第796話 『ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ』 ストラヴィンスキー

 お風呂で、ラジオを聴いておりましたら、NHKさまにて、第5楽章だけ、放送しておりました。


 あっという間に、終わりました。


 お風呂から出て、やましんのCD箱をちょっと探ってみると、なんと、聴いてください、と、言うように、一番上に、乗っかってるではないですか。


 こうした場合は、聴いておかないと、バチがあたります。(なにか、しくじるたびに、バチが当たったと、思います。)


 ヴァイオリンは、ジェニファー・フラウチさま(読み方ちがうかも)と、言う方のCDであります。


 1931年から、32年にかけて作曲。


 1932年に、ベルリン放送局で初演されたのだそうで、この時代は、ストラヴィンスキー先生、フランス各地を渡り歩いていて、定住した場所はなかったようです。


 うつうつで、癒し度があるのは、第5楽章。


 あとは、第1楽章に少し。(個人差あります。)


 中間どころは、なんとなく、ショスタコーヴィチさまや、バルトークさまに、少し似ていたりしますが、全体的には、わりと、おとなしく、聴きやすいです。


 新しいことをやろうというのではなく、ソリストのドゥシュキンさまとの共演で、成功することがまずは目的のような気がしますが、時代からして、難しい時代にかかっていて、フランスの市民権を1934年にとったものの、ナチスからは、退廃芸術の烙印をいただき、フランスでの人気もなくなり、1939年からは、アメリカに住むようになったとのこと。(それはもう、『春の祭典』(1913年)などの栄光の時代は昔になっておりました。)


 来日したのは、1959年ですが、このころは、すでにやましんが、東京近郊におりましたが、まあ、すれ違ったりはしなかったでしょう。しかし、直ぐそばに、いたことは事実で、関係ないけど、勝手に感動したりいたします。ちなみに、カラヤンさまの初来日は、1954年でした。それから、11回来日していますが、聴きに行ったことはないです。かなり、接近していたことは、あったようですが。


 さてストラヴィンスキー先生は、作風をくるくる変えた方です。


 晩年になるにつれ、モダニズムに進んだ方で、ちょっと、珍しいかも。


 そうした多様性を、20世紀音楽の開拓者として高く評価する方もあり、作曲家なかまでも、なかには、あまり良く思わなかった場合もあるようです。


 しかし、やましんごときは、すべて、ありがたく、聴かせていただくのが、本分であります。


 ストラヴィンスキー先生も、長生きはされましたが、最晩年は、レコード鑑賞に甘んじるしかなかったようです。(1882~1971)



・・・・・・・・・うつ  🔊 📢  うつ・・・・・・・・・・・・・


 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る