第75話 やきもき★ときめきコンサート

 目の前には心なしか仏頂面のマッコイと、ニヤニヤとした笑みを浮かべているアリサ。そして背後にはキングサイズのベッド。――その間に挟まれて、死神ちゃんは盛大に顔をしかめさせると、ゆっくりと二人を見上げた。




   **********




 マッコイが早退した日とその翌日。死神ちゃんは寮のメンバーとともにできる限りの時間をマッコイの傍で過ごした。止めどなくつらつらと、彼の体に負担とならない範囲で会話を楽しんでいると、話の内容が〈これから開催予定の社内イベントについて〉に移り変わった。芸術の秋ということで〈歌謡コンテスト〉なるものが催されるそうで、〈第三〉の住民も数名参加を予定しているらしい。

 死神ちゃんがその話を興味深げに目をくりくりとさせながら聞いていると、マッコイがふと思い出したかのように声を上げた。



「そういえば、かおるちゃんも音楽を嗜んでいたわよね。サックスでしたっけ? 楽器演奏だけじゃなくて、歌も得意だったりするの? もし得意なら、薫ちゃんも出場したらいいじゃない」


「いや、歌はあんまり。仮に得意だとしても、幼女のこんな体にされてたんじゃあ昔通りに歌うとか、無理だろ。性別も違うから、同じ音域なんて出せないし」


「まあ、そうよね……。だったら、サックスを吹くことは? 薫ちゃんの演奏、聞いてみたいな」



 ニコリと微笑むマッコイに、死神ちゃんは申し訳なさそうに笑い返した。もう少しだけでも体と手が大きければ、吹けたかもしれない。しかし、今のこの体ではそれも叶わないのだ。

 死神ちゃんはしんみりと自分の手を見つめると、心なしか肩を落とした。




   **********




 それから数日後。勤務が明けた死神ちゃんは、魂刈たまかり置き場にて使用した鎌を片付けていた。その際中に、死神ちゃんの腕輪がチカチカと光った。

 本日はマッコイとアリサがお茶をする予定で「アリサの仕事の忙しさ如何いかんによっては〈三人で一緒に夕飯を食べよう〉と誘いの連絡を入れるかも」と、死神ちゃんはマッコイから声をかけられていた。なので、三人で食事に行くことが決まったのかなと思いながら、死神ちゃんはメールをチェックした。そして、顔をしかめさせた。

 メールの主は、案の定マッコイだった。しかし、内容はとても端的で「勤務終了後、社交場前」としか書かれていなかった。社交場とは、いわゆる〈キャバクラ〉である。つまり、これから〈ただ食事をするだけ〉なはずの死神ちゃん達にとって一番縁のない場所だ。死神ちゃんは首を傾げ不思議に思いながらも、メールの指示に従った。


 社交場前に到着すると、既にマッコイが待っていた。アリサの姿はなく、彼女はどうしたのかと尋ねようとしたのたが、そんな余裕もなく死神ちゃんは手首の辺りをしっかりと掴まれ、そして店内へと引きずり込まれた。

 何故か機嫌の悪そうなマッコイの様子に死神ちゃんが戸惑っていると、とある部屋に連れ込まれた。――そこは、キャバ嬢達が〈にゃんにゃん接待〉をする際にも使用される〈VIPルーム〉だった。



「あ、ジューゾー、お仕事終わったのね。お疲れ様」



 死神ちゃんがなおも戸惑っていると、壁際の赤いカウチに腰掛けていたアリサが満面の笑みで立ち上がった。マッコイは死神ちゃんをカウチの前まで連れて行くと、座り直したアリサの横にちょこんと腰掛けた。

 目の前には正反対の表情のが二人、そして背後にはベッド。異常事態に死神ちゃんが硬直していると、ふてくされ顔のマッコイがプイッと横を向いてご機嫌斜めに言った。



「ジャズBarグローリア」



 死神ちゃんが苦虫を噛み潰したような顔をすると、マッコイがじっとりとした視線をちらりと投げて寄越した。死神ちゃんが「聞いたのか」と尋ねると、彼は返答する代わりに視線を外し、そして心なしか俯いた。

