第172話 死神ちゃんとハム⑦

 死神ちゃんは三階の人気修行スポットに顔を出すなり声を弾ませた。



「ハム!? ハムじゃあないか!」


「お、嬢ちゃん!」



 ハムは死神ちゃんに気がつくと、笑顔で駆け寄ってきた。死神ちゃんはにこやかに笑いながら、拳を差し出した。



「二人きりで会うの、久しぶりだなあ!」



 頷きながら、ハムは差し出された拳にコツンと自身の拳を軽く打ちつけた。そして一瞬だけハッと息を飲み込むと、すぐさま笑顔を浮かべて嬉しそうに言った。



「おっと、やっちまった。またうっかり、自分からとり憑かれに行っちまったぜ!」



 ハムの言葉に死神ちゃんが笑い声を上げると、ハムも一緒になって豪快に笑った。ひとしきり笑うと、死神ちゃんはハムの頭のてっぺんから足先までを舐めるように眺めた。

 僧兵や闘士というものは比較的軽装な者が多く、その中でもハムはとりわけ軽装なほうであったのだが、彼はさらに軽装となっていた。しかしながら装備が貧困になったというわけでもなく、足鎧は以前よりもシンプルながらより強度の高いものとなっており、両腕につけられた手甲の役割も兼ねるのであろう太めの腕輪には小さいながらも希少品である魔法石がついていた。そして極めつけは――



「お前、短パンをやめて褌にしたんだな」


「おう! そのほうが麗しいハムストリングスと、それに繋がる大殿筋がより目立ってイイだろう!?」



 ハムはニヤリと笑って頷くと、渾身のポージングをとった。プリッと上向いた大殿筋をピクピクいわせてハムストリングスと尻を見せつけてくるハムを鋭い視線で眺めていた死神ちゃんは、眉間にしわを寄せて小さく首を捻った。



「もう少し、大殿筋を盛ったほうが美しいとは思わないか」


「くっ、さすがは嬢ちゃん! やっぱりそう来ると思っていたんだよ!」



 ハムは心なしか顔を歪めると、握った拳をスイングさせて悔しがった。しかし死神ちゃんがおもむろにスクワットの態勢を取り出したので、ハムは慌ててそれに倣った。以前教えてもらったスクワットの態勢であることにハムが首を傾げると、死神ちゃんはそこからさらに足を広げて立った。



「これでな、こういうふうにな――」


「おおお、すごい! 少しやり方を変えただけなのに!」


「あとは、こう、寝そべって――」



 死神ちゃんはスクワットを止めると、今度は仰向けに寝そべった。それに追従したハムはカッと目を見開いて叫んだ。



「うおおおおおお、俺のケツが! とても喜んでいるッ!」


「……その言いかた、凄まじく誤解されるからやめろよ。これを横向いてやると、またアプローチが変わってくるんだが――」


「本当だ! 素晴らしい! 筋肉の幸せな震えを感じるぞおおおお!」


「中殿筋も鍛えよう。その場合は――」


「おおおおおおおおお! イイッ! イイッ!!」



 様々な〈お尻周りの筋トレ〉を楽しくこなしたあと、ハムと死神ちゃんは壁際に移動して座り込んだ。ハムはポーチから怪しげなおにぎりとささみの燻製をいくつか取り出して、死神ちゃんにもお裾分けした。死神ちゃんはそれらを受け取りながら「チテキンみたいだな」と苦笑いを浮かべた。



「おう、彼女は俺と違って学があるからな。筋肉に良い食べ物ってものをよく知っていて、教えてくれるんだよ。――この装備も、彼女のおかげで整えることができたんだぜ」



 ハムは照れくさそうに笑うと、ささみに勢い良くかじりついた。以前チテキンに会った際、彼女は「衣装代として稼いだそのお金で、装備を整えると良い」と助言したと言っていた。自分が誘ったのだから自分がかかる費用のすべてを負担したいと思っていたハムであったが、彼女の好意に甘えることにしたため、結構手元にお金が残った。

 また、以前頑張って収集した不死鳥の羽根を、小さめのものだけ残して後は売り払ったそうだ。彼はそれでできたお金と、衣装を揃えたあとに手元に残っていたお金を、彼女からの助言通りに装備を整えるのに使ったのだそうだ。



「残しておいた小さめの羽根は、イヤリングに仕立てたんだぜ。ちょっとばかし、カッコイイだろう? ちょうどふたつできたから、片方は彼女にプレゼントしたんだ」


「おお、もうすっかり恋人同士だな」



 死神ちゃんがニヤリと笑うと、ハムは目をパチクリとさせた。どうやら彼にはまだ、チテキンに対してそういう意識がないらしい。首を傾げながら、ごくごく普通の調子で「筋肉を愛する同志の、契の証みたいなもんだ」と返すハムに、死神ちゃんは残念そうに苦笑いを浮かべた。


 これで火属性防御は万全に違いないと言って得意気に鼻を鳴らしたハムに、死神ちゃんは首を捻りながら腕輪について尋ねた。



「その腕輪についてる魔法石、それ、風属性だろう。どうして風なんだ?」


「さすがは嬢ちゃん。よく気がついたな。――実は、つい先日まで魔法使いに転職して、魔法の勉強をしていたんだ」



 エクササイズ指導をしていたあの時にはすでに、彼の冒険者としての職業は魔法使いだったらしい。何でも、たった一人でもドレイクに打ち勝つにはどうしたらいいかと考えた結果、彼は魔法を覚えることにしたのだそうだ。

