愛い子ちゃんを守る〉という使命を掲げて、チベスナがとり憑いた状態で何日もダンジョン内にしたこともあった。

 グレゴリーは目を線のように細くすると、肩を落として抑揚なくボソリと言った。



「やべえな。小花おはな、帰ってこられるかな」



 普段なら口の悪さで相手をいとも簡単に灰化へと誘導する死神ちゃんは、おネム時のぐずりモードに入っているせいか抵抗もせず保護者に甲斐甲斐しく世話を焼かれていた。その様子をハラハラとした面持ちで眺めていたグレゴリーは、ハッとした表情を浮かべると希望的観測を口にした。



「この保護者が上手に宥めすかして小花の機嫌を直してくれて、小一時間ほど寝かしつけてくれたら、そのあとすっきり目の覚めた小花が自力で状況打破して帰ってきてくれるとか、そういうこと、起きねえかな」


「いやいやいや、この保護者、籠城の前科があるじゃないですか」


「だよなあ。何かよく分かんねえんだが、小花は二十時過ぎまで勤務させてはいけねえらしいんだわ。どうしよう、様子見て帰ってこねえようだったら、対策練らないとだよな。――あ、お菓子与えられて嬉しそうだな、あいつ」


「本当だ、すごく美味しそうに食べてる。ああしてると、本物の幼女みたいで、和むんだけどなあ……」



 保護者は死神ちゃんが大人しくおやつを食べている間に、キャンプの準備をし始めた。彼女が張ろうとしているキャンプは、まさに以前の籠城時に使用していた〈モンスターなどが寄り付かなくなり安全地帯化する、最高級の魔法のキャンプ〉だった。それを見て、グレゴリーは再び「げ」と呻いた。



「やべえ。籠城する気満々だよ……。不思議なことに、こいつ、まだブラックリスト入りしてないんだよな? 課長に掛け合って、今すぐ入れてもらおうかな……。前科もあることだしよ」


「あ、薫ちゃん、無理やりお着替えさせられそうになってるよ。すごく嫌がっているね」


「うわ、果敢にもそのまま無理やり着替えさせてる。――あ、このネグリジェ、すっごく可愛い!」


「あーあ、ギャン泣きしちゃった。保護者、めっちゃ困ってるよ」


「必死に泣き止ませようとしてるね。でも、薫ちゃんってば、全部『ヤダ!』って答えてる……」



 グレゴリーは不思議そうに目を瞬かせると、側にいた女性に声をかけた。



「なあ、人間ヒューマンの〈イヤイヤ期〉って何歳くらいなんだ? 小花くらいの大きさの幼児なら、もう卒業してんだろ? それなのに、なんであいつ、あんなイヤイヤ言ってんだよ」


「知らないですよ! 私に聞かないでくださいよ!」


「何でだよ、メスなら誰でも知ってることなんじゃあねえのか?」


「うわ、それ、ハラスメント発言ですよ。しかも、デリカシーのないおっさんがするような部類の」



 女性が顔をしかめると、グレゴリーは〈またやっちまった〉という苦々しげな表情を浮かべてしゃがみ込んだ。そして彼は悔しそうに「俺もおっさんだっていうのか」とこぼした。


 結局、保護者は死神ちゃんを泣き止ませることができなかった。いろいろと配慮をしているようで無配慮なことをしまくった結果なのだから、それも致し方のないことだった。しかし、彼女は自分の無神経さに露とも気づいてはいないようだった。

 しばらくして、困り果てた彼女は名案でも思いついたと言いたげにパンと手を打ち鳴らすと、必死に笑顔を繕って言った。



「そうだぁわ、教会ぃに最近、可愛い子ちゃんが一人いぃるのぉよ。あなぁたも、可愛らぁしいお友ぉ達がいぃたら、悲しくなんかなぁいわよね?」



 不安げにモニターを眺めていた死神課の一同は「よしッ」と声を上げるとガッツポーズをした。死神ちゃんはというと、泣きじゃくりながらも小さくコクンとうなずいた。保護者はホッと胸を撫で下ろすと、急いでキャンプを畳んで死神ちゃんを抱き上げた。




   **********




「なあ、小花。いい加減機嫌直せよ。な? 俺が悪かったよ」



 グレゴリーは戻ってきた死神ちゃんを肩車すると、必死にご機嫌をとった。可愛らしいネグリジェ姿のままの死神ちゃんはいまだにグズグズと鼻を鳴らしていたが、元の姿に戻ったとしても体験することのない視線の高さに、心なしか楽しそうにしていた。

 幼女然としてキャッキャと声を上げる死神ちゃんを眺めながら、同僚たちはホッと胸を撫で下ろした。しかしその直後、グレゴリーが変な体勢で動きを止め、周囲にSOSを出した。



「やべえ! 小花が寝ちまった! 誰か、下ろしてくれ! 落としそうで怖い! ――いででででででで! 待て待て待て待て、髪がもげる! 何してんだ、お前!」


「いや、薫ちゃんを引き剥がそうとしただけですよ! 薫ちゃん、グレゴリーさんの髪の毛をしっかり握っちゃってますね」


「ええええ、マジかよ! どうしたらいいんだよ!」


「このまま、連れ帰ったらいいんじゃあないっすか?」


「いやいやいやいや、落としたらどうすんだよ! ――誰か! こいつの保護者を呼んでくれよ! 俺、怖くて動けねえから! 誰か代わりに! なあ、頼むよ!」



 その場にいた一同はじっとりとした目でグレゴリーを見つめると「しばらく、そのまま反省なさったらいかがですか?」と声を揃えた。グレゴリーは不安定にかかる重さに怯えながら、失言癖を直そうと硬く誓ったのだった。

 なお、保護者を自称するあの女性は晴れてブラックリスト入りを果たしたという。





 ――――〈おっさんだから仕方ない〉ということも〈好きなら何しても良い〉ということもない。おっさんであっても無くても、年齢や性別なども関係なく、デリカシーは気にしていきたいものなのDEATH。

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