第306話 死神ちゃんとマンマ④

「あらあ、お嬢ちゃんじゃあないかい! 久しぶりだねえ!」



 死神ちゃんが〈小さな森〉にやって来ると、切り株に腰掛けていたおばちゃんがにっこりと手を振ってきた。死神ちゃんはきょとんとすると、おばちゃんにゆっくりと近づいていった。



「今、収穫祭で忙しいんじゃあないんですか? 気晴らしですか?」


「ああ、そうだよ。今年もね、臨時でアルバイトの子を雇ってさあ。たまにはこうやって気晴らしをきちんとしないと、美味しいご飯なんて作れないからね。そんなの、〈街のみんなのマンマ〉の名が廃るってもんだよ」



 おばちゃんは快活に笑うと、死神ちゃんにミートパイを勧めてきた。死神ちゃんは喜んでそれを受け取ると、大口を開けて嬉しそうに頬張った。


 彼女はこの街で食堂を営んでおり、街の皆から〈マンマ〉という愛称で親しまれている。人当たりもよく、誰からも愛されている〈お母ちゃん〉だ。彼女は他の週末冒険者と同じく、娯楽としての冒険を楽しんでいた。しかし、そんな一般人の枠に属する彼女だが、実のところ数多いる冒険者の中でも群を抜いた強さを有していた。彼女は、このダンジョンで活動する冒険者の中でも最も強いだろうと言われていて、死神ちゃんも思わず敬語になってしまう〈最強にして最凶の一般人〉のうちの一人なのだ。

 彼女はあくまでも娯楽で冒険をしているので、富や名声などに興味はなかった。そのため、ダンジョン踏破にも興味がなかった。むしろ彼女は、「珍しい食材や調理器具なんかも手に入る〈良い遊び場〉が無くなってしまって困るので、ダンジョンが踏破される日が来なければいい」とさえ思っているくらいだった。

 なのでもちろん、本日の彼女の目的も羽伸ばしだった。マンマは死神ちゃんにお代わりのミートパイを手渡しながら、にっこりと笑って言った。



「ところで、お嬢ちゃんはギルドの緊急依頼をこなしてもらえる南瓜のパイはもう食べたかい?」


「いや、プリンのほうなら食べましたけど。何でですか?」


「それがさあ、店のお客さんから『とても美味しい』って聞いたんだよ。冗談交じりに『うちのパイと、どっちが美味しいんだい?』って聞いてみたら、甲乙つけがたいって言うじゃあないか! だから、是非とも食べてみたいんだよ。――料理人たるもの、常に美味しさを追求していかないと。そのためにも、美味しいものは率先して食べないとねえ」



 職人魂を燃やしてはいるものの、マンマは一個人としてもその味に興味があるようだった。彼女はホウと息をつきながら、味を想像して幸せそうな笑みを浮かべていた。すると、目の前をジャック・オ・ランタンがスウと横切った。マンマは呆けた顔のまま包丁を握ると、ジャック・オ・ランタンにフラフラと近づいていった。

 ジャック・オ・ランタンはマンマに気づくと、手にしていたランタンの火の火力を強めて火炎系魔法を放とうと準備した。しかしそれよりも早く、南瓜の精は真っ二つに叩き切られた。ジャック・オ・ランタンが攻撃行動に出るや否や、鈍重な動きから一転して俊敏に攻撃を繰り出したマンマを死神ちゃんは呆然と見つめた。そして小さな南瓜を大切そうに両手で包み込むようにして帰ってきたマンマに、死神ちゃんはポツリと言った。



「さすが、お強いですね……」


「何だい、お嬢ちゃん。そんな、青い顔をして。とって食われるとでも思ったかい? 食うのは南瓜だけさ。だから、お嬢ちゃんが怯える必要はないんだよ?」


「いや、そうなんですけどもね……。こう、包丁を振り下ろした時のマンマの顔が、鬼気迫るっていうか……」


「あら、もしかして、そんなに怖かったかい? お昼のピーク時に店を切り盛りしているときと比べたら、気合いの入りようなんてまだ全然なんだけどねえ」



 思わず顔をしかめると、死神ちゃんは「それはお客さんが恐れをなして逃げ帰ってしまうんじゃあないか」と心中で呟いた。マンマはそれを察したようで、ケラケラと笑いだした。店の作り的に客席側を背にして調理することになるので、作業中の表情を見られることはないらしい。