 火吹きのほうには一度勝利を収めたとはいえ、氷吐きのほうには呆気無くやられてしまったことが悔しかった彼は、そのどちらにも難なく勝てるようになりたいと思ったそうだ。



「そのために俺に足りないものは一体何なのか。そう考えて、攻撃魔法が使えないということに行き着いたんだ。僧兵は一応ながら支援魔法が一通り使えるだろ? その中には魔法防御力はもちろん、攻撃力のほうを上げるものもある。折角そういう技を覚えられるなら、攻撃魔法を覚えてきて、併せて使ったら強いだろうなと思ってな。――さっきも言ったが、俺、学がないからな、目標の魔法を覚えるまでにかなり時間かかっちまって。つい先日、ようやく僧兵に戻ってきたところなんだよ」



 転職をしていたため、経験として自分の中に残っているものは多いものの、腕輪で管理している〈額面上の、冒険者レベル〉は低い状態である。もちろん経験を活かして今まで通りの戦闘を行うことは可能ではあるのだが、レベルが低いと祝福の像や回復の泉で得られる恩恵が美味しくなく、また装備のできるものも数が限られてしまう。レベルというものは高いに越したことはないのだ。なので、本日はちょうどアルバイトと習い事のどちらも予定になかったため、久々に単独で経験値稼ぎのための修行に来ていたのだそうだ。

 ハムはすっくと立ち上がると、数歩前に出て「見てくれ」と笑った。フンと気合の篭った声を上げたハムが両の拳を握りこんで全身の筋肉に力を漲らせると、それと同時に彼の足元で風が渦巻いた。彼がカッと目を見開くと、全身が風を帯び始め、そして腕にはそれを覆うように小さな竜巻が生じていた。


 死神ちゃんが感嘆の声を漏らすと、ハムは死神ちゃんに背を向けて遠くに現れたモンスターに向かって突きを繰り出した。すると、腕の周りで渦巻いていた竜巻がモンスターに向かって飛んでいった。

 地に崩れ落ちるモンスターに背を向けて死神ちゃんの方へと向き直ったハムは得意気に笑っていたが、一転して不安げに眉根を寄せて首を傾げた。何故なら、死神ちゃんがどうしてか微妙な顔を浮かべていたからだ。



「どうしたんだ、嬢ちゃん。俺、きちんと強かっただろう?」


「ああうん、そうなんだがな。ちょっと、とある迷惑なおっさんを思い出してな」


「もしかして、嬢ちゃんもあの伝説のお方を知っていたのか! 俺の魔法の師匠は、そのお方なんだぜ!」


「へえ、そう……」



 思わず、死神ちゃんは頬を引きつらせた。そんなことなど気にすることもなく、ハムは快活に笑いながらドレイクに挑戦すると言って走り去っていった。死神ちゃんは慌ててハムの後を追った。

 四階に降り立ったハムは氷吐きのほうとすでに戦い始めていた。降りてすぐのところは火吹きがよく巡回してくるのだが、ごく稀に氷吐きもやってくる。今回はその稀なパターンだったらしい。


 ハムは上手く立ち回りながら、的確にワンツーを繰り出していた。そしてブレスを吹かれると、彼は風を巻き起こしてそれを押し返した。吐き出したはずの冷気が煽られて自分のもとに返ってきたことに驚いたドレイクは、慌てふためいて隙だらけとなった。



「そこだ! うおおおおおおおお!」



 鬨の声を上げ、ハムは渾身のラッシュをドレイクに叩き込んだ。そして肩で息をつきながら、ズウンと音を立ててドレイクが倒れていくのをハムは静かに見守った。ドレイクが完全に動かなくなりアイテムへと形を変えるのと同時に、ハムと死神ちゃんは勝利の喜びを絶叫した。拳を打ち付けあい、肩を叩き合い、そしてハグし合いながら二人は喜んだ。



「ずっと勝てなかった氷のに勝てたんだ! 火吹きだってきっと楽勝だろう!」



 そう言って、ハムは火吹きドレイクに立ち向かっていった。しかし、彼は思いのほか手こずった。死神ちゃんは呆然とそれを見つめながら、ポツリと漏らした。



「風で煽られて、火の勢いが増してないか?」


「何だと! ならば、火が消え去るほどの、さらに強い風を巻き起こすのみ! うおおおおおおお!」



 ハムは魔法攻撃力の上がる支援魔法を己にかけて気合を入れなおすと、気力と魔力を筋肉に満ち溢れさせた。風の勢いは増しに増し、ダンジョンの床を汚していた砂埃が嵐のように巻き上げられた。しかし、通常の炎なら防げたであろうハムのイヤリングは風によって勢いを増した炎までは防ぎきることができず、風の力が炎を凌駕する前にハムは火炎の海に飲まれてしまった。



「ハムぅぅぅぅぅッ!!」


「また、会おう、な……。嬢ちゃ……ん……」



 ハムは自分が巻き起こした砂嵐に乗ってサラサラと去っていった。愕然とした表情でそれを目で追いながらも、死神ちゃんは何かを考えることをやめたのだった。





 ――――魔法を覚えてみようという着眼点は素晴らしかったけれど、〈属性〉には相性があるということまでは考えていなかったのDEATH。

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