さんすうの授業

 スピーカーから、お世辞にも音質のよいとは言えないチャイムがながれてくる。授業が始まる時間だ。

 この奇妙な日常にも、ほんのすこしだが慣れてきた。初めは戸惑いしかなかったが、人間の適応力というのは馬鹿にできないものがある。


 教室のドアがカラカラと軽快な音をたて、美和子みわこ先生が入ってきた。


「では、さんすうの教科書の87ページをひらいてください、まずは先週の復習からしましょう」


「はーい」


 子供達が元気のよい返事をして、教科書をひろげた。



 教室の後ろからこの授業の光景をながめていると、子供達の様子は真剣そのものだ。

 大抵はふざけているヤツとか、暇つぶしに他のことをしているヤツが一人二人はいるのもだが、この教科に限っては一人残らず真面目に話しを聞き入っている。



 さんすうという授業はとてもシンプルで簡単なものだ。結果が『解ける』『解けない』の2択しかない。

 問題が解ければ、ただちに点数や成績に繋がる。

 この簡潔で明瞭なルールがが生徒達の授業に対する姿勢に繋がっていると思われた。

 

 成績という点ではもちろん他の授業でも良い点数は取りたいだろうが、さんすうというものは仕組みさえある程度理解できれば、比較的覚えることは少ない。社会の歴史のように膨大な暗記は必要としない。

 また正解もハッキリしていて、国語の授業のように『主人公の気持ち』とかモヤモヤとした形の定まっていないものに苦労させられる事も無い。

 もちろん点数だけではなく、問題が解ければうれしいし、純粋に楽しいという事もあると思う。


 単純で、問題を解くための式には必ずルールがあり、そのルールには一切の矛盾がない、とても明快な世界だ。



「……以上が分数ぶんすうのかけ算の復習でした、では練習問題を少しやってみましょう」


 といって美和子先生がつらつらと3問ほど問題を書き出しはじめる。

 すぐに子供達は問題を書き写すと、紙の上での格闘を始め出す。



 さて『分数』というものは大人になってからは、まったくもって使わない、すべて小数点に取って代わられる。『2.33』という数字をわざわざ『3分の7』と書き直すヤツはいないし、仮にそんな余計な事をすれば上司から怒られるだろう。


 私も先週までは解き方などサッパリ忘れていたのだが、先週の引っ越しの際に学生時代のノートが出てきたので、この教科だけは復習をしておいた。


 中学から高校生の時のノートだったので後半は『∫』とか『Σ』とか何やらまったく覚えていない記号が出てきて、いくつか解らない事もあったが。小学生レベルの基本的な問題はこのノートを見て、すぐに思い出すことができた。



 分数の問題に関しては簡単に解けたのだが、もう一つの問題が解けない。

 それは理科の授業にされた質問を思い出したからだ。

「大人になってからリトマス試験紙使ったことがあるのか?」

 というモノである。


 あのときはごまかすことが出来たのだが、

「大人になってから分数をつかうの?」

 と質問をされてしまったらどうしよう。

 大人になってからは使わないのだが、これから中学、高校、大学と分数できなければ、この教科は立ちゆかない。



 なにか良い答え方はないものだろうか?


「分数ができないと社会にでられません」

 例えばこんな感じだろうか、しかしこれでは嘘になる。出来てないヤツも社会にはいるだろう。


「分数ができないと、まともな会社に入れません」

 こんな感じはどうだろう。これなら嘘はついていない。

 しかし私は大学の卒業時点では分数程度はすらすらと解けたはずだ。

 私の入社したあの満足に残業代を出さない派遣会社は、はたして『まとも』だと言えるのだろうか……


 しかし、どうやっていれば『まとも』な会社に入れたのだろう?

 会社の格付けで考えれば一部上場企業あたりに入れれば大成功なのだろうが、大学の友人で上場会社に入ったヤツは、プレッシャーに押しつぶされて鬱になってしまったので、これは正解とは言い難い。

 それに最近では超一流会社でも社員の過労死や自殺といったニュースが流れてくる。


 賃金を目安にするのはどうだろうか?

 高い方が良いに決まっているが、経済とは割とよくできたもので、高い賃金には高いリスクが生じることも多い。体に無理が来る仕事だったり、精神に支障をきたす仕事だったり、はたまた犯罪めいた社会的なリスクが高いものまである。


 それに仕事とは賃金が全てではない、安月給でも家庭を築き幸せな時間をすごしている友人を知っている。

 しかしその友人はもしかしたら例外かもしれない。給料が安すぎてモチベーションがどんどん減っていき、会社を辞めていった同僚も多い。


 職場の人間関係はどうだろう?

 この人間関係というものは実は働いている上で一番大きなウエイトを占めているかもしれない。

 人に頼られる、人を頼る、人に感謝される。これらは働くモチベーションに直結していて、その結果は仕事の出来や成績に反映される。

 しかし円満な職場でも嫌なヤツが一人入っただけで、ガラッと空気がかわり、それまで上手くいっていた人間関係がボロボロと崩れていく場面にも出くわしたことがある。

 だがれら個々の人格に対する要求を、会社という組織に求めるのは場違いと言おうかこくな気がする。

 なぜなら会社では『あなたは嫌なやつなのでクビにします』といった処理はできない。そんな気まぐれで社員をクビにするような会社は、社会的にありえないし、法律上でも許されていない。



 しかしなにを目安としていいのか? そもそもなにが正解なのだろう?

 正解があるとするならば、むしろ私が教えて欲しいくらいだ。


 ひとり、余計な問題で悩む。

 幸いにしてこの「大人になってから分数をつかうの」という難問は聞かれることは無かった。

 この授業で答を出してから、こんなに悩まされるとは思いもよらない出来事だ。


 数学という授業は非常に複雑で難解なものだ。

 噂に聞いた話では百年かけても解けないような問題がゴロゴロと転がっていると聞いたことがある。


 その事を踏まえて改めて考える。そもそも今、悩んでいる問題は私には解けるだろうか?

 思考をめぐらせていると、ひとつ思い出した事がある。

 それは『解無かいなし』という答えだ。

 解答がない問題。それはどんなに頑張っても、決して答えにはたどり着けないという。そのような理不尽な事も世の中にはあるらしい。

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