第745話 『弦楽四重奏曲ホ短調作品16』 マニャール
しろと耳にも、大変に精緻な作品だと感じます。
頭の音は、ハンマーで、頭をぶんなぐられたみたいな衝撃がありますが。
第3楽章が、なかり、うつうつの、しかし、癒し効果もある、深淵な音楽。(個人差あります。)
各楽章に、表題があり、第3楽章には、なんだか、『葬送の歌』とか表記されてる。
1903年に完成し、手を加えながら、1904年3月19日に初演されたとのこと。
独自の世界というべきものでありましょう。
マニャール先生(1865~1914 フランス)は、デュボア先生、マスネ先生、ダンディ先生の弟子。
1865年生まれといえば、フィンランドのシベリウス先生と同じ年の生まれで、半年だけ早い。(6月9日生まれ。シベリウス先生は、12月8日。)
シベリウス先生は、1918年に赤軍の家宅捜索を2度に渡って受け、相手によっては命が危なかったようですが(保守派の富裕層と見られて標的にされていたらしい。富裕かどうかは別として、保守派だったことは、事実。)、一方、第1次大戦に巻き込まれたマニャール先生は、1914年に、家族は疎開させていましたが、自身は屋敷を守っていて、ドイツ兵に攻撃され、銃撃戦になり、家ごと焼き殺されてしまったとのこと。
シベリウス先生が、そのニュースをどのように聞いたのかどうか、わかりませんが、その年の5月から6週間ほどは、アメリカ合衆国に行っていて、人気となり、フィンランドに帰国した直後の事件です。
悲惨なことであります。
ドビュッシー先生(1862~1918)は、晩年期で、パリから避難したり、戻ったり、奥様の連れ子だったウラルさんは、徴兵されたり、病気になりながら、慌ただしいなかで、作曲は継続していました。
オーストリア生まれのピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインさまは、フランスの敵側ですが、従軍して、負傷のため、右腕は切断となり、大戦後は、左手で演奏活動を行いました。フランスのラヴェル先生は、ウィトゲンシュタインさまの依頼で『左手のためのピアノ協奏曲』を作曲。
戦争がなかったら、この作品はいま、なかった、と、いう言い方は、たぶん、本来、正しくないです。
あ、マニャール先生の、お話しでした。
・・・・・・・・・うつ ⚔️ うつ・・・・・・・・・
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