 死神ちゃんがアリサをキツく睨むと、彼女は両頬に手のひらをあてがいデレデレと身体をくねらせた。



「だってマッコイが〈ジューゾーのサックスを聞いてみたい〉って言うから、思い出しちゃったんだもの。私とジューゾーの、甘酸っぱい思い出……」


「お前、何をどこまで、どのように話したんだよ。おかしいだろ、聞かされた相手がふてくされるとか」



 アリサが恥ずかしそうにもじもじとするのを、死神ちゃんは呆れ眼で見つめた。そして溜め息をつくと、死神ちゃんは面倒くさそうに目を細めた。



「その甘酸っぱい何とやらに水を差すようで悪いけど、それ、全部台本ありきだから。〈目標おまえの趣味趣向に一番近しい見た目とスキルを持った者〉ということで俺が選ばれただけだし、お前があの店によく行くとリサーチ済みだったからサックス奏者として潜り込まされただけだから」


「本当に水を差したわね、ひどいわ!」


「……薫ちゃん、何だか言い訳がましい。ていうか、そんな昔のこと、誰に言い訳する必要があるのよ。むしろ、言い訳したい相手でもいるわけ?」



 ようやくこちらを向いたと思ったら拗ねた口調でそんなことを言うマッコイに、死神ちゃんは地団駄を踏んで頭を掻きむしった。そして苛々とした声で「あー、もう!」と喚くと、死神ちゃんは二人を睨みつけた。



「で!? こんなところに連れ込んだ理由は!? サックスを吹けってか!?」



 二人が頷くのを見て深く溜め息をつくと、死神ちゃんはカウチの傍らに用意されていたサックスに近づいていった。そして一旦は持ち上げようとしたのだが、すぐさま断念した。



「やっぱり、この体じゃあ無理だよ。サックス本体を支えていられないし、指も届かない」



 アリサは切なげに薄っすらと笑う死神ちゃんを引き寄せると、その首筋に思いっきり噛み付いた。死神ちゃんは悶え苦しみながら、必死にベッドの中に潜り込んだ。

 少しして、アリサはしょんぼりとうなだれてベッドから出てきた十三じゅうぞうに口を尖らせた。



「何でベッドに隠れちゃうのよ! せっかくの麗しのヌードが……!」


「いや、そもそも、いちいち服がはじけ飛ぶ意味が分からないんだが……。あと、これ、あり得ないくらい痛いし、疲れるわ腹減るわで大変なんだよ。そこら辺も、もう少しどうにかしてくれないかな」



 ブチブチと文句を垂れながら、十三はサックスに手を伸ばした。そして眉根を寄せると、マッコイのほうを向いて不安げに首を傾げた。



「もしかして、人前で恥ずかしい思いをしなくていいように、ここを押さえてくれたのか? でもそうすると、ちょび髭がまた有る事無い事言いふらすだろう?」


「大丈夫よ。『余計なこと言いふらしたら、その口そぎ落としてやるから』って脅しておいたもの」


こええよ! 暗殺者おまえが言うとシャレにならないだろ、それ!」



 いまだご機嫌斜めらしいマッコイは、ニコリと微笑みはしたものの目が笑ってはいなかった。十三は溜め息をつくと、指慣らしのためにキイを操作した。そしてマウスピースに口をつけると、音階を吹き鳴らしながら再度指慣らしした。



「海水浴から二ヶ月くらいだから、三十分くらいってところか? だったら、二曲くらいかな」



 そう言って、十三はスウと息を吸い込んだ。その瞬間から場の空気がガラリと変わり、マッコイとアリサの瞳は十三に吸い寄せられた。


 演奏が終わると、アリサがうっとりとした表情を浮かべ、マッコイが目をキラキラと輝かせていた。彼の機嫌が良くなっていることに内心ホッとした十三は、羨望の眼差しで見つめてくるマッコイにニコリと微笑みかけた。するとマッコイはほんのりと頬を朱に染めて、小さく呟くように言った。