「どうしてもね、一生懸命になってくると鬼気迫るもんも出てくるよ。でもさすがに、そんな真剣勝負中の顔はお客さんには見せらんないさ。お客さんに見せていいのは、心からの笑顔だけ。もちろん、困ったお客には鬼の形相だけどもね。接客ってのは、そういうもんだろう?」



 死神ちゃんがうなずくと、マンマは嬉しそうに死神ちゃんの頭を撫でた。そして茶目っ気たっぷりに笑うと、付け加えて言った。



「調理と接客は旦那と交代でやっているんだけどさ。うちの旦那の本気モードに比べたら、あたしなんて可愛いもんさ」



 南瓜の数もそろそろ十分ということで、残りの南瓜は一階に戻りがてら集めようということになった。マンマはジャック・オ・ランタンを見つけるたびに、蝶のように舞い、蜂のように刺した。

 森を出て少しして、マンマは山羊頭の悪魔と遭遇した。四階で遭遇するモンスターの中では恐らく最強の赤いアイツを前に、マンマは背筋を正してゴクリと唾を飲み込んだ。



「こいつはただ者じゃあないね……。一筋縄じゃあいかないって、マンマの勘も言っているよ。まさこちゃんの角に似ているのが、どうにもやりづらいけど。でも、ここで負けたら調理人の名折れだ。これは肉屋の仕事だなんて言って、逃げてなんかいられないね。――いいだろう、このマンマが骨まで綺麗に解体してやろうじゃあないか!」


「いや、たしかに山羊頭だが、そいつは山羊じゃあないんだが――」



 死神ちゃんは半ば呆れて、控えめにツッコミを入れた。しかし、それよりも早くマンマは走り出していた。彼女は包丁をしっかりと握りしめると、鬨の声を上げ、鬼神のような表情で赤い悪魔に飛びかかった。

 死神ちゃんは、今まで見たこともない彼女の恐ろしさに震えた。同時に、「これが〈可愛いもん〉なら、旦那さんは一体どれだけんだろう」とぼんやりと思った。




   **********




 気がつくと、目の前に南瓜パイが差し出されていた。死神ちゃんはハッとすると、慌てて差し出し主を見上げた。すると優しく笑いながら、マンマが「お裾分けだよ」と言った。



「えっ、頂いてもいいんですか?」


「当たり前だよ。ていうか、あたしの〈本気〉で相当怖がらせちまったみたいだからね。だから、お詫びも兼ねてね。――さあ。さっそく、一緒に食べようじゃあないか」



 どうやら、死神ちゃんはあまりの光景に心ここにあらず状態となっていたらしい。そんな死神ちゃんを抱きかかえて、マンマは一階まで帰ってきたのだとか。死神ちゃんは謝罪をしつつも、ありがたくパイを頂戴した。

 マンマは「ほっぺたが落ちそうだねえ」と言いながら、うっとりとした顔でパイを頬張った。死神ちゃんはと言うと、きょとんとした表情を浮かべて首を捻っていた。



「どうしたんだい。お嬢ちゃんの口には合わなかったのかい?」


「いや、そうじゃあなくて……。何ていうか、その、とてつもなく〈おうちの味〉っていうか……」


「もしかして、お嬢ちゃんのお母さんはこのパイと同じ味が出せるのかい!? やっぱり、あたしの舌に狂いはなかったようだ! お嬢ちゃんのお母さんなら、絶対にホールだけじゃあなくてキッチンもこなせる〈素晴らしい戦力〉になれるよ!」



 マンマは「どうしてもスカウトしたいんだけど」と言いながら、先ほどの真剣勝負モードの表情で死神ちゃんに詰め寄った。死神ちゃんは頬を引きつらせると、必死にお断りの言葉を絞り出したのだった。





 ――――なお案の定、パイとプリンは〈裏世界のみんなのお母さん〉こと、前グルメ王者監修だったそうDEATH。

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