第1038話 『イタリア奇想曲 作品45』 チャイコフスキー
1880年の、作品です。
なんで、うつうつに、この曲が出てくるの?
たしかに、おそらく、一般的には、イタリア的な、明るい雰囲気の音楽だと、考えられているものと思います。
しかし、人の感覚はそれぞれで、やましんは、前半の重く、深刻な雰囲気が、この作品のメインテーマだなあ、と、常々、いや、むかしから感じております。はい。
そもそも、ショスタコーヴィチさまの『交響曲第5番』の第4楽章の頭とともに、やましんが聞いた、最初のクラシックおんがくでありまして、それは、6才の頃でした。
小学校から帰ると、見たこともない不可思議な機械が座っていたのです。
当時は、まだ、珍しい、最新型の、ステレオブレーヤーでありました。
放送が始まったばかりの、FM放送の受信も出来ました。ただし、ステレオニユットは、別売りで、ついに付けられることはありませんでした。
この機械は、まだ、現存しておりまして、ラジオは、たぶん、いまだ、稼働すると思います。(長くやっておりませんが。)
その、付属の試聴用レコードが、抜粋録音で、前半だけの収録だったので、そうした感覚になったのかもしれません。
実際に『スラヴ行進曲』より、音楽の内容は、ずっと、洗練された作品であります。
しかし、そもそも、これは、アントニーナさんに無理やり結婚を迫られ、アッというまに破綻し、終幕になった…………とされます。ことから、静養のために、イタリアに赴いたことから出来た曲であります。
チャイコフスキー先生は、本来、あまり、いつもあかるい性格でもなかったようで、複雑な方でありましたような。
やましんは、ひらすら勝手に思うのは、チャイコフスキー先生の、うつ気味な個性が、やはり、勝っているんじゃないか。と、いうことです。また、聴くやましんが、うつ気味ですから。
このときには、モスクワ川にて、自殺を図ったり、かなり、追い詰められたようなのです。
しかし、とにかく、この事実関係は、他人がわからないことがいっぱいのようで、アントニーナさまのほうは、チャイコフスキー先生にぞっこんだったようですし、彼女には、別れる意志はなかったように思えます。
世の中、どこも、難しいのですが、成功した人に対する他人さまの批評(うわさ、も。)は、ときに厳しいものです。チャイコフスキー先生は、わりに、なんだかよくわからないことで、ときには、差別に近いような、叩かれやすい方だったような感しで、初演がうまくゆかないことも、良くあったみたい。死後も、最近に至るまで、死因に関する、錯綜した情報がありました。
しかし、また、抜群の人気もあります。
そこは、チャイコフスキー先生の凄さです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ うつ 😢 😢 うつ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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