「すごく、素敵だった……」


「お気に召しましたか?」


「とても、お気に召しました……。サックスを吹いてる薫ちゃんももちろん素敵だったけど、演奏自体も物凄く素敵だった……」



 十三はサックスを片付けながら、照れくさそうに苦笑した。マッコイは甘ったるい息をついて目を細めると、ぼんやりとこぼした。



「いいな……。文化的な特技があるって、羨ましいわ……」


「お前にだってあるだろうが。料理っていう〈文化的な特技〉が」


「アタシのは、そういうのじゃないから……。身につけさせられた背景が全然文化的ではないし……」


「それ言ったら、俺だって同じだよ。円滑な諜報活動が行えるようにっていう名目で、スキルのひとつとして覚えさせられたものだから」



 卑屈に笑って俯くマッコイに十三が肩を竦めてケロリと言うと、マッコイは〈でも〉と言いたげに顔を上げた。見上げた先にはすでに十三の姿はなく、マッコイはそろそろと視線を降ろして死神ちゃんを見下ろした。

 死神ちゃんは心なしか悲しそうにサックスを見つめていた。



「そういう名目で覚えさせられたものだから、今まで吹いていても〈楽しい〉だなんて思いもしなかったけど。でも、今日は楽しかったよ。せっかく〈楽しい〉と思えたのに、今度はいつ吹けるのかなあ……」



 しんみりと肩を落とす死神ちゃんを、マッコイとアリサもしんみりと見つめた。アリサは控えめに微笑むと、死神ちゃんに向かって言った。



「魔道士様の魔法で変えられているものだから、私には到底解くことはできないけれど。でも、好きなときに気軽に戻れる方法はないか、ちょっと探ってみるわ。ビット所長やアルデンタスさんにも心当たりがないか声をかけてみるわね。彼らのほうが、私よりもよっぽど〈スペシャリスト〉なはずだし」



 死神ちゃんは申し訳なさそうに苦笑すると、アリサに感謝の言葉を述べた。そして気を取り直すかのように両手を高く振り上げて伸びをした。



「あー、腹減った! 飯食おう、飯! 俺の〈文化的な特技〉を披露したんだから、今度はお前が披露しよろな」



 お腹をさすりながら大きな声でそう言うと、死神ちゃんはニヤリと笑ってマッコイを見やった。マッコイが目をパチクリとさせると、死神ちゃんはニコニコと笑ったまま続けて言った。



「出来上がるまで待つくらいの余裕はあるから。とびきりの美味いものをよろしく頼むよ」


「じゃあ、私の部屋に行きましょうよ。死神寮の小さなキッチンよりも、うちのほうが使いやすくて充実もしているし」


「……凄まじいまでの〈宝の持ち腐れ〉だな」


「ひどいわよ、ジューゾー! あなた、ちょっと、今日、私に対して冷たすぎじゃない!?」



 かしましく言い合いを始めた二人を束の間ぽかんと見つめると、マッコイはクスクスと笑い出した。



「材料の買い出しに行きましょう。二人とも、何が食べたい?」



 二人はマッコイに微笑み返すと、口々に食べたいものを列挙し始めた。そして三人は、仲良く〈VIPルーム〉をあとにしたのだった。





 ――――〈幼女の体でよかった〉と思えることがあったと言っていた死神ちゃん。本日は逆に〈幼女の体でなければ〉と思うことができてしまいました。人生、我慢や妥協が必要なこともいっぱいあるけれど、〈本来の、ありのままの自分でありたい〉という思いは、よっぽどのことがない限り、本来は我慢をしなくていいはずのもの。完全にとはいかないまでもその思いが叶う日が死神ちゃんにくればいいなと、マッコイもアリサも思ったそうDEATH。

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